爪痕は深く、傷ましく ⑥
「なんや局長さん、けったいな顔してはるなぁ」
「そ、それはまあ……本部長直々に見舞いに来てくれるとは思わなくてね」
魔法局東北支部、その事務室に果物籠を持参してやってきたのは魔法少女ロウゼキ……もとい十角 桜その人だった。
あれから三日が過ぎたとはいえ魔法少女事変の余波は未だ残っている、今なお多忙であろう本部長自らの見舞いともあれば困惑もやむなしだ。
「調子はどない? 内臓しこたま抉られたて聞いたんやけど」
「いや、まあははは……ええそりゃもう容赦なく」
意識を取り戻した後に医者から聞いた話を思い出す。
腕から侵入した根が内臓をズタズタに傷つけ、肺までもぐりこんだ胞子によって呼吸器の補助がなければ窒息死という状況だったらしい。
あと1時間、縁クンの討滅が遅れていれば命はなかったと知った時には肝が冷えた。
「……体調は未だ万全とは言い難い、しかし私にしかできぬ仕事があるなら寝てもいられまい」
「無茶はあかんよ? 局長はんまで倒れると代わりはおらんからなぁ」
「重々承知していますとも……今はとにかく人員が足りない」
縁クンが抜けた穴は大きい、少なくとも魔力学の進展は大きく後退するだろう。
この東北支部も受けたダメージがあまりにも大きい、ギャラクシオンや縁クンが放った根のせいで内部はボロボロだ。
そのうえ……退職した職員の数もまた少なくない。
「魔女のせいで浮き彫りになってしまったのだ、身近にいる魔法少女が脅威となった時にそれがどれだけ恐ろしいのか」
魔女による被害は大きく、多くの重軽傷者と……2桁の死者を生み出してしまった。
全国で勃発した割には数字は少ないと喜ぶわけにはいかない、0ではないのだから。
守るための力が市民に向けられ、人を殺めてしまった。 その事実はあまりに重い。
「マスコミに関してはうちが何とかしてるさかい、あとは時間にいやしてもらう他ないなぁ」
「な、何とかとは……具体的には?」
「うふふふふふ……聞きたい?」
千切れんばかりに首を横に振る、藪を突いて蛇を出したくはない。
「……そ、それはそれとして、東京は今どのように?」
「んー、そっちはうちにもどうにもならん。 何せ誰も立ち入れんからなぁ」
縁クンが倒された後、再び東京には多量の魔力に侵されてしまった。
一度は事後調査も計画されたが、魔法少女すら耐えきれない濃度の魔力を前に断念。
二度の事件を乗り越え、再び東京は見えないブラックボックスに覆われてしまった。
「魔法少女すら害となる魔力か……想像もできないな」
「うちもこんなん初めてやさかい、ほんに歯がゆいわぁ」
溜息を零し、本部長が籠から取り出した林檎を1つテーブルに用意された皿の上へ置く。
白い指先でクリクリといじくり回されるリンゴは赤く熟れている、割れば蜜もたっぷり詰まっている事だろう。
「オーキスとスピネが起こした事件が1回目、そしてローレルと魔女たちが犯した2回目の事件……そのどちらも最後は東京へと収束した……不思議やなぁ?」
「……2つの事件に東京が共通するのは偶然ではないと?」
「あの中にはまだ見つけていない“芯”があるはず、そのためにも東京へ立ち入れる魔法少女を探しとる」
指先で弄ばれていた林檎がしゅるりと音を立て、とぐろ状に剥かれた皮が独りでに剥離する。
そのまま八等分に切り取られた実が皿の上に落ちると、堅い芯だけが彼女の手の中に残った。
「ん、美味しそうやな。 食べる?」
「い、いただきます……」
つまようじに刺されて差し出された林檎には、予想通りたっぷりの蜜が詰まっていた。
――――――――…………
――――……
――…
「はぁー、終わった終わった。 何か物足りねえな……」
《葵ちゃんが入院中ですからね、店長も何だか元気がないようですし》
明日の仕込みと片づけを終え、時計の針を見るがいつもより早い。
アオ1人がいないだけで家事の手間も随分と変わってしまうものだ、なんとなく寂しさを覚えてしまう。
「優子さんは晩酌か……風呂も済ませてあるし、今日はもう寝ちまうかな」
《えー、たまには夜更かしとかしないんですか? 夜食も食べ放題ですよ》
「明日も早いんだよ、睡眠時間は早くて損はない」
《そう言って早く寝た分だけ早く起きる癖にー、どうせ開店が遅れたって困るお客さんもいないですよ》
「お前言ってはならんことを……」
とは言ってもやる事もないのだから仕方ない。
一応ブルームスターの日課として夜の街にも何度か巡回してみたが、ローレルの事件以降魔物の影を見る事はなかった。
「このままずっと何もなければそれでいいんだけどな、魔法少女なんて必要なくなる」
《それが一番ですよねぇ……けど、魔物はきっとまた現れますよ》
ハクの言う通り、ローレルを倒したからと言ってこの世界から魔力が無くなったわけではない。
今こそ一時的に平和だが、またすぐに魔物が生まれてそれを魔法少女が倒す日々が蘇って来る。
寝支度を進める頭の中で、気が重くなるような未来を考えてしまい辟易する。
「はぁー……寝よう、嫌な事ばっか考えちまう」
《そうですねぇ、ゆっくりおやすみなさい。 マスターもまだ本調子じゃないんですからね?》
「ああ、分かってるよ……」
ハクの小言を聞きながらベッドに横たわり、瞳を閉じる。
ローレルとの戦いで負った傷もまだ完治したわけじゃない、夏特有の寝苦しさも相まって暫しベッドの上で寝返りを打つ。
それでも人間の身体は睡魔に耐えるようには作られておらず、俺の意識はいつの間にか闇の中に沈んでいった。
《……私が、もっと……力に……たらなぁ……》
――――――――…………
――――……
――…
「う、うぅ……あっつぅ……」
「……スター……マスター……起きてください……」
カーテンの隙間から差し込む朝日と猛暑、そして相棒の呼びかけによって寝ぼけた意識が少しずつ覚醒していく。
枕もとの時計は5時を指している。 まだ起きるにしても大分早い時間だ。
「なんだぁ……寝ぼけてるのか、ハク……?」
「違いますよ……大変なんです……ええい、良いから起きてください!!」
身体を揺さぶられて、ようやく頭が起きて来た。
……待て、俺の身体を揺さぶるのは誰だ?
だんだんピントがあって来た視界の先には……馬乗りになった状態で俺の身体を揺さぶり続けるハクがいた。
「………………ゑぁ?」
「大変です、大変なんですってマスター!! どういうことですかこれ!?」
俺の目の前にいるのは、触れるほどの距離にいるこれは……スマートフォンの画面越しになども見て来た相棒の顔だった。
「なんで私……マスターに触れるんですかぁ!?」




