蒼炎燃ゆる ③
生温かい水の中に意識だけがぼんやりと浮かんでいる。
一寸先も見通せない闇と体温に等しい温度の液体に包まれていると、自分との境界線が曖昧になるばかりだ。
もしかしたら見えないだけで、既に自分の身体はこの液体の中に溶けて消えてしまったのかもしれない。
「それは……困りますね……」
「――――驚いた、まだ意識があるんだ。 しかも結構余裕そう」
闇しか見えない景色の中から澄んだ声が届く、まただ。
先ほどからこの繭の中には私以外の誰かがいるようで、ときおり自分に向かって話しかけてくる。
声の主は当然見えない、だが一方的に毒舌混じりで親しげに話しかけられるのは少々気分が悪い。
「ここまで自我を保っていられるなんてある種の才能だね。 うん、凄く神経が図太い」
「何ですか、人の事を勝手にずけずけと……」
「怖くないの? あなたは強大な魔力の渦に呑まれて肉体も精神も擦り切れようとしているのに」
見えない誰かのその言葉にすぐに「いいえ」と答える事は出来なかった。
怖くないと言えば嘘になる、人は誰だって暗闇が怖い。 そうじゃなくともこんな所に閉じ込められていると気が狂いそうだ。
だが、それでも私はこのまま狂気にひざを折るわけにはいかない。
「ええ、怖いですよ。 ですが私が諦める訳にはいかない、もしも私がこのまま闇の中に溶けてしまえばブルーム達の苦労が水の泡に消える」
何故だかわかる、分かってしまう。 今こうしている間にも繭の外ではブルーム達が健闘しているのだ。
東京の外にある命を守ろうと、そして取り込まれた私を助けようと――――自らを危険にさらしながら戦っている。
助けられる私が先に諦めてしまっては、ブルーム達に合わせる顔がない。
「……ペンダントとのつながりか、余計なアドバイスしちゃったかな。 でもなぁ、お兄ちゃんにはあれが必要だし……」
「……? 何をぶつぶつと……あだ、あいたたたたた!?」
輪郭を失っていた肉体の感覚が、唐突な痛みによって蘇る。
突然胸の内から込み上げて来た針に刺されるような熱い痛みだが、実際に何かに貫かれたという訳ではない。
「な、なんですかこれ……体が……!?」
「あー、暴走かな? うん、まだ制御できてないか。 形もぐちゃぐちゃで歪だ」
「ちょっと、誰か知らないですけど一人で納得しないでください! これ止められないんですか!?」
「無理、それはあなたの精神に直接フィードバックされている痛みだよ。 今あなた達2人の心は接続しかけている」
その言葉と共に、視界に電光が走る。
光が収まる僅かな時間の間に見えたのは、前衛的な形状の箒を持ちながら繭に向かって走り行く誰かの視界だ。
「っ……ブルー、ム……?」
――――――――…………
――――……
――…
短く息を吐き出し、姿勢を低くしたまま前のめりに走り続ける。
余計な体力も魔力も一切使う余裕はない、最小限の動きで目指すのはあの繭だ。
《マスター、どうする気です!?》
「外からローレルと斬り合っても仕方ない、一寸法師作戦だ!」
《ろくな内容じゃない気がするんですが一応どういったものでしょうか!》
「繭の中からこの箒でズッタズタに引き裂いてやる!!」
《うわーんそんな事だろうと思ったー!!》
どうせ制御できないならこの箒にも思う存分暴れさせようじゃないか。
狙うのは腕が生える亀裂、そこから飛び込んで繭の内部から全力の斬撃を浴びせ倒す。
問題はそこまで接近する手段だ、近づけば近づくほどローレルの猛攻も激しくなる。
「何か考えがあるようだけど、させるとでも?」
「関係ねえ、押しとおす!」
足元から飛び出す根の刺突はオートで発生する斬撃が斬り刻んでくれる、斬り漏らしにさえ注意を払っていればさほど問題はない。
厄介なのが種の弾丸や刻み切れない大質量の一撃だ、前者は速度のせいで迎撃が難しく、後者はそもそも対処法がない。
『ギイイイイイイイイイイイイイイイ!!!』
《来ますよマスター、頑張って避けてください!》
「ああわかってる……よっ!?」
考えている間にも、繭から伸びた腕が握りこぶしを作ったまま俺目掛けて振り下ろし始める。
ただそれだけならまだこちらも回避の猶予が十分ある――――突然足元から生えた根に躓くことさえなければ。
躓く寸前、見上げた頭上ではローレルがほくそ笑んでいるのが遠めからでも分かった。 この瞬間をあいつは待っていたんだ。
《マスター、羽箒!》
「ストックがない! クッソ……!」
根に足を取られたのは1秒ほどだが、そのラグが実に重い。
全力で走ったとしてもギリギリ振り下ろされる拳から逃れきれないのが嫌でもわかってしまう。
イチかバチか、こちらも箒で対抗するしか……
「―――――盟友!!」
「!?」
拳がいよいよ頭上数十㎝まで近づいた時、遠くからシルヴァの叫び声が聞こえた気がして振り返る。
当然シルヴァの姿はそこにはない。 代わりに俺の目の前まで飛んで来ていたのは、1枚の紙飛行機だった。
「……そういう事か、シルヴァ!?」
シルヴァの真意を確かめる余裕はない、俺は飛んで来た紙飛行機をそのまま握りしめる―――――その瞬間、巨大な拳が俺たちの体を押し潰した。




