賢者は沈黙を囀る ④
魔人。 それは人型に近い姿で発生した魔物として呼称される存在。
人類に仇なす存在という点では魔物と差異はない、問題はそのルーツに謎が多い点と魔物とは段違いの凶悪性にある。
「――――というわけで、私は今からあなたの全てを使って“賢者の石”を作ろうと思うの」
魔物に人間と同じレベルの知性と悪意が備わってしまえば、それは魔法少女以上の脅威となるに他ならない。
私の目の前にいるローレルは、魔法少女でも魔女も無く―――――魔人と呼ぶしかない存在となった。
「……そんなもの、本当に作れるとでも? どこにそんな確証があるんですか」
「私の中にあるわ、だからこそここまで準備を積み上げて来た」
「あなたは、今回の……いえ、東京事変も……その前も、一体どれだけの犠牲を払って……!」
「そんなもの、とっくの昔に数え飽きてしまったわね」
「ローレル!! あなたは――――」
「――――その話、俺たちも混ぜてもらっていいか?」
空から一枚の紙切れが降って来る。 長方形に破り取られたその紙片には黒いインクで文字が綴られている。
その文章を視認した瞬間、ローレルは弾かれるように後方へ飛び退いた。
「ラピリス、眼を閉じよ!」
「……!!」
紙片から強烈な閃光が放たれる寸前、反射的に目を閉じる。
僅かに聞こえたのはローレルのうめき声と、こちらに駆け寄る3人分の足音。
「悪い、遅くなった!」
「……来てくれなんて、誰も頼んでませんよ」
「うっせーやい、ピンチだったくせに」
それは、心もとない今は一番聞きたかったもので……今だけはこの場に駆け付けてほしくない誰かさんの声だった。
――――――――…………
――――……
――…
ラピリスの両手足を拘束するツタに向けて振るわれたオーキスの刃が、ゴムのような弾力で跳ね返される。
刃が振り下ろされた表面には傷一つついていない、今までのものとは強度が段違いのようだ。
「……ブルーム」
「分かってる、連れて逃げるってわけにはいかないようだな」
ラピリスの消耗は激しい、出来れば引っぺがしてこの戦場から遠ざけたかったが仕方がない。
今この場でローレルを打ち倒し、全員揃って家に帰るしか道がないようだ。
「…………ごきげんよう。 随分な挨拶ね、ブルームスター?」
「怒んなよ、俺たちの仲だろ? それにラピリスも随分と世話になったみたいだしなぁ」
込み上げる怒りをこらえ、折れんばかりに箒の柄を握り締める。
もっと早く駆け付けていれば、という後悔ばかりだ。 少なくとも、これ以上ラピリスを傷つけさせるわけにはいかない。
「本当に……いい所で邪魔してくれるわね、ブルームスター」
「わ、我々もいるぞ! 3vs1だ、無駄な抵抗はやめてもらおうか!」
「そだねぇ、シルヴァの魔術を大げさに避けるあたり……あなたが本体と考えていいのかな?」
オーキスが構えたカミソリに対し、ローレルは無表情で対峙する。
今までの不敵な笑みは一切なく、感情の動きがまるでない。
「ここまできたらもう教えてくれてもいいんじゃないかな、こんな繭に膨大な魔力を貯め込んで何を企んでるの?」
「――――賢者の石」
「……ラピリス?」
拘束されたラピリスが青ざめた顔色のまま、口を開く。
それは傷が深いというよりも……何やら精神的に疲弊しているような面持ちだ。
「ローレルの目的は賢者の石という名の無限の魔力リソースを作成することです、そのためにここまで年月を掛けて大量の魔力をかき集めた……!」
「ふふふ、おしゃべりな子。 でもラピリスの言う事は間違いじゃないわ、私の目的は賢者の石ただ1つ」
「そっかぁ」
一呼吸の合間に距離を詰めたオーキスが振るう刃が、ローレルの首筋を掠める。
一切の躊躇いのない殺意の籠った斬撃だが、ローレルは紙一重でその所作を見切っていた。
「ろくなものじゃないって事は分かった、そしてそんなもののためにここまでの事をしでかしたって事も……私と朱音ちゃんを、踏み台にしたことも!」
「待て、オーキス! 深追いするな!」
「ふふ……あはは! そうね、オーキス! あなた達は前座の実験台だったわ、ペストが齎した結果は素晴らしかった。 おかげでこれだけの環境を整える事が出来たのだから!」
オーキスが連続して繰り出す斬撃の嵐も、まるで踊るような最小限の動きで躱し続ける。
駄目だ、完璧に動きが読まれている。 オーキスも激昂しているが精彩さを欠いている訳ではない、ただローレルの読みがその上を行っているだけだ。
「残念ね、オーキス。 あなたの太刀筋は何度も見せてもらったから、そう簡単には当たってあげないわ」
「ドクターが言ってたよ、あなたも目的は同じだって」
「――――……」
「誰を、何のために蘇生する!? 答えろローレル、その命にここまでの犠牲を払う価値があったのかッ!!」
半歩踏み込み、吠えるオーキスの斬撃がローレルの片腕を跳ね飛ばした。
純白の繭を赤い血で汚しながら、彼女の腕が2人の間に転がる。
「……ふふ、犠牲を払う価値? あったわ、もちろん。 少なくとも私にはそれだけの価値があった」
苦痛に顔をゆがめる事も無く、ローレルは唇で残った左腕からレースの手袋を外す。
……その下から出て来たのは、薬指に嵌った飾り気のない指輪だ。
「―――――私が欲しいのは、生まれてくるはずだった我が子の命だけなのよ」




