賢者は沈黙を囀る ①
「…………っ」
全身を苛む痛みで目が覚める。
ガンガンと痛む頭で直前の出来事を思い返す……そうだ、私はローレルと戦っていたはずだ。
体中の負傷は間違いなく、ローレルによって付けられたものだ。 しかし命までは取られていない。
「偶然助かったわけじゃ……ないでしょうね……」
埃っぽい床から体を起こす、ここは一体どこだろうか。
辺りは薄暗い、がらんとした殺風景な空間はどこかのオフィスビルだろうか。
負傷はそのままだが、何とか体は動く。 手足も拘束されておらず、刀も私の腰に差したままだ。
「不用心というわけではないでしょうね、何を考えてる……?」
一人呟いたところで答えが返ってくるわけもなく、このまま行動を起こさないわけにもいかない。
隙間から日の光が薄く差し込む扉に手を掛ける。 ……外からローレルや他の人間の気配は感じない。
「……? なんでしょう、この違和感は」
ふと、気づく。 私が今いるのは殺風景なオフィスビルで間違いない……あの東京に聳え立つ廃墟にしては少し綺麗すぎる気がする。 埃こそ積もってはいるが、老朽や劣化の様子は見られない。
一体どういうことなのか、掌を掛けた扉を開くとその疑問はさらに深まる事になる。
「―――――はっ?」
そうだ、そもそもがおかしかった。 東京に日の光が差し込むわけがない、周囲を覆う天の壁によって10年前から東京全域に日照権はほとんど存在しない。
扉の先にあったのは、燦然と輝く太陽が照らす町並み。 遠くに見える紅白のコントラストが眩しい電波塔がこの場所がどこかを指し示している。
天の壁などどこにもない、おそらく10年前は「こうだった」のだろう……私の目の前にあるのは、信じられないが崩壊していないころの東京だ。
「これは、どういうことですか……だって、私は……?」
「――――ああ、気が付いた?」
鳥肌が立つほど冷たい声が背後から響く、先ほどまで私が寝ころんでいたはずのオフィスビルからだ。
周囲に誰もいない事は確認した、そもそもあの空間に誰かが隠れるほどの遮蔽はない。
直前までに気配はなかったはずなのに、少女は確かに今、私の背後から現れた。
「警戒しなくていいよ、私は何もしないし何もできない。 随分無様に寝こけていたから、“条件”もいいしついチャンネルを繋いじゃった」
「……あなた、誰ですか?」
「■■、けど覚えなくていいよ。 どうせ覚えられない」
クスクスと花のように笑う少女……だと思う。
奇妙な感覚だ、こうして目の前に存在し、会話もできているのに彼女に関する詳細な情報が認識できない。
顔も、声も、身長も、年齢も、確認しようと思ってもぼんやりとしか覚えていることができないのだ。
「なるほど、分からないと言うことが分かりました。 ……この場所はあなたが? ローレルはどこにいるんですか?」
「焦らないで、ラピリス。 どうせ答えはもうじきわかるよ、だから私は教えてあげない」
少女は人差し指を唇の前に立て、意地悪く沈黙を刻む。
「けどローレル、ねぇ……あの人も馬鹿だなぁ、幾ら魔力を集めたところで根本から間違ってるんだもん」
「その口ぶり、あなたはローレルの目的を知っているんですか?」
「うん、知ってるよ。 けど教えてあげない、あなたにだけは教えてあげない」
コツ、コツ、コツ、堅い靴音を響かせながら少女がこちらに歩み寄る。
やけに寒い。 彼女の視線が、微笑みが、一挙手一投足が、凍える冷気となって絡みつくようだ。
「ラピリス、ローレルの企みは失敗するわ。 そしてこれだけは教えてあげる、あなたは私になれない」
「なに、を……っ!?」
少女が私の首に手を伸ばす、緩慢なその動作を振り払おうと伸ばす手が凍えて動かない。
気づけば私の腕には霜が付くほどに凍り付いていた。
「予言するけどあなたは必ず最悪の結末を辿るわ、それまでせいぜいお兄ちゃんとあのドロボウネコによろしくね?」
――――――――…………
――――……
――…
画面に浮かぶ赤いアイコンをタップするが……やはり反応はない。
ハクが魔石を吸収してから10分は過ぎた、魔力は十分に満たされた感覚がある。
しかし相も変わらずこのアプリはうんともすんとも言う気がないようだ。
《うーん、色は戻ってきているんですけどね。 何がダメなんでしょう》
「魔力が足りなかった、だけが理由じゃないらしいな」
例の赤い姿に変身するためと思われるアイコンはグレーの待機状態から大分赤い色を取り戻してはいるが、それでも周りのアプリに比べて薄っすら暗い。
何が原因か、と聞かれたら心当たりがあるのは魔石の吸収ぐらいだ。
《そういえば、前回はほら……黒騎士さんの魔石を取り込んだ直後に変身してましたよね?》
「そうだな、あいつのお蔭で助かったんだ」
当時の状況を思い返すに、やはり魔石の吸収が一つのトリガーだったのだろう。
しかしその他に必要な要因が何かとなると……思い当たる節がない。
《もし使いこなせたらこの先の戦闘で絶対役に立つと思うんですけどねぇー、黒いのと違ってマスターへの手痛い反動もありませんし!》
「まあ無いものねだりしても仕方ねえよ、魔力が回復しただけでも十分だ。 体調はもう大丈夫か?」
《ええ、まだお腹いっぱいですがずっと地下に籠ってもいられませんからね。 さっさとラピリスちゃんを助けに向かいましょう》
「ああ、シルヴァたちも呼んでこないとな」
スマホの画面を一瞥し、ハクの力で虚空に収納する。
以前にも暴走したペストを倒した力……もしまた振るえるのなら頼もしいことこの上ないが、仕方ない。
それに―――――悪寒がするのだ。 確かにあの力は強力で反動も無い、しかしだからこそ恐ろしい。
もしも、その“先”に踏み込んでしまったら……俺はちゃんと戻ってくることができるのだろうか。




