回診のヴァイオハザード ⑤
―――脚に力が入らない、肺が燃え上がるかのように熱い、視界が霞む。
膝から崩れ落ちる寸前、何者かの足元が視界の端をよぎる。
ヴァイオレットか? 違う、あれは人間の足じゃない。
『―――キヒヒャハハ!!』
不快な笑い声をあげる、樹木をより合わせて形作ったような歪な子供。
樹洞のようになった顔の部分には黒い闇の中に目玉と口角のつり上がった口だけが不気味に浮かんでいた。
「魔、物……」
『キャハァ!!』
樹木の魔物は、もはや動くこともままならないこの体を弄ぶかのように蹴り上げる。
見かけは子供だが膂力はそれ以上だ、蹴り上げられた体は軽く数mは吹き飛ぶ。
「が……ふ……っ!」
《マスター! しっかりしてください、マスター!》
『……キヒヒッ!!』
こちらが反撃してこないと分かると、魔物は嬉々として駆け寄ってくる。
片腕を変形させ、鋭く尖らせた樹木を俺の腹へと突き刺す。
熱い痛みに鮮血が滲む、しかしもう声を上げる気力もない。
『キヒ……キヒヒャハハハハハ!!』
苦痛で歪むこちらの顔を楽しそうに見下しながら、何度も何度も傷口を嬲る。
すぐに死なない様に力を加減し、急所を避けて何度も何度も何度も何度も何度も。
それはまるで捕まえた虫をいたぶる無邪気な子供のように、執拗に繰り返された。
……なんなんだろうな、こいつらは。
何がおかしくて人をいたぶる、何が面白くて人を殺す?
沸々と腹の底が煮える、本当にこいつらは一体何なんだ。
魔物は嗤いながら人を殺す、喰う訳でもなく、生きるためでもなく、ただ殺したいから殺す。
何でこんな奴らに人は殺されなくちゃいけないんだ。
……力が欲しい、この情けない体を動かす力が。
《……マスター? 何を、やってるんですかマスター……ダメ! それはダメです!!》
――――無意識に握りしめた羽箒の燃えカスが、黒い炎を噴き上げたような気がした。
≪アスリートファイター・KO!≫
炎を掻き消すかのように格子状のマス目が地を奔る。
これは、この音は……
『ギヒッ!?』
「……君の怒りについては同意だよ、ブルームスター。 悪戯に奪われるような命があってはいけない」
倒れ伏した俺の傍らに、いつの間にかヴァイオレットの姿があった。
こいつ、今の今までどこに行っていたんだ……
「なるほど、この小さいのが本体か。 ラピリス達と交戦したデータとサイズが違い過ぎるから怪しいと思ったんだ、君のお蔭で化けの皮が剥がせた」
「ああ、そー……かい……」
つまりこいつは俺を利用して本体がおびき寄せられるのを待っていたって訳か。
頭いいなチクショウ。
「アスリートファイター・KO、古き良き1vs1の対戦格闘ゲームだ。 そのフィールドを再現したこの空間からは逃げられないよ、相手を倒さない限りはね」
『ギヒッ……ギヒヒィ!!』
ヴァイオレットの姿を見ると魔物は一目散に逃げる……が、見えない壁のようなものに阻まれてそれ以上逃れる事が出来ない。
そして彼女の足元にブロック状のノイズが奔り、ボクシンググローブとハチマキを身に着けた小人が現れた。
「それじゃあちょっと遊ぼうか、ただし君はここでノーコンティニューだ」
『グギ……ギギギィ!!』
逃げられないと見るや否や、怒りに震えた魔物が顔の穴から大量の花粉を吹き出す。
しかしヴァイオレットにはまるで効いていない、それどころか彼女の周りだけ薄っすらと花粉が避けているかのように空気が澄んでいる。
「ノーモーションの飛び技がこの距離で効いたら壊れも良いとこだろー、攻撃ってのはこうやるんだ」
彼女が手元のゲーム機を操作すると、それに連動して小人が前転を織り交ぜ、一気に魔物との距離を詰める。
たまらず魔物も後退、掴みかかろうとした小人の指先が惜しくも掠め――――たと思いきや、がっちりとその身体をホールドして地面へと叩きつける。
『ギキィ!? ……!? !!!??』
「ああ、地形ダメージは無効だったな。 うっかりしていた」
確実に避けたと思った攻撃を喰らい、面食らった魔物へ小人の攻勢は終わらない。
倒れ伏した体をカチ上げ、宙に浮いた身体を殴り、蹴り、突き、投げ、見えない壁までその身体を追い詰める。
……終わらない、ヴァイオレットの攻勢が止まらない。 恐ろしいことに一度浮き上がった魔物の体が壁と小人に挟まれ一切降りてこないのだ。
『ギ、ガ……グギガァ!?』
魔物ももちろん必死の抵抗を見せるが、僅かな予兆も見逃さずに小人が的確な攻撃でその機先を潰す。
止まらない、ヴァイオレットの指先が踊り続ける限りこのコンボはどこまでも続く。
「起き上がりの点滅も無敵も無いからさ、こういう真似ができる。 クソゲーも良い所だね……だが君も相当愉しんでいたようじゃないか」
相手に伝わるかも分からない言葉を投げかけながらも、異次元じみた指捌きは止まらない。
魔物を形作る樹木が激しい拳撃に削られ、ひび割れていく。
「君達はゲームのように命を奪う、ボクはそれが許せない。 だからこそ皮肉にも同じような魔法に目覚めたのかもしれないな」
『……! ……――――っ!!』
悲痛に満ちた声にならない声が響く、まるでどうして自分がこんな目に合わなければいけないのかと抗議するかのように。
……唐突に何か致命的なものが砕けたような音を立て、魔物の体が塵へと還った。
「……この程度か、ボクと同じく本体は軟弱なタイプだったようだ」
黄色みがかった視界が次第に晴れて行く、今度こそ確実に魔物が斃された証拠だろう。
その結果を見届けると、ヴァイオレットは塵の山に埋もれた緑色の魔石を回収してこちらへと歩み寄って来た。
≪――――オペレーション・ドクター!≫
「っ…………」
「動くな、今止血する。 花粉も抜けるのに少し時間がかかるだろう、動けるようになるまではもう少しかかるぞ」
ヴァイオレットは自分の髪を縛るリボンを解き、包帯がわりに俺の腹に巻き付ける。
周囲に現れた小人のドクターも包帯の上でよく分からない作業を行っている、そのおかげか痛みが引いて来た。
「CERO:Aじゃ正確な手術描写はできないからね、いい加減なオペだが確実に傷は治るよ」
「何か、めっちゃ……ぺしぺし叩いてくる……」
だが腕は確かだ、既に痛みはほとんどなく傷口も綺麗に塞がっている。
あとは傷口の周りに付着した血痕をふき取って俺の両腕を包帯で縛り……縛り?
「……なんで縛った?」
「当たり前だろ、君は野良の魔法少女だということを忘れたか。 このまま君には政府の犬に成り下がってもらおう」
しまった、油断した。 彼女は初めから俺に対していい印象を持っていなかったんだ、事が終わればそりゃこうなる。
抜け出そうにもまだ調子は戻ってきていない、何とか時間を稼がないと。
「なんで……そこまで、俺を敵視するんだよ……」
「言ったろ、信用が出来ない。 君の魔法を見ていれば特にね」
「どういう……」
「魔法少女の扱う杖はその心象を反映したもの、君も知っているだろう?」
知っている、ラピリスなら刀、ゴルドロスはぬいぐるみ、シルヴァは羽ペン、目の前のヴァイオレットはゲーム機。
そして俺は……
「そうだ、君の扱う杖は固有の形を持たない。 あらゆるものを箒に変える、その性質ははっきり言って異常だ」
ヴァイオレットはメガネに指をかけ、淡々と持論を述べる。
異常? 何を言っているんだ、俺はいつだって――――
「薄っぺらなんだよ、君は。 まるで表面だけ魔法少女という形をなぞったかのように」
―――――っ。
「ブルームスター、君は病気だ。 ボクは医者として君を戦場に立たせるわけにはいかない」
その言葉は、今までのどんな戦いよりも強かに俺の頭を殴りつけた。