あとの祭り ⑤
「……輝鏡さんのお母さんが、ですか?」
「うむ、話の内容はよく分からなかったがね……どっこいしょっと」
境内のカメラ設置をあらたか終え、工具が詰まった段ボールを降ろして局長が一息つく。
本人としては口のついでに零れた話だったのかもしれないが、私としては無視できる話の内容ではない。
「……少し用事が出来ました、暫し休憩時間をください。 輝鏡さんとお話をしてきます」
「こらこらこら、止めたまえよラピリスクン! 親子間の問題だ、部外者が容易く口を出して良い問題ではない」
「ですが……輝鏡さんに体罰を受けるほどの落ち度があったとは思えません、ゴルドロスに爪の垢を煎じた煮え湯を浴びせ掛けたいほどの真面目な人です」
「せめて飲ませよう? いやね、君の言いたい事も分かるがね」
局長が複雑な面持ちで私を引き留める。
彼としてもやはり輝鏡さんの待遇に思う所があるようだ、だが同時に私を止めるべきる理由もある。
「その理由は何です?」
「ラピリスクン、今君が輝鏡クンに話を聞いたとしよう。 それで何が解決できるかね」
「母親の体罰について彼女も嫌がっているなら止める事は出来るはずです」
「うーむ、眩しい。 出来ないよ、そもそも彼女は自分の待遇について不満を漏らすことはないだろう」
私から目を背けてなお、きっぱりと局長が断言する。
「それは……何故です?」
「長年与えられた待遇というものに本人の意識というものは麻痺をする、慣れてしまうのだよ。 これが当たり前だ、自分が悪いとね。 辛い話だがよくあることなんだよ」
「何故そう言い切れるんですか! もしかしたら彼女だって……」
「子供にとって親は絶対だ、だからこそ自分への教育方針を否定しないよ。 それにだラピリスクン、もし彼女から本心を引き出せたとしてそれを母親に伝えてどうなる?」
「それ、は……」
言葉に詰まる。 「やめてください」と素直に伝えて止まるなら難しい話ではない。
しかし現実的にはそうはいかないだろう。 激昂し、拒絶し、もしくはその怒りを異議を唱えた輝鏡さん本人に直接ぶつけられるかもしれない。
「ラピリスクン。 君のその真っ直ぐな心は大切なものだ、彼女の苦痛を減らすというのなら少々長い遠回りをしなければならない。 今回ばかりは我々大人に任せてくれたまえ」
「……局長たちが、何とかしてくれるんですか?」
「うーむ、正直私はあのお母さんは怖くて関わりたくはないのだがねー……しかし魔法局の局長よ? 長よ? いくらお飾りとはいえ子供たちの味方がこんな所で見捨てちゃいかんでしょうよー……はぁ、今回ばかりは縁クンも手伝ってくれるかな」
溜息を零し、背中を丸めて局長は隠すことも無くぐちぐちと弱音を漏らす。
その姿はあまりにもみっともないが、下手な見栄を張られるよりも頼りがいのある姿に見えた。
「……分かりました、今回の件はしばらく局長に預けます。 しかしそれとは別にしてやっぱり輝鏡さんとはお話をしてきますね」
「んんー? ちょっと待ちなさいラピリスクン、私の話を聞いていたかなって駄目だあの子足が速い! 真っ直ぐすぎるのも困り物だねぇ!?」
――――――――…………
――――……
――…
捻ったままの蛇口からざばざばと温い水があふれ続けている。
タイル張りのトイレには湿気った臭気で充満しているというのに、私はハンドルを閉める気にもなれずただ茫然と洗面台の縁に両手をついて項垂れていた。
……それでも、この場所は私にとって慣れ親しんだ“逃げ場”だ。 すでに私の脚はあの病室に戻る事を拒んで動かない。
「ならば逃げて……」
自分の口から漏れ出た言葉を思わず自嘲する。 ムリだ。
既に魔法局には私の身元が抑えられているのだろう、両親を連れてこないのはせめてもの情けか。
だとしたらとんだ無様だ、それとも一時的に与えられた力に溺れて王など騙った私にはふさわしい醜態か?
「…………それでも、私は……」
頭の中であの花子とかいう女の言葉が反響する。 私があいつらと同じだという言葉が。
違うと否定するの簡単だったはずだ、私があいつらと同じわけがないと。
他人をいたぶる事を「退屈しのぎ」程度にしか思わず、人を死にたくなるほどに追い詰めるような学校と私が同じはずがないと。
筆箱に蟲を詰められ、上履きを切り刻まれ、ゲームと称して人の体を傷つける連中と、幾ら助けを求めてくれない教師たちと私が一緒なんて――――
『……ああ、君はとても苦悩している』
「ぇ……あ、いづッ!?」
鏡に映った私の虚像が歪み、痛みを感じるほどの耳鳴りが私の三半規管を襲う。
音叉が響くような高い金属音に鏡……そうだ、この感覚には覚えがある。
「お前は……“クーロン”か!?」
『御明察、それとあいにく時間が無いのでね。 通信は手短に行う』
鏡に映った私の姿は水に溶いた絵の具のように歪んで消え、別の少女の顔を映し出す。
日光を背にしているのかその顔は影に隠れて見えないが、それでも声には聞き覚えがある。
魔女同士の集会にもあまり顔を出していなかったが、鏡越しに通信できるような魔女には一人しか心当たりがない。
『聞いたよ、ギャラクシオン。 魔法局に乗り込んでこの有様、とんだ失態だね』
「わ、我を……助けてくれるのではないのか?」
『何故? 心優しきヴィーラならともかく、私が君を助ける義理が無い。 それにだ、いざという時助けてくれる人間なんていない事、キミが一番よく知っているだろ?』
「っ…………」
彼女の言う通りだ、この失態は自分の責任。 もともと面識の少ない彼女に助けを求めるのは筋が違う。
それに、仮に助けを乞うたところで私はもう……
『しかも鏡越しでは君の正確な居場所も分からないからね。 そこにいるのは君だけかい?』
「……いや、我を打倒した魔法少女……花子という奴がいる。 トワイライトに付けられた傷が癒えていない」
『……? どういう経緯があったかは分からないが、それなら簡単な話じゃないか』
「え……?」
『奪えばいいさ。 彼女も私たちと同じ錠剤を使うなら、あるのだろう? ならばそれを使って変身して逃げれば良い』
「でもそれは……」
できない、わけではない。 確かにウィッチクラフトこそあの医師にかすめ取られたが、喪失したわけじゃない。
この院内にあるなら探し出して、また変身できればどうにでもなる。
『邪魔な奴らは殺せばいいさ、できるだろう? 君の重力の力でグシャっとね』
「―――――……」
花子の言葉が、頭の中で反響する。
『通信はこれぐらいが限界かな、そして最後に1つだけ。 もし君が逃げ出せたのなら第三ポイントでヴィーラたちが待っている。 明日の0時までがリミットと思え、その時刻を過ぎたら我々は君を見限ろう』
おそらくはそれが本題か。 伝えるべき内容を伝えると一方的に通信は打ち切られる。
後に残るのは顔色の悪い私を映す鏡だけだ。
「殺せ、か……」
花子の言葉が、頭の中で反響する。
あの言葉がなければ、私はクーロンの言う通りウィッチクラフトを見つけ出してこのボロ病院を押し潰していたのだろうか。
期限は明日、例の祭りとやらが終わるまで。 だけど、それでも私はもう……
「……もう、後の祭りだ」
もはや力も入らず、タイル張りの床にへたり込む。
ああ、吐きそうだ。
 




