あとの祭り ④
「いやあどうもありがとうございます! まさか我が家で憧れの魔法少女に会えるとは!」
輝鏡と名乗った少女は4枚の色紙を抱きしめ、満足げな笑みを浮かべている。
そのうち2枚ほどは素人が書いた拙いものだが、それでも少女は十分嬉し気だ。
「駄目だネー、二人とも。 サインの1つや2つ練習しておかないとサ! ねえシルヴァーガール!」
「わ、我はほら、文字を書くのに慣れてるから……」
「練習していたんですね、シルヴァ……」
ゴルドロスはともかく、気まずそうに視線を逸らすシルヴァもこっそりサインの練習をしていたのだろうか。
その成果か4人の中でシルヴァが書いたサインがもっとも“らしい”出来だ、あれほど書き慣れるには相当な枚数を書いたのだろう。
「まあ、悪いことじゃないとは思うけどさ……えっと、我が家って言ってたけど君ってもしかして」
「あっ、はい! この神社の一人娘で巫女を務めていますっ! どうぞお見知りおきを!」
挨拶と共に見せた彼女のお辞儀は実に美しい角度で静止する。
先ほどもそうだが、生まれが良いにしても少し礼儀正しい節さえ感じる立ち振る舞いだ。
「あっ、シルヴァさんは二度目の挨拶ですね。 すみません、ちゃっかり二枚目の色紙も頂いちゃいました!」
「おや、既に面識があったんですか?」
「う、うむ……我は本殿の催し物の打ち合わせをしていたのでな」
「本殿? なにかあるのか?」
「はい! 花火が打ち上がる前に本殿を解放して、今回に祭りに捧げた演武を披露する予定なんです! 皆さんもお忙しくなければ、ぜひご覧ください!」
「なるほどね……って、もしかして君が踊るのか?」
彼女の背丈は自分達よりやや低い程度だ、本殿というのもぱっと見た限りでかなり大きい。
失礼な言い方だが、こんな小さな少女に大舞台を任せられるとは到底思えない。
「はい、濃墨家の伝統なので……あっと、そろそろ戻らないとお母様に怒られてしまいますね。 慌ただしくてすみませんが、また明日お会いしましょう!」
「ええ、楽しみにしておきます。 それでは」
袴を控えめにたくし上げ、草履をペタペタ慣らして器用に走り去っていく彼女をラピリスが見送る。
走る姿一つとっても優雅なものだ、育ちの良さが伺える。
「……とても礼儀正しい人でしたね、ゴルドロスに爪の垢を煎じた煮え湯を飲ませたいぐらいです」
「せめて冷ましてネ?」
「それでシルヴァ、本殿の打ち合わせって何をやってたんだ?」
「うむ、我の魔術で少し守りの備えを加えていた」
何をしていたのか尋ねると、シルヴァは手元の本からページを破り取り、すらすらと筆を走らせる。
出来上がったように見えたそれを指ではじくと、紙とは思えない強度と共にコイーンッと硬質な音を響かせた。
「おおー、これは?」
「前々から温めていた防護術の試作品である! これの強力に拵えたものを本殿の柱、各6か所に張り付けて舞台を保護する結界を作ったのだ、外からの攻撃では3人がかりでも絶対に壊れぬぞ!」
「おやおや喧嘩売られてるヨ、サムライガール? これはちょっと強度テストの必要があるんじゃないかな?」
「挑発ではないと思いますが、一度確認は必要ですね。 準備運動も兼ねて試してみますか」
「手伝うぜ、シルヴァの成長も気になるしな」
「……お、お手柔らかに頼むぞ」
――――――――…………
――――……
――…
弾む胸中を何とか堪え、弾みそうになる足元を理性で抑えながら参道の端を歩く。
広い境内は未熟な私の体躯では余計に広く感じてしまう、けど私が生まれる前にもっとこじんまりとした神社だったらしい。
魔法という概念が生まれて早10年、未知の脅威に晒された人々の心に「信仰」が再び芽生えたのは不思議な事ではなかった。
だからこの濃墨家のように、魔法黎明期から復活を遂げた神社というのは少なくない。
災厄の日以前から比べると、この神社の金銭事情は比較できないほどに改善されてしまったのだから。
「……いえ、“しまった”なんて言い方はおかしいですね。 反省反省」
「輝鏡! 輝鏡、来なさい、どこにいるの!」
甲高く私の名を呼ぶ声が本殿の方から聞こえてくる、あれはお母様の声だ。
いけない、このままでは稽古の時間に遅れてしまう。 少し行儀が悪いがばたばたと音を立てて本殿へと急ぐ。
「……すみません、お母様! 輝鏡はただいま到着しました!」
「2分遅刻よ、理由を述べなさい」
「え、えっと……その……」
狐のようにつり上がった瞳に睨まれ、思わず開けたばかりの本殿の扉を一歩、二歩と後退してしまう。
濃墨 春佳。 私の母であるその人はいつも規律に厳しく、下手な言いわけを許してはくれない事は身に染みて知っている。
「……魔法少女と、お話をしていました。 つい時間を忘れてしまい」
“ごめんなさい”と頭を下げるよりも早く、頬に熱い衝撃が打ち付けられる。
本殿に大きく広がった乾いた音に、作業をしていた魔法局の方々が手を止め、思わずこちらに視線を向けていた。
「輝鏡、あなたはまだこの社に仕える自覚が足りていないようですね。 あなたが魔法少女になど現を抜かす時間がありますか?」
「…………ありません、誠に申し訳ありません」
それでも、学校の同級生たちは皆魔法少女の話題でいっぱいです。
私が興味を持ってはいけないのでしょうか。
「その通りです。 その上、白衣をそんなに汗で汚してなんとまぁはしたない……私の教育が足りませんでしたかね」
「いえ……すべて私の落ち度でございます」
こう答えなければ、また頬をぶつのでしょう?
「……輝鏡、これもあなたの将来を案じての事です。 明日の演武にはそれだけの期待が集められているという事を、肝に銘じておきなさい」
「はい、重々承知しております」
私ではなく、お母様が一生懸命気にしているのはこの神社の未来ではないでしょうか。
「……魔法少女と必要以上に接する必要はありません。 本殿の警護こそしてくれるらしいですがそれとこれとは別。 このご時世です、魔法少女に目を輝かせていればあなたが魔女として疑われますよ」
「…………はい」
そうだとしたら、世の女の子は皆魔女です。
「分かればよろしいのです、その紙切れは捨てておくように」
「…………はい」
一通りの“作業”を終えると、お母様は踵を返し、作業を続ける方々に厳しい指示を出し始める仕事へと戻る。
……捨てる様に、と命じられた色紙を拾い集める。 頬を打たれて掌から零れた色紙は、角がひしゃげてしまっていた。
「き、キミ。 大丈夫かね? そこの井戸水で冷やしたハンカチだ、これで頬を冷やすと良い」
「ぁ……ありがとう、ござい」
「輝鏡! 10分後に私の部屋まで来なさい、良いですね!!」
「っ……は、はい!」
お母様の鋭い声に刺され、恰幅の良い男性が差し出したハンカチを押しのけて私の身体は勝手に駆け出していた。
チクチクと胸の内を指す暗い感情が膨らむ。 周りの人の視線が全部自分に突き刺さる。
なんてことはない、痛みはすぐに引く。 頬の赤みだって明日にはスッと良くなっている。
本物の魔法少女を見てはしゃぎすぎた、私はただ言われたことをしっかりとこなせば良い。
そうすればお母様に怒られないで済む。 そうすればお母様にぶたれないで済む。 だから安心だ。
…………なのに、なんで私の心の中にはこんなに黒いものが溢れてくるのだろう。




