あとの祭り ①
壁に張り付いたアナログ時計からは、狂いなく針を刻む音が聞こえる。
それ以外に部屋に響く音はない、都心の喧騒から離れたこの病院の中は驚くほどの静寂に包まれている。
……しかし、耳をすませばその中でひたひたと拙い足音が聞こえてくる。
音の主は暗闇に慣らした瞳で周囲を見渡し、細心の注意を払いながら枕元の棚を弄っている。
だがそこに目当てのものはなく、慎重に戸を閉めた音の主はぐるりと体をベッドがある向きへと反転させた。
まずは枕元を確かめ、次にはベッドの下、そしてシーツ回りへと手を伸ばすがそこにも探し物はない。
はて、と少しの間動きが止まる。 しかしそれもつかの間。
すぐのその指先は寝苦しさではだけたシーツの下から覗く胸元へと―――――
「―――――ってさせねえっすよ!?」
「ひょっわぁ!?」
伸ばされた腕を引き込み、ベッドの上へと押し倒す。
音の主は案の定、ギャラクシオンその人だった。
合えなく組み伏せられた彼女は暫しベッドをギシギシ揺らして脱出を試みるが、不可能と悟ると悔しそうに顔を歪ませてそっぽを向く。
「残念っすね、自分は寝ていてもセキさんたちに見張りを頼んでいたんすよ。 目当てのものはこれっすか?」
服の下に隠していたペンダントを取り出して見せると、ギャラクシオンの眉毛がピクリと反応した。
ペンダントの先端には小瓶が取り付けられ、その中には魔法少女に変身するための錠剤がいくらか詰まっている。
大方自分の錠剤を奪い取って変身、魔法少女に力に任せてここを脱走しようという魂胆だったのだろう。
「拙い作戦っすね、そこまで動けるようになっていたのは予想以上っすけど。 まだ万全でもないのに逃げてもすぐに捕まるだけっすよ」
「う、うるさい! 私は魔法少女の王となる女! こんな、こんなところで……!」
「自分にコテンパンにノされるようじゃ王も何もないとは思うっすけどね、あんたの力は危ないっすよ。 扱いを間違えれば自滅の危険だって……」
「うるさい、うるさい、うるさい!! 魔法少女の力があれば、魔法があれば……っ」
そこで彼女はいったん言葉を詰まらせた。
「……もう、イジめられることも無いんだぁ……!」
「―――――……」
今まで以上に変身時の気丈な雰囲気とかけ離れた、涙を湛えた瞳と視線が交錯する。
そして無意識に拘束が緩んだ隙をつき、ギャラクシオンが私の胸に下げられたペンダントを千切ってベッドから転がり落ちる。
「……それがあんたが魔法少女になった理由っすか、自分も人のことは言えないっすけどろくなもんじゃないっすね」
「うるさい、お前に一体何がわかる!」
「自分から何も伝えていないくせに分かるわけねえっすよ、それで今度は魔法少女の力を使っていじめっ子に仕返しでも?」
「うるさい、うるさい、うるさい!!」
「別に、復讐が悪いなんていうつもりはないっすけど、けどまあそれなら……なんでその力をアンサーに向けた?」
「……ぇ」
ギャラクシオンが消え入りそうな声で鳴く。
怯えの潜んだ瞳がすぐに逸らされたのは気のせいではないだろう、多分いまの自分はよっぽど酷い顔をしている。
「アンサーがあんたに何かしたんすか? 殺されるほどの事をしたんすか? そうじゃなくても魔法局の人たちはあんたに何か酷い事をしたんすか?」
「う……ううぅうぅぅぅ……!」
喉から零れそうになる言葉を噛み殺しながらギャラクシオンが歯噛みする。
その姿を見下しながら、私は病衣の袖に仕込んだ錠剤を1つ取り出した。
もしもの時に隠していたとっておきだ、まさかこんな所で使うとは思っても居なかったが、使い所は今しかない。
「で、今度はその力で誰を傷つける気っすか。 あんたを虐めた奴っすか、あんたのお仲間の邪魔をする奴っすか、それとも気に食わない連中を片っ端っすか?」
「うるさい!! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!」
「くだらねえっすよ、あんたがやってることは結局おんなじだ。 被害者が加害者に挿げ変わっただけっす、それも分かんねえなら自分が相手になるっすよ」
「二度も、負けるとでも……!」
「二度でも三度でも何度でもボロッボロに負かしてやるっす、魔法少女の力を悪用する奴には絶対に負けてやらない」
既にこちらはいつでも錠剤をかみ砕き、変身できる状態だ。
その気になれば相手より先に変身し、一気呵成に叩きのめす事も出来るが……それでは意味がない。
真っ向から闘い、真っ向から叩きのめす事に意味があるのだ
「今度こそしばらく動けないぐらいビリッビリに……ふぎゃっ!?」
「…………何やってんだお前ら」
背後から降り降ろされた不意の衝撃に舌を噛む。
脳天の衝撃に頭を擦りながら振り返ると、そこには昼間よりも不機嫌そうな先生が修羅を背負って立っていた。
「……い、いやぁあのこれは……」
「………………」
分厚いカルテを振り上げたまま、つかつかとベッドの脇を通り先生はギャラクシオンの傍まで行くと、同じように頭目掛けて振り下ろす。
「ぎゃらくっし!?」
「……あいつのだろ、返せ」
スパーンと心地いい音を立て振り抜かれたカルテ、その痛みにギャラクシオンが悶えている間にスッとペンダントを取り返す手際は鮮やかだ。
「……で、これはどういう事か説明してくれるよな?」
「え、えーとそのぉ……よ、夜も遅いし明日で良いっすか……?」
「駄 目 だ」
「…………はいぃ」
ちらりと横目で確認した時計は既に2時を超え、長針は真下を指している。
……仁王立ちする先生からは、私達を容易く開放してくれる気配を微塵も感じない。
ああ……今日はきっと、長い夜になるだろう。
 




