これがラピリスだ! ⑦
何回聞いても発砲音というのは慣れない。
コルトといいスピネといい、最近の女の子は人の頭を簡単に狙い過ぎじゃないか、しっかし俺いつも銃撃喰らってんな。
何時まで経っても痛みの感覚が無いのはあれか、走馬灯って奴か。 いやいや駄目だまだ俺はこんな所で死ぬわけには……
「……ブルーム、もう目開けても大丈夫だヨ」
「ん……? あれ、何ともない……?」
コルトに肩を叩かれ目を開けるが、体はとくになんともない。
撃たれたと思ったのは思い違いか? 弾が外れた? いやそんなはずは……
ふと、足元を見ると氷漬けになった弾丸が転がっていた。
「……そうか、ゴルドロスが助けてくれたのか」
「いいヤ、私なにもしてないヨ」
「えっ」
考えてみればそりゃそうか、ゴルドロスの魔法じゃこんな氷漬けになんてなるはずもない。
けどそうなると一体誰が?
「気になるけど悠長に考えてる暇はないカナ、速く行かないと小学校のピンチが危ないヨ!」
「っと、そうだ! 速く行かないとアオ達が……!」
「アオ? ああ、あのサムライガール」
一応氷漬けの弾丸を回収し、二人して誰もいない道路を全力で駆ける。
どれ程離された? どれほど時間が過ぎた? 分からない、ただ今は追いつく事だけを考えろ。
「……多分逃げた狛犬の方が私が倒した奴よりずっと強いヨ、サムライガール一人じゃ荷が重いかもネ」
「いや、それに関しちゃ心配してないんだよ……」
何故? という顔をこちらに向けるゴルドロス、その答えは一つだ。
「……魔法少女ラピリスは強いよ、魔力が万全なら俺たち二人掛かりでも多分倒せない」
――――――――…………
――――……
――…
二人が去った後の交差点にコツコツと靴音が鳴る。
裾まで伸びた黒いロングコートの上に羽織った銀の刺繍が入ったマント、同じく銀に輝く長髪はふわっとしたカーブが掛かり黒色の強い衣装に良く映える。
包帯が巻かれた右腕には分厚い本を開き、飾り気のない指輪を嵌めた左腕には羽ペンを構えた、少女が独り。
「くくく……これも星の導きか、「ほうき星」よ」
誰もいない惨劇の跡にできるだけ低い声を作った笑い声が空しく響く、左手で片目を隠すその仕草に恐らく意味はない。
「敗者は沈黙のまま立ち去るのみ……立つ跡を汚すとは無粋よなぁ、尖晶石の名を冠するものよ?」
誰かに尋ねるような独り言だが当然答えるものはいない、それでもたっぷり10秒待ってから少女は一つ咳払いをとって仕切り直した。
「くくく……げほっ、今宵の邂逅はこれまで。 次に相まみえる時が……えーと、あれ、あれだぞ、我楽しみだぞ、ブルームスター」
無理して作った声で喉を痛め、少女はマントを大げさに翻してその場を後にする。
「暑ぅい……」
……最後にちょっとだけ弱音を吐き残して。
――――――――…………
――――……
――…
駆ける、駆ける、駆ける、風となって街中を駆け抜ける。
そこら中に狛犬が残した痕跡があるが、幸いなことに奴はなりふり構わず小学校へ向かっているらしく通り道の被害は比較的少ない。
問題は致命的な被害が出る前に間に合うかどうかだが。
「ブルーム、見えてきたヨ!」
ゴルドロスが指さす先には微かに狛犬の姿が見えた。
更にその先には小学校の正門が見える、その距離はもはや目と鼻の先。
「不味いネ、このままじゃ間に合わないヨ!」
「くっ、ここから狙撃できないか!?」
「難しいネ、私そこまで射撃技術はないしそもそも金欠だヨ!」
何か手はないか、そんな事を考える時間すらない。
万事休すか、狛犬は勢いそのままで己が巨体を校門へブチ当て……
「――――そこまでです」
その寸前、凛と通る声が聞こえた。
次の瞬間には狛犬の左前足が切断される。
『ガウ……? ゴアアァ!!?』
本人ですらあまりの早業に斬られたことに気付かなかったのだろう。
縮んだリーチのまま元の感覚で踏み込んでしまい、結果盛大につんのめる。
『ゴ……グギャアアアアアアアアアアアア!!?』
「五月蠅いですね。 近隣住民の方々に多大な迷惑が掛かります、お静かに」
転んでからようやく気づいたか、狛犬が激痛に悶える雄叫びを上げるが氷のような声がそれすらも否定する。
鬼だ、鬼がいる。 いつも通りの鬼がそこには立っている。
「魔法少女ラピリス、ただいま見参です。 抵抗の意思があれば斬ります、無くとも斬ります」
隣を見ればゴルドロスがぽかんとした顔をしている。
初々しい反応だ、俺もはじめの頃はそうだった。
「……あの剛毛、私でもかなり苦労したヨ?」
「ラピリスの刀は魔力を注ぐことで重さを変えられるらしい、あれは振り抜く瞬間だけ重量を上げて威力を上げているんだよ」
アオ本人は自分の魔法少女としての力をあまり話したがらない、これは前に縁さんから聞いた話だ。
重さを変えられる決して砕けない刀、そしてそれを軽々と振り回すズバ抜けて高い身体能力こそがラピリスの強み。
だが刀を振る度に魔力を消費するため彼女のスタミナは短い。
クモ戦での敗因はまさしくそれだ、だが今回のような全快の短期決戦であれば彼女は最強だ。
『グ、グオアアアアアアアアアアアア!!!!』
「ふむ、魔力を帯びた爪ですか」
怒り狂った狛犬が残る右前足を振り下ろすと、見かけの射程を超えた爪痕が刻まれる。
それはゴルドロスが退治したものよりも長く、鋭い。
初見殺しも甚だしい一撃、しかしラピリスは見えないはずの斬撃を半身を捻るだけで軽く躱した。
『グルァア!?』
「魔力の前兆が見え見えです、今から攻撃するので避けてくださいと言っているようなものですよ」
その背にある鉄の校門が容易く引き裂かれるような爪撃、だというのに避けた当人は冷や汗一つかいちゃいない。
すると、ラピリスはまだ距離があるはずのこちらへ視線を投げた気がした。
「よく見ていろ」とでも言いたげなその眼に、伝わるかも分からないが俺は黙って頷いた。
「ただ魔力を振り回して駄々を捏ねるだけなら目を瞑ってたって避けられますよ、分かりますか? 野良犬君」
『ゴアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
言葉が通じたのか、ただそれが挑発だとだけ分かったのか。
更に激高した狛犬はラピリスへ飛び掛かる、同時に無いはずの左足を振るってその傷口から滴る鮮血を浴びせ掛けた。
目つぶし、同時に放たれる右の爪撃――――しかしそこには振り上げた時にはもう右腕すら無かった。
『……ガ、ァ?』
「目をつむっても、と言いましたがやはり魔物畜生には伝わりませんでしたか」
一呼吸遅れ、狛犬の喉元に十字の傷口が刻まれる。
……見えなかった、辛うじて右腕を切り落とす一刀目の残像が見えただけだ。
いつ喉を斬ったのかは分からない、本当に刃が当たる瞬間だけ魔力を注いでいるのか。
狛犬ももはやうめき声も漏らさない、いやもはや漏らせないのだろう。
喉に刻まれた傷口が赤く泡立つ、それでもまだ生きているのは流石魔物か。
「これが“魔力を視る”という事です。 魔力が溢れて見え見えなんですよ、お前。 ポン吉君が怯えるので五月蠅い喉を潰させていただきました」
「……! …………っ!」
泡となって声にならない空気が漏れる、狛犬が後ずさる、その眼には痛みと共に刻まれた「恐怖」というものがありありと見て取れた。
「……魔物も、怯えるんだネ」
となりでゴルドロスがポツリと漏らす、確かに今まで戦った魔物は死のその瞬間まで明確な悪意があった、しかし目の前の狛犬はどうだ。
あれだけ大きかった体躯が小さく見えてしまう、それほどまでに目の前の魔法少女に怯えている。
圧倒的な力の差、時すでに遅くもそれを感じ取った狛犬は身を翻して逃げだした。
切り落とされた前足で器用に地面を踏み、痛みを堪えて自尊心すらかなぐり捨て明後日の方角へと。
「あっ、あいつ逃げるヨ! 早くトドメを……!」
「待て、ゴルドロス。 射程内だ、近づくのは逆に危ない」
「……What's?」
――――――――…………
――――……
――…
……逃げる、命を惜しみただただ逃げる。 その後ろではあの魔法少女がゆっくりと刀を鞘に仕舞っていた。
流石に見えないままで追うのは無理か、無理だろう、そうだろう、そうだといってくれ。
唐突に突きつけられた死の恐怖から解放された安堵に、思わず狛犬の口元がつり上がる。
生き残った、まだ死んでいない、喉の傷は何とでもなる。 だから速く、速くアイツから逃げ……
「――――摂理反転」
……人間よりもはるかに優れた耳が、不幸にもその宣告を捉えてしまった。
それは死神の足音にも聞こえる。 駄目だ、振り返るな、逃げろ、どこへ、死、死、死―――
恐怖に負けて振り返ると、悪魔がその刃を半分ほど鞘へと納めていた。
「私は、その距離を認めない」
チン、と金物がぶつかる高い音が鳴る。 辛うじて見えたものは完全に刀を収めた血塗れの悪魔。
ある種美しいとさえ思えるその残心を最期に、魔物の視界は真っ二つに切り離された。