この鼓動は止まらない ⑤
ねじに結ばれた小紙片が緑色の光を放ち、地面に幾何学的な魔法陣が浮かび上がる。
それは逃げる間もなく私達の足元をゆうに呑み込み、その下から無数の蔦がみるみると伸び始める。
それはまるでお伽噺のように太く、絡みつくように私達の身体を飲み込みながらドームの天井を突き破った。
「っ……随分と趣味が良いな、シルヴァ。 虫も殺さぬような顔をしてとんだサディストだ」
「しゅ、趣味ではない! これだけもじゃもじゃに絡めばお主とてそう簡単に脱出は出来ぬだろう、ふふん!」
玉のような汗を滴らせる銀髪の少女が胸を逸らして勝ち誇る、相手も相当な力を使ったのだろうが見返りとしては十分お釣りがくるはずだ。
四肢に絡みついた蔓は丸太のように太く、幾ら力を込めてもビクともしない。
頼みの綱であるヴァイオレットさんも同じく四肢を封じられて囚われの身だ。
「……そうだね、これだと無敵でも脱出に時間はかかる。 こうも重度に拘束されると面倒だな」
「そう、我の蔓茨牢獄からの脱出は不可能……えっ、出来るの?」
よく聞けばヴァイオレットさんの腕を拘束する蔓からはミチミチブチブチと物騒な音が鳴り続いている。
……これだけ拘束されてもなお“時間稼ぎ”にしかならないのか、味方ながらゾっとする。
「シルヴァーガール、予備に幾つか同じの用意しとくヨ。 こっちも釘の在庫はたっぷりあるからネ」
「け、結構しんどいのだがこれ……」
金髪の少女が腰に付けたポーチからジャラジャラと大量のネジを取り出して見せる。
それは手に持ちながらもヴァイオレットさんの身体へと引きつけられ、今にも掌から飛び出しそうだ。
磁力、その効果がいつまで続くか分からないが……これは、もう駄目か。
「―――――何をしている! そんな蔦など千切れ、千切ってしまえ! それが出来るのが魔法だろう、乙音!! 聞いているのか!?」
何も知らないお父さんがまたがなり立てる。
無理だ、ヴァイオレットさんでも振りほどけないものが私にどうこうできるはずがない。
今でも弓を放していない利き腕は二の腕から先は蔦も絡まず自由だが、この状態では演奏なんてできるはずがない、いい加減分かってほしい。
……なんで、私はまだ後生大事にこんなものを握っているんだろう。
こんなものがあるから私はお父さんに怒鳴られるのに、もう楽器なんて大嫌いなはずなのに。
なんで、なんで私は……
「乙音!! クソ! 何でお前はそうもグズ……」
「―――――いい加減にしろッ!!」
喚くお父さんの頬が、音の衝撃から復帰した音羽によって強かに打ち据えられる。
まさかの方向から飛んで来た平手打ちに、お父さんはポカンと呆けた顔で張られた頬を抑える。
「ああ済まないわが師よ、私はあなたに一つ大事な事を伝えていなかったな。 魔法は万能なんかじゃないと!!」
「ぷ、プロデューサー……?」
キバテビの2人が思わず怯む、それほどの剣幕だ。
お父さんも自分の胸ぐらを掴む女性の気迫に口をパクパクとさせるばかりで何も言えない。
「私が貴方に仰いだのは音楽のことばかりで、その戦いの苛烈さを伝える機会はなかった! 私たちの戦いを、仲間の死を……!」
「お、音羽君……?」
「魔法なんてものが万能だったのなら、誰も死ぬことなんてなかった! こんな未来なんてなかった!! なぜそれが分からない!!」
お父さんの胸ぐらを掴む両手から鮮血が滴る。
握る力が籠り過ぎて自分で自分の掌を傷つけてしまうほどの憤り。
目の前のお父さんにではなく、今までに見飽きたであろう多くの後悔へ向けられたその怒りは真に迫るもので。
おかしくなってしまったお父さんの心にも届くものだった。
「一応人質なんですけど、殴って気絶させてもいいんですかねあれ」
「お前鬼かヨ……」
「流石のボクでもそれは引くぞ」
絡みつく蔦の根元で行われる会話は聞き流そう。
「……私、は……なら、どうして……それでも、君の音が……!」
「あなたはただ昔の思い出を美化しているだけだ、彼女の音色は昔の私と遜色無い……いや、それ以上だ。 その腕を誇る事はあれ、貶めることなどあってはならない」
お父さんの瞳が小刻みに震え、自分の胸ぐらに掴みかかる相手のさらに遠くをおぼろげに見つめる。
お父さんにとって『神の音色』というのは自分の中の全てだ、それが否定されてしまえば何が残るのだろう。
……脳裏に過るのは、優しかったころのお父さんの笑顔。
もしお父さんがありもしない音色の探求を諦めたのなら、また昔のような家族に戻れるのかな。
お母さんも帰ってきて、また3人で仲良く―――――
「……それ、でも。 それでも私はァ!!」
枝のように細い腕でお父さんが音羽を突き飛ばす。
どこにそんな力が残っていたのか突き飛ばされた相手の体は1mは飛び、後ろ側に倒れ込んだ。
「私にはもうこれしかない! 神域の再編こそが我が命題!! 乙音、やれ!! やれぇ!!!」
涎を飛ばしながら叫ぶお父さんの瞳は、やっぱり今まで変わっていない。
ああそうか、期待した私がバカだったんだ。お父さんはもう私なんか見てはいない。
ありもしない幻を今までも、そしてこれからも追い続けていくんだろう。
「……うん、分かった」
「はは、は……? そうだ! お前は私の言うことを!」
もう、どうでもいい。
弓を握る腕を動かし、その先端に取りついた羽の装飾を肩の位置まで持ってくる。
当然だがツタが絡みついた今のままじゃ演奏なんてできるはずがない。
「……! 待て、ファガリナ! それをボクは望んでいない!!」
だから、これは一回だけの私の反抗だ。
「……お父さん、大っ嫌い」
羽の装飾を口で噛み、腕が動くいっぱいまで弦を引く。
今日一番の汚い音が響き、切れ味の悪い音の刃となったそれは――――
「――――あ、が?」
お父さんの首筋を切り裂き、断たれた血管から飛沫を上げた赤い液体が噴出する。
魔法少女なら小さな切り傷一つだけ、だのに人に向ければ殺すには十分すぎる威力に代わる。
ああなるほど、確かに魔法なんてものは万能なんかじゃなかった。
こんなものは人を傷つけるためにしかない。 皆を不幸にすることしかできない力だ。
……鮮血に濡れたお父さんの顔が『どうして?』とでも言いたげに私のことを見つめていた。




