緋色の炎 ②
気づけば、俺は真っ白い部屋の中央に座っていた。
家具も殆どない、埃1つ落ちていない部屋。 殺風景な箱の中にはせいぜい俺が腰かけている椅子と目の前のテーブル、それとその上に並べられたティーカップ程度しか置かれていない。
……紅茶からは淹れたての湯気がもくもくと立ち上っている。 一体誰が、そうして俺はどうしてこんな所にいる? 今まで何をしていたんだ、俺は――――
「お疲れ様、お兄ちゃん」
思考が霞む、視界が揺らぐ、そして聞き覚えのある声に顔を上げる。
するとそこには懐かしい人物がテーブルに肘をつき、かつてと変わらぬもの悲しい笑みを浮かべていた。
七篠月夜、俺の妹であり既に亡くなったはずの魔法少女。
「……また悪夢の世界か」
「うーん、似てるけど違うよお兄ちゃん。 私は私、お兄ちゃんの中の私」
細い指先を絡めた形で口元を隠し、妹はくすくすと笑う。
その仕草や癖は生前の彼女と変わらないものだ、誰かが再現した記憶なら見落とすか無視されるような細かい所作。
確かにそれはいつかの悪夢よりも正確に「七篠月夜」という存在を映し出している、だが……
「あいつは死んだ、だからお前は幻以外の何物でもねえよ」
「ふふ、ふふふふ。 やっぱりお兄ちゃんは変わってないなぁ、そういう所大好きだよ」
「そうか、どうやったらここから出られる?」
「お兄ちゃんがもう二度と魔物と戦わないって誓ってくれたら」
魔物と戦う――――その言葉で今までもやの掛かっていた記憶が鮮明に蘇る。
そうだ、俺は……行かなきゃいけない、黒騎士に託されたんだ。 ■■が待っている。
……? ■■って、誰だ?
「酷いなぁお兄ちゃん、他の女の子の事を考えるなんて。 ちょっと妬いちゃう」
「これは……お前の仕業か、何をした!」
「……うん、やっぱりかぁ。 記憶を“止めた”程度じゃお兄ちゃんは止まらない、知ってたけどちょっと悲しいな」
椅子をひっくり返して激昂する俺とは真逆に、月夜は落ち着いた様子で紅茶を一口啜ると呆れたようなため息を吐き出す。
次の瞬間、ティースプーンを摘まんでいた月夜の指先は俺の額に当てられていた。
「良いよ、良いです。 このままじゃお兄ちゃんが死んじゃうし、『枷』は1つ外しておきます」
「枷……? 月夜、お前はいったい――――」
「私は私、お兄ちゃんが大好きな七篠月夜。 だから死なないでね、お兄ちゃん」
急激に景色が凍り付く、まるでそれはいつしか見たスノーフレイクの魔法のように。
それはこの夢の世界からの覚醒を意味し、視界がぼやけて月夜の姿が薄らいでいく。
「バイバイ。 私は地獄で待ってるから、こっちには来ないでね」
「待て! お前は一体……なんなんだ!?」
「ああ、それとあの泥棒n……■■には気を付けて。 あまり入れ込み過ぎると2人とも辛いと思うよ?」
――――――――…………
――――……
――…
《……スター、マスター! 聞こえてますか!》
どうやら少し意識が飛んでいたらしく、気が付けば俺の身体は沸々と煮え滾る肉片を踏みつけて外へ脱出していた所だった。
何か夢を見ていた気がしたが思い出せない、気づかぬうちに脱出は叶ったみたいだが状況はどうなったのだろうか。
《あっ、起きた。 良かったぁ、今回はちゃんと通信繋がるようですね》
「……ああ、そうだな」
火の粉と陽炎が色めき立つ景色の中に、数えきれないほどの魔物が待ち受けている。
幾らかは先ほどの熱波で消し炭と化したが、それでも生き残った数は数えるのも馬鹿らしい。
そのどれもこれもが全て俺へ向けて殺意の視線を輝かせている、他は一切眼中になくただ俺だけへと。
そうだ、それでいい。 お前たちは他のなにも傷つけるな。
―――――ピギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
肉塊が天を揺らすほどの叫び声を上げる。 相当腸が煮えくり返っているらしい、物理的に。
いや、それともこの声は魔物たちへの命令だったのだろうか、人形のように微動だにしなかった魔物たちの瞳に強い殺意が籠り始めた。
無論殺意の的は全て俺、光栄なことにどうやら「餌」ではなく「脅威」として認められたらしい。
ならばとこちらも融け落ちた肉塊から一歩踏み出し、空に掌を仰いで魔物たちを挑発して見せる。
「……来いよ」
幾つもの重なり合った怒号が轟き、痺れを切らした魔物たちが襲い掛かってくる。
蜘蛛の糸弾、狛犬の爪、死角から伸ばされる透明な触手にニワトリの火炎弾。
黒衣なら対処しきれず手傷を負う猛攻、しかもそれが無限に続くのだからジリ貧だ。
だがどういう訳か、そのどれもこれもが以前より遥かに遅く見える。
『グルルルアァ!!!』
真正面から突っ込んで来た狛犬の爪を掴んで握り潰す、ただそれだけで傷口から狛犬の身体は爆ぜ、細かい灰だけが爆風に乗って吹き飛んだ。
続けて飛んで来た糸弾は俺に届く前に自然に発火し、届くころには石ころほどの炭が外套にボスリと吸い込まれるだけだ。
立ち込める陽炎は迫る触手の輪郭をくっきりと映し出してくれる、見えてしまえばどうということはない。
躱して踏みつければ狛犬と同じように爆ぜるだけだ。
火炎弾に関しては――――避けるまでのものでもなく。
《……温いですね、外傷は?》
「まるでない」
直撃したところで火炎弾は不快な温もりを与えるだけで、俺の体には火傷一つ残らない。
……そう、火傷がない。 黒衣の時は自分が放つ熱で常に火傷を負っていたが、明らかに以前より高温を放っているこの姿では俺の肌は火傷どころか傷一つない。
周囲の魔物たちは明らかに熱で苦しんでいる、だがコンクリの裂け目から伸びる雑草は燃えるどころか青々とした葉をピンと伸ばしている。
巨大な肉塊は苦悶の叫び声を上げ続けている、だが陽炎の向こうに見える魔法少女たちは火傷の1つも負っているような気配はない。
ああ、お前の力は泣きたくなるくらい優しいな、黒騎士。
《しかしこの数は丁寧に捌いていたらキリがありませんね、使い回しはまとめて在庫処分と参りましょうか!》
「ああ、いい加減鬱陶しいからな!!」
千切り取った肉塊を握り、いつものように箒へと変える。 それは今までとも、黒衣の時とも違う白い箒だった。
高温を帯びているせいで白熱した箒を強く握ると、その穂先は螺旋を描いて鋭く窄まり、その熱量を切っ先へと集める。
その姿はまるで槍のようで……ああ、これで黒かったらそっくりだったな。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!」
そのまま肉から飛び出し、握った箒を横薙ぎに振るう。
すると窄まった穂先から光の筋が伸び、箒が通り過ぎた直線上にいる魔物を纏めて切り裂いた。
瞬時に切り口から発火し、魔物は跡形も残らず灰となって宙に散る。
地上にいる魔物は今のでほぼ全滅、空を飛ぶクラゲやUFOはラピリス達が対処してくれたのかこちらもほとんど残っていなかった。
「ブルームスター、上です! 飛んでください、この肉塊の核は上にある!!」
「……! そうか、サンキューラピリス!!」
周囲の魔物が殆ど全滅したのを見てか、白煙の向こうからラピリスの声で指示が飛んでくる。
ここまで減らせばまた湧いてくるまで余裕がある、行くなら今しかない。
放り投げた箒に飛び乗ると、それは穂から炎を吹き出しながら上昇を始めた。
《ジェット噴射の割には物理的におかしい飛び方してますけどね、そこらへんどう思いますかマスター!?》
「今はそんなこと気にしてる余裕ねえよ! てっぺんまで飛ばして行くぞ、このままとどめを刺してやる!!」
不明な方法によって上昇を続ける箒は、どれだけ高度を上げても勢いが落ちる気配はない。
この街に、この怪物に、引導を渡す時がついにやって来た。
10年前から止まったままのこの絶望を、俺たちの手で終わらせるんだ。




