誰がためにと願わくば ②
一寸先も見えない闇の中、息を殺して妹の帰りを待つ。
先ほど分かれたシルヴァと名乗る少女は無事だろうか、この闇の中で右も左も分からず迷ってはいないだろうか。
いや、クールビューティは自分の選択を間違わない。 それに彼女が走って行った方向はまだ地上からの光が差し込んでいた、きっと平気だ。
などとクールに雑念を振り払っていると、膝の上に寝転がった妹の身体がピクリと動いた。
「……おはようお寝坊さん、気分はよろしくて?」
「その似非お嬢様口調にて悪くなったところ、おはようお姉」
「園とはちょっと拳で語り合う必要がありやがるらしいですわねぇ……首尾は?」
「重畳、やはり予測は正しい。 魔力がより濃い方向に目的地はある」
身体を起こした妹は、手探りで開いたパソコンに追加の情報を打ち込んでいく。
この暗闇の中、一際輝くモニタの画面は恰好の的となるだろう。 故に無防備な妹を守るのが姉の役目。
手持ち無沙汰に得物の棍棒をクルクルと振り回しながら妹の作業完了を待つ、無論周囲の警戒は忘れてはいけない。
「お姉、気が散る。 それに気品に掛ける、クールビューティのやる事ではない」
「あら、これは立派な防御行動でしてよ? その証拠にほら―――――」
私が台詞を吐き終わるよりも早く、闇夜から飛来してきた何かが旋回した棍棒に激突し、激しい金属音と火花を散らす。
手応えからして今の攻撃は投石、もし防御がなければ私の頭部に命中して昏倒か、あるいはそのまま……
「……さて、園。 麗しきお姉さまに何か言うべき台詞は?」
「よく見てなかった、もう一発」
「お前後で覚えておきやがれですのよお前」
どうやら愛おしい愚妹とはこの後、話し合いが必要らしい。
まずは闇の中からの襲撃者を片付け、その後にじっくり拳で語り合うとしよう。
――――――――…………
――――……
――…
「では思いつくまで我が与えし仮初の名を享受せよ、ふふん」
あの悍ましい建物を脱出してから、私は黒騎士の肩にしがみ付いた状態で移動を続けている。
黒騎士……いや、クロキチ(仮)は強い。 並大抵の魔物なら私が叫ぶ暇もなく倒してしまう。
あれから私を追いかけて来た恐竜型の魔物とも再会したが、文字通りの瞬殺だ。 この都市に形成された生態系の頂点はこの騎士なのかもしれない。
……今は頼もしいが、喜ばしい事ではない。
我々魔法少女はこの怪物を倒さなければ、生きてこの魔境から帰る事が出来ないのだから。
「クロキチ、お前は既に魔法少女を殺めたのか?」
『否、幾度か交戦はあったが仕留めきること叶わず。 創造主に合わせる顔も無い』
「そうか……戦わぬ道は、選べぬのか」
『否、“戦え”と命じられてこの身は産まれた。 ゆえにそれこそが唯一の存在意義である』
「……クロキチ、それは――――」
「違う」と否定の言葉を述べるよりも早く、突如として腹の底に響く振動が足元を揺らす。
一瞬地震とも錯覚するほどの揺れ、だが違う。
遥か彼方に見えるスカイタワー、それに並ぶかのような砂埃の柱を巻き上げ、豆粒ほどの何かが打ちあがった。
『……姉君か、不味いな』
「く、クロキチ? なんだ、今の揺れは一体何だ!? あの豆粒はまさか……人間か!?」
『その名で呼ぶな、そして喋るな。 少し急ぐ、善処はするが貴様を気遣う余裕はない、振り墜とされないようにしがみ付け』
「ま、まままま待て! ゆっくりだ、ゆっくりだぞ!? 我は大事な人じtにゃあああああああああ!!!!???」
一瞬で最高速まで達した騎士の肩にへばりつき、情けない声を上げてしまう。
周りの風景は目視で追えないほどまでブレにブレる、騎士の忠告通り振り落とされないようにするだけで精いっぱいだ。
騎士はあれをスピネの姉、つまりオーキスと言った。 ならば彼女を花火の如く打ち上げたのは一体誰だ……?
――――――――…………
――――……
――…
今でも目を瞑るだけであの地獄の光景が蘇る。
災厄の日から瞬く間に東京を取り囲んだ壁、少数を見捨てて多数を救う無慈悲な衝立。
迅速な判断故に魔力の拡散は抑えられ、外では数えきれないほどの数が救われた事だろう。
――――だが、中の人間はどうだというんだ。
まだ救えたはずだ。 魔物に食い殺された者を、魔力に歪められ人の尊厳を貶めた者を、狂気に駆られて命を絶った者を、お前たちは救えたはずだ。
なのに、なのに――――
「―――――どうして見捨てたッ!!!」
怒りに任せて振られたカミソリは、扇のように広げられた御札によって弾かれる。
紙とは信じられぬ強度、ならばあれこそが彼女が持つ杖か。
「……せやかて、放置しとったら日本が全部おじゃんになってたやろ? 悪いことしたとは思うとるよ」
「ふざけるな! そんな……そんな薄っぺらい言葉で済んでたまるものか!!」
壁がなければお母さんは助かったかもしれない、お父さんも死ななかったかもしれない。
何故閉ざした、救える命が一つでもあったはずだ。 魔法少女なら出来たはずだ。
何故、何故――――
「せやなぁ、うちが悪い、全部悪い。 せやからまぁ……八つ当たりはうちだけで勘弁してな」
「―――――っ!!」
余りにも能天気な物言いに、相手の思うつぼだとしても煮え滾る怒りが収まらない。
振り回すカミソリは感情に鈍り、単調な軌道ばかりを描く。
当然そんなものが当たるわけもない、それどころか最小限の動きだけで躱される始末だ。
和装の彼女が軽く手を添えるだけで、カミソリは腕が千切れそうなほどの威力で弾き飛ばされる。
単純な魔法少女としてのスペックの差か、いや違う。
「っ……魔法、か!」
「御明察、うちの一挙手一投足は全て“破壊”という結果に収まるらしくてなぁ。 まあ杖ほど頑丈やと吹き飛ばす程度で終わるわけやけど……」
踊るように私の攻撃を躱しながら、ロウゼキはつらつらとネタ晴らしを語る。
その余裕が残る態度にますます腹が立ち、反撃も覚悟のうえで一歩踏み込み、短い軌道でカミソリを振る。
狙うは一撃必殺、そっ首のみ。 少女のはだけた首元へ狙いを定め―――――突然私の目前に爆炎が迸った。
「あ、つ゛……ッ!?」
「……せやからまあ、昔は破壊者なんて呼ばれとったなぁ」
何もない空間から突如立ち上った火炎に怯み、私は命取りともいえる大きな隙を晒してしまった。
そしてそれを見過ごす相手でもない、火炎の次に現れたのはデフォルメされたコウモリの様な黒いシルエットだ。
それが群れとなって両手足に巻き付き、鈍色に輝く鎖へと姿を変えて私を拘束する。
「くっ、こんなの……たたき切って――――!」
「させへんさせへん、いい加減ここもカビ臭くてかなわんわぁ。 そろそろ外の空気吸いに行こか」
鎖が巻き付いた腕ごとカミソリを振りかぶった私の目の前に、一瞬で距離を詰めたロウゼキが立つ。
暗闇の中で妖しく光る眼孔は赤く染まり、猫……いや、まるで爬虫類を思わせるほどに細まっていた。
不意に腹部へ打ち付けられる衝撃、炎を纏ったロウゼキの拳が私の内臓を揺さぶり、地上へ向かって跳ね飛ばす。
軌跡に火の粉を残して軽々と吹き飛ぶ私の体は、地下の天井をぶちぬいても止まらない。
「あんたの怒りは尤もで、うちがかたき討ちの相手にされても仕方ない事やと思う。 けどこれ以上の狼藉は見過ごせへん」
遥か上空に跳ね上げられた耳元へ、何故か彼女の声が鮮明に響く。
彼女はまだ地下から這い上がってもいないのに、なぜ……。
「せやからまぁ、せめてあんたの怒りに付き合うで……10秒間だけな」
ようやく落下を始めた体は、死刑執行人が待つ地上へと降下を始める。
……痛みに悶える暇も無い私の目前へ、忌々しい彼女の御札が一枚舞い飛んだ。




