空と言葉と愛を今
鼠色の雲海の果てに沈もうとしている夕日。
そのあまりの美しさを正しく表現できる語彙を持ち合わせていなかった私はただ車窓から眺めていることしかできなかった。
ただそれだけ、その一つの出来事が今の作家としての私を作ったのだと四十年もたった今、やっと悟ったのだ。
サスペンス、ミステリー、恋愛、冒険、様々なジャンルの書籍を世に排出してきた、どの作品にも沈みゆく夕日を書いてきたが、あれを表現しきった。と胸を張れるものはなかった。
三十歳になる手前、大学時代の友人と惹かれ合い結ばれた。私の文章にかける思いを以前から理解してくれていて、どんな状況であっても構わない、支えると言ってくれた。
それまで作品があまり認められず苦難の日々だったが彼を想いながら綴った文章は世間に認められだし、書きたい文章を書けるようになってきた。
寂しい文章では人を惹き寄せるのは難しいのかもしれない。彼からも優しい文章だという風に言われる事が増えた。そんな一喜一憂し、その度に惚れ直した。
愛を交わし、子供達を二人で一人前に育て上げた。わからないことばかりで彼に助けられっぱなしで申し訳なかった。それでも彼と愛する子供達のためなら、と色々な本を読んだり話を聞いたりして知識を詰め込んだ。私の本の知識と彼の逞しい父性。奇跡的な融合を果たしたそれは稀に見る素晴らしい家庭だったのかもしれない。
この世でめぐりあい、彼らを糧としてきたしかし、志した道を皆に認められ、愛する人と晩年を迎えても、それでも、やはりそれは叶わなかった。
諦めたのか、悟ったのか、私は「そうですよね。」と言った。
結局、あの車窓から眺めることしかできなかった私は今でもここに変わらずいる、それでいい。
できないことがあったとしても、それは力不足を嘆く必要の無いことだと、人の限界を超えたものなのだと。
だから、私は今彼に寄り添いながら、夕日を見つめていた。