江戸錦喧嘩凧の住み所
『北は千手観音像の祀られし寺にて』
そんな、葉書が、やって来た。
今時、迷惑メールがやって来ても、葉書って、なんだ。
かえって不気味だ。
宛名は、鹿森飛鳥宛てだが、何処にも差出人の名は無かった。
地図が書かれてる。
胡散臭さが、漂う。
こんな悪戯しそうなのに、心当たりがなくもない。
飛鳥は、同姓同名にあった事がなかった。
昔は、女っぽい名前を気にしていたが、30を超えてからは、気にならくなっていたのだ。
それでも葉書の宛名を見ると、その頃の思いが蘇る。
この辺りなら、下手すると県名と氏名だけで、届くかもしれないが、御丁寧に、町名も番地も枝番まで、書かれていた。
誰かの尻に乗せられるのは癪なので、葉書を食器棚の引き出しに投げ込むと、構わず閉めた。
ここいらは、古い城下町特有のクネクネした通りが多く、その道、その道に、名前が付いていた。
大名通り、上屋敷通り、下屋敷通り。
寺町通りもあった。
葉書の住所は、寺町通りの外れだったから、千手観音像が祀られてても、なんの不思議もない。
しばらく飛鳥は葉書を気にしていたが、持ち帰った仕事をこなすうちに、すっかり忘れていた。
花冷えに桜の蕾が縮んでいた頃、二枚目の葉書が届いた。
『西は観世音菩薩像の祀られし寺にて』
今度は絵葉書で、ご丁寧に菩薩が写っていた。
こんな悪戯して、なんの徳があるのだろうか。
やれやれだ。
飛鳥は、しげしげと菩薩を見た。
良い顔立ちをしている。
俗にいう、半眼で頬がすっきりしていて、笑うとも、思慮してるとも、とらえられる顔だ。
薄衣のひだも、奥ゆかしく感じられる。
あっさりと線画だけの仏像を描いてみた。
立て続けに3枚。
コレは、本当に手なぐさみだ。
仕事の足しにもならない。
だが、だからこそ面白い。
気晴らしになったし、なんだか、やる気が出て来た。
仕事は仕事。
その日から、何枚かの下書きをして、ひとりニヤニヤしていた。
飛鳥の家は、代々続く提灯屋で、ここいらは、人死にが出ると、3年間は、絶やさず提灯を掲げる。
門があれば門に飾るが、大抵は玄関だった。
百日法要が終われば、中に入れる家が多い。
大抵は、仏間に下げられる。
その後、5年、7年、10年と続き、5年ごとに掲げ、50年で、終いになる。
お盆が近づいていたので、仕事は立て込み、毎日徹夜が続いていた。
中の蝋燭は、流石に電球に変わったが、提灯の風習はそのまま残ったのだ。
昔は、その家の家紋だけだったが、今は故人の思い出や好きだった物などが、注文される時代だった。
写真も多い。
飛鳥は、愛用のパソコンから取り込んだ画像を印刷して、そんな注文に応じていた。
今は釣り好きだったご主人の為にと、鮎釣りの格好をシルエットに加工している最中だったが、骨休めに、気晴らしをしていたのだ。
あの家は、昔ながらのお屋敷だったので、大きなサイズの表門用2つと、勝手口用の小ぶりなのをひとつ、作っていた。
その後、仏間用の中ぐらいのを作る予定だ。
仏間用のは、シルエットではなく、写真から転写した鮎釣り姿そのままでとの、注文だった。
つまり、普段の倍の注文を受けていたのだ。
多分、今度のお盆には、別のを注文してくるだろう。
まるで衣替えのように、四季折々(しきおりおり)注文してくる事が結構あるのだ。
重なると、寝る暇もない事がある。
ズーッとパソコンとプリンターの前に座りっきりの日も多い。
かえって、提灯を張っている時の方が、せいせいするのだった。
元来、和紙と竹ひごを、扱うので自然と冬は凧作りをしていた。
ここいらの凧は、江戸錦絵の武者凧が主流で、豪快な喧嘩凧をする。
あらゆる故事にあやかって絵柄を考えるのも、楽しみの一つだ。
飛鳥は、三国志を題材に選んだ。
その中でも、毛むくじゃらな武者達の中に、軍師諸葛孔明を観世音菩薩の顔そのままに描いたのだ。
あのイタズラ葉書の差し出し人は、これを見ればわかって笑うだろか。
諸葛孔明の着物柄には、千手観音像がさりげなく小さく描かれている。
空に昇って仕舞えば見えない様な所を凝るのが、楽しかった。
飛鳥の凧は、中々強く、3年間も負け知らずだ。
骨組みも工夫していて、強く柔軟に仕上げてある。
竹の選び方も重要なのだが、材料には事欠かない。
喧嘩凧の絵柄は、手作業で行うので、本業よりも手間も時間も掛かったが、出来上がると、やはりその大きさも相まって、圧巻であった。
三国志の武者達には、それぞれ違う髭を生やさせ、鎧兜の色も凝ったので、満足できるものが仕上がった。
2月の寒風吹きすぶ中、喧嘩凧大会は、開催された。
済んだ空が高く、身を切る風が、河川敷の会場で音を上げていた。
仮設のテントもあおられ、審査員達が寒さに縮こまって、もう酒に手を伸ばしている。
今年の凧上げは荒れた。
そもそも、上がらないのだ。
最初の凧は、風に破れ、キリキリ舞いしながら、川に突っ込んでいった。
観客からは、歓声が響いた。
審査員達も、酒を決め込んでいたが、観客達も、すでに真っ赤な茹蛸が何人か、頭から湯気を上げている。
中々上がらない凧に、罵声も響く。
河原では、凧を揚げるもの達の、補強作業が行われていた。
綱を太くした義経弁慶が、その綱を引き千切られ、河原の岩にぶち当たって、無残に折れ、曲がり、壊れた。
子供会場の凧も、次々飛ばされて、ビニールのカイトが、空の中に豆粒になりながら、消えていった。
赤や黄色や青のカイトが、次々と飛ばされていく。
そんな中、ひときわ、ゴーっと、大風が吹いた。
カイトのタコ糸を握っていた小さな男の子が、フワリと浮いたのだ。
浮いたまま、カイトに引っ張られて、空に上がって行く。
それを見ていた両親や周りの大人達が騒めいた。
多少大振りなカイトといえど、子供を引き上げてしまうとは、誰も思わなかったのだ。
子供の手からこぼれたタコ糸の結ばれていた棒に、兄が飛びついた。
みれば、小さな旋風まで起きている。
その兄を両親やらで、総出で引っ張った。
3メートル程浮いたままの2年生の身体を、糸をたよりに手繰り寄せ引き寄せ、その足を、エイヤッと捕まえた時は、歓声と拍手がわき起こった。
そんな時でも、男の子はカイトを離さず、キリモミしているなんとかレンジャーの絵柄のカイトは、無事に男の子共々、地上に降りて来たのだった。
この後、子供凧揚げ大会は、強風の為、ここで打ち止めとなった。
大人の喧嘩凧が盛り上がったのはいうまでもない。
あんなに、小さな子が、凧を守ったのだ。
必然的に身が引き締まる。
軽く酒を引っ掛けていた者達も俄然、やる気満々だ。
風は止まず、朝より激しさを増してる様だった。
旧正月の頃は風が強いのが普通だが、今日の風は、吹いて舞って、そのまま突き抜けて行く。
とうとう、飛鳥達の凧が上がる番が来た。
ゴーっと、風鳴りがして、テントを揺さぶった時、喧嘩相手の凧が飛ぶ前に、粉々に砕けて、竹とボロ和紙になってしまった。
一気に空に駆け上がった、一見華奢な飛鳥の凧は、風をはらんでもビクともしなかった。
むしろ、綱の持ち手達を引きずり出したのだ。
飛鳥も綱を握り、全員で踏ん張る。
壊れてしまった喧嘩相手の凧の綱の持ち手達も、加勢した。
仏顏の諸葛孔明が風をはらんだ。
みるみる空の中に吸い込まれていく。
畳二畳程の大凧が、重い綱を引き千切らんばかりに、空に駆け上がっていくのは、圧巻だった。
引き綱からは、ビンビンと風鳴りが響いている。
ここが見せどろだ。
観客からも審査員達からも、お見事の声援が飛んだ。
荒れる風に、傾くことはあっても、飛鳥の凧は、堂々と空の真ん中で、その雄姿を下のもの達に見せつけている。
飛鳥の凧を落とそうと、次々と喧嘩凧が上がったが、その綱に絡むことも出来ず、キリキリ舞いしながら、落ちていくばかりであった。
やがて、挑戦する凧がついえた。
優勝は、飛鳥の凧だ。
勇壮な綱を絡ませ、凧を当て会う、喧嘩相手がいなかったのは、残念だが、ソロソロと降ろしても、傷一つないのは、この凧、ただ一つだった。
喧嘩凧大会が終わり、昼からの連凧上げ大会が始まる頃には、荒れ狂った風もそれなりに収まり出していた。
飛鳥の凧は、公民館に運ばれ、今年一年飾られる。
副賞に樽酒と米俵があるのも嬉しい。
樽酒は、その場で、参加者全員で飲む。
升酒の香りが、酔いを早める。
連凧の頃には、昼の弁当と樽酒で、真っ赤な持ち手がゾロゾロと河原に集まるのだ。
テントを燃やした事があったので、煙草が禁止なのは、ご愛嬌である。
煙草を呑みに自宅に行っていた、連凧の持ち手達が集まりだし、凧上げが始まった。
連凧は幾つ上げられるかを競うのだ。
百や二百は例年上がる。
風が止み出し、中々上に凧を押し上げない。
ここも腕の見せ所である。
地色を変え、あらゆる書体で『命』と書かれた連凧が、地面を這う様にのたくって、上がりだした。
先端は空を目指すが、重い身体が上がりきらないのだ。
のたうち曲がりながらも、少し、また少しと、上がっていく。
風の強さを見ながら、次の凧を繰り出すのだ。
じっくり、腰を据えたこの上げ方で、遂に二百三十が空を踊った。
スンナリ高くは上がらない連凧は、まるで空を這う様だ。
拍手と歓声が沸き起こる。
他の連凧は二百に満たず、川の中に落ちていったのだった。
飛鳥は繰り出された『命』の漢字の中に、一つ、線画で千手観音像と菩薩像が薄っすら描かれた凧を見つけていた。
繰り出される時に見なければ、空に上がったら、見えない程の薄っすらした紋様の様な仏の姿だったのだ。
寺町の那珂川町の連凧だった。
酒の酔いも手伝って、飛鳥はニヤニヤしていた。
あそこには、幼馴染の設楽直承が居る。
小学生の頃から、書道で張り合ってきた仲だ。
あそこンチは、寺で住職の父親直伝の書道の腕前は、飛鳥と並び称された。
今は、書道家として、身を立てているぐらいだ。
個展を隣町で開いているはずが、チャッカリ顔を出していたのだ。
直承が、こちらを見て、ニヤリと笑った。
今年の旧正月の凧上げ大会は、格別だった。
あんな大風の中、怪我人も出ず、補強したテントも最後まで持ったし、上がった凧はどれもこれも近年にない、人気を得ていた。
来年は飛鳥が直承に、お題の葉書を出そうかなと、思い付いていた。
片付けにせいを出しながら、思わず顔がニヤつくが、呑める輩は皆、酔っ払っていたので、そこに居る全員がニヤついていたのだ。
地面に降ろして凧を見ると、何となく顔が赤く見える。
何人かで、公民館に運び入れ、大広間の壁に飾る。
はす向かいに、連凧も飾られた。
すっかり陽も落ちた頃、凧上げ大会の打ち上げ会場の居酒屋は、大盛況だった。
今回は前例の無い、子供大会のカイトも飾ることになったのだ。
あの足を掴んだ、父親も祝杯をあげながら、喜んでいる。
やはり何人かは、連凧の仏の姿に気づいて、直承を取り囲んで、ワイワイ騒いでいる。
その内の1人が立ち上がった。
「どうだろう。
テーマ決めってのは初めては。
自由部門だけじゃなくてさ。」
盛り上がってるそこの一団からは、そうだそうだのシュプレヒコールが上がる。
そこは酔っ払ってても年の功。
「凧はデカイぞ。
何処に飾るんだ。
勝っても、飾る場所がなけりゃ、寂しいぞ。」
これにもそうだそうだ、が、湧き上がる。
どちらにしても、酔っ払いの集団なのだ。
「今回、壊れた中にも、良いのがあった。
凧を押して、町おこしをしないか。」
話がドデカくなったり、バンバン話が飛ぶのも、毎度の事だ。
ひと昔前は、テレビ局が来てくれていたが、今はそれもなく、少し寂しかったのは確かだ。
「道の駅を活用しねか。」
審査委員長が、酎ハイを掲げながら、立ち上がった。
「凧は小さなのを作って、ほれ、それを飾れば、全員のを飾れるだろさ。
せっかく喧嘩凧があるんだから、なんか出来るはずだよなぁ。」
ヨロケて、酎ハイごと、その場に座った。
「写真、飾るのは。
せっかく、喧嘩すんだからさ。」
酔いに任せて、ワイワイガヤガヤと楽しい夜が過ぎていった。
それから、その日の話が盛り上がったのを、後々知ることになったのだ。
あの江戸錦凧のレプリカを、作らなければならなくなった。
日焼けしても色落ちしない様に、との注文もついたのだ。
町おこしは、ここいらでも、課題だ。
あの日、壊れてしまった凧達も蘇る。
ズラリと、道の駅に凧が飾られたのは、その年の夏休み初日だった。
チャッカリ、連凧せんべいや錦凧クッキーが作られていて、それの発表会も兼ねていたのだ。
喧嘩凧は饅頭になり、凧の焼印が白い饅頭に、四角い枠も鮮やかに、色美しく押されていた。
市長や飛鳥や直承に混ざって、カイトで飛んだあの男の子も並んだテープカットは、写真になり、凧と並んで飾られる予定だった。
何だか、街自体が活気付いてきた様だ。
十分の一の大きさになった凧も嬉しそうだ。
あの飲み会から、ここまで進むなんて、誰が思っただろうか。
直承のニヤニヤが、気になったが、乗せられるのも悪く無い。
飛鳥は、来年のテーマに、浮世絵美人画を考えていた。
誰でも知っているし、凧の絵柄にもしやすそうだ。
武者凧も良いが、美人画も、凧にしてみたかったのだ。
レプリカなら、喧嘩凧で壊れても関係無いだろう。
楽しみが増えていく。
直承は何を模索しているのだろうか。
連凧なら、又一文字が映える。
意を決して、飛鳥が直承を探して声を掛けようとした時、背中を叩かれた。
そこには、ニヤつく直承がビールを持って立っていた。
2人は同時にあの、と、言い、笑った。
来年の凧上げ大会は、盛り上がるだろう。
その後、道の駅の凧は、盛況で、お土産のお菓子も順調に売れ、室内で遊べるミニ凧も買う人が多かった。
飛鳥の錦凧の人気は高く、靴下やレターセットにもなったのだ。
市長は、凧のマスコットを考えているらしいとの噂には、苦笑いが出るが、その一生懸命さには、頭がさがる。
小さく静かになっていた凧上げ大会が、ドンドン大きくなっていってる。
飛鳥は、葉書を書き終わると、差出人のところは空欄に、直承に出すことにした。
先に出さなければ、直承から来てしまう。
そんな事も楽しい。
江戸錦喧嘩凧作りは、すでに始まっていたのだった。
今は、ここまで。