恋のオツムは少し足りない
彼女と最初に出会った最奥の部屋。恋に足蹴で部屋に詰め込まれ、彼女も一緒に入ってくる。扉の横に置いてあるダイヤル錠を扉にハメて、この部屋から出られないようにしたのだけど、
「それだと君まで閉じ込められてないか?」
「外に鍵がないからね。それにアンタを一人にして置いたら何仕出かすかわかんないから私が見張ろうってわけよ。文句ある?」
アホだ。奏や千種を気遣っての行為だろうけど。自分への危機感がまるでない。俺だって男だ。何かをしようとは考えていないけど、かなり無鉄砲だ。
「納得してない顔ね」
「そういう訳じゃないが、君はもっとオツムの足りている人だと思っていただけだ」
「タップリ詰まってるわよ失礼ね! それこそ時には鈍器になるほどね」
やっぱりアホだ。
「まあ三人から離れられたのは好都合だったかもしれないな」
「動くな!」
耳を通り抜ける、劈くような声を上げた。
「ゆっくりと、二段ベッドの下に入りなさい」
「ベッドに?」
「今日の夜だけ寝床を貸してあげる。ただしベッドから出ちゃダメ。出ようものなら上からキックをかましてやるわ。寒空の下に放り出されないだけありがたく思いなさい」
「ずいぶん優しいんだな。ベッドを貸してくれるなんて……しかも下着付属で」
「なっ! ちょっと待って!」
まるでエロ本を必死で隠す思春期の高校生のような焦り振り。地面を掘る猫のように布団に潜り込んでその手にいくつかの私物を抱えて出てくる。
「もうちょっと身の回りの整理を覚えた方がいいな。部屋そのものはきれいだけど。小物とか脱いだものをほったらかしにするきらいがあるのか……もしかしてベッドの上段は」
「やかましい! いいからベッドに入りな! そして出てくんな!」
「……用を足したくなった時はどうしたらいい」
「私と同行で共同のトイレに連れてってやるから早く入れー!」
恋の形相。必死も必至だ。まさに鬼気迫るとはこのことか。拳を作るその様は威嚇そのものだけど、見た感じと仕草、今までの彼女の言動から殴りに来ることはないだろう。
鳴海は確信していたからだ。
「君はとてもいい人だ」
「は?」
「君の言う通り、他の三人は俺を信用し過ぎている。まあ彼女たちが俺に対して危機感を持たない理由は俺自身がよくわかっているけど。それでも、男の俺と一緒に一つ屋根の下で過ごすことを二つの返事で了承するのはおかしい」
「わかってんじゃない。その通りよ……人の下着を握りしめてたのに……何で皆こいつに優しいのよ」
小言だが殺意がよく伝わる。
「君は三人のことを想い、万が一にも危害が及ばないために俺をこの部屋に閉じ込めてかつ、身一つで監視すると言った。敵視する奴と一緒に閉じこもるなんて、正気の沙汰とは思えない。と言うかアホ」
「最後なんつった? ん?」
「自己犠牲に酔いしれる質だって言ったんだ。でも皆を守ためなら外に追い出せばいいのに追い出さず。それどころかベッドの下段を、寝床を与えてくれた。君は女神か!」
「私が慈悲の心を持って寝床を貸してると思ったわけ? 追い出さなかったのはアンタが女子寮に忍び込まない保証がなかったからよ。勘違いスンナ」
「だけど俺に私物を置いてあるベッドを貸したんだ。嫌悪感は想像を絶するだろう。それすらも押しつぶして皆をためを思って俺と一緒に閉じこもった。いい人と言うよりもはや怖さすら感じる」
これが短い時間に感じた恋と言う少女の第一印象だ。
こちらが与えた第一印象は最低最悪のものだと思う。鳴海としても女としてかなり乱雑な面が目立つと思っているが、それでも彼女の優しさはよくわかる。
だけどそれ以上に付きまとう感情がある。
「正直君の言葉に甘えて今晩はベッドで休んだ方がいいかもしれないけど。俺は君が怖い」
「私はアンタが怖い」
「じゃあお互い居るだけで怖い思いをしているわけだ。ならば君のためにも」
鳴海は机の上の文房具のいくつかを手に取り、ここに来た際の手荷物と一緒にカバンに詰め込み窓枠に足をかける。
さっきは恋に止められたので迷いなく、滑車を滑るトロッコの如く自然な流れで窓枠から跳び抜ける。
ここは二階だ。それなりの高さはあるが決して飛び降りれない高さではないし舌はコンクリートではない。鳴海は音もたてず、転がって衝撃を殺しつつ着地した。
「うへぇ泥ついた」
「ちょ、何考えてんのアンター!」
「最初からこうするつもりだったんだ。皆が寝静まるまでリビングで待って、夜のうちに出ていこうって」
「言ったでしょ! アンタをこの部屋に閉じ込めたのは、女子寮に忍び込まない保証ないからって!」
「それについては保障しよう。俺には女子寮どころか女性そのものに近寄ることが滅多にないから。とりあえず連れてこられた時に通った門にでも向かうか」
草を押しつぶす感触を足に感じながら歩き始める。
ただ勢いに任せて外に飛び出したのはいいけど実際どうにも行き詰っている。ここまで来るのに車でかなりの時間揺られたんだ。それこそ森の中を走った時間の方が多い。
こちらの手荷物に食べ物はなし。おまけに夜。おそらく敷地内は塀囲で囲まれていると思うが周りは森、危険が無いなんてことはない。
正直、歩みを止めて引き返した方がいい気がしてきた。
「あの家の住人なら俺の事情も知っててかつ、何故か知らないけど全員に見ても大丈夫な何かはあるみたいだし……ヤバい。俺も相当間抜けだ……ん?」
遠方より耳に届くとても静かなエンジン音。二つのライトが目に刺さる。
誰だ。草の上に原付を走らせるようなことをする奴はと思いもしたけど、むしろ一人しかいない。
近づいてくる車にこっちも近づくと日も落ちた夜に抵抗するような白い装甲。無駄に飾りっ気のない、貧乏人に加虐と卑屈の心を植え付けるような高級車。
車内を見えないように加工されているガラスを鳴海は勢いよく叩いた。
「おいコラクソジジイ! いんのはわかってんだオラ! 出てこいや! ん?」
井ノ上恋
物語のメインヒロイン。
赤い長髪とオーダーメイドの眼帯がトレードマークの少女で鳴海のファミリーメイト(予定)。
頭脳明晰運動神経良し面倒見良しで持ち前の正義感から人望高し。
ただし独善的な部分もあり見た目が強面なため衝突することもある。
頭はよくても基本的に真面目なアホ。