4 6の鐘
超絶お久しぶりでございます!
雑貨屋から出て、可愛らしい笑顔でお礼を言うマリーを、コンラートは愕然とした表情で見た後、空を仰いで「責任……」と小さく呟いていた。
そんなコンラートの様子をマリーは、不思議そうに小首を傾げながら見つめている。
「コンラート? どうしたの??」
(“責任”って、何か大切な仕事でも思い出したのかしら?)
コンラートの気持ちなど解るわけも無く、マリーはキョトンと首を傾げてコンラートを見つめた。
そんなマリーの不思議そうな声に、コンラートは我に返った様子で「何でも無いよ……。ちょっと、兄との会話を思い出しただけ」と、優しく彼女に微笑みかけてくれる。
コンラートからそんな微笑みを向けられたマリーは、またもや胸の辺りが『キュン』と音を立てた様な気がしたのだが、その理由に気付く様子はやっぱりない。
ただ、優しく包み込む様なコンラートの笑顔を見ると、「その笑顔を自分以外には向けないで欲しい」と強く思ってしまうのだ。
(このままずっと、コンラートと一緒にいられれば良いのに……)
コンラートと共に過ごす事が出来るのは、今日1日だけ。6の鐘がなる頃には、お別れしなければならない。
恐らく街の自警団の一員だと思われるコンラートと自分では、今日が終わってしまえば二度と会う事など出来ないだろう。
そんな風に思うとマリーの幼い胸は、張り裂けそうな痛みを覚えた。
少しでも沢山の時間をコンラートと過ごして、一つでも多くの思い出が欲しい。
なのに、先程までは頭上にあった太陽が徐々に西に傾いている事に気付き、コンラートと共に過ごせる時間が後少ししかない事にも気付いてしまった。
そう考えるとマリーは悲しくて寂しくて、思わず涙を浮かべてしまう。
泣きだしてしまいそうな気持ちを堪える様に、ぷっくりと愛らしい唇を強く噛み、そんな表情をコンラートに見られない様に地面を見つめた。
(笑わなきゃ……。こんな顔してたら、コンラートが心配しちゃう。それに……)
何とか気持ちを立て直そうと、マリーは先程指に嵌めた紅茶色のガラスの指輪を見つめた。
“今日の記念”にと、コンラートが買ってくれた彼の瞳と同じ色のガラスの指輪。例えコンラートに二度と会えないのだとしても、この指輪があれば彼を――彼の甘く優しい瞳を思いだす事が出来る。
今日一日、コンラートがマリーに向けてくれたのは、“優しい笑顔”“悪戯っ子の様な笑顔”“包み込む様な笑顔”……。
思いだすコンラートの表情は、全て笑顔だった。
だからこれから先、マリーがガラスの指輪を見て思い浮かべるのは、色々な笑顔のコンラートになる。
その事が、マリーにはとても嬉しかった。
だから……。
(コンラートが私の事を思い出してくれる時、泣き顔なんて嫌だもの。コンラートには、笑っている私を覚えていて欲しいわ)
涙を浮かべながらも必死に笑顔を見せるマリーは、痛々しくて、そしてとても愛らしく見える。
初めて恋を知った少女は、こんな短時間で大人の階段を駆け上がり始めた様だった。
「マリー、このままだと時間までに北の広場に辿り着けそうにないから、抱き上げさせてもらっても良いかな?」
休憩と称して2人で一つのアイスを食べている時、突然コンラートがそんな事を言い始めた。
確かにかなり陽は傾いて来ているけど、この場所から見えるお城の大きさを考えると、然程距離がある様には感じない。
しかし、コンラートに抱っこして歩いてもらえる機会など今日以外には無いのだと思えば、その申し出を断る理由などマリーには無いのだ。
「かまいませんわ」
コックリと頷いて了承すると、コンラートは優しくマリーを思っていたよりも鍛えられ逞かった左腕に、座らせる様に抱き上げた。
「バランスを崩さない様に、しっかり掴まってて?」
「ええ……」
抱き上げられたせいで同じ目の高さとなり、極近くで紅茶色の瞳が優しく細められるのをマリーは嬉しそうにウットリと見つめる。
目が合ったコンラートは小さく苦笑する様に微笑み、何故か鋭い視線を通りに向けていた。
その後も2人は、色々な店を冷やかしながら、ドンドン北へ上っていく。城がかなり近づいてきた頃には、辺りはそろそろ夕焼けに包まれ始めていた。
(もうすぐ6時の鐘がなるわ。…魔法が、解けちゃうみたい……)
「コンラート、あっち! 夕日が綺麗にみえるわ!」
近づいてきた魔法の終わりに抗うように、マリアベルはコンラートを見晴らしの良い場所へ誘導する様に見晴らし台を指差し、そちらへ連れて行ってもらう。
見晴台に着くと、コンラートはそっとマリーを地に降ろしてくれた。
「本当に、綺麗な光景だね。今日の記念がもう一つ増えたよ……。これからは、夕焼けを見る度にマリーを思い出すんだろうな」
「……」
マリーの隣に立ち、一緒にこの悲しくも綺麗な景色を見つめているコンラートの、楽しい時間の終わりを感じさせる様な言葉に何も言えなくなる。
マリーは現実を拒むように、小麦畑の向こうに沈み始めた夕日を睨みつけた。
まるであの夕日が、この楽しい時間を奪っていくように感じていたのだ。
「マリー……」
コンラートが呼ぶが、首を振るばかりでそちらを見ることができない。
「マリー」
少し強めに名を呼ばれ、肩に手をかけ強引にコンラートの方に向かせられてしまう。
「………そろそろ時間だよ。……君はもう、自分の世界にかえりなさい」
マリアベルは、そんな言葉は聞きたくないとばかりに首を振る。まるで子供が駄々をこねるように…。
すると上から「ふぅっ」と、小さくため息が聞こえた。
(嫌われちゃった?)
不安になったマリーがそっと視線をあげて上目遣いにコンラートを見ると、コンラートは変わらない優しい笑顔を向けてくれていた。
「じゃあ、マリーにだけ特別に魔法をかけてあげるから、俺が良いって言うまで目を閉じて……」
そして、今から消えてしまう楽しい時間の魔法の代わりに、新しい特別な魔法を掛けてくれるというのだ。
今日1日で、すっかりコンラートを信用してしまったマリーは、何も疑う事なく両手を胸元で握りしめ、コンラートを見上げたままそっと目を閉じた。
暫くすると、顔に影が落ちてくるのに気付いた。それは、「チュッ」と軽い音を立てて額に触れると、直ぐに離れていく。
「さあ、これでマリーには新しい魔法がかかったよ。だから、もう大丈夫……」
言葉と同時にコンラートの気配が離れていくのを感じマリーがそっと目を開いた時には、目の前にはもう誰も居なかった……。
呆然としていると、今日振り切った護衛の4人と近衛騎士団長が近ずいて来る。
「探しましたよマリアベル姫。さあ、城に戻りましょう」
そう言った護衛の声に重なる様に、6時の鐘が辺りに鳴り響いたーーー
あの町歩き以降、マリーはスッカリ元気が無くなってしまった。その姿はまるで、花が萎れてしまった様だ。
必要最低限以外は殆ど喋る事もなく、気付くと中指にハマったガラスを切ない表情で見つめている。
時々光に手を翳して指輪を見ている時もあるが、その時には抱きしめたくなる様な儚さを感じさせる。赤い色をしたそのガラスは、光を浴びるとまるで紅茶色に見えた。
……まるで、コンラートの瞳の様に……。
(私、あのたった1日で、コンラートの事がこんなにも好きになっちゃったんだ……)
気付いてしまった自分の気持ち。でも、どうにもできない。
その事に、さらにマリーは深い悲しみを感じた。
誰もがそんなマリーの姿に胸を痛め、城の中はまるで活気が無くなってしまった様だった。
「マリー、お前の婚約が決まったぞ!」
あの町歩きから1月程した時に突然、父である王から告げられた。
失われた活気を取り戻そうととでも思ったのだろうか? しかし、マリーの表情は変わらない。
(私は王女だから、親の決めた人と結婚するのが当然。それに…コンラート以外なら、誰でも一緒……)
「解りました…」
感情のない声と表情でマリーが答える。
しかしそんな彼女を見ても、彼女を溺愛してる筈の王様はいたずらっ子の様に笑っているだけだった。
早速翌日に顔合わせを行うと言い、マリーは要人用の小さめの謁見室に連れて行かれた。
誰が来ても大差は無いと、マリーはボーと窓の外に目を向けていた。動く気配で誰かが室内に入ってきたのは解ったし、自分の態度が失礼極まりない事も理解していたが、そんな事どうでもよかった。
だが室内に入って来た人物の声が聞こえてきた瞬間、彼女の瞳は大きく開かれていく。
「初めまして、マリアベル様。近衛師団、ウッド侯爵家の次男、コンラートです。本日はマリアベル姫に求婚に参りました」
何日経っても色あせる事なく、マリーを苦しめたあの笑顔を浮かべて、彼がそこにいた。