SIDE コンラート(2)
さて、前記のようなやりとりがあり、コンラートは今、庶民の服を着て王都に居る訳だが……。
「どうして、お店も屋台も何も見せてくれないのよ! それに私だって、あの人たちがあそこで食べているヤツが食べてみたいの! アレもコレもダメって! 私が思っていた“街歩き”は、こんなんじゃないのに!!」
大きなブルーの瞳に涙を一杯に溜めて、身体の横で握りしめた両手をプルプル震わせながら不満を爆発させている王女様を、店先で売り物を物色している振りをしながら、コンラートは観察していた。
(護衛達の言っている事は尤もだとは思うけど、マリアベル様の気持ちを考えれば、もう少し柔軟に対応してやれば良いのにとも思うよなぁ……)
同じ、“護衛”という立場からすれば彼らの行動は理解できるし、正しい事だと思う。
ただ、相手は子供だ。どんなに“護衛として”正しい行動であったとしても、そんな物は大人の理屈でしかない。
ましてや、『街歩き』が決まってからずっと楽しみにしていた事なら猶更だろう。
無理なら無理と、事前に説明しておけば良かったものを、何も言わずに期待させるだけさせておいて、当日になって『全てダメ』等と言われれば、マリアベルが癇癪を起こしてもしょうがないと思えた。
コンラートからすれば、この『街歩き』さえ「何故こんな時期に許可を出したのか理解に苦しむ」と思っているというのに、行動計画・護衛計画のあまりの杜撰さに溜息が止まらない。
こんな状態では、『何か起こってくれ』と言っている様な物じゃないかと思う。
だから……。
「アレもコレもダメって! 私が思っていたのは、こんなんじゃないのに!!」
そう言ってマリアベルが突然走り出した時、いち早く行動を開始したのも、やはりコンラートだった。
こんな事もあろうかと、兄から任務を言い渡された後、くまなく王都中を歩き回り全ての裏道・抜け道のチェックをしておいた。
そのおかげで、常にマリアベルの走っていく先を読み、彼女が細い通路に入ろうが、壁の穴を潜ろうが先回りし続ける事ができた。体力も持久力もコンラートの方が上なのだから、マリアベルがどんな道を走ろうが彼を撒く事など不可能だ。
決してマリアベルに気付かれない様に、ある程度の距離を置きながら追いかけ続ける。
30分程走り続けた彼女がやっと立ち止まった場所、そこはそれなりに人通りのある下町の通りだった。
コンラートは、キョロキョロと辺りを見回しているマリアベルを少し離れた場所から見守りながら、これからどうするか暫し考える。
下町……そこは王都の中でも“スラム街”とも呼ばれる治安の悪い場所で、小さな犯罪が溢れており、中には誘拐を企む凶悪な者達が潜伏している事もある場所だ。
このまま此処にいても、城を目印にして歩きだしたとしても、あれだけ可愛らしい世間知らずな少女が1人でいて安全な訳がない。
かといって、下手にマリアベルを捕獲してまた逃げ出されたりしたら、さらに犯罪に巻き込まれる可能性が高くなるだろう。
コンラートは、どうすれば速やかにマリアベルを保護する事ができるのか、また、安全を確保しながら彼女の希望を叶える事が出来るのかを考える。
何か問題が起こった場合、その後の対応はコンラートに一任されているのだ。
一番安全で手っ取り早いのは、速やかに捕獲して家に送り返す事だが……。
それでは、あまりにもマリアベルが可哀そうだ。
彼女がどれだけ『街歩き』を楽しみにしていたのかは、兄と父から散々聞かされた。
だからこそ、ある程度の彼女の望みは叶えてあげたいと、そう思うのだ。
(うーん……。ここは善意の第三者として、接触しましょうかね)
幸い自分は人受けが良いようで、あまり人に警戒心を抱かせないらしい。その特技(?)を生かして、親切な人として話しかけ、簡単な『街歩き』をしながら北に送り届けよう。
コンラートは少し考えた後そう結論を出すと、心細さからとうとう涙をあふれさせ始めたマリアベルの元へと近寄って行き
「お嬢さん、どうしましたか?」
人好きのする笑顔を向けて、彼女に話しかけたのだった。
初めて間近で見るマリアベルは、とても可愛らしい少女だった。フワフワの薄茶色の髪、潤んだブルーの瞳、薔薇色の唇、標準よりも少し小さめな身体。彼女を型作る全てから、愛されて育った者だけが持つオーラを感じる。
突然話しかけて来た初対面の相手に、「貴方はダレ? 人攫い?」などと直接聞いてしまう素直さに、彼女の育った環境が見えてしまう。
“人の悪意”というものを教えられてはいても、そんなものに晒されることのない守られた環境にいたのだろう。
笑顔の裏に隠された悪意など、知りもしないであろう彼女は、とても無邪気で愛らしく感じる。今日、初めて彼女に接したコンラートでさえ、彼女の、この純粋な心を護ってあげたいと思うのだから、生れた時から見守っている者達は本当に彼女を大切にしているのだろうと思った。
そして、そんな愛らしい彼女は、気の強い一面も持っていた。
「だから、迷子じゃないって言っているの! わ、私はただ町歩きに来たのにお財布を無くして、何も出来ないから落ち込んでいただけよ!!」
「君が解る場所まで送ってあげようか?」そう声を掛けたコンラートに、涙を一杯に溜めた瞳で睨みつけながらそんな強がりを言ってくる。
ついさっきまであんな心細そうな顔をして、涙を浮かべていたくせに……。
そう思うと彼女が可愛くて、思わず笑ってしまった。
(逃げ出した理由も店を冷やかしたり、買い食いが出来ないからだもんな……。この様子じゃ、まだ諦めてないんだろう)
警備の面から考えれば、護衛達の判断は当然の対応だったとは思う。
しかし、今日は王女にとって“初めての冒険”なのだ。彼女の可愛らしい望みを、出来るだけ叶えてあげたいと、コンラートはそう思ったのだ。
なので、コンラートは
「じゃあその町歩き、俺が付き合ってあげようか? 俺もあんまりお金を持っていないから、食べ物は一つ買って一緒に食べるって言うので良ければだけど……?」
と提案した。
自分の名前を教え、ぼんやりと誤魔化した職業を伝えると、彼女はすっかり信頼した瞳で、コンラートに自分の愛称を呼ぶ権利をくれた。
コンラートがした『食べ歩き』の提案で、彼女はすっかりご機嫌になり、コンラートを“良い人”と認定してくれたようだ。
コンラートの腕に絡まる様にしがみ付き、興味の引かれるままに歩きだす。
今頃必死でマリアベルを探しているであろう護衛達には、彼女に気付かれない様にコッソリと魔術具使い、兄から連絡がいく様にしておいた。「6時の鐘が鳴るまでには、北の見晴台まで送って行きます」そう伝えるだけで、兄はコンラートがしようとしている事を理解してくれるだろう。
ついでに、フォローの人員も派遣してくれる筈だ。
なら自分は、思い切りマリアベル――マリーを楽しませる事に専念すれば良い。
そんな風に考えて、コンラートは優しくマリーを見つめながら、彼女の希望を叶えるべく連れまわされるのであった……。
町歩きは、コンラートにはその面白さを理解する事はできなかったが、楽しんでいるマリーを見る事は、とても楽しかった。
なんでもない事や、ちょっとした商品一つ一つに大袈裟に驚き喜ぶマリー。そんな彼女を見ていると、何でも望みを叶えてあげたくなる。
喉が渇いたと訴えるマリーに「スポンサーは俺だから、先に貰うよ?」と言って、買った商品を先に飲み、毒味をする。
職業柄、毒への耐性は付けているし、解毒の魔術具も常に持ち歩いている。
マリーに気付かれない様に、自分の身体を使って安全の確認をするのだ。
「これ、スッゴク美味しいわね! こんな味、初めてだわ!!」
しっかり安全を確認した後マリーに渡すと、それはそれは嬉しそうに、美味しそうに口にし、何に対しても上記の様に大喜びしてくれた。
彼女に腕にしがみつかれ振り回される町歩きは、大変ではあるが中々楽しい。彼女が欲しがる物、全てを与えてあげたくなる。
咲き誇る様な笑顔を惜しげもなく振り撒きながら、無邪気に街歩きを楽しんでいた彼女の表情が固まったのは、ソフトクリームを食べ始めて直ぐの事だった。
「ママぁ、抱っこ!」
「まぁ……。ロビンはホントに甘えん坊さんねぇ……」
ふと聞こえて来た街の中では珍しくもない、何処にでもいる様な親子の何処にでもある様な会話。
そんなありふれた光景を、マリーはソフトクリームが溶けて手に垂れてくるのにも気付かない様子で、只じっと見つめていた。
マリーがその親子を見て何を思っているのか。そんなものは、彼女の瞳に浮かぶ寂寥感や羨望、憧憬といった感情から、容易に想像出来てしまう。
いくら母の双子の姉が“母親”として存在してくれているとは言っても、自分の本当の母が死んでいる事はマリーだって知っている。
そして、下手な悪意で傷つけられることが無い様に、その原因も説明されているのだ。
マリーの小さな身体の中で、その事がどのように処理されているのか、それを感じさせるような寂しそうな背中を見て、コンラートは敢えて何も気付いていないふりをして彼女を抱きあげた。
彼女の手に垂れているクリームを舐めとり、アイスも大口で半分ほど食べてしまう。
「あーーーーっ!! もう、コンラート! 私のアイスなのにぃっ!!」
「はは、ゴメンね? 手に垂らしているのに気付いている様子もないから、もう要らないのかと思ったよ」
そんなじゃれあう様なやり取りをしていたら、マリーは真っ赤になって固まってしまった。
コンラートは、マリーのそんな反応に「まさか……」と思ったりもしたが、先程までの寂寥感が消えた事だけを評価する事にした。
コンラートにこれ以上食べられない様にと、必死でアイスに齧り付くマリーがとても可愛い。
コンラートは思わず浮かんでしまう頬笑みをマリーに向け、その小動物の様な姿を見つめていたのだが、ふと感じた気配に視線を路地裏へと向ける。
そこには、見知ってはいるが決して好意を持つ事など出来ない人物の姿があった。
その人物が、マリーに対して良からぬ事を企んでいるであろう事は明白。どこで仕掛けてくるのかを予想しながら、更に周囲の気配を探ってみれば、良く知る人物の気配が二つ。
(結局出張って来るのなら、最初から俺に仕事を振るなよ……)
コンラートは、良く知る気配――父と兄の存在に、思わず空を仰いでしまったのだった……。