SIDE コンラート(1)
「コンラート、明日はマリアベル様のお忍び護衛についてくれ。」
近衛騎士団の厳しい任務と訓練を終え、割り当てられた部屋で家に帰る前の一休みをしに来たコンラートは、第一師団の隊長である兄――ヴォルクに突然そんな事を言われた。
コンラートが所属しているのは、同じ近衛騎士団でも第二師団であり、指令ならば本来は第二の隊長から伝えられる筈だ。
なのに、何故兄とは言え第一の隊長から自分に指令が下されるのか?
「勿論、第二師団の隊長にもこの事は既に伝えてある。そしてこれは、私からではなく父からの命令なんだよ」
よっぽどコンラートが訝しげな顔をしていたのか、ヴォルクが軽く肩を竦めながら言う。
『父の命令』その言葉に、コンラートは面倒くさそうに顔をしかめた。
コンラートの父はこの国の有力な侯爵の1人であり、さらに近衛騎士団の団長でもある。
そして彼は徹底した実力主義の人物であり、例え息子であろうと贔屓などは絶対にしない。なので、出世したければ自力で頑張らない限り、何時迄も平のままだ。
優秀な後継であるヴォルクは、その才能を遺憾なく発揮する事で、順調に出世している。
しかし、コンラートは出世欲が全くない為、直ぐに手柄を人に譲ってしまい、何時までも出世する様子は無かった。本来は兄と同等の優秀さを持っているというのに、「出世しても、色々と面倒が増えるだけでしょ?」などと言って、出世する気が全くないのだ。
そんな所も「向上心の無いものに、人の上に立つ資格は無い!!」と父を怒らせる原因となっていて……。
なので、コンラートは未だに平騎士のままなのである。
そして平騎士である自分には、上司の命令は絶対だったりする。
ただ、コンラートの優秀さを知っている父が直接命じてくる任務は、総じていつも厄介なものばかりなのである。
その事を身にしみて知っているだけに、コンラートとしては「何とか断る事が出来ないか」と無駄な足掻きをしてしまうのだ。
「団長の命令なら、まぁ、従いますが……。マリアベル様って確か、クララベル様の忘れ形見でしたっけ? そんなお方が、お忍びで何処に行くっていうんですか?」
「町歩きらしい」
「はあ!?」
なんとか断る切っ掛けを探そうと、取り敢えず情報を探る。
そんなコンラートの問いに対して兄の口から出た、予想外の言葉に驚いて、思わず大声を出してしまった。
マリアベルの身分や立場、王都の治安等、色々な事を考えても、本来なら『街歩き』など許可されるものではない。
しかも、今は時期が悪い。
近衛騎士団も王国騎士団も警備騎士団も、ある理由から現在はとてもピリピリしている。王も王宮の関係者達や貴族連中もそれは知っている筈なのに、何故この時期にマリアベルの『街歩き』など許可したのか。
コンラートには信じられない出来事であった。
「いや、兄上。それ、どうして許可が出たんですか? 現状で、そんな危険な事に許可が下りるなど、ありえないでしょ?」
無表情で静かに問いかけてくるコンラートは、下手に声を荒げる者より、よっぽど迫力がある。
その態度には、「何処の無能がそんな許可を出して、自分に尻拭いをさせようとしているんだ?」という、怒りが籠っていた。
ヴォルクは、そんなもっともであるコンラートの怒りの態度に苦笑して、ゆっくりと彼に近付いた。そして、子供を宥める様にコンラートの髪をクシャクシャと乱した後、ポンポンと軽く叩く。
この兄にとっては、コンラートなど幾つになっても『やんちゃな弟』なのだろう。
そう思うと、怒っている自分がなんだか子供っぽく感じてしまい、若干不貞腐れながらも怒りを鎮めるしかない。
「お前の言っている事は解るが、今回は仕方ない。マリアベル様が『街歩きをしたい』と大層ゴネられたんだ。それを聞き入れなかった所、食事を摂らないという抗議行動に出たようでな……」
「ハンスト……ですか?」
「ああ。彼女は騎士団の現状を知らないし、教えるつもりもないから、上手く納得させる事が出来なくてな……。2日食事を摂らなかった所で、周囲が根負けしたんだよ」
「それは……。まぁ、しょうがないのかもしれませんね……」
納得などしたくなかったコンラートであったが、兄の話を聞いて納得せざるを得なくなってしまった。
マリアベルの生い立ちと、周囲からの愛されようを知っていれば、ハンストなど起こされれば我儘を聞き入れるしかない状況も理解できる。しかも、騎士団の現状を説明できないというのであれば、猶更の事だ。
マリアベルの父には2人の妻がいた。2人の妻は双子で、形式的に姉が正妻、妹が側室となっていたが、それは形式だけの物であり、3人の仲はとても睦まじい物であった。
2人の妻は、合わせて3人の男の子と5人の女の子を設けた。8人の子供たちは、正妻の子供、側室の子供と区別されることなく、全て等しく“夫婦3人の子供”とされた。
幸せな家庭。此の儘その幸せは続いていくのだと、誰もが思っていた……。
妹妻が末の娘を出産したのは、臨月より1月以上も前だった。散歩中にうっかり躓いて転んでしまい、そのショックで陣痛が始まってしまったのだ。
予定より早く出産した事で、末娘はとても小さく産まれてしまい、身体も弱かった。いつ死んでしまってもおかしくないほどにか弱い命。周囲も、目を離せば直ぐにでも死んでしまうのではないかと、何時も戦々恐々としていた。
そして妹妻は、その出産の影響で体調を崩し、末娘が2才になる前に死んでしまった……。
大切な妹妻を失った家族やその家に仕える者達は、今にも消えてしまいそうな弱々しい赤子を、それはそれは愛しみ、世間から隠す様にして大切に育てた。
そんな、か弱い赤児が何とか人並みに成長し、元気に過ごしている。
彼女の周囲の者たちは、それだけでも奇跡だと思っている。なのにハンストなどおこして、倒れられたり、あまつさえ命にかかわりでもすれば……。
そんな訳で、マリアベルの希望は聞き入れられる事になったのだった。
そこまでは理解できる。だが、何故コンラートが護衛に付かなければならないのか、納得がいかない。
コンラートも、マリアベルの顔は知っているが、遭った事も話した事もない。
貴族の中でも、マリアベルと話した事のある人物など、ほんの一握り程度だと思われる。それに、コンラートとマリアベルでは年齢差が大きい為、“ご学友”や“婚約者候補”として選ばれる事もない。
更に近衛騎士団とは言っても、平騎士であるコンラートには全く接点など持ちようのない少女であった。
コンラートが15才で全寮制の騎士学校に入学した頃、彼女は3才。
まだまだ身体が弱く此の儘育つかどうか心配されていた。
4年制の学校を卒業した時には、彼女は7才。
やっと健康的になってきた彼女は、過保護な家族の所為で殆ど外に出して貰えず、「外への興味が強いらしく、外の話をすると気に入られる」と噂が広がるほどの外好きになっていた。
学校を卒業してから4年程、コンラートは騎士団の仕事に夢中で社交の場にも訪れる事がなかった為、それ以降の彼女の噂を聞く事はなかった。
コンラートは結婚に興味がなく、夜会などに出席する事も殆どなかったのだが、「侯爵家の次男がそんな事でどうするのだ!!」と父に叱られ、この2年程はそれなりに顔を出す様になった。
コンラートの見た目はかなり良い。
夜会に参加すると、砂糖に群がる蟻のように令嬢が集まってくる。その誰もかれもが、絡みつくような視線で彼を見つめ、狡猾に彼の妻の座を狙ってきた。
自分の周囲で繰り広げられる醜い争い。それを目の前で見せつけられるコンラートは、徐々に女性が苦手になってしまい、さらに結婚から遠ざかってしまった。
なので、夜会に出ても、会場にいるのは30分程度。必要最低限の人物に挨拶を済ませると早々に帰ってしまう。
そんなコンラートは、社交会の中でも「出会う事の難しいレア珍獣」扱いとなっていった。
一方、マリアベルも「遭遇する事が出来ない幻の珍獣」として扱われていた。
「変な虫が付いたらどうするんだ!!」と言う過保護な家族の所為で、社交の場に一切姿を現さないのだ。城のパティーでも、見かける事すらない。
そんな訳で、彼女と交流を持った事があるのは、貴族の中でも本当に極々一部の人間だけ。
勿論、コンラートもマリアベルと話した事などなかったのだ。
――――で、そんな自分がどうして護衛に選ばれるのか?
「俺、マリアベル様の顔位しか知らないんですけど? そんな相手をどうやって護衛しろっていうんですか?」
若干投げやりに、問いかける。
人の多い場所で護衛をしようと思えば、顔見知りである程度信頼できる者でなければ、咄嗟の時に指示に従って貰えない。
警護者の指示に従わないという事は、死を意味する事だ。
それが解っている筈なのに、何故自分が護衛に選ばれるのか、そこが納得できないのだ。
「直接の護衛は、父の部下から4人つく事になっている。お前にはそのサポートを頼みたい。内密な護衛なのだから、彼女の顔見知りでは困るんだよ。私や父は、マリアベル様と顔見知りだからな。母似のお前なら、私達との関係も気付かれないだろう。それに……、何か想定外の事が起こった時、お前ならスムーズに対応してくれるだろうとの人選だ。その際の対応は、全てお前に一任するそうだ」
「……何かあったら、責任は全部取れって事ですね……」
情けなく眉を下げたコンラートに、兄はフッと笑った。
(この、意地悪兄さんめ!!)
次もコンラート視点です