1 怪しいけれどもイケメンなお兄さんとの出会い
ちょっと短いです。
(ここは……。もしかして、下町って所かしら?)
寂れた風景を見渡しながら、マリアベルは今頃自分の軽率な行動を後悔していた。
泣きそうになりながらも、どうにか元の場所まで戻れないか考えてみる。
下町は、北から南へ向けて緩い傾斜のついた南北に長い王都の中でも、一番南にあった。因みに城が有るのは一番北である。
マリアベルの家は北にあるので、城を目印に歩けば道には迷わないだろう。
ただ、そこまで帰るにはかなりの距離がありそうだが……。
そして、距離以外にもう一つ問題がある……。
(下町には、犯罪者みたいな人がいっぱいいて、油断すると攫われて売られてしまうって聞いたわ。なら、私なんてあっという間に攫われちゃうに決まっている! だって私はこんなに可愛いんだもの! そう思ったら、その辺りにいる人達が皆悪い人に見えてきたわ!!)
そう、この辺りの治安の悪さが問題なのだ。
北に向かって歩き続ければ、家には辿りつく事が出来るだろう。
でも、ある程度治安の良い場所に辿りつくまでマリアベルが無事でいられるかどうかは、別問題だ。
こんな場所で、いかにも世間慣れしていない見るからにお金持ちのお忍びといった様子の子供がウロウロしていれば、あっという間に悪党に目を付けられ攫われてしまうだろう。
薄汚れた服を着て往来を歩く下町の住人たちを見遣り、マリアベルは自身を抱きしめてブルリと身震いした。
落ち着いた頭で周囲の状況を冷静に見られるようになれば、身の危険を現実のものとして感じてしまい、マリアベルはとても怖くなってしまった。
確かに彼女はとても可愛らしい。如何にも“愛されて育ちました”という雰囲気、フワフワとした肩より長めの薄茶色の髪、平時でも潤んだ大きなブルーの瞳に瞬きすれば音がしそうな程長いまつ毛、そしてプックリとした艶やかな唇と薔薇色の頬。
悪党でなくとも、思わず攫いたくなるような容姿だ。
攫うつもりはなくても、他人に無関心な筈の下町の人間がマリアベルに対しては興味津津な視線を送っている。その視線には好意的な親切なものが大半であるが、中には邪な良からぬ視線が含まれているのもまた事実で……。
「ゔっ……」
初めて向けられると言っても過言ではない人の悪意を感じて、その恐怖と不安から、とうとうマリアベルの瞳から涙が溢れてしまった。
まさにその時――
「お嬢さん、どうしましたか?」
とても優しい声が、マリアベルのすぐ頭の上から聞こえてきた。
そっと顔を上げて見てみると、凄いイケメンが優しく笑ってマリアベルの顔を覗き込んでいたのだった。
優しい笑顔と声。
それは、恐怖と不安に囚われていたマリアベルの心を、一瞬で解してしまった。その要因の1つは、彼が“イケメン”であった事も大きな理由だったとは思うのだが……。
そう! まさしく彼は、誰が見ても納得のイケメンであった。
身長は180cmを軽く超え、細身ではあるが服の上からでも、その体が鍛えられているのがわかる程に筋肉がしっかり着いている。
短く無造作に整えられた赤茶の髪は清潔感があり、紅茶の様な瞳には人の良さが見てとれる。着ている服は庶民のそれなのだが、何処と無く品があるように感じるのは、彼の立ち居振る舞いや言葉、声のトーンに品があるからなのだろう。
マリアベルは、穏やかで人を安心させる笑顔を浮かべて自分に話しかけて来たイケメンを、元から大きな目を更に見開いて凝視した。
彼の顔が余りにイケメンだったので、驚いて涙も止まってしまった。
そんな彼女に、男は目線の高さが合う様にしゃがんで安心させるように優しく微笑んでくれた。
「もしかして、道に迷ったのかな?」
彼の声は、無条件で信頼したくなる様な物だったのだが、聞いた話では人攫いの中でも特に若い娘を攫う連中には、そういう人がいると聞いた事がある。
彼の様に見た目の良い警戒心を与えない悪党が、若い娘を誑かして人買いに売り払ったり、お金を騙し取ったりするらしいのだ。
だから、彼がどんなに優しげに話しかけてくれても、自分がそれに縋りたいと思ったとしても、簡単に信じてはいけない。
「貴方はダレ? 人攫い?」
そんな風に考えた所までは評価できるのだが、マリアベルは世間知らずなのでその疑いを直接本人にぶつけてしまう。
例えば本当に人攫いだったとして、そんな風に聞かれて「はいそうです」などと答える人間はいないのだが、マリアベルにはそんな事は解らない。聞けば、皆が素直に答えてくれるものだと思っているのだ。
そして、そんな質問をぶつけられた男はキョトンとした顔でマリアベルを見つめた後、ふわりと優しく微笑んだ。
「人攫いねえ……。もしそうだったら、どうします? ……勿論違いますけど、ね」
クスクス笑いながら答える彼は、悪人には全く見えない。例え攫われたとしても、不幸になる気がしないのだ。
(この人になら、攫われても、いいかもしれない……)
マリアベルは思わずそんな事を考えてしまいながら、無言で彼を見上げた。
ジッと彼の瞳を見つめていれば、男は何故だか少し焦った様な表情になった。
「……冗談だよ? 俺は人攫いなんかじゃないからね? もし迷ったのなら、君が解る場所まで送ってあげようか?」
マリアベルが黙ってしまった事で誤解したのか、少し慌てた彼が親切に申し出てくれた。
その申し出は、マリアベルにとっては願ってもないものだ。
だが、『これで帰れる』とホッとした途端に、まだ町歩きが全くできていない事を思い出してしまい、此の儘帰るのが惜しくなってしまった。
マリアベルが行方不明になったせいできっと、今頃家では大騒ぎになっている筈だ。だとすれば、今後マリアベルが街歩きに連れて来て貰えるチャンスなど、二度とないだろう。
今日が最初で最後。
『食べ歩き』も『ウィンドウショッピング』も経験できるのは、今日が最後のチャンスだということだ。
そう考えれば、このまま素直に家に帰るなんて絶対に嫌だと思った。
「……迷子じゃないもの」
「ん?」
ポツリと呟いたマリアベルの言葉に、その声が良く聞こえなかった彼はもっとよく聞こうと顔を近づけてくれる。
「だからっ! 迷子じゃないって言っているのよ! わ、私は、ただ町歩きに来たのにお財布を無くして、何も出来ないから落ち込んでいただけよ!!」
強がりである。
町歩きがしたかったのは確かだが、ついさっきまで全く忘れていた。
でも、今日が最後のチャンスだと思えば、強がりたくもなる。このチャンスを逃せば、マリアベルはこの先一生“街歩き”など出来ないであろう。
チャンスを逃さないように、ここで頑張らねば!
そんな事を思いプルプルしながら、涙目でそう宣言した彼女を、彼は驚いたように紅茶色の瞳を見開いて見つめ……。
「ぷっ! ……クスクス……。うん、そうなんだ?」
優しく笑った。
その後、ふと真面目な顔をして拳を口元に当て、一瞬何かを考えるような仕草を見せる。そうしてから、マリアベルにふわりとした笑みを向け
「じゃあその町歩き、君さえ良ければ俺が付き合ってあげようか? 俺もあんまりお金を持ってないから、食べ物は一つ買ってそれを一緒に分けあって食べるって言うので良ければ、だけど……?」
とても素敵な提案をしてくれた。