回顧
十六夜連夜には幼い頃の記憶がなかった。
いや、正確には違う。幼い頃の一部の記憶がなかった。
昔何があったか、誕生日を父親が祝ってくれた、誰と友達になった、などといった大体のことは思い出せるのだが、唯一その時に熱中していた何かが思い出せないのだ。
学ぶことが嫌いな自分が自ら進んで何かを学んでいたはずなのだが、それが何かが思い出せないのだ。
だが、昔のことが一部分思い出せない、そのようなことはよくあることだと思い、切って捨てていた。日常に支障が出ているわけでもなし、思い出せない昔のことにこだわることより、今度発売されるゲームのことや、試験を無事に乗り切ることの方がよっぽど重大な問題だったのだ。
そして、やがて彼は過去の事を思い返すこともなく、日常に身を埋めていった。
あの日見た、呪いに満ちたその目を私は生涯忘れることはないだろう。
私の家は旧家の由緒ある家らしい。
魔術という一般には知られていない特殊な技術を先祖代々受け継いできた特別な家だと父親からは聞いた。
当然それに相応しい令嬢となるべく私は育てられた。それを疑問に思ったことはないし、苦痛に思ったことなどなかった。
私は幼くしてその才能を発揮した……らしい。自分ではあまりよくわからないけれど、私の魔術に対する才能には目を見張るものがあったようだ。
次第に私は将来を期待されるようになり、家を継ぐのは私なのかもしれない、などと噂されるようになった。
望月家、それがやがて私が継ぐことになる家の名前だ。
そして望月家と対をなすように存在する旧家があった。
それが十六夜家。
十六夜家は旧家といえど、その暮らしは一般市民のものとなんら変わりなく。
由緒のある家だと知る人は少ないだろう。
分家のほとんどが魔術の世界から足を洗い一般市民へと降りているのだから十六夜家の衰退は今に始まったものではない。などと言われる始末だったが、当の本人達はてんで気にした様子はなかった。
宗家である十六夜本家は当主である父親と、同い年の10歳になる息子が一人いるだけだった。
この息子こそが十六夜連夜だ。彼は大人しい性格ではあったが、幼いながらに聡明な子供で、魔術を学び始めた5歳の頃からその才覚を発揮していった。驚く程の吸収力であらゆる魔術を学んでいった。
望月家と十六夜家は古くから親交が深く、私も十六夜連夜とは魔術を学び始めた頃から親に引き合わされ、お互いのことを知っていた。
連夜は同い年で魔術を学ぶ私のことを大層気に入ったらしく、何かにつけて私の後を「結歌、結歌」とついて回った。
私もそんな連夜のことを悪く思ったことはなかった。
「結歌は望月の家を継ぐんだよね? 僕も十六夜を継ぐから二人でお揃いだね」
などと可愛らしいことを言ってくれたりもしたものだ。
連夜の魔術に対する才覚は末恐ろしいものだった。理論も何もすっとばして感覚だけで魔術を編み上げる姿は天才的としか評価しようがないものだ。
周囲の期待も相まって十六夜家は連夜の代で復興を遂げるのではないか……望月の家ではそう言われていた。
だが、やがてその時はやってきた。
「何で……お父さん何で!」
当時の十六夜家当主、将来を期待された連夜の父親である彼が、少年の可能性を閉ざした。
当主は魔術師としての十六夜家を断絶、一般へと下ることを決断したのだった。
その理由は十六夜家当主たる彼と、当時の望月家当主しか知るところでしかない。
古くから親交の深い望月家は一般に下る十六夜家の後継者である連夜の魔術源
と記憶の一部を封印することを任された。
「やめろ――! 僕は、魔術師だ! 十六夜を継いで立派な魔術師に!」
父親に取り押さえられながらも暴れる連夜は普段の大人しい姿からは想像もつかないほどもがき、暴れ自らを捕らえる腕から逃れようと必死に叫んでいた。
「――やってくれ」
だが冷酷にも父親は連夜に取っての絶望の言葉を放った。
「嫌だ! やめて、お父さん嘘でしょ、やめて!」
次の瞬間もがく彼の目は私を捉えた。
「――結歌っ! お願い結歌、助けて! 結歌――!」
だが幼かった私には連夜の言葉に応える術がなかった。私はスカートの裾をギュッと握り、せめて目だけは離さないように前を見つめていた。だが、次の瞬間連夜は大人しくなった。観念したのだろうか、と私の父親は術式を起動した。
「――赦さない……僕はお前たちを絶対に赦さない」
低く、叫びすぎてひび割れた声で連夜はそう呟いた。僅か10歳の子供にその場にいた誰もが気圧された。そして、連夜はその場にいた一人一人を記憶に刻み付けるように睨みつけた。その後異様な程に大人しくなった連夜に封印は実行された。
私はその時に見たあの呪いに満ちた目を私は生涯忘れることはないだろう。
連夜への処置は無事に済み、魔術師としての十六夜家は完全に断絶した。
私はあの時の目を今でも忘れられないでいる。
それから私は家からの命令でもあったが、罪悪感から連夜を徹底的に避けた。
連夜も私のことはすっかり忘れているようで元気に外を駆け回っていた。まるであの日の鬼気迫る様子がウソだったかのように。
露骨なまでに連夜を避ける私を、彼は自分を嫌っていると思っていることだろう。
だが、それでいいのだ、彼は既に魔術師ではない、私と彼とでは住む世界が違うのだから。
そう、思っていた。
あの日、いつものように『魔』への対処に追われていた私を彼が見つけるまでは。