魔術師~2~
前回の話から大分時間を開けてしまって申し訳ありません……
今回は本格的なこの世界の説明となっております
軽やかな口調で告げられた言葉には連夜を狼狽させるだけの威力が秘められていた。
「なっ! 抹消ってまさか」
「えぇ、殺しますよ? 何か問題でも?」
涼しい顔でこともなさげに言い放つ結歌であるが、対照的に連夜の顔色は酷いものだった。
「こっ殺すって、何もそこまでしなくてもいいんじゃないのか」
「……何を当たり前のことを。魔術の存在がなぜ一般に知られていないか、少し考
えたら分かることでしょう」
呆れたような物言いに連夜もようやく平静を取り戻す。
「……知られたらまずいものなのか、魔術って」
「えぇ、まずいものです。中世ヨーロッパで行われていた魔女狩り、言葉だけは聞いたことがあるでしょう。あれは魔術の存在が知られた結果です。人々は自らと違う存在を畏怖する、場合によっては排斥しようとする生き物です。魔術を隠し通すことは、自らの身を守る上で重要なことなのです。他にも理由がないわけではないですが……それを今のあなたに言ったところで理解できるとは思いませんので省いても構いませんね? そして魔術を隠し通すために使用される手段が、先ほども説明した封印術式です。ですが、あなたにはそれが通用しない、この場合何も処理せず開放することは得策ではありません。最も有効な手段は対象の抹殺ですが、人が一人消えたとなればそれはそれで大問題になります。――いろいろと事後処理も大変なんですよ。ならこの際口止めして解放したほうがいいかと、もちろん一時的に、ですが。あなたがなぜ封印術式を受け付けないのか、その原因を解明してその対策さえ立てれば再度記憶の封印を行ないます」
ご理解いただけましたか? と結歌は穏やかに微笑む。
連夜は無言で頷く。
「では、あなたの望んだとおりに……魔術の、いえ、私達のことについて説明いたします。よろしいですね?」
ここで連夜に魔術について明かさなければならなくなったのは一重に自らのミスだと、そう心に刻み結歌は言葉を紡いだ。
「そうですね、まず私達、魔術師の存在から説明しましょうか……。いいですか?
一言に魔術師といっても数多くの種類があります。ですが私達の基本的で絶対的な使命は全ての魔術師に共通されているのです。そう、それが」
第三事象の解明と、それに伴い発生する魔の撃退。
感情を排し、事務的に説明する結歌だったが。第三事象の解明、そう口にした時、その言葉に僅かだが力がこもった。
「そうですね、解り易く説明するなら……まず、私達はこの世で起こり得る現象を三つのカテゴリーに分けています。人の知識、科学、文明の力によって解明できる事象、これを第一事象とします。そして科学の力では解明できない、魔術的なアプローチによって解明できる事柄、これを第二事象と分類。――そして、科学、魔術どちらの分野によっても解明できない事柄、それを第三事象としています。この第三事象はいずれ発達した科学、あるいは魔術によって解明されるであろう事象のことをそう区別しているに過ぎません」
第一事象、第二事象は解明された事象である、そして解明された事象は自らの力として利用することができると、結歌は続けた。第一事象で解明されている事柄、例えるならば「火」だろう。人間以外の生き物は火を恐れる。自らの力として、また自らの生活の一部として取り入れている生物は人間だけだ。人間は火の特性を理解し、火の仕組みを理解し、火の扱い方を理解した。だからこそ自らの力として、道具として扱うことができるのだ。
第二事象にしてもそれは同じこと。魔術によって解明された第二事象は魔術によって利用される。例えば「封印術式」だ。結歌は連夜の記憶を封印しようとした、だがそれは、脳に刻まれた記憶ではない。魂に刻まれた記憶だ。全ての魔術師が最初に解明する第二事象、それは自らの魂である。それぞれにごく小さな差異はあれど、魂の本質は共通して同じ。魂に刻みつけられた記憶の場所も、その摘出方法や封印方法も全て同じなのだ。いわば魂は魔術的要素の皆無である科学、この場合は医療的なアプローチでは確認することのできない、一種の臓器と言っていいだろう。
つまり記憶の封印処理は魂という第二事象を理解し、魔術的な手段によってのみ手を加えることができるということだ。
だが、魂という存在を解明できたとしても、死後その魂がどこへ導かれるのか……それを解明した者はいない。だが人間の死後、その者の持つ魂が消滅するわけではないことだけは解明されている。死亡した人物と全く同じ魂を持つ者が後の世に生を受ける例はいくつも確認されている。だが、そこに至るプロセスを解明するには至っていない……。つまり、これが第三事象の最たる例なのである。
「さて、私達魔術師は魔術を持って第三事象を解明するわけですが。人の手を介して制御のされていない第三事象は、全くの未知のものです。人間に対し害のないものもありますが。暴力の塊のようなものも存在します。私達魔術師は人間に対し牙をむく第二事象、及び第三事象を「魔」と呼称しています。伝承上の存在、悪魔から取ったものですが、これはあながち間違いではありません。彼らの存在もまた、第三事象の一つですから。――さて、あなたが目撃したアレですが……。もう大体の察しはついていることでしょう、あれは「魔」です。ただし、対処方の分かっている第二事象の、ですが」
魔術的手段でしか解明できない第二事象、だがそれは裏を返せば、魔術の素養のない一般人だと無力だということ。
あの時、結歌がいなければ連夜は今頃、いくつもの肉片へと変貌していたことだろう。
その事実に思い至り、連夜は今更ながらその身を緊張に強ばらせた。
「さて、十六夜君、貴方の知りたいことは説明したはずですけど……なにか質問はありますか?」
「質問……いや、大丈夫だと思う。知りたかったことは大体解った……。あ、いや待ってくれ、一つだけ聞いてもいいか?」
結歌の言葉を受け、連夜の脳裏にふと一つだけ問いたいことが浮かんだ。
「あの時俺に投げたペンダント、たしかタリスマンって言ったっけ……あれは何なんだ? それにこれ、返さないと」
ジャラ、と机に置かれるペンダント。こうして灯りの下で見れば、その無骨な作りがより際立って確認できた。金属のチェーンの先に金属の板が下げられている。そこに刻まれるシンプルな紋様。飾り気の全くないそれは、ペンダントと言うよりもドッグタグと呼称するほうが適切に見えた。
「いえ、これはまだ貴方に渡しておきます。先ほど封印した「魔」ですが、あれで終わりではありません。例えば火事の時、全て消さず火種を残しておけばそこからまた燃え広がる可能性があるでしょう? つまり今回の「魔」も同じことです。今回封印したのは本体ではなく、ほんの端の一部分、本体はいまだ健在です。本体に対し適切な処理を行わなければいずれ被害が大きくなり、人々の知るところとなるでしょう。――そしてそのタリスマンですが、「ᛗ(マン)」と「ᛉ(エオロー)」のルーンが刻まれています。意味は人間と守護、ルーン魔術の一つです。あまり強力なものではありませんが、とりあえずの加護は得られるはずですので、持っていてください」
他になにか質問は? と問う結歌に連夜は否定の意を伝える。
「知りたいことは大体解った、ありがとう望月。これで望月も俺をこの家に置いておく必要もないだろ? なら俺はもう家に帰るけど、いいよな?」
腰をあげようとする連夜に結歌は呆れたように嘆息を漏らす。
まさかこの馬鹿者は自分の状態を理解していないのだろうか。
「なんだよ、まだ何か?」
そのまさかである。
「えぇ、ありますとも。十六夜君、貴方今の自分の状態を理解していますか?」
そう、連夜は先ほどの一件で傷を負っているのだ。一つ一つの怪我は大きなものではないが、如何せん数が多い。結歌が既に簡易的とはいえ血止めの痛覚の緩和作用のある魔術をかけていたのはいいのだが、そのまま放置すれば、効能の切れた頃に連夜は痛みにのたうち回ることになるだろう。
「あぁ……そういえば、怪我してたんだっけ。望月の話があまりにも衝撃的だったから……つい、な」
実はこの男、馬鹿なのではなかろうか。
そう考えた結歌に罪はないだろう。
「そのまま座っていてください。貴方には治療を受けたうえで帰ってもらいます」
よろしいですね、と有無を言わせぬ強引さで結歌は連夜の腕を取った。
「それでは治療を開始します」
そう告げる結歌だが、彼女の手に治療道具はない、部屋を見渡してもそれらしい物体は見受けられなかった。
「治療って……道具もないのにどうやって」
困惑したように傍らに立つ結歌を見る連夜だが、呆れたような目で見返された。
「そんなこと……魔術に決まっているでしょう……何を呆けた顔をしているのですか、できますよ、そのくらい。――いいですか? そもそも私たち現代の魔術師の扱う魔術は術者のイメージに大きく依存します。この場合のイメージは、そう、傷の治った状態の体ですね。……ですが、ただイメージするだけでは足りないのです。適切な知識が必要であり、傷が治る工程をしっかりと把握している必要があります。そうでないと表面上、皮膚だけ繋がった状態で、皮膚の下は損傷したまま放置されることになります」
それでは、と結歌はその言葉に続けてその目を閉じる。
「――治癒術式、始動」
イメージするだけ、言葉にすればそうだが、先ほど結歌が口にした通りそれは容易いことではない。だがしかしそれを容易く行うことからこの少女の実力は押して知るべし。
だがしかし、自らの傷が仄かな光を放ちながら塞がっていくことを見ることのなんと奇妙な感覚なことか。
「ほら、終わりましたよ」
見れば無数にあった傷口は全て跡形もなくなっており、そこには無傷な肌があるだけだった。
「あ、ありがとうな望月」
「礼など不要です、私は必要なことをしたまでです」
結歌は紅茶を一口飲み下した。
「ほら、今日はもう帰ってください。わかっているとは思いますが……くれぐれも今日見たことは他言しないように、そうでないと私はあなたを始末しなければならなくなります」
連夜は結歌のその物騒な言葉を最後に屋敷を後にした。家に戻るが結局ドリンクを買い忘れていたことを思い出すも再び外に出る気力がわかず結局そのまま自室に戻りベッドへと潜り込んだ。
脳裏をよぎるのは先ほどの魔術の解説……そして黒い風のことだった。
いつも周りとずれている気がしていた、自分の時間が本当でないような気がしていたのだ。だがどうだろう、あれほどの恐怖を経験したというのに、魔術などと荒唐無稽なはずなのに、何故だか違和感がピタリと嵌まり込む感覚がしたのだ。これこそがお前の世界だと、これこそがお前の正しい姿だといわんばかりに。
否、ありえない。連夜にとって魔術との会合はこれが初めてであり、正しい姿などありはしない。あるとするならば魔術と出会う以前の連夜こそが正しい姿であるはずなのだ。
そう自らに言い聞かせるも心が、感覚が、戻ってきた、帰ってきたと叫んでいるのだ。