ハジマリ
内容をだいぶ変更したので一度ほとんどの話を削除した上での再投稿になります
暴風、立っていることすらやっと、足を踏み出すことすらままならない程の風が吹き荒れている。砂塵が舞い上がり肌を叩く。木々は今にも倒れそうだと、その身を軋ませ悲鳴をあげている。薄らと目を開いてみれば黒い風が舞い狂う様が見てとれた。
そう、黒い風だ。この風は視界に映る。半透明ではあるがしっかりと色を持っているのだ。そんなもの、常識の範疇でありえる現象ではない。だが、そんな中に悠然と立つ少女の姿があった。彼女は、この目に見えて異常な光景に臆することはなかった。いや、まるで彼女自身がこの異常の一部であるかのように、その時は見えた。
彼女はその口角にうっすらと微笑みさえをも浮かべている。少女の視線の先、そこにはこの黒い風の爆心地とでもいうべきか、それらが密集している一点があった。これはそこから発生し、爆心地に近づく者を拒んでいるのだろう。
少女がおもむろに足を踏みだせば、風は彼女の進行を全力を持って拒むかのように、一層激しく吹き荒れた。少女よりも爆心地から距離のある自分ですら立つことがままならない程の暴風なのだ。彼女の受ける抵抗は生半可なものではないだろう。
だが、それほどの風でさえ彼女の歩みを止めることは叶わなかった。もはや彼女にとってこの風など無いも等しいものなのかもしれない。だが、それ以上足を進めるのならば、そうも言っていられなくなるだろう。彼女が足を進める先、そこにはその黒い風が密集しているのだから。
半透明な黒い風はまるでその身で何かを隠すように、何かを護るように。その身を幾重にも重ならせることで、黒く、そして昏くその中身を隠してしまっている。
今自らの置かれている状況をほんのひと欠片すら理解できないが、本能的に気づいてしまった、その中に隠されているもの、その危険性に。
そう、だからこそ、少女がその風の塊に手を伸ばした時、声をあげてしまったのだろう。
「――望月! ダメだ!」
少女は弾かれたようにこちらを見た。少女にとってこの場に自分がいることなど想定外もいいところだったのだ。
「それに触っちゃだめだ! それは――」
言いかけた瞬間だった。全身にゾクリと悪寒が走る。敵意、悪意、そういった負の感情が向けられ肌がチリチリと焼けるような感覚を覚える。瞬時に異変を悟った少女は即座に後ろに飛び(とび)退り(すさり)、後退した。それが合図となったのだろうか、今までただ侵入を拒むだけだった黒い風が牙をむいた。さしもの少女もこれを無視することはできなかったのだろう。腕で顔を庇いながら迅速に退却する。荒れ狂う風に彼女の長い髪もはためくが、地を抉り、木々をも切り裂くその暴風はどういうわけか彼女を害することはできないようだった。
その様子からひとまず彼女は無事であることを知り安堵するものの、この黒い風の攻撃目標は少女だけではなかったようだ。周囲のものを見境なく抉り切り裂くそれは少女と同じく侵入者である自分にもその牙を向けるだろう。しかし、自分はこの迫り来る脅威を凌ぐ術など持ち合わせてなどいない。無駄だとはわかっているが回避を試みる。もはや自らがこの脅威から逃れる術など他には存在しないだろう。
どうにか回避先を模索するのだが、右も左も、そのどちらも行く手を阻むかのように風が破壊の爪痕を刻む。残る選択は前か後ろか、前進か後退かその二択だ。前進など馬鹿げている、あの黒い暴風の最中に飛び込むなど、自殺行為もいいところではないか。では残る選択は後退。それを置いて他にありはしない。そう決め、一歩、後ろへと足を踏み出した時だった。
「――っ!」
全身を駆け巡った怖気に体が硬直した。体は金縛りにあったかのようにピタリと動きを止め、それとは対照的に心臓は激しく鼓動を刻み、全身の汗腺から汗がどっと吹き出した。
これは、だめだ。
そう分かってしまった。あれは人の手に余るものだと。あれに狙われたが最後、逃げ道などないと。そう理解してしまった。
それでも、と。震える体に鞭打って強張る足を一歩、小さく一歩後ろへと動かした。
――ザリッ
震える足で捉えた地面が音を立てる。その音は荒れ狂う暴風のなかでいやに大きく聞こえた。
一瞬の後、黒い暴風は地を削りながら目前に迫っていた。咄嗟に顔を庇いはしたがその防御は荒れ狂う風の前ではあまりに無力だった。服を切り露出した肌を裂く。追い打ちとばかりに巻き上げられた礫が肌を打つ。体がふわりと持ち上げられ、踏ん張っていた足は虚しく宙をかく。
気が付けば地面に叩きつけられていた。おそらくあの風の渦中にいた時間は一秒にも満たないだろう。それでも、今の状態を言い表すならば満身創痍が妥当なところだ。幸い急所を切り裂かれることはなかったが、それでも全身の裂傷は百にものぼるのではないだろうか。今はもう指一本すら動かせる気がしなかった。こうして横たわって闇色の空を眺めている間にあの風が止めを刺してくれることだろう。そう諦め、痛む体から力を抜き、そっと目を閉じた。
だが、いつまで待てども想定していた痛みは襲ってこなかった。肌を刺すような強烈なあの敵意は未だに感じている。見逃してもらったなどという楽観的な思考は捨てるべきか。
うっすらと目を開ければ長い髪をなびかせながら、自分を護るように立つ少女の姿があった。
「あなたはっ! 自分の身を守る術も持たないならアレを刺激しないでください!」
死にたいのですか! などと語尾に付け加える少女に、自分はただ圧倒されるだけだった。