原因
その夜、『魔』が発生した。
場所は最初に『魔』の発生した場所のすぐ近く。おそらくあの男も一緒にいると考えたほうがいいだろう。
二人は『魔』の発生場所へと急行した。
そこには黒い風が渦を巻いて存在していた。だが。
「――この程度なら、すぐ」
そう、今回の黒い風は今までと比べて小規模だったのだ。
接近すれば話は別なのだろうが、離れていれば立っていることすら困難、といったことはなかった。
だが、今はそれよりも……。
「あの男が……いない」
そう、黒い風の原因と思われるあの男の姿が見当たらないのだ。
「どこかに隠れているのかもしれません……油断しないように」
結歌は周囲を警戒しつつ、あの風に対処すべく術式を起動した。
最初に起動するのは人払いと隔離結界の魔術。人払いは初級の魔術で、その名の通り人を寄せ付けない魔術だ。隔離結界は魔術師が戦闘を行う際に使用されるのだが、その場の物体などを偽造した空間を作り、そこに任意の対象を落とし込む、周囲の物体に影響を与えないための魔術ではあるが、任意の対象を捉えて逃がさないという意味合いもある。
昨夜、あの男が連夜を捉えて逃がさないため、そして結歌の侵入を防ぐために使用した結界がこれだ。
「隔離――開始」
連夜は一度経験したことのある、あの世界がずれ込むような感覚に顔をしかめた。それはあまり気分のいいものではなくそう何度も体験したくない類のものだ。
「隔離――完了」
さて、と結歌が連夜を振り返る。
「私はいまからアレの対処を行います。あなたはなるべく近づかないで、自衛に徹してください」
無言で頷いた連夜を確認すると結歌は渦を巻く黒い風へと足を踏み出した。
瞬間、黒い風は巣を守ろうとする蜂のように結歌へと襲いかかる。
「無駄です」
だがその攻撃は当然のごとく結歌に届くことはなかった。
「――すごい」
記憶が戻った今ならば解る、魔術師としての結歌の完成度の高さを。
彼女の才覚は本物だった、この歳で望月の名前を継いだだけのことはある。
前回に比べ小規模とは家この黒い風はその一つ一つが強靭な刃となっている。並の魔術師ならば苦戦しているところだろう。
ところが彼女は文字通りどこ吹く風、と歩みを進めている。
「――おっと」
黒い風の攻撃の手は少し離れた場所に立つ連夜にも及んでいた、
連夜は幼き日に学んだ防護結界を身にまとい、黒い風をかき消すとは行かないまでも勢いを殺し、魔力を通した右腕で弾き、逸らしていた。
結歌は足を止めることなく前進しており。随分と黒い風の渦に接近していた。あの様子ではもうじき『魔』の封印に入れることだろう。
それよりも連夜はあの男が姿を現さないことの方が不気味だった。
てっきり結歌が『魔』にかかり切りになっている今こそが狙い目だと思っていたのだが。
――違う、結歌が手を離せないのは今じゃなく、封印に入った時だ
「結歌――」
その可能性に気づいた時には既に遅く、結歌は封印のため黒い渦に手を伸ばしていた。
結歌が封印を開始したその瞬間、正に狙いすましたかのように木々の影から男が姿表した。
――まずい!
今、結歌は封印で手が離せない。自分の身は自分で守るしかないのだ。
男は周囲の黒い風を従え連夜へと駆け出した。
「――はやっ」
そのあまりの速度に連夜は対応が遅れた、咄嗟に防護結界に送る魔力を増やし、魔力を通した右腕を横薙ぎに払うが右腕は男の腕に掴まれ無駄に終わる。男は周囲の黒い風を束ねた強靭な刃で連夜の防御結界を容易く切り裂いた。
「まずっ――」
「――術式、起動」
男は連夜の胸に触れると彼の魔術源から魔力を取り出す術式を起動した。
「――う、あ」
「――摘出、開始っ」
だが、男の腕は弾かれたかのように連夜から距離を取った。
「……保護のルーンの刻んだタリスマン、か」
男は連夜の首から下げられたネックレスを確認すると忌々しげに呟いた
次の瞬間周囲を吹き荒れていた黒い風が掻き消えた。結歌が封印に成功したのだ。
「動かないでください」
振り返ると結歌がその手のひらに炎を灯し、立っていた。
「時間切れ……か」
「逃げようだとは考えないことです、その瞬間にはこの炎が貴方を焼き尽くします」
男は不敵に笑った。
「その位置からかね? 制御を誤ればそこの少年も巻き込んでしまうことになるが、いいのかな」
「見くびらないで欲しいですね、私がそのような失態を犯すとでも?」
男と結歌は連夜を挟んで対角線上に立っている、否、男がそうなるように立っているというべきか。
「十六夜君、こっちへ」
結歌の邪魔をすることは連夜の本意ではない、連夜は結歌の言葉に素直に従い結歌の後ろへと移動した。
「さぁ、これで貴方を守る壁はなくなりました……よもや逃げられるだとは、考えていないでしょうね」
「さて、どうかな」
男の余裕は崩れない。この状況で未だ逃れる術があるとでも言うのだろうか。
「逃がしませんよ、貴方には聞かなければならないことがあります。手段を問うつもりはありません、痛い目を見る前に話した方が賢明だと思いますが」
「聞きたいこと……それはあの黒い風、『魔』の原因……かね?」
男は嗤った、そんなことも気づいていないのかと。
「いいことを教えてあげよう、この私もあの『魔』の原因は知らない、否、知らなかったと言うべきか。何にしても私はこの『魔』の原因についてなんら関わりがなない。まぁ制御に干渉して都合の良いように利用したことは認めるがね」
「そのような戯言を信じるとでも」
男はなおも嗤い続ける。
「信じずとも構わないさ。ところで、今回の『魔』の原因を……知りたくはないか?」
「それを知っている……と」
男は笑みを深くした。
「あぁ、知っているさ、知っているとも。最もつい先程知ったことなのだがね」
まるで演者のように大仰に声を上げる。
「そう、原因は君の後ろにいる、その少年だよ」