救い
「お前……結歌か?」
「え――?」
「結歌……だよな、望月結歌、魔術師で、望月家の当主候補で、俺とよく遊んでた」
その言葉で結歌は全てを察した。
「なん……で」
連夜の記憶が戻っている。かつて結歌の父親が封印を施したというのに。
通常ならばありえる話ではない、彼女の父親も強力な魔術師だった、その父が施した封印が解け、記憶が戻ってきたなどと。
「何で俺忘れて……そうか、あの時結歌の親父さんに封印を……」
結歌の脳裏にあの時の目がよぎる。
――赦さない
「なぁ、結歌、これって」
「嘘……ありえない」
きっと連夜は自分を恨んでいる。
そう思うと、いてもたってもいられなくなり。連夜から少しずつ距離を取っ
た。
「結歌?」
連夜が不思議に思い問いかけた、その瞬間、恐ろしくなった結歌は弾かれたように駆け出した。
「――なっ、結歌!」
結歌は自室のベッドに身を投じ、布団を頭からかぶった。これは嘘だと、こんなことはありえないとつぶやきながら。その姿は普段の毅然とした姿からはまるで想像できないものだった。
翌日、望月家の邸宅の前に途方に暮れる少年の姿があった。
十六夜連夜だ、彼は昨日の結歌の異常とも言える状態を心配し、家まできたのだが……インターホンを押す勇気を出せないまま、門の前で立ち尽くしているのであった。
十分ほど経った頃だろうか、ようやく連夜がインターホンへと手を伸ばした時だった。
「――っ!」
ガチャリ、と望月家のドアが開いた。
「……いつまでそこでそうしているつもりですか?」
「結……歌」
そこにいたのは、ここ三日間で随分と見慣れた魔術師として毅然とした結歌だった。
「なんで……」
「ここは魔術師の家ですよ? 探知用の結界くらいあります」
つまり結歌は連夜の来訪を十分も前には既に察知していたということだ。
「そのっ、昨日はありがとう、それと……話したいことがあるんだ、大丈夫か」
連夜の言葉に結歌の肩がびくりと跳ねた。
「……いいでしょう、私も話したいことがありますし」
とにかく入ってください、と、結歌は門を開いた。
いつものように連夜を洋間へと案内すると、結歌は手馴れた様子で紅茶を淹れ始めた。
この部屋に来るのは既に三度目になるが、昼間に来訪したのは初めてのことだ。夜に訪れた時とは違い、暖かな印象を受けた。
「それで――?」
紅茶の準備を終え、連夜の対座へと腰を下ろした結歌が口を開いた。
「それで、貴方の話したいこと、というのは記憶のこと……で合っていますか」
いつものように悠然としているように見える結歌だが、カップを持つ手が微かに震えているのがわかった。
「あぁ、俺は思い出したよ――全てを」
「――っ」
やはり、と言った表情で結歌が息を飲んだ。
「それで……」
「ん――?」
「それで……あなたは私をどうしたいのですか?」
結歌は震える声で問を投げかけた。
「どうしたいか……って、別にどうもしないけど」
「私は――!」
連夜の言葉を遮るように結歌が言葉を荒げた。
「私は、あの時貴方の助けに応えられなかった……貴方を助けられなかった」
もはやそこにはあの何事にも動じない、完璧な姿の結歌はいなかった。ただ、怒りに触れることが恐ろしくて怯える一人の少女がいるのみだった。
「私は、私たちは貴方に恨まれても仕方のないことをしました。ですから、貴方の怒りは、恨みは私が引き受けます」
連夜の怒りと恨みをこの一身で受け入れる。結歌は代償に何を要求されても構わなかった。むしろそうされることが連夜に対する最大の贖罪であると信じて疑っていなかった。
「結歌、そんなことをしなくてもいい、俺は何も結歌を恨んでいるわけじゃない」
「――嘘です、あの時あなたは確かに『赦さない』と言いました、その言葉の通り貴方を助けられなかった私は赦されるべきじゃない」
『赦さない』あの日から結歌はその言葉を思い出さなかった日はなかった。あの時の連夜の様子は尋常ではなかった、だからこそ、それが連夜の心の底からの言葉だと信じて疑わなかったのだ。
「あの時の言葉は、俺が言った言葉じゃない」
だが連夜の口から放たれるのは否定の言葉だった。
「何を……確かに私はあの時あの言葉を聞きました、確かに『赦さない』と」
記憶違いの訳がない、あれほどの呪詛の込められた言葉を結歌は知らない。
「違うんだ、確かに言ったのは俺だけど、俺じゃない。」
連夜は紅茶を一口飲み下すと、深く息を吐いた。
「結歌、『魔』の落とし子って知っているか?」
結歌は静かに頷いた。
「俺は、その『魔』の落とし子だったんだ」
『魔』の落とし子それは人に害をなす『魔』が子供を身ごもった母体に影響を与え、自らの因子を産み付けることを言う。生まれてきた子供に外見的に異常はない、だが唯一違うことは魔が与えた魔術源と本来持っている魔術源の二つを持つことである。一般の子供であれば『魔』の与えた魔術源に宿る意識に抗うことができずその体を乗っ取られてしまう。
だが、遺伝的に一般人より強力な魔術源を持つ魔術師の子供は違う、大抵『魔』の意識はその強力な魔術源を前に体を乗っ取ることはできずに消えていく。そしてその魔術師は2つの魔術源を持つメリットしかないのだ。
「だけど、俺は違った、俺に魔術源を植え付けた魔は随分と強力だったようで、その魔術源も強大なものだった。それに対して俺の持っている魔術源は平凡すぎた。一般人に対してみれば破格のものだったけど、魔術師としては落第ものの魔術源だ」
幼い連夜は矮小な自分の魔術源を嫌い、『魔』の与えた強大な魔術源を好んで使うようになっていった。
「そして、その魔術源を使えば使うほど、『魔』の意識は俺を侵食していった」
かつて結歌が天才だと感じていた連夜はその実『魔』の与えた力を使っていただけで、真実優秀だったわけではなかったのだ。
「父さんは俺のその危険性に気づいていた……だから俺の魔術源と記憶を封印することに決めたんだ。――だから、あの時の言葉は俺のものじゃなくて『魔』の意識が言ったことで、あれは俺じゃない。俺は結歌を恨んでない。だから結歌が謝ることはないし、気にする必要もないんだ。俺は結歌を赦しているよ」
その言葉に結歌の感情が決壊した。とめどなく涙が溢れ、こぼれ落ちていく。やがてそれは嗚咽に変わり、両手で顔を覆い隠してしまった。
――赦さない
その言葉がずっと胸に刺さっていたのだ、それが今日赦される日が来た。連夜は結歌を恨んでなどいなかった。その事実が何よりの救いだった。