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お待たせいたしました。
「佳暁、本当の事でも伊音を泣かせるのは許さないよ?」
大我が、佳暁を睨みながら冷たく言う。伊音の頭を胸に抱いて泣き顔を見せないようにしている。
「一番重症だったのお前じゃん」
「だから?」
「うっ…」
大我のMAXに怒った笑顔は、誰にも何も言わせない程の力がある。
佳暁の言う事件とは、高等部一年生のバレンタインでの出来事だ。伊音は、サッカー部みんなの為に生チョコを差し入れたのだ。当時少年の様な見た目であったが、自慢の美人マネージャーからの手作りチョコで、サッカー部全体がかなり盛り上がっていた。
モテるモテないに関わらず、やはりチョコは貰えると嬉しいものである。しかし、このチョコには怖ろしい落とし穴があったのだ。
そう…伊音は、料理をした事がなく何と無く美味しいと思う物を混ぜ込んでチョコを作ったのであった。その結果、サッカー部全員が食中りになり入院。大我は、無理して食べて完食させた為一週間意識を失くし、一ヶ月も入院する羽目になったのだ。
佳暁は、危険を感じ舐めただけで吐き出したが、舌が痺れてまともに食事が出来ないだけでなく、話す事も出来なくなってしまった。
「次の年には、格段に旨くなったの食べただろ?」
「そうだけど…」
次の年、伊音は部員には二度と作らないと決めたがリベンジしなきゃ駄目だと言われ、必死に練習したのだ。
「この一年、伊音にどんな料理を教えても全く成長しないのに、高二の時に練習した生チョコは、今でもきちんと作れるんだ」
「だから?」
「当時、生チョコの練習に付き合ったのは、もちろん怜央ちゃんだ。つまり、怜央ちゃんなら伊音に教える事が出来るはずなんだ」
生チョコなんて、溶かして混ぜるだけで全く何にも教えてないのに…。
怜央は、高校の頃の調理実習を思い出し身震いした。レンジが爆発した事や一瞬にして灰になった魚や肉を思い出す。
「だけど、バイトもあるし…」
「バイト代も払うよ!今のバイトの倍出してもいい!」
倍…。
家計の事を考えると正直助かる。なぜなら、怜央のバイト代から食費や日用品の支払いをしているからだ。
「麻人君の許可も取るから!」
「え?」
「怜央ちゃん、家の事しなきゃならないだろ?もしかしたら、帰るのも遅くなるかもだし、家族の許可もいるだろうし」
麻人とは、怜央の兄。そして、佳暁と大我の部活の先輩でもある。昔っから二人を可愛がっていて、今でもよく呑みに行っているのを知っている。
「先に許可をもらおう…」
大我が携帯を取り出そうとした時、怜央は慌ててそれを止める。
「待って!お兄ちゃんには、私から連絡する!」
「そう?それは助かる」
大我は、にっこり笑って携帯をポケットにしまう。
「週2回くらい来てくれると助かる。平日の学校終わってからだから、帰りは俺が家まで送っていくよ」
「いいよ!一人で帰れるし!」
「明るい時間に帰れるとも限らないし、俺の家からだと怜央ちゃんの家遠いしね」
いつの間にか大我の思惑通りになっているのにも気付かず、どんどん話が進んで行く。怜央は、どうしたらいいかわからず困っていると、大きな溜め息が聞こえた。
「トイレ行って来るから、その間にこの話終わらせといてくれ。俺には関係ないから」
そう言って、佳暁はさっさと行ってしまった。「関係ない」の一言が、怜央の中で引っかかっている。そんな言い方無いのに…。
そう思った時に、怜央の携帯が鳴った。
「珍しい。怜央がマナーモードにしてないなんて」
「すっかり忘れてた」
いつもは、兄から定期的にメールがあったのだが結婚してから夜にしか来なくなっていたので、忘れていたのだ。着信は、さっきトイレに行ったはずの佳暁からだった。
「もしもし?」
『さっさと出ろよ。怪しまれるだろ』
「ごめんなさい」
『まぁ、謝る事じゃないが…。てか、何大我の戦略にまんまとハマってんだよ』
「え?」
『大我の中で怜央が了承したって事になってるぞ。見てみろ、絶対あいつ笑ってるから』
そっと大我を見ると、伊音の頭を撫でながら満足そうに笑っている。
「どうしよう…」
『こうなったら腹を括るしかない。とにかく、俺の言う通りに伝えろ』
「え?」
『怜央の家族は俺だろ?だから、俺の許可が必要なんじゃねぇか』
「家族?」
『そうだろ。俺とお前は、ふっ、夫婦だろ!』
佳暁からそんな言葉が出ると思ってなかった怜央は、少し嬉しく思ってしまう。
「わかった。伝えてみる」
怜央は、通話をそのままにして大我の方を向く。佳暁に会話が聞こえる様に携帯の位置を少しずらす。
「大我君、家族から大丈夫だって」
「本当!?ありがとう!!」
『ただし、条件がある』
『ただ、条件があるの』
「何?何でも聞くよ!」
『月・木限定で、帰りの迎えは俺がするから大我の家の近くのショッピングセンターに送ってもらえ』
「え?でも…」
『大我に送ってもらったら、家がバレるし俺が迎えに行ったらもっと問題だろ。とにかく、伝えてみろ』
「月曜と木曜だけで、帰りは大我君の近くのショッピングセンターに送ってもらっていいかな?買い物して迎えに来てもらうから」
「え?でもさぁ、それだったら俺が買い物一緒にして送ってもよくない?」
大我にそう返されて、怜央はどう返していいかわからない。
『大我の奴、珍しく食い下がってくるな。じゃあ、義姉さんと一緒に献立決めるから丁度いいんだって言え』
「え?」
『麻人君から何かあった時に岬さんの名前利用しろって言ってたから、伝えてみろ』
「う、うん。えっと、みさ姉が一緒に献立考えたいかららしいんだけど…」
「岬さんが?ならいいんだけど、本当にそれでいいの?」
「大丈夫!」
「ならいいんだけど…」
助かった…。
怜央は、安堵の溜め息をつく。大我から逃げ切る自信が全くないので、佳暁に感謝でいっぱいである。
『怜央、安心するなよ』
「え?」
『俺が席に戻るまで、肯定も否定もするな。笑ってスルーするんだ』
「大丈夫だよ」
『大我は、さらっと爆弾落としやがるから安心出来ない。気を付けろよ』
「わかった」
通話を切って前を向くと、目を真っ赤にした伊音が何度も頭を下げていた。
「頑張ろうね」
「うん!うん!!」
教える恐怖があるが、伊音が喜んでくれるなら頑張ろうと思う怜央であった。
「話終わったのか?」
「トイレ長くねぇ?腹でも壊したのか?」
「うるせーな。教授に捕まったんだよ」
佳暁が、溜め息をつきながら席に着く。
「さっさと飯食おうぜ。次の講義に間に合わなくなる」
「あぁ」
「佳暁、怜央ちゃんが了承してくれたんだ!」
「あっそ」
「何だよ。冷たい奴だな」
「別に俺には関係ないね」
一瞬だけ目が合ったが、すぐ逸らされてしまった。だけど、怜央ははっきりと見てしまった。佳暁の頬が少しだけ赤くなってる事を。
昔っからこうだった。佳暁は、口下手で素直じゃない。だけど、本当は気遣い屋で優しい人。
全く変わってないんだから…。
怜央の心にゆっくりと温かいものが広がっていく。少しだけ嬉しくなるお昼の出来事であった。
佳暁に夫婦と言って欲しくて書いた話であります。早く佳暁視点の話を書きたくてウズウズしております!