ここ数日、鳴浜山春菜は、どっから見ても機嫌がいい。
登場人物
成浜山春菜: ♀ 17才
高校2年生。片雪先生に対するミーハー心で科学部に入部。他の子より気が利くために割と気に入られ、それを無意識に恋愛感情と勘違いしてる。この物語の主人公。
片雪裕 ♂ 23才
新任の科学教師。なぜか美形で(笑)、女子に人気があるのだが、自覚が無い。科学や物理につよい関心があり、思い付いた理論は実験してみないと気がすまない。それは時に人体実験にも及ぶ。が、悪気はまったく無い。また、家の教育のせいで天然フェミニストでもある。
根九石郁音 ♀ 17才
春菜の恋のライバル(?)で、科学部副部長。ただし表面上は親友面。
隠岐亜樹緒 ♂ 17才
春菜の幼なじみで、科学部の幽霊部長。頭は回るのだけどアバウトな性格。血液型はO型まざりのB型にちがいない。実は春菜のことが好きだが、表に出さない。
ここ数日、鳴浜山春菜は、どっから見ても機嫌がいい。それはもう、教室で授業中でも、油断すると鼻歌が出そうになるほど。
対して、そんな春菜を見守っている昔なじみの隠岐亜樹男は、普段より機嫌が悪い……ように見えなくもない。見えなくもないが、あまり感情を表に出さずいつも不機嫌な印象のあるやつなため、普段と変わらないと言われればそんなに変わらない。
「女は気が変わりやすいからな」
亜樹男は、誰にも聞こえないような声でつぶやいた。
このふたりは暮井寺高校2年C組。同級生で、小学校以来のなじみではあるが、それ以上の関係ではない。
春菜にはすでに好きな相手がいるから、昔なじみ以上になりようもない。
待ち望んでいた放課後になると、春菜は後片付けももどかしく、バッグを振り回して教室を飛び出していった。
その姿を見送った亜樹男は、ヤレヤレといったようにため息をついて、ノンビリと帰り支度を続ける。
ばぁん!
音を立てて、実験室の扉が開かれた。
「鳴浜山か。扉は静かに開けるものだよ」
「ごめんなさいっ、先生!」
だが春菜の表情は謝罪のそれではない。
その教師はスラリとした長身で、けっこうな天然美形。あまり自覚がないようだが女子の人気は高い。片雪裕、25才、独身。職業は化学の教師。
春菜もごたぶんにもれず、片雪先生に恋心を抱いてしまっている。ほとんどそれだけを目的に、去年はサボりまくっていたはずの科学部に、今年は皆勤賞並の出席率を達成しつつある。
今日も放課後が来るとともに、片雪先生の顔を見るためにやってきたのだった。
だが、今日の片雪先生はあまり元気が無い。わからない人にはわからないだろうけれど、いつも見ている春菜にはなんとなくそう見えた。
片雪先生に、いったい何が……。
科学部には、片雪裕を目的に入ってきた女子が、一時はあふれかえった。
が……片雪先生にはそんな自覚も無く、皆が科学に興味を持っているものと思い、次々と高度な実験やその解説をはじめた。ために、授業の延長のような雰囲気になってしまい、1人また1人と、耐久力の尽きたムスメが消えていった。今ではほとんどが幽霊部員となり、春菜を含めて2人が残ってるだけに過ぎない。
男子も、一気にミーハー女の集会場となってしまった実験室に居辛くなって、ほぼ全員が幽霊部員と化していた。部長まで……。
「そう。科学部の危機なんだ。」
片雪先生を問い詰めた春菜は、事情を聞き出した。
「すべては、去年、野球部が夏の大会の予選で、十数年ぶりに1勝したことが原因だ。」
夏の高校野球大会。それは、日本中をアツくさせるスポーツの祭典だ。高校生のアマチュア試合に過ぎないのに予選からTVで放映され、新聞もニュースも他の話題を無視してそのことで持ちきりになる。
柔道部が地区大会で決勝進出したりハンドボール部が県大会で優勝したりしてもたいして話題にもならないが、野球部だけは予選の1回戦に勝っただけで大騒ぎ。連絡網で電話が回され大応援団を組織し、2回戦目には校長みずからが指揮をとって応援に駆けつけたりする。
暮井寺高校でも、そういうことがあった。
そのため、PTAにも教職員にも「めざせ甲子園!」というスローガンが盛り上がって予算増。そのぶん、活動の地味な科学部の予算が削られてしまったのだった。
実は、女子に妙に人気のある片雪裕への、他の教師によるイヤガラセでもあるのだが、本人は知る由も無い。
「鳴浜山さん、知らなかったのはあなただけよ?」
副部長の根九石郁音があきれたように言った。郁音は最初からこの部屋にいたのだが、春菜は今はじめて気がついた。眼中に入っていなかったわけだ。
「私はすでに、予算削減撤回を訴えて教員室や校長室に行ったんだから。ねえ、片雪先生?」
「ああ、ご協力ありがとう、根九石さん。」
片雪先生が微笑みかける。とたんに、春菜の顔がひきつった。郁音に、アドバンテージを取られた……!
「で、予算削減を撤回できたの?」
「うっ……そ、それは……」
成功していなかった。ならば、まだ春菜にも劣勢挽回のチャンスはある。
「もうどうしょうもないかな」
あきらめ顔の片雪に、春菜は勢い込む。
「片雪先生、あきらめちゃダメです! まだ何か方法があるはず……みんなで考えましょう!」
明らかに、自己アピールを狙う芝居がかった発言。郁音たちにはそのクサさがにおったが、片雪先生にはわからなかったようだ。
「そうだね……ありがとう、鳴浜山さん」
今度は、春菜が胸を(あんまりないけど)張った。形勢逆転だ。郁音の顔に焦りが浮かぶ。
「…で、どういう方法があるというの?」
「そっ、それは……」
答えられない春菜。一瞬で立場が元に戻ってしまった。
春菜がしどろもどろになっているところへ、いきなり扉が開く。
「やっぱりここか、鳴浜山。」
亜樹男だった。
「慌てるから忘れ物。ほら宿題のプリント。」
あくまで友達としての親切。そういう態度で亜樹男はプリントを渡す。
そこへ、片雪が嬉しそうな声を上げた。
「よく来てくれた、部長! 久しぶりだな。」
「あっ、そう言えば……!」
女子部員たちも忘れてたほど長く顔を出していなかったが、隠岐亜樹緒は科学部の幽霊部長だった。居辛くなっていなくなった男子の一人だ。
「実は科学部は……」
「ええ、話は聞いてます。」
亜樹男の態度は冷静だ。たしかに物理や化学は好きだけれど、科学部じたいにはそんなにこだわりが無い。ただ……。
副部長の郁音はイラついて言う。
「なんとか、予算を戻させる方法が必要なのよ。部長なら責任とってなにかアイディア出せないの?」
「なんだよ、普段は存在も無視しといて、こんなときだけ責任おしつける気か?」
険悪な空気になりそうだったところへ、片雪先生が割って入った。
「ここで喧嘩してもいいことはないよ。」
そして耳打ち。
「隠岐、女と口喧嘩しても男は勝てない。」ここは引いといたほうが貸しになるぞ。」
亜樹男は、片雪先生に多少の反感を持っている。が、彼が女子の心を捉えるキャラクターであることには多少敬意も持っている。
「そうですね。」
だからその言うことはけっこう素直に聞いた。だが郁音はそれで調子に乗ってきた。
「で? 早く出しなさいよ、アイディア。」
「まあまあ」
亜樹男はなだめるように掌を出す。
「そんな、ストレスを与えたっていいアイディアなんか出ないよ。リラックス。リラックスが必要だ。」
そう言うと、実験机の上に乗り、ゴロリと横になってしまった。
なんて無神経……という女子の冷たい視線なんか気にする様子も無く、カバンから一冊の雑誌を取り出した。
「あーーーーーーっ! 『アリスとテレス』の最新号!」
スットン狂な声をあげたのは春菜だった。『アリスとテレス』は、最近面白くなってきた科学雑誌だった。
「見せて見せて!」
「いや、俺が今から読もうと……」
「見せてっ!」
「…………ほら。」
春菜は、亜樹男からひったくるように『アリスとテレス』を取り上げ、夢中になってページをめくり始めた。ヤレヤレという顔で、亜樹男は肩をすくめる。だが郁音には笑い事じゃなかった。
「何でしょ、まあ……彼氏でも家来でもないくせに。」
春菜が反論する。
「いーじゃん。隠岐は私の言うことはきくんだもん。」
「隠岐も隠岐よ。なんでこんな女の要求に従ってるわけ!?」
亜樹男は体を起こして、
「ん~……まあ俺は、帰ってから見ればいいし。」
片雪先生がぷっと噴出した。亜樹男が不愉快そうに見る。亜樹男は一息ついて
「まあ、話をだな、元に戻してだな。」
主に郁音に語りかける。
「予算を元に戻してもらう方法が必要なんだろ?」
「そうだけど?」
「科学部らしく、理論的に対策を考えてみよう。まず野球部の予算が増えたのは、野球部に目立つ実績ができたからだよな?」
「うん。」
「で、科学部の予算が減ったのは、科学部には目立つ実績がないからだよな?」
「ええ。」
「じゃ、野球部並みの目立つ実績を作ったら、予算が増えるんじゃないの?」
ポン、と郁音が手を拳に当てた。片雪先生も感心している。
「なるほど、盲点だった!」
「けれど問題は、どうやって野球部より目立つ実績を作るかよ。野球部の『予選1回戦勝利』は、他の運動部の『県大会優勝』よりも重いのよ?」
郁音の突っ込みに亜樹男が考え込む。
「確かにそこが問題なんだ。野球部よりも注目されるには、全国優勝かまして全国紙の新聞に載るくらいの目立ち度が必要になる。」
「全国優勝? 科学部に全国大会なんかないでしょ、馬鹿馬鹿しい。」
あきれて亜樹男を見下した郁音だったが、突如、いままで参加してなかった春菜の声が響いた。
「あるみたいだよ。」
亜樹男、郁音、そして片雪先生の目が、春菜に、そしてその指差す先に注がれる。
科学雑誌『アリスとテレス』。そのページの片隅に、「科学実験全国高校生選手権大会 第一回サイエンス甲子園 開催決定!」「審査委員長:武内等先生」という、小さな広告があった。
つづく