誰にも会えないこと。
私は目が覚めると、どこか高いビルの一室で眠っていた。さきほどのせわしなさが嘘のように静寂に満ちた、時間の流れを感じさせない部屋。その部屋の静寂に一石が投じられる。
「うん?もう起きて大丈夫なのかい?」
背の高い初老の男性がドアを開けて部屋に入ってきた。
「・・・!!え、と・・・ここは?・・・・あ、あと、誰ですか?」
何とか声を絞り出すように質問する。
「ここかい?ここは私の家の寝室で、私はヴァルター・グライスだ。それでは、お嬢さんはどなたかな?」
温厚な笑みを浮かべてヴァルターは尋ねてきた。彼との話で分かったことはどうやら、私はあの手術室で気を失ったあと、黒髪のアンドロイドに抱えられてこのビルの前まで来たらしい。その後、そのアンドロイドは、私のことをおいて、どこかへいってしまったようだ。
「それと、さきほどからラファエルから連絡があってね。君のことを丁重にもてなすようにと仰せつかったよ」
ヴァルターは笑みをたたえたまま、私にコーヒーを淹れてくれた。
「どうやら、マザーコンピュータは私たちに秘密でひどいことをしていたらしいね。」
「ひどい、こと・・・?」
まだ頭がよく回らないのか、彼の言うことをただ反芻していた。
「これは、臨時の議会でちゃんと話しあわないといけないね。純粋な人間でなければ、何をしてもいいわけではないだろうに・・・。この前も軍縮について、反対派を煽るようなことをしていたな。まったく、エルザも何を考えているのか。・・・あー、それと、君。コーヒーは嫌いだったかな?たっぷり砂糖をいれたから甘いはずなんだが」
私はハッとして手に持ったカップを見た。先ほどから呆然としていて、折角入れてもらったコーヒーも全くの手つかずだった。
「ここは、都市、なんですよね・・・?」
今までの喧騒が完全に失われた場所が先ほどと同じ場所だとはとても思えなかった。
「ああ、そうだよ。さきほどまでは外もしばらくは騒がしかったが、随分と落ち着いたようだ」
もうノエルやリゼット達は、あのマンションに帰ってしまったのだろうか?私を置いて。
「・・・さっきの黒髪の・・・ノエルさんがどこにいったか知りませんか?ノエルが分からないんだったら、リゼットさんかモニカさんがどこにいるか知りませんか!!?」
私は訳がわからなくなって叫んでいた。立て続けにされる質問にヴァルターは困惑した表情をしていた。
「とりあえず落ち着いて・・・それと、涙をぬぐった方がいい。」
どうやら私は錯乱して泣き出してしまっているらしい。泣いたのは久しぶりだ。姉さんが死んだ時以来な気がする。
「先ほども言ったが、彼女、ノエルでいいのかな?彼女は、君を置いてどこかに行ってしまったよ。どこにいくとも伝え聞いていないが・・・探してみるかい?」
「お、お願いします・・・」
ヴァルターは小さな端末をズボンのポケットから取り出して、何かを入力した。その直後に端末上から立体映像が現れ、赤髪のメイド姿の女性を映し出した。
「ああ、ツィスカ?頼みたいことがあるんだ。ノエル、というアンドロイドを探してもらえないかい?髪は長い黒髪で・・・、あとは、型式とかは分かるかい?シャルロット?」
私は横に小さく首を振る。
「わたくしどもアンドロイドの基本モデルは黒髪でストレートロングです。旦那様、少々お時間を頂きますので、その間の食事はご自分でお作りください」
それだけ言ってそっぽを向こうとするアンドロイドに主人が慌てて、制止をかける。
「わ、わかった。それは自分で探そう。だから、君は、その分の時間を使って、私たちに最上の食事を用意してくれないかい?」
どうやら、この落ち着き払った紳士も、彼女には敵わないらしくひどくたじろいだ。
「承知いたしました。」
メイドが深くお辞儀をすると、通信は切れた。
「そういうわけなんだ。だから、少し外でも歩かないかい?もしかしたら、ノエルが見つかるかも知れないよ」
「はい・・・」
その後、私たちは都市内を歩き回ったが、結局、ノエルにもリゼットにもモニカにも会えなかった。途中で、大きな何か大きな爆発があって3つのくぼみができている道路や、私とノエルが一緒に通ってきた排気パイプやら、病院のような施設などがあったが、どこにも彼女らの手掛かりになるものはなかった。
「旦那様、お帰りなさいませ。夕食の用意はできております」
「ああ、ありがとう」
ヴァルターは、上着を脱ぐと、メイドにそれを手渡して私の顔を伺う。
「・・・」
主人が少女の扱いに手を拱いているのを見て、メイドが屈んで少女の両肩に手を添える。
「お嬢様、お食事にしましょう。わたくしめが手によりを掛けてお作りしました。ぜひ、食べていただきたいのです」
耳元で囁くように、小さく、優しい声が私の頭に響いた。呆然自失だった私はその言葉に誘われるように、彼女が導くままにテーブルに着いた。
「それでは、頂きます」
「・・・いただきます・・・」
私は、しばらく食事を眺めているだけだった。都市の外では、見たこともなかったものがテーブルの上に並んでいる。そして、都市の外で見たこともない人たちと一緒に私は居る。
そんな思いを振り切って、やっとのことで食事に口をつける。
「・・・どうですか?お口に合いましたか?」
ツィスカがやや困ったような表情でこちらの様子をうかがってくる。
「・・・おいし、い・・・です・・・っっ・・・」
涙。涙が溢れてくる。何故か、昔の楽しかった日々が脳裏を過ぎる。皆はどこにいったのだろう?どうして私を一緒に連れて行ってくれなかったのだろう?姉さんもノエルさんも皆、私を置いて行ってしまった。今は他の誰がそばにいてくれても、一人ぼっちだ。
「・・・辛かったね。でも、もう昔のことは、忘れよう。でも、もう大丈夫だ。皆、君の味方だよ。だから、大丈夫だ・・・」
昔のことを忘れる?皆が味方?違う。そんなことを言ってほしいわけじゃない。私は何も忘れたくないし、あなたの言う皆と私の言う皆は違う!!
細くやわらかい指がそっと、私の頬に触れた。
「お嬢様・・・これからはわたくしめが旦那様とお嬢様を幸せにしますゆえ・・・泣かないで下さい」
・・・今、はっきりとわかった。この人たちは、私が都市の外で死ぬような思いをしていて何とかしてここに避難してきたと思ってる。そうじゃない!そうじゃない!!全てが逆。
「・・・ツィスカ、今はそっとしてあげよう。夕食は、私の部屋に運んでくれるかい?」
「かしこまりました・・・」
遠くで、会話が聞こえた。私から全てが遠のいていく。涙でぼやける視界にいつまでもあったのは、どこか懐かしい機械の指の感触だった。