エピソード0 〜転生したら最強?否、転生しなくても最強〜 十神 泪編
このエピソードは霊業外伝を読んでからをオススメします
ヒュー…ヒュー…
暗闇の中。
血にまみれた体を地に預け、十神はただ冷えていく感覚を受け入れていた。
十神(まただ、まただ、まただまただまただまただまただまただまただまただまただ…また俺は)
肺が裂けたように、呼吸が漏れる。
ヒュー…ヒュー…
十神(あと何回こうなればいい…あと、何回、何回、何回、何回…こうなれば、助かるんだ)
思考は鈍い。
考えることすら、もう面倒だった。
十神(……あぁ、まただな)
薄れゆく意識の中で、ぼんやりと結論だけが残る。
十神(1からだ、戻れ)
ちゅんちゅん...
雀が鳴いている...
十神の体がゆっくりと起き上がる
布団の上。
その瞬間――
アラームが鳴り響く。
耳障りな電子音。
同時に、階段を駆け上がる足音。
ドタドタと勢いよく近づいてくる。
扉の向こうから声。
???「兄ちゃん!起きてるか!」
ドンッ、と扉が叩かれる。
十神「あぁ、扇...起きてる」
扇が勢いよく扉を開ける。
扇「兄ちゃん!飯できてるから早く食べて、俺に十神家の技...教えてくれよ」
十神が視線を逸らす。
十神「...いや、まだ早い」
扇が口を尖らせる。
扇「えぇ〜?まだ?早くしてよ、なるべくね」
十神「未来視もろくに使えてないんじゃまだまだだな」
扇「ちぇ〜」
――――――
朝食を終え、街を歩く十神。
人通りの中、どこか浮いている。
十神「あと1週間...」
ぽつりと呟く。
その足が、不意に止まる。
喫茶店の前。
ガラス越しに店内を見つめる。
十神「...」
何かを確かめるように、扉を押す。
カラン、と鈴の音。
十神「マスター!いつもの!」
店内の空気が一瞬止まる。
マスターが怪訝そうな顔をする。
マスター「...は、はぁ?初見さんにいつものって言われても、分からんよ」
十神が少しだけ目を伏せる。
十神「...そうだよな、カフェオレでたのむ」
マスター「お待ちを、」
静かな店内。
十神は席に腰を下ろす。
その視線は、どこか遠くを見ていた。
その日から一週間――
十神はただ街を歩き、同じ喫茶店に入り、カフェオレだけを飲んで帰る。
それだけの毎日を繰り返していた。
まるで何かを待つように。
まるで“決まっている未来”をなぞるように。
――――――
夜中。
扇の目を掻い潜り、静かに家を抜け出す。
向かう先は――廃れた工場。
錆び付いた地面を踏みしめる。
足音が乾いた音を立てる。
十神は立ち止まり、深く息を吸う。
夜風が頬を撫でる。
髪が靡く。
遠くの音が、やけに近く感じる。
感覚が研ぎ澄まされていく。
風が強くなる。
その瞬間――
工場の二階に、人影。
大きな黒い翼。
十神「何回みれば、終われるんだろうか」
低く呟く。
???「何を言ってるのか理解できませんね」
十神「理解しなくてもいい、鴉天狗」
鴉天狗「おや、私の名前...知っておられるのですね」
翼がわずかに広がる。
鴉天狗「なら話は早い、外冠死業に来ません...かッ!?」
言い終わるよりも早く――
空間が歪む。
十神の背後から現れる異形。
十神「阿修羅...」
三面六臂の神が、無言で踏み込む。
同時に――
十神「プロメテウス...」
別の紋章が展開される。
鴉天狗が咄嗟に回避する。
だが。
その“回避先”にすでに刻まれている紋章。
遅い。
紋章から巨大な手が現れる。
鴉天狗の体を掴む。
メリメリと空間が軋む。
巨人――プロメテウスが上半身だけを覗かせる。
鴉天狗をそのまま一階へ叩き落とす。
床が砕ける。
その瞬間――
天井。
静かに佇んでいた神。
鎖が断ち切られる。
十神「エルメス...」
檻が落ちる。
鴉天狗を完全に閉じ込める。
間髪入れず。
プロメテウスが両手で檻ごと押し潰す。
轟音。
一瞬で終わる蹂躙。
十神は微動だにせず、それを見ている。
十神「……」
まるで。
“最初からそうなると分かっていた”かのように。
十神「油断はしな...あ」
次の瞬間――
プロメテウスの掌、その隙間から黒い羽が弾け飛ぶ。
一直線。
十神の胸を貫く。
肺に突き刺さる感触。
息が止まる。
十神の膝が崩れる。
そのまま地面へ。
三神が霧のように消える。
静寂の中、鴉天狗が立っていた。
瓦礫の中から、ゆっくりと。
笑いながら。
鴉天狗「惜しいですねぇ」
――――――
ヒュー…ヒュー…
呼吸が漏れる。
空気が足りない。
視界が暗くなる。
十神
思考が滲む。
十神(今回は何が悪かった…)
血の味。
鉄の匂い。
十神(潰し損ねた…?いや…プロメテウスは全力だった)
かすれる意識。
十神(翼で覆って防御したのか…?)
脳が焼けるように痛む。
十神(足りなかったのか…)
手が動かない。
十神(もう一度…いや…あと何回やればいい…?)
鴉天狗の足音が近づく。
十神(あと、何回…)
思考が途切れる。
十神(だめだ…意識が…)
闇が迫る。
その中で――
最後に一つだけ。
十神「戻れ。」
――――――
ガバッ――
体が跳ね起きる。
荒い呼吸。
汗で濡れた布団。
現実。
また、最初からだ。
十神は、生まれたその時から“兆し”を持っていた。
霊力が二重に見える――それは能力保持者の証。
だが、その先がなかった。
十神「……」
見えるだけ。
使えない。
どれだけ訓練しても、どれだけ追い込まれても――
何も発現しない。
周囲は期待し、やがて失望した。
“持っているのに使えない”
それは、無いよりも残酷だ。
そんな十神を見兼ねたのが、先代の十神家当主だった。
先代当主「ならば、別の力を使え」
静かに告げる。
それが――十神家に伝わる秘術。
“十の神”を顕現させ、使役する術。
十神はそれを叩き込まれた。
理論も、制御も、すべてを。
血を吐くような修練。
だがそれは、確実に“力”として返ってきた。
異形の神々を従え、十神は幾度も死地を潜り抜けた。
だが。
それでも――
自分の“能力”は分からないままだった。
十神
答えはない。
そのまま時は流れ。
先代当主は死んだ。
残されたのは――
弟、扇。
そして。
十神家という重すぎる責任。
望んだわけではない。
だが、他にいない。
必然的に――
十神 泪は、当主となった。
当主となり、数多の経験を積み重ねた十神は――やがて禍津学園の教師という道を選んだ。
戦いの中でしか生きられなかった男が、“教える側”に回る。
それでも、背負うものは何一つ軽くならなかった。
そんなある日――
扇「わぁー!川だ!山だ!キャンプだ〜!」
久しぶりの休暇。
十神家としての重圧から離れるため、二人で訪れた山。
十神「遊ぶ前にまずテントをたてるか、」
扇「わかった...どうすればいいの?」
十神「テントを固定...」
その瞬間――
世界が、わずかに“止まった”。
風が消える。
音が消える。
時間が凍る。
ほんの一瞬。
十神「今の、なんだ、」
扇「兄ちゃん...?どうした?」
十神「いや、なんでもない」
違和感だけが残る。
正体は分からないまま、時間は進む。
――――――
テントを立て終えた後。
扇「兄ちゃん!川行ってもいいだろ?」
十神「あぁ、いいぞ、気をつけろよ」
軽い返事。
だが――
それが、致命的だった。
扇は未熟だった。
未来視も不安定。
霊を見る力も、制御しきれていない。
そして――
川。
霊が集まる場所。
水辺は、境界だ。
穏やかな流れでも、人は簡単に溺れる。
理由の多くは――“見えない手”。
十神が違和感に気づいた時には――
遅かった。
扇「うわぁぁ!」
視線を向ける。
川の中でもがく扇。
何かに引きずられている。
十神が地を蹴る。
十神(だめだ!扇っ!)
間に合わない。
理解している。
それでも――
口から言葉が零れる。
無意識に。
十神「戻れ!」
その瞬間――
世界が巻き戻る。
風が逆流する。
音が歪む。
景色が引き戻される。
――――――
気づけば。
テントを立てる前。
さっきと同じ位置。
同じ時間。
十神「……」
理解が追いつかない。
だが、一つだけ確信があった。
今のは――
“未来視”じゃない。
自分の中から出た、確かな“力”。
十神「まぁ...気のせいだろ」
一度はそう結論づける。
理屈が追いつかないものを、切り捨てるように。
十神は何事もなかったかのようにテントを立て始める。
杭を打ち、骨組みを組み、布を張る。
いつも通りの作業。
――だが。
心の奥に、拭えない違和感が残る。
やがて設営は終わる。
その直後。
扇「兄ちゃん!川行ってもいいだろ?」
その一言。
十神の心臓が跳ねる。
“知っている”感覚。
デジャヴではない。
もっと、はっきりとした――既視。
十神「……ッ」
振り返る。
言葉が出る前に、確信が走る。
十神「扇ッ!」
叫ぶ。
だが――
遅い。
視線の先。
川の中でもがく扇。
あの時と、同じ光景。
顔から血の気が引く。
十神
思考が止まる。
さっきの違和感。
さっきの“止まり”。
繋がる。
だが、考えている暇はない。
体が先に動く。
そして――
口が、勝手に動く。
十神「戻れ…!」
瞬間。
世界が巻き戻る。
風が逆流し、音が歪み、景色が引き裂かれるように戻る。
――気づけば。
テントを立てる前。
同じ場所。
同じ時間。
十神「……」
呼吸が荒い。
だが、今度は理解している。
偶然ではない。
錯覚でもない。
十神「……確定だ」
低く、確信を込めて呟く。
十神「俺の能力は――」
一拍。
十神「“時間を戻す”力だ」
帰還後――
十神はすぐに、自身の能力の検証に取りかかった。
再現。観察。仮説。反復。
感覚ではなく、“理屈”に落とし込む。
その過程で、いくつかの事実が浮かび上がる。
十神「……固定された時間点」
ある瞬間を“基点”として記録できる。
そして。
十神「戻れ、と命じれば――そこへ遡行する」
発動条件は単純。
だが代償や制約は未知数。
さらに検証を重ねる。
同一日の中で複数回の固定。
別日の固定。
距離差の影響。
――結果。
十神「固定は、上書き可能……回数制限は今のところ確認できない」
だが。
最大の疑問は残る。
十神(俺が戻った後の“時間”は……どうなっている?)
分岐か、上書きか、並行か。
“戻る前の世界”は消滅するのか、それとも進行を続けるのか。
もし続いているなら――
十神(あの時間の“俺”は……)
思考がわずかに淀む。
検証方法がない。
あるいは――あってはならない類の検証だ。
十神「……」
沈黙。
その時。
扇「兄ちゃん!」
現実に引き戻される声。
十神が顔を上げる。
十神「んあ?」
扇が覗き込む。
扇「最近仕事行ってないよね」
十神「禍津学園か」
扇「うん、やめたの?ニート?」
十神「いや、休職してるだけだ」
扇「ふーん」
――――――
十神は、この能力を当然のように“使いこなせるもの”だと思っていた。
失敗してもやり直せる。
見誤っても巻き戻せる。
だからこそ、確実に成果を積み上げていける。
そう信じていた。
毎朝。
起きてすぐに時間を“固定”する。
それが日課になっていた。
十神「……固定」
静かに呟く。
感覚が定着する。
基点が刻まれる。
――いつも通り。
だが。
その次の日。
十神は同じように意識を集中する。
十神「……固定」
沈黙。
何も起きない。
十神「……?」
もう一度。
十神「固定」
反応がない。
十神の眉がわずかに動く。
十神「……おかしいな」
さらに集中する。
だが――
何も“刻まれない”。
違和感。
いや、違う。
“拒絶”に近い感覚。
十神「……」
その時、気づく。
戻る。
試す。
十神「戻れ」
――発動する。
だが。
戻った先は、“昨日の朝”。
固定したはずの今日ではない。
十神「……は?」
再度試す。
結果は同じ。
どれだけ意識しても――
“固定点”が更新されない。
まるで。
最初に刻んだ一点に、縫い付けられているような。
十神「……時間じゃない」
低く呟く。
十神「これは……」
理解が、じわじわと追いつく。
十神「運命が、固定されてるのか」
背筋に冷たいものが走る。
自由に見えた力が――
初めて、“制約”を見せた。
考えること一週間――
十神は毎日、同じ喫茶店でカフェオレを頼み、眉間に皺を寄せ続けていた。
更新できない“固定点”。
縛られたような感覚。
答えは出ないまま、時間だけが過ぎる。
そして――
夜。
小腹が空き、十神はコンビニへ向かう。
帰り道。
店の外、壁にもたれて肉まんを頬張る。
白い湯気が夜気に溶ける。
その時――
視界の端。
空を横切る影。
十神の目が細くなる。
十神「妖怪か?霊か?まぁいい、行ってみるか」
軽く呟き、地を蹴る。
追う。
影を。
気配を。
やがて辿り着く。
山の麓。
そこに“それ”は立っていた。
静かに。
こちらを待つように。
十神が肩を鳴らす。
指が印を結ぶ形に入る。
十神「ふ〜...すまない、恨みはないが...ッ!?」
言い切る前に――
消えた。
次の瞬間。
目の前。
十神「はやっ!」
紙一重で身を捻る。
風圧が頬を裂く。
間髪入れず。
十神「阿修羅ッ!」
空間が裂ける。
阿修羅「ラッシャォラァァァ!」
三面六臂の神が踏み込み、妖怪へと叩き込む。
衝突音。
地面が抉れる。
だが十神は止まらない。
十神「スサノオッ!」
次の紋章。
荒ぶる神が顕現する。
巨大な大剣。
スサノオが前へ出る。
十神を庇う形で。
剣が唸りを上げ、空気を裂く。
対峙する。
黒い翼の妖怪と――
二柱の神。
夜が、張り詰める。
阿修羅とスサノオが前線で激しくぶつかる。
衝撃が連続し、地面が砕ける。
その後ろで――
十神は一歩も動かず、静かに戦況を見ていた。
十神「……」
観察。
分析。
最適解を探る。
だが――
その“余白”を、相手は見逃さない。
黒い翼が大きく広がる。
次の瞬間。
無数の黒い羽が放たれる。
一直線。
十神へ。
十神「――ッ」
避けきれない。
貫かれる。
胸を。
肺を。
衝撃。
視界が揺れる。
次の瞬間には――
暗転。
地面に倒れる感覚だけが遅れて届く。
ドサッ、と鈍い音。
十神「……」
呼吸が、壊れる。
ヒュー…ヒュー…
肺が裂けた音がする。
十神(肺が……貫かれたのか……)
空気が入らない。
出ていくばかり。
阿修羅とスサノオの気配が消える。
守りが消えたことだけが、遅れて理解される。
十神
思考が沈む。
だが。
最後に残るのは――“これ”。
十神「……戻れ。」
振り絞る。
確実に。
意識が途切れる直前。
その一言だけを、世界に叩きつけた。
ガバッ――
ベッドの上で体を起こす。
息が荒い。
胸を押さえる。
貫かれたはずの感覚だけが、生々しく残っている。
十神「……はぁ……はぁ……」
生きている。
確かに、戻ってきている。
その事実だけが、かろうじて現実を繋ぎ止める。
ドタドタ――
階段を駆け上がる音。
バンッ!
扇「兄ちゃん!ご飯!」
いつもと同じ声。
いつもと同じ勢い。
その姿を見た瞬間――
十神の中で張り詰めていた何かが、ふっと緩む。
十神「……」
安堵。
それと同時に――
涙が零れた。
音もなく。
扇には気づかれないように。
扇「なにぼーっとしてんの?冷めるよ?」
十神「……あぁ、今行く」
声はいつも通り。
だが内側は違う。
はっきりと理解してしまった。
十神(……俺は、一度死んだ)
それは事実。
覆らない記憶。
やり直せたとしても――
“死んだ経験”そのものは消えない。
十神(戻れるから大丈夫……そんな話じゃない)
呼吸が浅くなる。
十神(死ぬっていうのは……こんなにも、)
言葉にならない圧が、胸に残る。
静かに、しかし確実に。
十神を追い詰めていく。
十神「……」
何も言わず、ベッドから降りる。
その足取りは、わずかに重くなっていた。
十神は、朝食を口に運ぶ。
味はしない。
喉が拒む。
それでも――無理やり流し込む。
十神「……」
落ち着かせるために、外へ出る。
足は自然と、あの喫茶店へ向かう。
扉を開ける。
カラン、と乾いた音。
十神「マスター...いつもの、」
マスター「...初見さんの...」
被せるように。
十神「すまない、カフェオレで」
マスター「お待ちを...」
席に座る。
手はわずかに震えている。
カップを持つ指に、力が入らない。
それでも――
何も考えないように、ただ時間を潰す。
――――――
一週間。
何も起きなかった。
いや、“起こさなかった”。
あの山には行かない。
あの妖怪にも関わらない。
それでいい。
それで――死なない。
そう結論づけた。
――そして。
“その日”。
夜。
部屋の中。
薄暗い天井を見つめる。
十神「……」
静寂。
だが――
ドンッ!!
下から、大きな物音。
十神の目が見開く。
十神「あぁ?扇〜!どうした〜?」
返事がない。
十神「……おかしいなぁ」
嫌な予感。
胸の奥がざわつく。
ゆっくりと扉へ向かう。
開ける。
その瞬間――
空気が変わる。
静けさ。
異様な静寂。
そして。
肌を突き刺すような“圧”。
妖力。
濃密で、禍々しい。
十神の呼吸が乱れる。
十神「はっ...はっ...」
理解してしまう。
この感覚。
この質。
十神「……これ、は……」
知っている。
忘れられるはずがない。
十神「はっ...はっ...ど、どうして、どうしてだよ...!」
あの夜。
あの山。
あの“黒い翼”。
同じもの。
いや――
“同一”だ。
十神(来てる……こっちに……)
頭が真っ白になる。
回避したはずだった。
関わらなければいいと、そう考えた。
なのに。
なぜ。
十神(……逃げても、来るのかよ)
本能が警鐘を鳴らす。
本能が叫ぶ。
行くな、と。
関わるな、と。
だが。
十神の足は止まらない。
理由は一つ。
扇。
十神「……っ」
歯を食いしばる。
十神「……行くしかねぇだろ」
恐怖を押し殺し。
階段へと向かった。
阿修羅を音もなく顕現させる。
十神の背後に、影のように立たせる。
そのまま――
階段へ。
一段。
また一段。
足を運ぶたびに、空気が重くなる。
静かすぎる。
嫌な静寂。
そして――
終盤に差し掛かった瞬間。
血の匂い。
鉄の、濃い匂い。
十神の視界が揺れる。
十神(見たくない)
本能が拒絶する。
十神(このまま戻れば……見なくて済む)
逃避の選択。
だが。
十神(……確認しないと)
分かっている。
逃げても、意味はない。
歯ぎしり。
無理やり一歩を踏み出す。
背中を、自分で押す。
リビングの前。
手をかける。
普段は気にも留めない扉。
だが今は違う。
軋む音が――耳を裂く。
ギィ………
開く。
その先。
十神「あぁ...」
言葉にならない声。
視界に入る前から、分かっていた。
確認するまでもなかった。
十神「……戻れ。」
迷いはない。
即座に。
現実を切り捨てるように。
その一言を、叩きつけた。
ガバッ――
ベッドの上で体を起こす。
呼吸が荒い。
胸に残る“さっきまで”の感触。
ドタドタッ――
階段を駆け上がる音。
その音だけで分かる。
来る。
来てくれる。
バンッ!
扇「兄ちゃん...ッ!?」
扉が開いた瞬間――
十神は動いていた。
迷いなく。
扇の腕を掴み、そのまま強く引き寄せる。
扇「え、ちょっ――」
抱きしめる。
力任せに。
離さないとでも言うように。
十神「……」
言葉が出ない。
代わりに――
涙が零れる。
静かに。
だが、止まらない。
扇「……兄ちゃん?」
戸惑いの声。
当然だ。
理由も分からず抱きしめられているのだから。
それでも――
十神は離さない。
十神(生きてる)
腕の中の体温。
鼓動。
確かな“存在”。
十神
その一言だけが、頭の中で繰り返される。
だが同時に。
別の感情が、静かに芽を出す。
十神
さっき、確かに見た。
あの光景。
あの結末。
十神(俺が関わらなければ、起きないはずだった)
なのに。
起きた。
十神「……」
抱きしめる腕に、さらに力がこもる。
十神
理解しかけている。
十神(逃げても、無駄なのか)
静かに。
確実に。
“運命”が、こちらを見ている。
このままでは終われない。
十神の中で、はっきりと結論が出る。
十神(確実に……殺す)
逃げない。
避けない。
“止まった運命”そのものを、叩き壊す。
十神は涙を拭う。
その目は、もう迷っていない。
覚悟だけが残っている。
――――――
すぐに動き出す。
準備。
徹底的に。
術式の見直し。
神の選定。
展開順序の最適化。
一手、二手先では足りない。
十神(何十手先まで組む)
たとえ今回倒せなくてもいい。
重要なのは“情報”。
一度死んで、持ち帰る。
それを積み重ねる。
十神(繰り返せばいいだけだ)
自分には、それができる。
それが“武器”だ。
そして。
再び、夜。
同じ場所。
同じ気配。
十神「……来い」
迎え撃つ。
だが――
結果は、変わらない。
圧倒的な速度。
圧倒的な力。
十神の準備を、容易く踏み潰す。
十神「ッ――!」
防御が崩される。
神が裂かれる。
距離が詰まる。
黒い翼。
そして――
死。
戻る。
繰り返す。
また挑む。
また死ぬ。
何度も。
何度も。
何度も。
だが。
積み上がるものはあった。
十神「……名前」
息を荒げながら、呟く。
十神「鴉天狗……」
記憶の奥。
引っかかる。
十神「……百目鬼校長が、言ってたな」
外冠死業。
その幹部格。
常識外の戦力。
十神「……どうりで」
薄く笑う。
自嘲に近い。
十神「敵うわけがない」
だが。
十神の目は、死んでいない。
十神「……だからこそだ」
勝つ。
何度死んでも。
何度でもやり直して。
その一回を、引き当てるまで。
十神「必ず……殺す」
十神「俺一人でやる必要はない」
静かに結論を出す。
いくらやり直せても、単独では限界がある。
ならば――戦力を借りる。
――――――
久しぶりに足を踏み入れる、禍津学園。
見慣れた廊下。
見慣れた空気。
だが十神にとっては、何度も繰り返した末の“再訪”だった。
扉を開ける。
十神「久しぶり〜、百目鬼校長〜」
百目鬼「久しぶりってほど期間空いてないですけどね」
十神「あっそうか、」
軽く笑う。
だが内心では、時間の感覚が歪んでいるのを自覚していた。
十神(何回戻ったと思ってる)
その違和感を押し殺し、本題に入る。
十神「ちょっと厄介なのが出るんや」
能力のことは伏せる。
だが――
鴉天狗の存在。
出現場所。
出現タイミング。
全てを伝える。
百目鬼は黙って聞いていた。
そして。
百目鬼「なるほど」
一拍。
百目鬼「あなたがなぜ鴉天狗のことを知ってるのか、どこにでるのか、いつでるのか、どこでそれを知ったのか...気になりますが、一旦置いておきますよ、」
十神「助かるわ」
即答。
百目鬼の目が、わずかに細くなる。
空気が少しだけ引き締まる。
百目鬼「相手は外冠死業の最高幹部格です。あなた一人ではまず無理でしょう」
十神「分かってる」
百目鬼「こちらからも戦力を出します」
十神の視線がわずかに上がる。
十神「……あぁ」
短く頷く。
当然だ。
あれは――
“次元が違う”。
百目鬼「それと、条件が1つ」
十神「なんや?」
百目鬼「あなた自身の動きも、こちらである程度制限させてもらいます」
十神「は?」
百目鬼「あなた、何か隠してますよね」
核心を突く一言。
空気が止まる。
十神「……」
百目鬼「勘です。ただ――その状態で好き勝手動かれると、連携が崩れる」
静かに、だが確実に釘を刺す。
百目鬼「指揮は私が取ります。従えますか?」
十神は一瞬だけ考える。
だが、すぐに答えは出る。
十神「……わかった」
条件は飲む。
目的は一つ。
十神(鴉天狗を殺す)
それさえ達成できるなら――
手段は問わない。
帰路。
空は橙に染まり、街がゆっくりと夜へ沈み始めていた。
十神(カフェオレ飲むか)
いつもの習慣。
思考を整えるための、僅かな余白。
だが――
足が止まる。
十神「霊力…?」
違和感。
この時間、この道。
何十回も往復したルート。
“出ないはず”の場所。
十神「いや……おかしい」
眉が寄る。
十神「決められた運命が少し変わったのか?何が原因かは分からんが…」
一拍の迷い。
だが、すぐに動く。
十神は霊力の強い方へ駆け出した。
――――――
視界が開ける。
そこにいたのは――
五メートル近い巨大な霊。
そして。
その前に、ぽつんと立つ一人の少年。
十神(なんだあの子…)
既視がない。
あり得ない。
十神(ここら辺、同じ時間何十回も通ってるが見た事ない子だ…なんだ?なんなんだ…なにが…)
思考が走る。
だが、優先順位は明確。
十神は地を蹴る。
少年の横をすり抜け、そのまま跳躍。
一撃。
霊を払う。
霊が歪み、散る。
静寂が戻る。
十神(あの子の反応……初めて見えた感じだな)
霊視に慣れていない。
つまり――“最近目覚めた側”。
十神(チッ…こういう場合どうすれ…ば…)
振り返る。
少年を見る。
その瞬間――
背筋が凍る。
十神「……は?」
言葉が漏れる。
見えている。
はっきりと。
少年の内側に渦巻く力。
十神(妖力も、霊力も……桁が違う)
異常。
規格外。
それだけではない。
十神の目が細まる。
十神(……二重)
霊力が、二重に見える。
確定。
十神(能力持ち……しかも、この量)
だが。
少年の反応は、完全に素人。
理解していない。
制御もしていない。
十神(気づいてないのか……?)
一歩、近づく。
十神(生まれながらの能力……か)
喉の奥で、小さく息を吐く。
十神(……化けるな、こいつは)
逃げ出そうとする背中。
小さく、しかし確実に“逃避”を選んだ動き。
その背に――
十神「君…もしかして見えてた?」
声を投げる。
少年の足が止まる。
ゆっくりと振り返る。
その顔は――明らかに動揺していた。
少年「え……あ、あ」
言葉にならない。
理解が追いついていない。
だが、“見えていた”反応。
十神(予想通りだな)
確信する。
十神(急に現れた少年……)
これまでの繰り返しの中で、一度も存在しなかった要素。
十神(言わば……特異点)
運命の外から入り込んだような存在。
十神の思考が加速する。
鴉天狗。
何度やっても覆せない壁。
だが――
十神
少年を見る。
その内側に渦巻く膨大な力。
未熟。
未発達。
だが、それゆえに――伸びしろがある。
十神(俺が永遠と続けるであろう鴉天狗との戦いに……)
ほんの僅かでも。
可能性が生まれるなら。
十神(光になるかもしれない)
そして。
最も重要な前提。
十神(何かあれば……戻ればいい)
やり直せる。
失敗しても、取り返せる。
だから――
躊躇はない。
十神の目が、わずかに細くなる。
十神(こいつを育てる)
結論は出た。
静かに。
だが確実に。
運命をこじ開けるための、新たな一手が――打たれた。
行きつけの喫茶店。
静かな店内、カップの触れ合う音だけが響く。
向かいには、まだ落ち着かない様子の少年
十神「名前は?」
回道「か、回道…丞です…」
そこから、十神は淡々と聞き出していく。
生活。
環境。
見えているもの。
感じている違和感。
そして――試す。
十神「さっきの、覚えてるか?」
回道「……はい、なんか……でかいのが」
曖昧だが、認識はしている。
回道に妖力の存在と使い方を教えた
一瞬...見せただけだった。
回道はその“流れ”を、なぞるように。
十神「……」
再現。
粗いが、確かに“似せている”。
十神(……才能か)
理解する。
十神(見ただけで覚えてる)
記憶の精度が異常。
一度見たものを、そのまま保持している。
十神(瞬間記憶……それ以上かもしれん)
翌日に霊力の訓練を始めた。
十神「次はこれだ」
基礎から教える。
流し方。
感じ方。
だが――
回道「……出ないです」
何度やっても。
何度誘導しても。
霊力だけが、引き出せない。
十神
妖力は即座に模倣した。
だが霊力は“反応しない”。
十神(制限か……?それとも未発現か)
結論は出ない。
だが。
十神(どのみち……異常だ)
ここまでで十分すぎる。
夜が深くなる。
別れ際。
十神「今日は帰れ」
回道「……はい」
不安げに頷き、去っていく。
帰路。
静かな夜道。
十神は思考を巡らせる。
十神(使える)
確信に近い判断。
だが同時に――
未知数。
危険性も含めて。
その時。
ピクリ、と反応する。
十神「……ッ」
振り返る。
微かだが、感じる。
十神(今の……回道の霊力か?)
あり得ない。
さっきまで、出せなかったはず。
だが確かに――
一瞬だけ、感知した。
十神「チッ……!」
考えるより先に走る。
来た道を、全速で引き返す。
十神(何が起きた――!?)
胸騒ぎが、確信に変わる。
地面に倒れている二人の影。
十神「……ッ!」
駆け寄る。
扇と――回道。
どちらも意識はあるが、消耗が激しい。
息を荒げながら、扇が笑う。
どこか悔しげに。
扇「そいつ……倒したら……弟子にしてくれるかと思ってよ……」
十神の眉が動く。
扇「兄ちゃん……教えてくれねぇし……」
視線が回道へ向く。
十神
予想はついていた。
息が乱れている。
十神「結果は見りゃ分かる」
短く言い放つ。
扇は悔しそうに歯を食いしばる。
扇「……強かった」
その一言に、全てが詰まっていた。
――――――
状況を整理する。
扇が仕掛けた。
回道が迎え撃った。
そして――
勝ったのは回道。
十神(数日で、扇を……)
あり得ない成長速度。
だが、それだけではない。
十神の視線が鋭くなる。
扇の能力。
それを――
模倣した。
十神
静かに息を吐く。
十神(こいつの能力は……コピー)
しかもただの模倣ではない。
“本質ごと”写し取るタイプ。
十神(妖力も、能力も……全部か)
規格外。
十神自身ですら、ここまでの存在は見たことがない。
そして――
わずかに口角が上がる。
十神(当たりだな)
確信する。
この少年は。
鴉天狗を殺すための――
“鍵”になり得る。
十神は明確な課題に直面していた。
十神(回道を育てる)
それは最優先事項。
だが同時に――
回道1人じゃ足りないかもしれない
外冠死業。
鴉天狗。
あの領域に届くには、育成の“速度”も“層”も足りない。
そしてもう一人。
扇。
十神(あいつも……伸びる)
未熟ではある。
だが、未来視という希少な能力。
何より――
回道に食らいつこうとする“執念”。
十神(隣に立てる可能性はある)
二人とも、捨てる選択肢はない。
だが。
十神(俺がずっと付きっきりは無理だ)
戦いの準備もある。
繰り返しの中での検証もある。
時間が足りない。
ならば――
“預ける”。
適切な場所に。
――――――
禍津学園。
校長室。
十神「ってことでさ」
いつもの軽い調子。
だが内容は重い。
十神「回道と扇」
百目鬼は静かに聞いている。
十神「この二人、入学させたい」
百目鬼「推薦ですか」
十神「そう」
間髪入れずに答える。
百目鬼「理由は?」
一拍。
十神の目が少しだけ鋭くなる。
十神「才能と血縁」
短く、断言。
十神「特に回道は規格外だ。あれは放っといたら危ないレベルでな」
百目鬼「……」
沈黙。
だが興味は隠していない。
十神「扇もだ。あいつはまだ荒いが、伸びる」
百目鬼「あなたの身内贔屓ではなく?」
十神「違うね」
即答。
迷いがない。
十神「あいつらは“戦力になる”」
言い切る。
百目鬼の視線がわずかに変わる。
評価の目。
百目鬼「……なるほど」
椅子に深く腰掛ける。
指を組む。
百目鬼「外冠死業、ですか」
核心に触れる一言。
十神は否定しない。
十神「話が早くて助かる」
百目鬼「あなたがそこまで言うなら、相当ですね」
一瞬の思案。
そして。
百目鬼「いいでしょう」
許可。
十神の肩から、わずかに力が抜ける。
百目鬼「ただし、条件があります」
十神「またかよ」
百目鬼「当然です」
淡々と続ける。
百目鬼「二人とも“例外扱い”での入学になります。基準外の力を持つ以上、管理はこちらで徹底します」
十神「好きにしていい」
百目鬼「それと」
視線が鋭くなる。
百目鬼「あなたも、責任からは逃げないでくださいね」
十神「……分かってる」
短く応じる。
――――――
こうして。
回道 丞と十神 扇。
二人は、禍津学園へと進むことになる。
十神
育成環境は整った。
あとは――
十神(間に合わせるだけだ)
あの夜。
あの運命に。
“勝てる形”を作るために。
回道の学園生活は、順風満帆――とはいかなかった。
異質すぎる力。
急激すぎる成長。
当然、周囲は面白くない。
陰口。
牽制。
そして――試し合い。
場が設けられた。
戦いの場。
十神はそれを止めなかった。
十神(むしろ都合がいい)
実戦でしか伸びない部分がある。
結果は――
圧勝。
一戦目。
圧倒。
二戦目。
対応すらさせない。
三戦目。
完封。
十神「……」
静かに見ていた。
十神(順調だな)
能力の再現性。
判断速度。
どれも、想定以上。
だが――
その“順調”は、唐突に崩れる。
報せが入る。
宮闈。
宇末。
そして海若。
任務先で――死亡。
相手は。
外冠死業。
十神「……」
空気が冷える。
十神(……明日)
鴉天狗の出現の日だ。
十神の拳が、わずかに握られる。
十神(早めに迎え撃つ)
受けに回らない。
こちらから潰す。
十神(あいつらの仇もある)
理由は十分。
決断も早い。
単独で行く。
そのつもりだった。
だが――
背後から声。
痕辿「先生、俺も行きます」
十神「……来るな」
即答。
だが、痕辿は引かない。
痕辿「分かってます、危険なのは。でも――」
言葉を飲み込む。
それでも、目は逸らさない。
十神
一瞬、考える。
本来なら、連れていく理由はない。
守る対象だ。
だが。
十神(いざとなれば……戻ればいい)
最悪の結果になっても、やり直せる。
その前提がある。
だからこそ――判断が鈍る。
十神「……好きにしろ」
許可。
突き放すような言い方。
だが、完全な拒絶ではない。
痕辿「はい」
短く返す。
覚悟の声。
十神は背を向ける。
歩き出す。
十神(今回で終わらせる)
繰り返しに、終止符を打つ。
そのための一戦。
夜へ向かう足取りに、迷いはなかった。
夜の路地。
気配を捉えた瞬間には――もう遅かった。
十神「――ッ」
反応より速い一撃。
視界が揺れる。
地面に叩きつけられる。
十神(……は?)
理解が追いつかない。
鴉天狗ではない。
なのに――
強い。
異様な連携。
複数の気配。
声が降る。
???「外冠死業第五中隊」
冷たい名乗り。
舐めていた。
完全に。
十神(鴉天狗に殺され続けてたせいで……)
そこに至る前は“安全圏”だと、どこかで思い込んでいた。
だが現実は違う。
十神「チッ……!」
痕辿の方を見る。
十神「逃げろ!!」
強く言い放つ。
痕辿は一瞬迷う。
だが――走った。
それでいい。
それだけでいい。
次の瞬間。
刃が、肉を裂く。
十神の体が崩れる。
あっけない。
あまりにも。
十神(……油断だ)
はっきりと認識する。
十神(知っていれば……対処できた)
情報不足。
慢心。
その結果。
意識が遠のく。
十神(戻れ……ば……)
いつものように。
その言葉を吐けばいい。
それで終わる。
やり直せる。
――だが。
ふと。
脳裏に、別の思考が浮かぶ。
十神(……待て)
違和感。
これまでとは違う“流れ”。
回道。
あの少年。
十神(あれは……特異点だ)
今までの繰り返しには存在しなかった存在。
つまり。
十神(今のこの世界……)
同じ“固定”の中でも、微妙にズレている可能性。
十神(戻ったら……)
考えが、深く沈む。
十神(回道は……来るのか?)
あの出会い。
あの成長。
全てが、“この周回だけ”の出来事だとしたら。
十神
戻った先に。
“回道がいない世界”だったら。
十神
一瞬の躊躇。
ほんの僅かな、迷い。
だが。
致命的な思考の遅れ。
刃が、さらに深く入る。
十神の視界が黒く染まる。
十神
確信する。
十神(こいつは……賭けだ)
戻るか。
この世界を守るか。
選択を迫られる。
そして――
意識が、途切れた。
十神は、昔聞いた話を思い出していた。
死んだ人間が行く場所。
幻林――げんりん。
三途の川へ辿り着く、その手前に存在する林。
一般人であれば問題はない。
死ねば自然と林を抜け、三途の川へ辿り着き、渡る。
だが――
妖怪。
霊。
そして、強い力を持つ者は違う。
強すぎる妖力。
強すぎる霊力。
それらを持つ存在を、幻林は外へ出そうとしない。
まるで、“現世の残り香”を削ぎ落とすように。
林はゆっくりと力を薄めていく。
妖力を。
霊力を。
存在そのものを。
全て失った時、ようやく林を抜け、三途の川へ辿り着ける。
つまり――
強ければ強いほど。
現世への執着が強ければ強いほど。
林に囚われる時間は長くなる。
十神「……」
薄暗い林の中。
終わりの見えない木々。
風もない。
音もない。
ただ、静かに霊力だけが漂っている。
十神「ここが……幻林か」
死んだ。
その実感だけは、妙に鮮明だった。
肺を裂かれた感触。
血の温度。
意識が沈んでいく感覚。
全て覚えている。
十神「……」
だが、問題はそこではない。
十神(戻れるのか)
それだけだ。
いつもなら、“戻れ”の一言で終わっていた。
だが今回は。
意識を失う直前。
確かに迷った。
回道 丞。
あの特異点。
もし。
この世界線にしか存在しないのだとしたら。
戻った瞬間、消える可能性がある。
十神「……チッ」
苛立ち混じりに舌打ちする。
すると――
林の奥。
何かが動いた。
ザッ……
足音。
十神が目を細める。
この場所にいるということは。
“普通の存在”ではない。
ザッ――
林の奥から現れた影。
見慣れた背格好。
見慣れた顔。
十神「……っ」
息が止まる。
そこにいたのは――
先代十神家当主。
十神 鳳。
鳳「久しいな、泪」
穏やかな声。
変わらない。
何一つ。
その瞬間。
十神の中で張り詰めていたものが、崩れた。
十神は、鳳が死んでからずっと一人だった。
十神家を背負い。
扇を守り。
育て。
戦い続け。
死んでも、戻って。
誰にも言えず。
誰にも頼れず。
何度も。
何度も。
何度も。
十神「……っ」
涙が溢れる。
止められない。
鳳は何も言わなかった。
ただ、静かに近づき――
抱きしめる。
鳳「よく頑張った」
優しい声。
その一言だけで。
十神の心は、限界だった。
十神「……っ、ぅ……」
声にならない。
鳳は背中を軽く叩く。
責めない。
問わない。
ただ、“労う”。
それだけだった。
――――――
それから。
二人は話した。
積もる話を。
十神家のこと。
扇のこと。
禍津学園。
外冠死業。
鴉天狗。
そして――
回道 丞。
鳳「……なるほどな」
静かに頷く。
鳳「お前らしい」
十神「どこがだよ」
鳳「拾って育てるところが」
十神は少しだけ笑う。
本当に、少しだけ。
すると。
鳳がふと思い出したように口を開く。
鳳「あっそうだ、泪」
十神「ん?」
鳳「お前の生徒を名乗るやつが来ておったぞ」
十神の目がわずかに開く。
十神「……宮闈と宇末か」
鳳「あぁ、そんな名だったな」
十神は振り返る。
気配は感じていた。
木々の奥。
鳳「おーい」
少し声を張る。
鳳「隠れてないで来い」
沈黙。
それから――
気怠そうに。
ゆっくりと。
木の影から二人が姿を現す。
宮闈。
宇末。
死んだはずの、生徒達。
そして。
二人は十神を見た瞬間――
目を潤ませた。
宇末「……せんせ」
宮闈「……まじかよ」
次の瞬間。
二人同時に飛びつく。
十神「うおっ!?」
宇末「せんせぇぇぇ……!」
宮闈「死ぬの早ぇんだよ!!」
泣きながら。
怒りながら。
しがみつく。
十神は一瞬呆け――
それから。
静かに笑った。
十神「……悪かったよ」
初めて。
心の底から。
“安心した”顔だった。
幻林には、時間の概念が曖昧だった。
何日経ったのか。
何年経ったのか。
それすら分からない。
木々は揺れず。
空も変わらず。
ただ、静かに霊力だけが漂っている。
宮闈「暇っすね〜」
宇末「お前いつもそれ言ってんな」
鳳「はっはっは」
他愛のない会話。
現世なら、なんでもない時間。
だが――
十神にとっては、救いだった。
一人じゃない。
それだけで、こんなにも違う。
扇を守るため。
十神家を背負うため。
生徒を守るため。
ずっと張り詰めていた。
弱音を吐けば崩れると思っていた。
だから、一人で戦っていた。
何度死んでも。
何度戻っても。
誰にも言わず。
一人で。
だが今は違う。
宇末「先生、またその顔してる」
十神「どんな顔だよ」
宮闈「全部背負おうとしてる顔」
十神「……」
鳳が静かに笑う。
鳳「昔から変わらんな、お前は」
十神は小さく息を吐いた。
十神「……仕方ないだろ」
鳳「仕方なくない。頼れ」
その言葉に、十神は目を閉じる。
頼る。
簡単なようで、一番難しかった。
だが。
今なら、少しだけ分かる。
十神「……いつまでここにいるのかは分からない」
幻林を見渡す。
終わりの見えない林。
十神「が……」
宮闈達を見る。
鳳を見る。
笑い声が聞こえる。
十神「俺は待っていられる」
ゆっくりと。
穏やかに。
十神「一人じゃ……ないからな」




