2階
凄いな、お前んち2階あるんや!
(あぁ、懐かしいな)
十数年ぶりに訪ねた故郷を前にした感想は、やはり月並みなものだった。
見渡す限りの平屋、そして田畑、山々。
その景色に確かに帰ってきたのだという実感を抱きながら、過去何度もそうしたように最寄り駅から実家への下り坂を降り始める。途中見知った建物もあれば、明らかに空地になってしまっている場所もある。
あそこには電話ボックスがあったと思ったが、流石に撤去されたのか。
比較的新しい家じゃないか、こんな田舎に物好きも居るんだなぁ……遊具があるということは、小さいお子さんが居るのかな?
お、あの家のじいさん、まだじいさんなのか。名前は何だったか……
はは、この長屋まだあるのか。流石に人は……おや、住んでいるみたいじゃないか、会ったことはないが、ひょっとすると同じ人なのだろうか?
などと郷愁の念に浸りながら歩いてる内、足は懐かしの実家の前で止まった。
今は空き家となってしまった平屋。昔の記憶と変わらず近隣に住宅はなく、ポツンとしたやや寂しい印象もそのままだ。年月のせいか多少違和感はあるが、外観だけでも過去の思い出が鮮やかに蘇ってくる。だが、今回わざわざ電車で2時間もかけて実家にやってきたのは、なにも思い出に浸るためではない。
今度会社で親交のある人達と1日中飲み明かしてみないかという話が持ち上がり、話の流れで何故か私の実家に白羽の矢が立ってしまったのだ(これは私の発言が迂闊だったかもしれない)
その為にどこにしまったのかも忘れていた実家の鍵をわざわざ朝っぱらから父の家に行ってまで探し出し(父は不在だったので無断で持ち出してしまった。一応メモを残しておいたので大丈夫だろう)飲み会の開催前の下見に来たというわけだ。
既に朽ち始めている石門の間には小枝が折り重なるように落ちている。道路の掃除をした結果、ここに掃き溜められていったのだろうか?その小枝を踏み越え……いや、あえて踏みながら門を潜る。
パキパキ
ガサガサ
ザクザク
小枝や枯れ葉を踏みしめる小気味よい音にうっとりしながら鍵を取り出し、玄関を開けようと……そうだ、その前に庭を見ておこうか。
玄関を回って庭に出る。かつては四季折々の姿を見せてくれた庭だが、今では十数年の月日を物語るかのように荒れ果て、管理する人間が居なくなるだけでこうなってしまうのかと物悲しい気分にさせられた。
金木犀や柿、花梨などはもはや何の木なのか分からないただの枯れ木と化しており、唯一梅だけは豊かに葉を茂らせている。梅好きな友人に伝えれば実を取りに来るだろうか?
だが、これはこれで味のある景色だろう。ブルーシートを敷くなどして月見酒というのも悪くないかもしれない。屋外とはいえ、大声さえ出さなければ近所迷惑にはならないだろう。
過去の思い出を伴に一通り庭を見て回ると、ふと実家の建付けが気になった。
外壁は多少蔦が這っているだけで綺麗なものだ。雑草の類は所を得たりとでもいうように伸び放題になっているが、不思議と外壁からは1m程度の間隔を保っている。実家の話はしたことがないが、定期的に父が見に来て除草剤でも撒いているのだろうか?
雨戸は全て閉まっており、触ってみてもしっかり鍵が掛かっている。雨戸がないただの窓に関しても同様だが、先程同様窓を触って鍵が掛かっているかを確認している時、違和感に気付く。
……曇りガラス?
時刻は14時、やや雲は出ているが周囲に遮るものが無いということもあり、普通の日中という明るさだ。にも関わらず、その窓からは家の中を見ることは出来ない。確か、ここは祖父母の寝室だったはずだが……
窓のガラス部分を撫でてみるが、表面の汚れはごく僅かだ。かといって、この窓が曇りガラスだった記憶はない。だとすれば、答えは2つ。私の知らない内に曇りガラスに変えられたか、内側が汚れているか、だ。
正直、あのずぼらな父がこんな面倒なことをわざわざお金をかけてやるとは思えない。となれば、答えは後者か。
しかし、いくら年月が経過しているとはいえ、誰も利用しない家屋の窓、それもその内側が中が見通せないほど汚れるものだろうか?
しかもその汚れ?は曇りガラスと見紛うような白いモヤのようなもので出来ていて、よくよく見てみると本当に白いモヤが動いているようにすら見える。
見間違いだと目を擦りながら、確かめるために再び玄関の前へ立つ。
鍵が合っているか不安だったが、鍵穴は十数年の月日を感じさせずにその使命を果たしてくれたようで、若干の引っ掛かりを感じながら玄関を開けることができた。
十数年ぶりに聞いた音と共に入ってみると中は意外にも綺麗で……いや、人の出入りが無いのだからこれは当然と言うべきか。
多少のホコリが積もっていること、家具などがほとんど無いことを除けば懐かしの我が家だ。
確か、祖父母の寝室へは一度奥へ進んでから左へ曲がるのだったか。
玄関を閉め、三和土で靴を脱ぎ、律儀に揃えてから家の奥へ進む。
リビングや床の間、トイレに風呂場とあらゆるものに懐かしさを覚えるが、とにかく今は祖父母の寝室だ。
この廊下を左に曲がると、右手には物置、左手には祖父母の寝室へと通じる廊下が……そんなことを考えながら廊下を曲がると、予想だにしない光景に我が目を疑った。
……廊下の突き当りに、上階への階段がある。
私の記憶が正しければ、以前そこには窓すら無かったはずだ。それが今、私の目の前には確かに階段がある。
それはまるでこの家が建った当時から存在していたかのように自然にそこへ溶け込んでおり、廊下や壁と比べても違和感はない。 ……階段に漂う白いモヤを除いては。
……何なのだ、これは。
その廊下は右に曲がっているのか左に曲がっているのか。それすら分からないほど濃いソレは揺蕩っているようでもあり、完全に静止した幻覚のようでもある。
ワケの分からない状況に困惑しつつ、だが頭はかつてないほど冷静に判断を下した。
アレに、関わってはいけない。
慌てて踵を返し、転びそうになりながらかつての我が家から遁走する。玄関を閉めて、家から少し離れた大きな庭石へと崩れ落ちる。
恐怖に歯の根が合わず、季節は春だというのに我が身を抱きながらガチガチと歯を鳴らす。
――見間違いだ。最近疲れていたから、何かで聞いたドライアイ?だったか。その症状に違いない――
そう自身を納得させるのに、そこまで時間はかからなかった。先程感じた恐怖は紛れもなく本物だったが、案外自分は楽観的な性格なのだろうか?
そんなことを考えていると、先程の階段を調べてみたい欲求がふつふつと湧いてきた。
そうだ。二十年近くを過ごした我が家に何か異変が起きているというなら、自分が解決せねば。そう決意し、庭石から腰を上げて改めて我が家を見上げる。
その瞬間、また家に入ろうなどという気概は消え失せ、慌てて玄関に鍵をかけると来た道を早足で歩き始める。
振り返る気にもならない。ただひたすら駅に向かい、無心で歩き続ける。
(会社の人達には適当に理由をつけて断ろう。あの家には、二度と戻らない)
肩で息をしながらやっとのことで最寄り駅がすぐそこに見えるところまでたどり着くと、ようやく安心出来たのか突然の疲労感に道路脇に座り込んでしまう。
小さい村にある唯一の駅。小高い丘のようになっているそこからは自分の故郷が一望出来るのだが、今の自分にはその故郷が空恐ろしく見える。
高校生になって初めて故郷を離れ、初めて出来た知らない土地の友人が自分の言葉にどうしてああも驚いていたのか。
都会に就職し、その壮大さに圧倒されながら自分の故郷に抱いていた違和感とは、なんだったのか。
改めて自分が生まれた故郷を見渡してみて、ようやく気付くことができた。
通っていた小中一貫の学校は木造の古い建物で、入って右には小学生、左は中学生の領域だった。
あまり利用したことはないが村役場も同じような建物で、やたらと奥行きがあったような気がする。こうして見ても、確かに長細い形状をしている。
そして、見ようとせずとも視界に入ってしまう我が家の見知らぬ2階からは、先程と同様に白い人影が自分に手を振っている。
こんな距離から見えるはずがない。あの2階だって、父なり誰かが何かに利用するために増築しただけ。
いや、そもそもあの人影が笑っているように見えるのも、我が家に2階があるように見えるのも、全て幻。そうだ、昨日寝る前に酒を飲んだじゃないか。自分はあまり強い方ではないし、きっとまだアルコールが残っているのだろう。この村に2階以上の建物が一つも無いことも、田舎ならままあることだ。不思議な幻を見たせいで、無理にこじつけようとしている。やめようやめよう。
電車の音に我に返り、立ち上がると同時にスマートフォンで時刻表を確認する。目的の電車だ。
これも田舎ではよくあることだろうが、電車は1時間に1本あればいいほうで、これを逃せば次は1時間半後になってしまう。
慌てて駆け足で駅のホームに駆け込むと、丁度電車がドアを開くところだった、危ない危ない。
窓越しに田舎の景色が早足で遠ざかるのを見ていると、また益体もないことを考えてしまう。いかんいかん、とりあえず会社の人達になんと言い訳するかを、明日までに考えておかねば。
ガタン ゴトン
ガタン ゴトン
普段通勤で使うものとは明らかに違う電車の音。振動。静けさ。鮮やかな夕焼け……そして、異様な体験。
私が乗換駅を寝過ごしそうになったのも、無理からぬことだったろう。
マンションの最寄り駅に着いても疲労感は取れず、コンビニで適当な夕食を買って帰ることにする。
さっきまでうとうとしていたせいか目が霞むが、目をこすってこらえつつエレベーターに乗る。
自分の部屋がある階のボタンを押し、この感じじゃご飯は買わなくてよかったなと反省しつつ、エレベーターから降りて自室の鍵を開ける。
はは、と乾いた笑いが口から漏れた。自分の部屋の鍵ではなく、実家の鍵を鍵穴にあてがってしまったのだ。
実家の鍵は仕舞い、改めて自室の鍵でドアを開く。そうだ、今度父に鍵を返しに行かないと。
強まる眠気に目を擦り、なんとか手を洗うと買ってきたものを冷蔵庫に仕舞い、ベッドに倒れ込む。
はぁ。しかし、本当に…アレは……
…何だった…… そうだ、父に……聞……
目を閉じた私はすぐに白い眠りに誘われ、そのまま身を委ねていった。
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4月21日、午後4時15分 メッセージをどうぞ。
「…鍵……!行……帰っ……!すぐ………ら…2階に
ピッ
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ピッ
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