第9章
俺、鈴木航太は、すべての抵抗を諦めていた。
まるで断頭台に上る罪人のように、静かに、そして厳かに、俺は「イベント発生地点」である波打ち際に立っていた。
(フフフ……来るがいい、世界の強制力よ。お前の茶番、とくと見届けてやろうじゃないか)
もはや、俺の心に恐怖はない。
あるのは、何度抗っても結局は同じ結末に導かれることへの、乾いた諦観だけだ。
どうせあの天国のような地獄が待っているのだ。
ならば、せめて王者の風格で、悠然と受け止めてやろう。
ザァァァァァッ!
定刻通り、神の御手こと巨大な波がやってくる。
俺は目を閉じ、これから我が身に降りかかるであろう、至高の官能に備えた。
「きゃあああっ!」
波音の悲鳴。そして、俺の身体を襲う、柔らかな衝撃。
……と、思ったのだが。
(……ん? あれ……?)
何かが、違う。
昨日までの二日間とは、明らかに感触が異なっている。
昨日までは、薄い水着のナイロン生地一枚を隔てていた。
だが、今、俺の顔面に押し付けられているこの感触は、もっと……生々しい。ダイレクトだ。
恐る恐る、俺は目を開ける。
視界いっぱいに広がっていたのは、見慣れた水色のビキニではなかった。
そこにあったのは、きめ細かく、ほんのりと桜色に染まった、柔らかな肌の丘。
その頂には、きゅっと硬く尖った、美しいピンク色の突起。
波に濡れた生温かい体温と、弾力、そして心臓の鼓動が、ダイレクトに俺の頬に伝わってくる。
(ビキニ……トップが……ない……!?)
波の力で、彼女のビキニが吹き飛ばされてしまったのだ。
つまり、俺は今、波音のむき出しの乳房に、顔面を埋めている。
バージョンアップ。
この世界の悪意は、俺の想像を遥かに超えていた。
俺の脳が、この致死量の幸福と背徳感でショートしかけた、その時だった。
――パンッ!!
すぐ近くで、乾いた破裂音が響いた。
まだ波音の胸に埋もれたまま、俺がそちらに視線を向けると、砂浜で何やら怪しげな化学実験をしていた月詠エリカが、驚いた顔で自分の手元を見つめていた。
彼女が持っていたフラスコが暴発し、中に入っていた粘度の高そうな緑色の液体が、放物線を描いて彼女の全身に降り注いでいる。
「なっ……!?」
次の瞬間、俺は信じられない光景を目撃した。
緑の液体を浴びた、エリカの身体。
その肢体を包んでいた、あのクールで扇情的なモノクロの競泳水着が……しゅわしゅわと、まるで炭酸水のように泡を立てて、溶け始めたのだ。
まず、肩紐がぷつりと消える。
次に、彼女のささやかながらも形の良い胸を覆っていた布地が、見る見るうちに透けていき、やがて跡形もなく消滅する。
現れる、小さなピンク色の蕾。
そして、その溶解は下半身へと及び、彼女の神秘の丘を隠していた最後の防御すらも、無慈悲に奪い去っていく。
後に残されたのは、一本の糸すらまとわぬ、完全な裸身。
陽光の下に晒された、穢れを知らない、真っ白な肌。
驚きに見開かれた月光の瞳。呆然と立ち尽くす、完璧な芸術品のような、少女の裸体。
「…………」
俺の思考は、完全に停止した。
右を見れば、波音の柔らかな生乳。
左を見れば、エリカの恥も知らぬ美しい裸体。
ダブル役満。天変地異。
(う、嬉しい……。嬉しい、けど……! これは絶対におかしいだろぉぉぉっ!!)
俺はもはや、声にならない絶叫を、心の中で上げるしかなかった。
(このままじゃ、俺の理性が……俺の人間としての尊厳が、蒸発しちまう……ッ!!)
楽しいはずのラッキースケベは、今や明確な牙を剥き、俺の精神を破壊しにかかる、甘美な「脅威」へと変貌していた。
この楽園は、本気で俺を殺しに来ている。
幸福の絶頂で、だ。