第10章
ダブルインパクトで俺の精神が完全にノックアウトされた後、午後の時間は、まるで嵐の前の静けさのように、穏やかに過ぎていった。
……というのは、もちろん嘘だ。
この世界の脚本家(仮)が、俺たちに平穏な時間など与えてくれるはずがなかった。
「おっまたせー! みんなのために、あかりちゃん特製のスペシャルパフェ、作ってきちゃったぞー!」
ビーチサイドのカフェテリア。
パラソルの下で俺がぐったりと死んだ魚の目をしていると、火浦あかりが、とんでもない物体をトレイに乗せてやってきた。
ガラスの器に、毒々しい赤色のゼリー、どす黒い紫のアイス、そして申し訳程度に添えられた唐辛子。
全体から、陽炎のような邪悪なオーラが立ち上っている。
「名付けて、『灼熱地獄パフェ』よ! さあ航太、あーんして!」
「誰が食うかこんなもん!?」
俺が全力で拒否するも、あかりは「えーい!」という掛け声と共に、俺の口にスプーンを突っ込んできた。
有無を言わさぬ、その小さな身体からは想像もつかないパワーだ。
口の中に、灼熱の痛みが広がる。
「があああああああああっ! からい、いや、痛い! 舌が、舌が燃えるぅぅぅ!」
俺の口から、マンガみたいに炎が噴き出した。
比喩じゃない。マジで、物理的な炎が出た。
そんな俺を見て、あかりは手を叩いて大喜びしている。
「やったー! 航太のリアクション、面白すぎー! 笑顔満開、ハッピー満点、あかりちゃん大勝利ー!」
その時の彼女の表情は、異常だった。
瞳は、少女マンガのように星が瞬き、キラキラと輝いている。
頬はありえないほど上気し、口はにぱーっと耳まで裂けんばかりに開いている。
ただの「大喜び」じゃない。
感情の振れ幅が、常軌を逸している。
まるで、誰かがボリュームのつまみを最大まで捻ったかのような、過剰なまでの感情表現。
「……鈴木様」
その時、隣に座っていた風鳴ここのが、静かな声で俺に囁いた。
彼女の白魚のような指が、すっとある一点を指し示す。
「あそこに、昨日まではなかったものが……ございます」
彼女の視線の先。カフェテリアの屋根を突き抜けて生えている、一本のヤシの木。
その幹に、まるで巨大なキノコのように、無骨なパラボラアンテナが取り付けられていたのだ。
銀色に鈍く輝く、明らかにこの世界の風景から浮いた、ハイテク機器。
アンテナは、ゆっくりと首を振り、その照準を……間違いなく、狂ったように笑い続けるあかりに向けていた。
「あれは……」
俺とここのが、その異様な物体に気づいた、まさにその瞬間。
アンテナは、カシャリ、と小さな音を立てて幹に収納され、ヤシの木は何事もなかったかのように、ただの木に戻っていた。
「「え?」」
俺とここのは顔を見合わせる。
幻じゃない。確かに今、そこにあった。
(間違いない。あの手の『視聴率向上装置』が、この世界のあちこちに隠されているんだ)
俺は、口の中に残る灼熱の痛みを感じながら、この世界の狂ったカラクリの一端を、確かに掴んだのだった。
◇
三度目の夕暮れ。
太陽が水平線に溶け、空と海を茜色に染め上げる光景は、涙が出るほど美しい。
だが、その美しさすら、今の俺には、巧妙に作られた書き割りのようにしか見えなかった。
俺は一人、波打ち際に座り込み、寄せては返す波の音を聞きながら、途方に暮れていた。
(どうすればいい……。このループから、抜け出す方法なんて、あるのか……?)
ラッキースケベは強制発生。
感情すら、装置によってコントロールされる。
まるで、神の掌の上で踊らされる哀れな人形だ。
「――いつまで、そうしているつもりだ」
不意に、背後から声をかけられた。
冷たく、凛とした、聞き覚えのある声。
振り返ると、そこに月詠エリカが立っていた。
夕日を背に、彼女の銀髪がきらきらと輝いている。競泳水着姿のままの彼女は、腕を組み、まるで全てを見透かしたような、月光の瞳で俺を見下ろしていた。
「あなた、どこまで気づいているの?」
単刀直入な問い。はぐらかしは、通用しない。
俺は観念して、今日一日の出来事――世界の強制力、視聴率モニター、そして感情増幅器らしきアンテナのことを、正直に話した。
俺の話を、エリカは黙って聞いていた。
そして、俺が話し終えると、彼女は静かに口を開いた。
「……やはり、あなたも気づいていたのね。私も、ほぼ同じ結論に至っている」
彼女は、自分もまたこの世界の異常性に気づき、二度のループの中で独自に調査を続けていたことを明かした。
彼女の論理的な頭脳は、俺よりもさらに深く、この世界の核心に迫っていた。
「この世界は、何者かが『視聴率』を稼ぐためだけに作った、悪趣味な実験場よ。そして、私たちを操っている元凶が、世界中に隠された『七つの視聴率向上装置』。感情増幅器も、その一つに過ぎない」
その言葉は、俺の推測を、確信へと変えた。
「……じゃあ、どうすれば」
「決まっているわ。その七つの装置を、すべて無効化する。それが、この茶番を終わらせる唯一の方法よ」
エリカは断言した。
その瞳には、恐怖も、絶望もなかった。
あるのは、謎を解き明かさんとする、強い意志の光だけだ。
「だが、一人では限界だった。奴は、こちらの思考を読んで、妨害してくる。でも、あなたがいれば……。この世界のルールに縛られない、外部から来たあなたなら、奴の完璧な計算を、きっと狂わせられる」
そう言うと、エリカは、すっと俺の目の前に、白い手を差し出した。
夕日に照らされた、細く、美しい指先。
「――手伝いなさい。これは、命令よ」
その、どこまでもクールで、少しだけ不器用な命令口調。
俺は、思わずフッと笑ってしまった。
絶望に染まっていた心が、不思議と軽くなっていく。
一人じゃない。この狂った世界で、共に戦ってくれる仲間が、ここにいる。
俺は、力強くその手を取った。彼女の指先が、少しだけ冷たい。
「命令されるのは癪だが、利害は一致してる。乗ってやるよ、その話」
俺は不敵に笑い、夕日に向かって宣言した。
「やってやろうぜ、エリカ。このクソみたいな番組、俺たちの手で、最高の最終回に作り変えてやろうじゃないか!」
俺の手を握り返す、彼女の小さな手に、力がこもる。
こうして、出口のない楽園で、俺たちの、ちっぽけで、だけど壮大な反撃の狼煙が、今、上がったのだった。