彼岸花の半身
四月。教室にはほんのり花の香りが漂う。
2年C組――篠原蓮は、昨日までと変わらない友達とのじゃれ合いで新学期を迎えた。
「篠原、また寝癖すごいな」 「だって朝バタバタしたんだって」 悠馬が笑い、南雲が机をつつき、真彩と三人で何気ない日常を始めていた。
「今日から新しい転校生が来ます」
担任がそう言うと、教室の空気がピリッと引き締まる。
扉から現れたのは、長い黒髪と人懐っこい微笑みの少女だった。制服の胸元は目立つほどで、けれど、その雰囲気はむしろ柔らかい。
「蒼井真昼です。よろしくお願いします」
どこか懐かしい空気。「ん?」と記憶の奥に影がさす――
目が合った。彼女がこちらに本当に親しそうな笑みを向けて、小さく手をふる。
「あっ…!」
「久しぶり。蓮くんだよね?」
名前を呼ばれ、昔の記憶がふわりよみがえる。
子どものころ、よく一緒に遊んだ女の子――あの「あおい」だ。
少し戸惑いながらも、「真昼」という新しい呼び名がしっくりくるのが不思議だった。
(大人になって雰囲気も変わったし……)
蓮の中で「昔のあおい」と「今の真昼」は自然につながった。
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新しいクラス、少しずつ慣れてきた放課後。
昼休みには必ず「蓮くん、一緒にお昼いい?」と真昼が自分の前にやってきた。
「玉子焼き、好きだったでしょ。入れてきたよ」
「本当だ……懐かしいな」
「あのときも、よく受け取ってくれたよね」
柔らかな笑顔で差し出される、ふわふわの玉子焼き。
一口もらいながら、昔話も自然に始まる。
「真昼はさ、運動苦手だったじゃん」
「わ、やめて! 蓮くんの前でうまくやるから今は!」
隣で笑い合うと、幼い頃の距離感がそのまま戻ってきたようだった。
休日、真昼から「映画行こうよ」とLINEが届く。
日曜日、映画が終わって外へ出ると真昼が腕を組んでくる。
「こうやって歩くの、久しぶり。覚えてる?」
「うん。大きくなったなって思うけど、真昼だってすぐ分かった」
「蓮くん変わってない。前よりもっと、優しいけど」
自然に心がなごみ、帰り道には昔の話に花が咲いた。
学校でも、真昼はすぐクラスに溶け込んで、人気者になっていった。
「真昼、陸上部の見学来いよ!」
「運動苦手だからな~、でも蓮くんは頑張って!」
体育祭のリレー練習で転んでしまい、
「だいじょうぶ?」「はい、蓮くんの前でだけは格好つけたいんだもん」
そんな会話も、クラスメイトに冷やかされてふたりで笑い飛ばした。
ファミレスでの友人グループにも必ず真昼がいて、
「蓮くん、氷ちょうだい~」「またズルしてる」
と、昔から隣にいた親しい空気のまま、違和感の欠片もなかった。
みんなからも「蓮と真昼の息ぴったりすぎ!」と冗談を言われて当然だと思っていた。
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ある日、放課後のファミレス。
悠馬が「そういえばさ」と沈んだ声を出した。
「この辺、昔川で事故なかった?同じ学年の女の子が溺れたって、小学校んとき親から聞かされたな」
「え、それ……怖い話?」
「ガチだよ。結局、誰が落ちたのか分かんなくてさ。
でもあの時から子どもだけで川遊び禁止になったじゃん」
南雲や真彩も「家でも言われてた」と頷く。
真昼は黙ってその話を聞いていたが、
蓮がふと彼女を見やると、いつもの柔らかな表情で「蓮くん、あのとき怪我しなかった?」と何気なく話題を変えた。
「ああ、俺?全然大丈夫だった。でも川遊び禁止きつかったな~」
話は自然と進み、蓮自身も思い出した「昔のあおい」のことは何も変わらず、「今の真昼」に溶け込んでいくようだった。
夏休みも「どこか行こう!」と真昼は元気いっぱいだった。
「蓮くん、遊園地、行ったことあったっけ?」
「子どもの頃に一度だけ。あお、じゃなくて真昼とも行ったよな?」
「うん、覚えてる。あの時、蓮くんずっと私の手離さなかった」
メリーゴーランド、観覧車、二人で写真も撮り合う。「これまだ持ってるよ」と真昼がスマホ画像を見せてくれる。
「思い出、大事にするタイプ?」
「もちろん。だって…」
真昼は、そこで少しだけ視線を伏せる。「蓮くんは何も変わらないから、昔からずっと好きなんだって思う」
蓮は照れくさそうに頭を掻いた。
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秋、文化祭。二人は同じクラス喫茶のペアを組むことに。
「蓮くん!リボンずれてる」 「真昼だって、メイド服似合いすぎ!」
休憩時間に差し入れを持ち寄り、
「こういうの、初めてで楽しい」と笑い声が絶えない。
夜、後夜祭の準備で遅くなった校舎を歩きながら、真昼がぽつり。
「私ね、あの春にここに戻ってこれたの、奇跡だって思ってる。
毎日、蓮くんがそばにいてくれるのが夢みたいなんだ」
「俺もだよ。真昼みたいな親友、一生いないかも」
「親友……?」 「……なんでも」
夕日が差す廊下、二人の笑い声がいつまでも響いていた。
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文化祭の片付け、校舎に遅くまで残っていた蓮と真昼。
「このストラップ、懐かしい!」
床に落ちた花のストラップに気づき、何気なく拾い上げる。
昔、妹のあおい・姉と三人でお揃いで作ったもの――右側のデザイン。
「真昼、これまだ持ってたんだ?」
「うん。大事にしてる、右側だし」
「……あれ」
蓮の頭の奥に、幼いころの声が蘇る。
『私は左がいい!妹だから左じゃなきゃ嫌だもん』
確か、あおいは左、姉が右を持っていたはず……なのに。
手の中のストラップが急に重くなる。
「真昼……昔、あおいは左のストラップだったよな?」
沈黙。
真昼の、柔らかかった顔がほんの少しだけ緊張する。
「あおいは――左。……姉が右だったって、今思い出した」
「……そっか」
真昼は、しばらく黙っていた。そして、静かな声で──
「全部思い出してくれていいんだよ、蓮くん。
……本当のことも」
「どういう――こと?」
「私が本当に望んでたのは、“あおい”としてじゃなくて、“真昼”自身として蓮くんと一緒にいることだった」
(……何言ってるんだ?)
「私は姉だった。妹の“あおい”は……あの川の事故で……
私が――」
真昼は、涙を浮かべて、蓮をじっと見つめた。
「私が、欲しかったの。
誰にも渡したくなかった――だから全部、全部終わらせたの」
蓮は硬直する。
目の前で“真昼”が、幼い日の笑顔のまま、決して届かない距離で涙を流すのを、ただ黙って見ているしかな
かった。
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「ねえ、蓮くん。
私、もう止められないよ。
ずっとずっと、蓮くんの隣は私じゃなきゃ駄目なんだ」
蓮は後ずさるが、真昼が一歩ずつ確実に近づいてくる。その表情は優しく、けれど歪んだ愛がにじんでいた。
「全部蓮くんのものになるためなら、何でもできると思った……わたし、おかしいよね」
真昼の腕が、何のためらいもなく蓮を抱きしめる。
「やめろ――っ」
「大丈夫。もう誰にも邪魔されない。蓮くんだけの私だから」
懐から鈍く光る鋏。
「好き、好きだよ、蓮くん。永遠に一緒だよ」
万感の想いと涙と絶望が全て交じりあう。