第2刊 巡行の乙女
【第4話 色好みの英傑】
支度を済ませ西へと向けて歩を進めた。あの策動に与していない唯一の大公家ゼフュロス。先ずはその真意を探る為なのだが、概ね予測はついていた。
だからこそ足を向けるのだが。
西に広がる荒野の先に僅かに点在するオアシスの街。ここに至り領外であるとの確信に至る。余りにも貧しい人々の目には光がない。
飢えた人々、荒ぶる盗賊、間引かれることもなく頻出する魔獣。
秩序が崩壊して久しい土地、そしてそこに暮らす諦観に染った民。
もはやそこに良識などない。打ち捨てられた民は自衛の為の略取を常態化させており、善悪の価値観などは捨て去って久しい。
だが………そんな非情な社会に於いても良心に根差した思考を保持し続ける稀有なる人は存在しえるもので、3つ目の街で我らは出会ったのだ。最悪を退け秩序の継続を齎す為の行動をしている英邁にして豪なる者に。
そしてその者に会うこともこの地へ出向いた目的の一つであった。
「ご挨拶を受けていただけるだろうか。我が名はユリアン・ソル・ディアーナ。ディアーナ皇国の元皇王だ」
僅かに驚きの色を見せたのみでさして動じることもなく返答をするベアトリクス。
「これはご丁寧に。私はベアトリクス・ソル・ゼフュロス。ゼフュロス大公家当主の第3子です」
ユリアナは眉根を寄せる。ソルとは男子、或いは継承権をもつ者だけが名乗れるミドルネームである。
「第3子………ゼフュロス家ではソル………女子でも後継者順位に繰入られるのか?」
「当家に限らず四大公家は血筋だけはいかようにしでも繋がねばなりませぬからな。他はまぁ、全てが至りませぬが」
「ふむ、聞き及ぶよりも酷いな。領地運営は破綻して久しいのか?」
「百年前には既に………有志を募りせめて秩序だけでも立て直せないものかと苦闘しておりますが、やはり食糧もままならぬではどうにも」
「………何故私がここを訪ねたか、分かるか?」
「さて………あの策謀に加わらなかったゼフュロスの見極め、そしてあわよくば皇国の傀儡化ですかな?」
「まぁ、それらは目的の半分だな」
「残り半分とは?」
「貴女だよ」
「私?」
「貴女を我が麾下へ迎え入れたい」
ベアトリクスとしてはなんとも信じ難い提案であった。幾世代も前のこととは言え主家に仇なして以降も相克を以て鼎立してきた仇敵たる家の者を麾下へ迎えるなどありうべからざることだ。
しかも先代の皇王自らが敵地へ出向いて申し出るなどと。どのような裏が?
「英邁なる先代皇王陛下におかれましては………」
「いまの私はな、アーレイウスの剣を拝命している。皇家からは離脱した一武人だ。過去のあらましなぞどうでもよい。ただただ弟に………現皇王に国の未来を、安寧たる未来を捧げたいだけの一人の女だ」
「なんと………女であるとお認めになられるのか?」
「もはや隠しようもなかろう? 貴殿に比すれば乳房は小ぶりだがな」
ベアトリクスはチラリと胸部に視線をやり、続いて首元、そして顔をしげしげと見回してから喉をならした。
彼女は支配者側にありながらも仁義に厚く気安い人柄であり、彼女を知る民らからは強く支持されていた。武断的ではあっても公正であり、秩序の守護者としてゼフュロス配下の一部貴族からも強く支持されている。
そんなベアトリクスではあるが、どうにもならぬ悪癖を一つ有している。
極度の色欲を伴う同性愛者であるという悪癖を。
それ故に彼女はその人望に反してゼフュロスの次期当主としては誰からも推されていない。なにしろ次世代を産むことが出来ないと確信されている程に真性の同性愛者であると誰もが知っているのだから。
しかも色好みの彼女は相手の明確な同意を得ずに気に入った娘を食い散らかすのだ。ベアトリクスの住まう屋敷に仕える女達は高齢者を除けば皆が彼女のお手付きとなっている。下は12歳から上は38歳まで、出入りの商人の遣いの者や配属された兵士に至るまで………さらには市井の人妻にまで手を出すという節操のなさだ。
まぁ、概ね殆どの娘や女達はされたことに嫌悪感は抱いておらず、むしろ二度三度と懇願する女達が順番待ちをする程度には憎からず思われていたりするのだが。
そんなベアトリクスは改めて眼の前の美少女を眺め見る。
至近距離にあって、鼻腔に届く体臭は旅の垢を落としていないがゆえであろう、強めの………芳香だ。
身を清めずそのままが良いと夢想する。
見目の素晴らしさは女だらけの一行にあって、傍らのダークエルフに匹敵するほどに麗しく可憐だ。
ローブを脱ぎ去って顕となったのは年の割にはやや小ぶりの身長に細く長いしなやかな四肢。ふんわりとした艶やかな金髪と濃い空色の瞳は皇家の血を強く感じさせる。強い意志と深い知性を感じさせる相貌には未だ幼さを残していて、そのアンバランスな様が彼女の琴線に激しく触れてくる。
抱きたいと強く想った。
だが互いの立場がそれを許さないだろう。それにさっきからダークエルフと双剣を腰に佩いた戦闘侍女の視線が剣呑極まりない。
「私を掌中に収められるとお思いか? 人には其々に立場に見合った義務と責務があり、私はそれを果たしてきた。貴女の申し出はそれを放棄せよと言っているも同然でしょう」
「その立場を移しなさいと言っているのだ。そしてその先には今貴殿が取り組んでいる為すべき未来があると約束しよう」
「………手を差し伸べて下さると?」
「ああ、我が大願が果たされたならば」
「………もう一つ、望みがあります」
「どのような?」
「貴女が………欲しい」
ハンナが抜剣しようとした刹那、ユリアナは柄頭に手を宛てがい制止した。
「………私達は同性だが? ………とは言え………欲しいとはどのような意図が? 説明を」
「私は同性愛者です。沢山の女達を抱いてきました。ですが特定の伴侶を持ちません。貴女は………心を寄せたいと思わされた初めての方。伴侶となっていただけるのであれば我が武威を、いや、我が人生を捧げましょう!」
「そのまんまなのだな………」
戦闘侍女ハンナが気色ばむ。
「わたくしはユリアン様の出生時からお側に侍りたる身………お前などに、お前などにユリアン様のお身体を!」
「まぁ、待てハンナ。ユリアンを抱く程の価値ある武威があるのかどうかわたしがみてやろうではないか。ふむ、わたしは抜剣せず素手で相手をしてやろう。お前は剣でわたしに挑めばよい」
「いえ、クロエ様。先ずはわたくしめが。ユリアン様がいかに遠い存在であり、その身の至高なるかを刻み付けてやります」
「ふむ、そうさな。ユリアンは我らのユリアンだ。存分に思い知らせるがよかろう」
過ぎたる程に好戦的となったのは二人だけではなかった。ブリュンヒルデとマグダリアもまた怒りに眉が逆立っている。魔力滞留は可視できそうなほどに濃密となり、いつでも大魔法が放てる態勢だ。
ここに至りユリアナはようやく悟った。もしかして同性に性欲をもよおしていたのは自分だけではなかったのかと。
同行の四人全員が自分に………?
確かに武力に於いてベアトリクスは仲間達よりも劣るだろう。だが、政略に於いてはかなり強カードなとなる。むしろ彼女を仲間に引き込むのはそれこそが目的なのだ。だからここで叩き潰すとかはあってはならない。そして自身の身体が彼女の忠誠心とバーターとなるならば………むしろそちら方面で手練れのベアトリクスは初体験の相手としては有りなのではないか? などと考えているあいだにハンナとの決闘が成立してしまっていた。
「待って………」
制止の言葉も虚しく二人は激突する。
双剣を右側1本だけ順手で抜剣し、ロングソードで突きを放つベアトリクスの初撃を剣の背で滑らしつつ躱したハンナは相手の懐へ踏み込みショートストロークの右拳を撃ち込む。
コレを折りたたんだ膝で受けたベアトリクスは接触箇所を支点として、そのまま空中で前転しながら下方より剣を斬り上げる。まるで背中に目でも付いているかのようにコレを伏せて躱したハンナは四肢を使って跳ね上がり、身体を回転させて斬撃を放った。
既に距離をとっていたベアトリクスへと不可視の斬撃が襲う。それに対して同じく斬撃を撃ち返し、双方がパンッと音を上げて弾ける。
態勢を立て直したベアトリクスはハンナを見据えた………と思った瞬間に更に縦斬りの斬撃が飛んできた。コレを横薙ぎに弾いたまさにその時、もう一方の剣が喉元へと突きつけられた。
いつのまにか双剣となったハンナの手数勝ちだ。
まさに息を呑む応酬。ブリュンヒルデまでもが冷や汗を浮かべて瞠目している。そして「まだ及ばぬか」と小さく独り言ちる。
恐らくは体を入れ替えるような大きな動作以外、殆どの人々には不可視であろう超常の闘い。
負けたベアトリクスも充分に人外の武人であろう。ましてやそれをすら手玉にとるハンナの異常な強さは………
実はユリアナもハンナからは1本が取れないでいる。
「まずは話し合おう。ベアトリクスは必要だから、ね?」
こうしてベアトリクス邸の庭先で始まった出会いから決闘までの一通りが終わり、邸内での会合へと移行した。
先ずはとある取り決めが女達の中で話し合われ、そしてなんとか結論を得た………。
その話し合いの間、ユリアナは別室に隔離されており、その間の議題も決定事項の説明もなされなかった。同行の四人にベアトリクスを加えた五人による「順番」の取り決め。それはこれより暫し後に履行されることになる。
そしてユリアナを交えての話し合いが持たれた。
「私を差し置いて一体何を議論していたのだ?」
「配下としての………秩序に関する示し合わせであり、主の主体的関与は無用に御座います」
ハンナが答えた。
「それが序列に関わることならば無関係とは言えまい? 指揮命令系統の把握は主従関係に不可欠であろう?」
「………主従関係とは無関係の事柄にて」
どうにも要領を得ないやり取りに業を煮やしたあたりでクロエが問い掛けをしてきた。
「それで、ユリアンよ、ベアトリクスを配下としてどのように事を運ぶつもりなのかな?」
「………ベアトリクスは事の成った後にゼフュロスを始めとする四大公家領地の総督に就いてもらうつもりです」
皆が驚いている。特にベアトリクス本人が。
「裏切り者の家系にある私をですか?」
キョトンとした表情をしてからユリアナが語りだす。
「君の家は既に百年以上も前に降伏の意志を表明し、他三家からも疎外されがちだ。故に先の策謀からも外されている。そして自領に於いて投げやりな統治姿勢を隠さない他家と違い立て直しの意志と行動を………少なくとも君だけは示し続けている。領民の信頼を得られるとしたら四大公家に於いて君以外の人材は考えられない」
「高く評価していただけることについては大変光栄でありますが、150年余り前の裏切りと反逆の事実は厳然としてあり………」
「君は何かを裏切ったのかい? 君は自身の矜持を裏切って何かに反逆したのかい?」
「それは………」
「君の先祖が犯した罪を君が償わなければならないと? 馬鹿げている。君は君だ。集めた情報から伺える君は色事にだらしなくとも確固たる理念の元、秩序の回復を目指して清濁併せ呑む器を以て実績をあげている実に優秀な為政者だ。そして実際に接した印象としても信念を持ち、柔軟に事に当たれる実務能力を持った執政官でもある」
「………褒め過ぎにございます」
「いやいや、私の偽らざる実感だよ。色好みな点も込みでだがね」
この時、ぎこちなく笑うベアトリクスを見て可愛いとユリアナは思った。
その後も話し合いは続けられ………夕食を振る舞われた後の時間にベアトリクスはユリアナへの帰順を全面的に受け入れた。
先ず勝利後の采配を、民の安寧を企図した策を打ち立てたここでの交渉が後に多大なる効果を発揮することとなる。
ユリアナの復讐と救国の闘いはここからはじまるのだ。参謀であり最高戦力であるクロエの補佐を得て彼女の策謀はこれより先、深まってゆく。
自身の安寧を顧みない策謀の数々が具体化してゆき、誰もが驚愕する救国の闘いがはじまるのだ。
【第5話 大公家の令嬢達】
ゼフュロス領内での策略を幾つか巡らせてから南東へと向かった。
一月程の旅をしてノトス領内へと至り、ゼフュロスほどではないが貧困に喘ぐ民らを数多見届けた一行は領都まで徒歩3日といったところにある大きな街へと辿り着いた。この地は四大公領で唯一の高等学院があり、他大公家からも学生が集う学園都市となっていた。今、この地にはゼフュロスを除く三大
公家の姫らが就学している。
本家支配層は全て赦さずに滅ぼすことは確定している。だが、血筋を全て失うことも避けねばならない。故にこの地へと足を向けたのだ。
北の大公ボレアスのエイダ姫、東の大公エウロスのクラウディア嬢、そして南の大公ノトスのヘルガ譲。
ここでの行動は彼女達三人の身柄確保が主眼となる。
話し合いですめばよいのだが力尽くでの対応も想定しなければならない。先ずは最新の情報を。
この旅には影仕えの者が3名同行している。皆リカルダの配下だ。うち1名をこの地へ先行させて、何世代も前から現地入りして草となっている諜報員から最近の情報を聴取させてあったのだ。
「アーデルハイド、ご苦労さま。それで? 姫達の現況とノトスの状況はどうなっている?」
「先ずはノトスについてご報告を。あの策謀にはやや消極的であった当主テンガロには現在5歳となる三女がおります。彼の目下の目標はその娘をジークフリート陛下へと嫁入りさせることだそうです」
「………不愉快極まりないな」
「次女であるヘルガ様は余りにも厚顔であると、これに反対しテンガロの不興を買い遠ざけられておられるとか。この話は諜報活動を通してエイダ様とクラウディア様へも伝わっており、テンガロの皇家への接近志向と他大公家への叛意が公然となりつつあります」
「他大公家の対応は?」
「現在調査中にございます」
「調査結果が齎されるのはしばらく後か………先ずはヘルガ嬢に接触してみよう。段取りを頼めるかい?」
「はっ。お任せを」
その3日後、学院内の池の畔にあるベンチに腰掛けながら溜め息を吐くヘルガ嬢へと学院の制服を着た見慣れぬ少女が声を掛けた。
「お隣、よろしいかしら?」
「………ええ、かまいませんわ」
「あ、はじめまして。わたくしユリアナ・ルナ・ゼフュロスともうしますの。嫌われ者の家の出ですが、もし宜しければ以後良しなに」
「ゼフュロス………ヘルガ・ソル・ノトスですわ。良しなに」
女同士の挨拶では握手をしないのが通例だが、ソルを名乗るヘルガは握手が常であり、相手がゼフュロスであってもそれを崩さず公正さを以て右手を差し出した。
それに少し面食らったような表情を浮かべながらもユリアナはその手を取った。
「有り難いことです」
掌中にある白く小さな手を眺め、さらに真っすぐな視線を向けてくるその眼を見返す。
「公正なおかたなのですね。わたくしの不遇な立場に変わりはないのですから………それでも曇りなき眼で見ていただける。有難いことです」
二人は取り留めのない会話を交わしながらも互いに探りを入れた。
ヘルガが知らない学生………しかもゼフュロスは現役学生が在籍していないはず。その上「ルナ」?
この見事な金髪で吸い込まれそうほどに美しい空色の瞳の持ち主が継承権を持たないルナだなんて有り得るのだろうか?
皇家の………純血たる皇家の姫と言ってもおかしくない。
そこまで考えて思い至る。
「家名を偽るのは重罪ですよ?」
「………そんなに分かりやすいですか?」
「純血の皇家とも言われる当代と先代。そのお姿の風聞はわたくしにも届いておりますもの」
「はぁ、髪くらいは染めるべきですよね。しかし侍女が許してくれません」
「当然です。その見事な御髪を汚すなどそれそのものが罪ですわ。それにその眼が、曇りなき眼が主張するでしょう。高貴なるその立場を」
「………私に変装は無理であると………ふむ、致し方なし。さて、ヘルガ嬢、しばしのお時間を頂戴できるかな?」
「ええ、喜んで」
ここに至り二人は笑顔を交わしあった。年相応なる可憐な笑顔を。
その後の会話内容は年相応ではないのであるが。
さらに2日後、ユリアナと従者5名、それに3人の少女らが宿の一室にて会合した。
そこで四大公家に連なる者達がとある合意に達し、ユリアナの麾下となることを了承した。
さらに今後の行動計画を話し合う中でエイダ嬢の秘めたる才覚が発揮された。更には足りない情報や人物評はクラウディア嬢が尽く補足し、クロエですら舌を巻くほどに具体的かつ仔細な計画案が練り上げられていったのであった。
因みにテンガロの三女アメリアは姉のヘルガから見ても天真爛漫で尚且つ賢くもあり、既に気遣いができる才女の兆しが色濃い美少女だそうだ。血も濃い。
色眼鏡を無しに見れば寧ろジークフリートの嫁に相応しいような?
一先ず保留だ。
さて、次は東だ。