20番が幻音として鳴り響く
ショパンのいわゆる20番という曲は正式には別な名前があって、ある特別な意味を持ちます。ここではあえて、書いておりません。興味のある方はネット等でお調べいただければ、ヒントが見えてくるかもしれません。
僕は迷わず、父の部屋のドアを開けた。しかし、中には誰もいない。レコードプレイヤーも回っていない。なぜ…… でも、僕は気がついた、テーブルの上に赤い薔薇と赤いジャケットのレコードが置いてあった。そうだ、この曲は……
確かショパンのいわゆる20番、この20番には後世の人がつけた別なタイトル名があった。ショパンの死後には、いろいろなそういった有名な曲がある。例えば「雨だれ」「別れの曲」他にもいろいろ有名な曲などだ。そして、20番につけられたタイトルの意味は……
そうか、そういう事だったのか……僕には父がなぜ失踪したのか、果たしてそれがどのような理由だったのか何となくだけど浮かんできた。そのため、僕は必死にこの曲のつけられたタイトルの持つ本当の意味を図書館へと行って調べてみた。
やはり、でも…… 調べた結果いろいろな諸説があって、主に二つ意味があることに気づいた。しかし、なぜ、誰もいなくて、曲が流れていたのだろうか? はたして、誰が流したのだろうか? 僕は家政婦が知っているのではないかと思い、下の階へと降りた。家政婦は何かをしているわけでもなく、ダイニングで何かを思い浮かべるようにしていた。僕は思わず声をかけた。
「父は帰ってきたのですか?」
「いえ……」
「だって、ショパンの曲が流れていたじゃないですか?」
「いえ、私には何も聞こえませんでした」
「そんな……」
家政婦はうつむきながら答えて、僕は余計わからなくなった。家政婦が嘘を言っているとも思えなかった。しかし僕には確かにショパンの曲の調べが聞こえた。もしかしたら、僕に幻の音として聞こえたのだろうか……? でも、それは何かの意味がある。そのような気がした。そういうこともあり、入社して間もない会社に、特別にお願いして休みを数日もらい、東京へと手がかりを探すことにした。
東京といえば妹がいる。そう思うと僕の足取りは、妹と僅かながらだけど過ごした海の流木へと向かった。そこにも僕の想いと手がかりが残されているような気がして、迷うこともなかった。あの時と同じ夕暮れ時で海は淡く紅色に染まっており、何事もなかったように波音をたて、静けさを保ちながら僕を受け入れていた。
あの時に座っていた流木に目を向けると、そこには一輪の薔薇がそっと何かを語るように添えられていた。しかし、それは僕の瞳の奥に幻がにうつっていたようで、一瞬にして消え去っていった。するとそこには、妹が座っているようにも見えた。あの時のぬくもりすら感じるようだった。妹が僕に肩を持たれた時を思い浮かべ、もし僕も肩に手を回したらどうなっていたのだろうかと思うと、揺れる波音のように心に響いた。
家に帰り明日にでも東京へ行くのだろうかと考えると、妹に会えるという期待と、もしかしたら悲しい事実を知ってしまいそうで、眠りにつくことはなかった。真実を知ってしまうかもしれないと思うと、ある意味において恐怖心らしきものが芽生えた。
そして、東京へ出発する日が訪れた。その日は今までの謎が覆うように朝もやがかっていた。到着しロビーを抜けると、島のわずかな人の流れとは異なり、僕の目には多くの人が行きかい、それが無機質なもののように感じた。今から訪れようとする出来事が意味をなすのか不安になってきた。しかし、少なくとも妹と会えると思うと、胸の奥で何かが響くようにも思えた。妹は僕のことをどのように思っているのか、気になって仕方がなかった。
まずは父が勤務していた病院の院長を訪ねることにした。玄関を抜けエレベーターで院長室の待合所まで行くと、受付の係の者が親切に対応してくれた。話では院長の名前は白川という名であった。しばらく、院長室の待合所で待っていると職員から中に入るようにと言われた。
すると、あの曲が流れていた…… 偶然なのだろうが不思議な気持ちに陥った。僕は何もなかったかのように挨拶をすませて、雑談をした後に院長に尋ねた。
「父は若い頃はどのような性格だったのですか?」
僕にとって父親の若い頃の人物像が知りたかった。今は失踪していないけれど、それまでは朝から酒浸りであり、廃人と同様だったからだ。でも、以前に若い頃の父の活躍ぶりを聞いていたので、僕は期待する返事を待っていた。すると院長は答えた。
「ああ、健作君といったね。お父さんは若い頃はみんなが右を向けば、自分だけ左を向く性格だったよ。つまり、自分というものを持っていたんだ」
院長からの話を聞いて、父がそこまで自己に対して確固たる信念というものを持っていたことに、僕は驚きを隠せなかった。 僕には自分というものが存在しない。周りに振り回されてばかりで、自分はどのようなものなのかすらわからない。でも、父はそれを持っていた。さらに父のことが知りたくて院長に尋ねてみた。しかし、なぜか、院長は目を伏せて「もう、これ以上話すことはないから」とぽつりとつぶやき、何の手がかりも得ることもなく、僕は帰ろうとした時だった。