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にじんだ空

 短い眠りも起きだして、余韻の残るベランダへと再び向かうと、朝色はどことなく悲しみを帯びていた。僕は朝食を食べにいくと、妹はすでに朝食もとらずに支度をして帰ったという家政婦から聞いて驚いた。

 僕は思わず玄関のドアを開けた。すると妹のあの時の残り香が微かに漂い、思わず家を飛び出した。フェリー乗り場行のバス停まで、走っていった。懸命に走った……

 ようやく、バス停に着くと妹はバスに乗り込み座席についたばかりだった。僕は思わず声をかけると、それに気づいた妹はバスの窓を開けて身を乗り出した。そして、僕に大きく手を振ってきた。それが僕にはスローモーションのように感じられた。バスはまるで何もなかったかのように、エンジンの音を悲しく鳴らせてゆっくりと走り出した。僕は必死に追いかけた。無理なのはわかっているはずだけど走った。だけど残ったのは手を振る妹と声、僕が残した心の足跡だった。豆のように小さくなっていくバスだけが僕の残像として写った。気がつくと雨が僕の涙をかき消すように降りしきっていた。

 僕は家に帰ると、ずぶ濡れになっていたので、慌てて家政婦がバスタオルを持ってきてくれた。僕はそれ以上に、なぜ妹が突然帰ったことの方が気になって、さらに家政婦に尋ねると、妹からの置手紙を渡してくれた。帰る間際に僕に渡すようにと言ったらしい。僕はさっそく手紙の中身を見た。


お兄ちゃんへ


私は突然、用事が出来て東京へ帰ることにしました

雨が降っていたけれど、帰ることにしました

沖縄の海はとてもきれいでしたけど、帰ることにしました

お兄ちゃんのことは

やっぱり帰ることにしました

どうしてと思いましたけど帰ることにしました

ごめんなさい

お兄ちゃん、元気で頑張ってください


香住


 僕は手紙を読んで、悲しみが静かに音をたてるように波をうってくるようだった。妹はもういない。あの時……

 そう思うと僕はいてもたってもいられずに手紙を書くことにした。でも、僕は宛先を妹へと書けばいいのか、香住へと書けばいいのかわからず。文章だけしか書けなかった。


ごめんね

僕はわからなかった

よくわからなかった

でも

ごめんね

わからないんだよ

なんと書けばいいかわからなくて

ごめんね

元気でね


健作


 僕はそれ以上書くことはできなかった。その日から風景の色がくすんで見えるようになった。正美さんといえば、何事もなかったかのように職場では接してくれ、いつもどおり明るい笑顔をふりまいていた。それも不思議だったけど、なぜか母親が恋しくなって、今まで感じたことのない気持ちになって、どうすることもできない思いをぶつけるところがなくて、どうすればいいかわからなくなって…… 気づけば父親が歩いていた海辺をさ迷っていた。僕の心を象徴するかのように……。

 もし、お母さんがいたら僕に今なんて声をかけてくれるのかな…… 健作しっかりしなさいって声をかけてくれるのかな。優しく抱きしめてくれたのかな…… わからないんだよ。どうすれば……

 お父さんもこんな気持ちになったのかな…… 僕が思うように、そう思ったのかな。だって、お父さんも…… 空を見上げると、くすんだ空が涙で洗い流されてくるようだった。

 妹が帰った日、あくる日、そのあくる日も、僕はそのくすんだ遠い空を見渡すように、なぜ生きているのだろうかという思いにふけった。まただ。このように思うのは…… なぜ……

 今頃、父はどうしているんだろうか……? お母さんは遠い空から僕のことを見ているのだろうか……? でも、父の勤めていた院長も祖父もお母さんについては何かありそうな言い方だった。本当にお母さんは死んだのだろうか……? いろいろな想いが交錯していった。だけど、このように思うことが生きているという意味を考えるようになったのかもしれない。そう考えたなら、妹の存在が僕にとって全てだったのだろうか? そうじゃないとおかしい。もし違うなら、僕は全く無意味にも思える。考えすぎなのだろうか? 僕は年寄りじみているのだろうか? 胸の中の苦しみが一気に噴き出てくるようで、辛くて辛くてたまらなかった。

 僕の心が表情に表れたのか、今まで何事もなかったように接してくれていた正美さんが、突然僕に話しかけてくれた。「健作君、考えすぎよ」意外だった…… どう受け止めていいのかわからなかった。なぜ、僕の気持ちがわかったのだろうか?

 僕は「ありがとう」と素直に答えた。その響きが何となくうれしくて、苦しみもがいていたことが解放されるようにも思えた。でも、よくわからない。本当のことを言うと……

 そんな時だった。僕が自室にいた時のこと。ベッドに横になっていて、空を眺めていた。突然、父の部屋からいつも聞こえていた、ショパンの曲が流れ始めた。その調べはなぜか空からのメッセージのようにも聞こえた。くすんで見えた景色が透き通るように見えた。それはまるで、僕に答えを教えてくれるような気もした。

 しかし、父はいないはず……。どうして‥…?


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