たゆたう心の調べ
悪戯な夜は何事もなかったように過ぎていった。残されたのは僕の後悔だけだった。それがかえって僕にとっては妹への特別な感情の膨らみを抑えきれなくなった。気がつくと僕は海辺を歩いていた。月はたゆたう海の調べのように輝きを隠し切れず、妹の姿が浮かんでは消え、瞬く星空の中へ輝き続けるようであった。
遠くへ浮かぶ漁船の灯りはまるで僕へ悲しみの色をともし続けるようであった。
妹との距離が自らと星空との距離のように遠く感じた。どうして、兄妹である妹にこのような想いを寄せるのかと思うと、夜のしじまとは裏腹に僕の心は乱された。
ふと気がつき、なぜ生きているのだろうかと考えてしまう。僕は幸せなのだろうか? 少なくとも愛されてはいる。でも、僕の気持ちはよくわからない。何を思い、何をしたいのかすらわからない。正美さんの気持ちを想うと辛くてたまらないし、妹への気持ちの整理すらつかない自分がもどかしい。
思い起こせば幼い頃に父が僕を肩馬してくれて、この海辺を歩いた記憶がよぎった。あの頃は父も酒には溺れてはいなかったと思う。なぜ? 母を失ったのであれば、あの頃すらなかったはず。だけど、こう思うのは父の姿と僕の姿が鏡写しのようだからだろうか?
そう思いながら、僕は家路へと向かった。道路脇に咲いているハイビスカスは月の光を映し出していたけれど、なぜか輝きを失っているようだった。
家に帰りつくなり、家政婦が慌てた様子で会った。僕は何があったのか聞くと、どうやら、父の部屋を片付けていたら、棚から手紙らしきものが出てきたらしい。その内容があまりに衝撃的であった。
死という選択は俺にとって不自然なことではなく、出発点にすぎない
またしても短い内容であったが、家政婦は顔をこわばらせて僕に告げた。
「ご主人様が、ご主人様が……」
僕は家政婦に落ち着くように言ったが動揺を隠し切れないようであった。僕もその手紙らしきものを読んで不安に襲われた。父は生きているのか? 家政婦も当然ながらそう考えたらしい。しかし、僕には父の死はなぜか感じられなかった。それは不思議なことだったが、自分でも理由はわからなかった。
僕は意外なことに気づいた。それは開いたギターケースにギターが入っていたからだ、それがかえって謎めいていた。少なくとも家政婦も気づくはずであって、それを僕に告げないのが考えられなかったからだ。
ギターをケースに入れたのは誰かわからないけれど、父の存在を感じ取った。そう考えると一度この部屋へと帰ってきたことになる。もしくは理由はわからないが家政婦が入れたとしか考えられない。しかし、僕は父が生きている証のようにも思えた。そうなると、手紙の内容と矛盾しているようにも思えた。僕は気になって、ケースからギターを取り出した。すると中には赤い薔薇の花が眠っているように置かれていた。
就職してから、正美さんはどことなく、よそよそしかった。特に親しくするわけではなく、どことなく影があるよう思えた。僕は仕事が終えると決まって海辺を歩いていた。歩く度に父と妹の姿が思い起こされた。父は今、どうしているのだろうか? 生きているのだろうか? 海は優しく微笑むようであったが、僕の心は常に空洞のようだった。僕はこの頃からなぜ生きているのかさらに悩むようになった。食事にも恵まれ、生活には全く不自由なく、職場の人間関係も良好だ。しかし、なぜか足りないものがある。そのことがわからない。
ある日のことだった。正美さんは僕が海辺を歩くことを知っていたのか、一緒に歩きたいと言ってきた。断る理由もなく一緒に歩いた。すると、彼女は涙を流し始めて僕に打ち明けた。
「健作君、私は里親に育てられたの」
僕は驚きを隠せなかった。実の親について尋ねると固く口を閉ざして教えてくれなかった。正美さんは思いつめていたので、それ以上尋ねることはしなかった。彼女は僕の手を握ってきた。僕は正美さんに憧れを抱いているけど、なぜか、抵抗を感じた。しかし、今の彼女の気持ちを考えると手をふりほどくことはできなかった。はっきりしない僕の態度が多分に行けないのだろうと思う。今までの事を考えると正美さんは僕に好意を持っているとしか思えない。しかし、自分が里親に育てられたということを伝えてきたのだろうか? それは僕の考えすぎかもしれないけど、なにかしら、不自然さを感じた。
僕はなぜか妹の姿が見えて仕方がない。だって、妹じゃないか。そんな気持ちになること自体がおかしい。でも、あの時「お兄ちゃん」と言って僕の手を繋いできた時のぬくもりが忘れられない。確かに一緒に育ったわけじゃないけど、実の妹じゃないか。僕は一体どうすればいい。正美さんに対して、妹に対してどうすればいい。僕の心の行方はどこにあるのだろうか? 僕は思った。もしかして、妹に対する気持ちが恋心というものなのだろうか? いや、それはあってはならない。そう言い聞かせながら、正美さんと別れて家路へと向かった。道脇に咲くハイビスカスの花がなぜか優しく微笑むようであった。それが僕にとって何を意味するのか分からなかった。




