足音のする回転木馬
僕はどうして、父が津堅島に移り住んだのか気になって仕方がなかった。例え母が亡くなったとしても、その理由がわからなかったからだ。そのため何か手がかりがないか病院を訪れ、院長に再度問い合わすことにした。
部屋に入り僕を見るなり、院長は動揺している様子がうかがえた。そして僕は再度尋ねた。
「先生、どうして、父は津堅島に移り住んだのか知らないですか? 実は今行方不明になっているのです」
「ああ、それは……、そうだったな……」
「どういうことですか」
「いや、思い過ごしだ……」
そう言いながら、院長は目を伏せた。そして、沈黙を保っているばかりだった。僕は仕方なくホテルに帰ることにした。混乱していたけれど、なぜか妹の姿が僕の心に浮かんだ。窓から外を眺めると街並みの灯りが悲しくにじんで見えた。僕はなぜか生まれてから一度足りともぬくもりを感じた事のない母の姿を想像しながら、街並みを眺めつづけた。街並みは静けさとともに、母のぬくもりの証を感じさせ、灯りがひとつひとつ消えていくまで、僕は眠りにつくことはなかった。
朝になると、僕はホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら軽く食事をしていた。ふいに後ろから気配が感じられ、振り返ると小麦色をしたショートヘアの少女がいた。僕は一瞬だけ自分の目を疑った。いるはずもない彼女がいるように思えたから。しかし、それは一瞬の出来事で、すぐさま少女は過ぎ去っていった。なぜか郷愁ともいえない不思議な気持になった。僕はなぜか追いかけることはなかった。何かがためらいというものを作り出しているようであった。
軽い朝食をすませると、僕は妹の自宅へ向かうことにした。なぜなら、そこにまだ父の手がかりが残っているような気がしたからだ。到着し玄関のチャイムを鳴らした。その音は僕の心にも響くようだった。するとすぐさま、妹が現れ「お兄ちゃん」と声をかけられた。しかし、それは僕にとってなぜか異なる響きだった。それが不思議でたまらなかった。確かに兄には変わらないのだけど、妹はためらいもなく僕の手を取り自宅内へと導いた。その出来事はもともと内気な僕は恥ずかしくてたまらなかった。出会って二回目の僕の手をとることが理解できなかった。
リビングに入ると先日訪問した際に対応してくれた、妹の祖父、いや僕の祖父が声をかけてくれた。
「健作君、お父さんとは会えたかね?」
僕は否定すると祖父はためらいを隠し切れないように呟いた。
「そうか……」
その響きがいつまでも僕の心に残るようで思わず僕は問いただした。
「父は父はどこにいるのですか?」
「それはどうかな……?」
僕は理由を問いただしたが、父が勤務していた病院の院長と同じような雰囲気で沈黙を保ったままだった。僕は嫌な予感がした。まさかと思ったからだ。しかし、祖父は帰り際に僕にそっと声をかけてくれた。
「大丈夫だよ……幸樹君は……」
「え、父は、父は?」
そう問いただすも祖父は大丈夫であるとしか言わなかった。僕はせめて、母の墓参りだけがしたくて、墓の場所を聞いた。しかし、祖父は悲しみの言葉を漂わせた。
「ああ、恵子は生前から、自分が亡くなったら海に散骨して欲しいと言っていたからな……」
僕は祖父の余韻のある言葉に何らかの疑問を抱いた。それは道なき道を歩いているようで、さ迷う心はとどまることを知らなかったようであった。東京の喧騒の中から想いを残しながら逃げるように津堅島へと帰った。
津堅島へ帰ると就職先での勤務が待っていた。僕は社会人として初めて体験することばかりで、戸惑っていた。勤務先では同じ部署に正美さんがいた。笑顔を見せてはいたけれど、どこかよそよそしかった。しかし僕の心に吹く風は正美さんではなく、妹だった。「お兄ちゃん」と言って僕の手を取った、あの時の微かなぬくもりがいつまでも心に残像として映し出されていた。それは消えそうな蝋燭の灯りであったけれど、僕は常に手をかざしていつまでも灯そうとしていた。そう思っていた矢先だった。妹から手紙が届いた。
お兄ちゃんへ
元気にしていますか。香住は元気ですよ
でも、お兄ちゃんに会ってから何だかお父さんが恋しくなって……
お兄ちゃんはどう思っていますか? どう感じていますか?
香住はなぜか、お兄ちゃんが帰ってからなんだか元気がなくて……
こんなことを言ったらダメよね……
だってお兄ちゃんなんだから
香住はね……
やっぱりいいかな、またお兄ちゃんに会いたいな
また、東京へ来たら香住の家に遊びに来てね
香住
僕は手紙をもらってから、返信したものの、なんだか余計に妹に会いたくなって東京へ行きたかったが、仕事を休むこともできずに、心の中にすっぽり穴が開いたような気持ちになって、妹に対する気持ちがあちらこちらへと飛び交っていた。
それはある日のことだった。僕が仕事が終わり会社の廊下を歩いている時に何かしらのぬくもりを感じた。そして次の瞬間、悲しみが帯びた声が聞こえてきた。
「健作君……」
僕の背中に回した手を振りほどいて後を見るとそこには正美さんがいた。意外だった。彼女は再び僕の胸に飛び込んできた。僕はその場に立ちすくんでいた。僕はどうすればいいんだ。そういう声が自らの声として響いて仕方がなかった。