08_異世界初の食事
安保隊事務所を出ると空が茜に染まっていた。地上では営業を始めた無数の飲食店が競い合うようにきらびやかな装飾を光らせる。
「今日はちょっと奮発するか」
そう呟くとレントは薄暗い路地の方へと歩みを進める。
「キョーカの分は俺らで出すから気にするなよ」
「あ、ありがとう」
今の一言にレントの良さと悪さが詰まっているように感じた。
しばらく歩くと提灯のようなものを下げた落ち着いた雰囲気の店が現れた。暖簾の隙間から見るに、意外と繁盛しているらしい。
暖簾をかき分けながら入店すると香ばしい揚げ物の香りが漂ってくる。店内は思いのほか広く、6人掛けのテーブルが16席、奥には座敷も見える。
6人掛けのテーブル席に案内された私たちは席に着く。
目の前にはレント、その隣にアメジア。私の左隣にエマ、その隣にザックが座る。
着席と同時に二つしかないメニュー表はレントとザックの手に渡る。それぞれ隣り合う二人で共有しながら見ている。
(あの、私もメニュー表みたいな。何か美味しそうなのあるかな。って奢りだから決定権ない的な? まあ、当たり前か……)
心の中で一喜一憂していると、横に座っているエマがそわそわしている。
「ザック、キョーカさんにも見せないと」
「ああ、悪い、いつもの癖でな」
はっとした顔を見せたザックがエマの目の前、少し私よりの位置にメニュー表を置く。
私がメニューに目を通そうとしたタイミングでレントが話しかける。
「なあ、せっかく5人なんだしこれ頼まねえか」
レントが指さす先には大皿のオードブルの写真があった。下には五人以上限定と書かれている。
「さんせーい! 私もそれ気になってた」
アメジアのテンションが目に見えて上がる。
「お前らもそれでいいか?」
レントが私たちに問いかける。
「俺はそれでいいぜ」
「私もそれでいいです」
ザックに続くように私も賛同する。横ではエマが小さく頷いていた。
「よし、決まりだな」
「すみませーん」
テンションの上がったアメジアが大きく手を振って店員に合図を送る。
「えーと、フレーシア特産品オードブルを一つ。それと、ウェルタ酒3つとフルーツジュース2つお願いします」
「念のためお酒を飲まれる方は個人カードの提示をお願いします」
「あ、ごめんなさい、やっぱりウェルタ酒2、フルーツジュース3で」
そういうとアメジアとレントは個人カードを提示する。
「はい、ありがとうございます。それではお料理が完成するまで少々お待ちください」
(もしかして私もお酒飲む体で注文してた? この世界では18からお酒飲めるってこと?)
そう思いながら周囲を見ると、壁に貼られたポスターに「飲酒は18から!」と書かれていた。
しばらくして取り皿と飲み物を持った店員さんがやってくる。
「こちらフレーシア名物フルーツジュースとウェルタ酒になります」
目の前におしゃれなグラスに入ったジュースが置かれる。見た目はバナナオレのようだが、香りはマンゴー強めのトロピカルジュースのようだった。
一方、向かいでは初めて見る光景が広がっていた。グラスにお酒を注ぐまでは理解できるが、そのグラスが升の中に入っている。しかもグラスには零れそうなほどお酒が注がれている。
(あれ、どうやって飲むんだろう)
そんなことを考えていると、レントとアメジアはそろって升の中へお酒をこぼし、グラスの7分目ぐらいに嵩を調整する。
「よし、それじゃ飲み物を持ってくれ」
乾杯なんて経験したことない私は左をチラチラ見ながらなんとか合わせる。
「ウェルタ村任務達成とキョーカちゃんと出会いに――」
「かんぱ~い」
グラス同士がぶつかり涼しい音色が響く。
そのまま一口飲んでみる。
「何これ、めっちゃおいしい」
心の声がそのまま口から出ていた。
味わいは桃とマンゴーを足したような芳醇な甘み、飲み込むと同時にパイナップルのようなトロピカルな芳香が鼻を抜ける。
ジュースの味わいに感動していると大皿に乗った料理が到着する。
大皿の中央には黄色い枝豆のようなものが山盛りに盛り付けられ、それを取り囲むように刺身、野菜の煮物、大きな卵焼き、唐揚げ、エビフライ、とんかつ、白身魚の塩焼き、肉団子、てんぷら、ちまきと様々な料理が並べられている。
なじみのある料理だが、使われている素材の見た目が違うものがいくつかある。
まずは野菜だ。黄色の枝豆をはじめとして、濃い赤色をしたニンジン、緑色の皮をしたナス、紫色をしたレンコンと知っているものとずいぶん色味が違う。
そしてもっと驚きなのが海鮮系だ。エビフライのサイズが私の肘から指先までと同じぐらいの大きさがある。刺身や塩焼きも知っているものより一回り大きく、元の魚が大きかったことを連想させる。
逆に、卵焼きや肉料理は見た目の違いは見られない。
「やっほー、早い者勝ちよ!」
お酒も入ってさらにテンションが上がったアメジアが真っ先に箸を取る。
それに続くように私も全種類取り皿に取り、気が付いたら手元にミニオードブルが完成していた。
そして、その中でひときわ存在感を放っているエビフライを手に取る。最初は箸で食べようと思ったが、大きすぎてうまくつかめなかった。
「ザクッ」
サクサクな衣にかぶりつくと凄まじい弾力に歯が押し返されそうになる。負けじと歯を入れるとプルンと口の中に塊が入ってくる。咀嚼するごとにブリンブリンの身が口の中でダンスする。そしてかみしめるほどにうまみが広がる。
「このエビめっちゃおいしい」
「これ美味しいよね、リープシュリンプっていうのよ」
アメジアもほおばりながら反応する。
「そんな名前なんですね、覚えておきます」
「ええ、このエビは変異したことで強力な跳躍力を手に入れた種類なの。だから身が大きくて引き締まってるのよね」
「ええと、変異ってことはこれ、魔物なんですか?」
「ええ、そうよ」
「え、魔物って食べれるんですか!?」
「ええ、食べれるわよ。むしろ通常種よりおいしいし魔物の方が人気だわ。魔素を吸ってるといっても人間には特に影響ないしね」
その言葉を聞いてはっとする。
「人間って魔素の影響を受けないんですか?」
「多分ね。魔素による変異が始まってから8年経つけど人間が魔物化した例っていうのは一件もないわ。魔素を吸いすぎることでエルフやドワーフに変異するのではないかという説もあったけど、研究者曰く、種族が根本から違うからその線は薄いってさ。魔物は変異しても種族ごと変わることはないらしいの」
「ちゃんと研究されてるんですね」
「ええ、どうも人間の病気がエルフやドワーフにうつるかっていう実験をしたらしいわ。その逆もね。で、何回試しても感染することはなかったことから種族が完全に異なるってことらしいわ」
パンッ
話し終えると同時にアメジアが手拍子を打つ。
「まじめな話は終わり! 今は頭空っぽにして食事を楽しみましょ!」
私は頭の代わりに箸を動かす。
アメジアの言っていた通り、変異したと思われる野菜と海鮮がずば抜けて美味しかった。
私のお気に入りは黄色い枝豆だ。さやの中でパンパンに育った豆は、まるでピーナッツを食べていると錯覚させるほどコリコリの食感で噛むごとにうまみと塩味が口の中に広がっていく。私は枝豆の青臭さが苦手であまり進んで食べてこなかったのだが、この枝豆は青臭さがまったくなく、私にとって革命だったのだ。
「ごちそうさまでした」
気が付いたら山盛りだったオードブルが姿を消していた。
「う~~トイレ! トイレ行くぅ」
完全に出来上がったアメジアが駄々をこねるようにトイレをせがむ。
トイレという単語を聞いて、急に私も尿意を感じる。そういえば、この世界に来てから一度もトイレに行ってない。
みんなに一言かけてアメジアの後を追うようにトイレに入る。
開いている個室に入ってカギを締めると、マントとスカートが汚れないように気を付けながら下着を下し便座に腰掛ける。
ふぅ~と一息ついているとあることに気づく。洋式のトイレ、なじみのあるカギ、そしてトイレットペーパー、すべてが既視感しかなかった。きっとこれらのアイテムは勇者によってもたらされたものなのだろう。
濡れた個所を拭いて立ち上がる。流し方が分からなかったらどうしようかと思っていたが分かりやすくボタンがあり杞憂に終わった。
手を洗っていると後ろからヘロヘロのアメジアが合流する。
「ちょっと、アメジアさんしっかりしてください」
「さんじゃないでしょ~ ア・メ・ジ・ア! 呼び捨てで呼んでよ~」
酔いつぶれたアメジアを介抱しながら席に戻ると、皆はレジの方へと向かっていた。こちらにも酔いつぶれた人が一名。ザックがレントを介抱していた。そして、レジにはエマが立っている。
「フレーシア特産品オードブル1点、ウェルタ酒7点、フルーツジュース6点、合計で55,900 RDLになります」
メニュー表を見ながら思ったが、1 RDLの価値は1 円の価値とほぼ同じなのかもしれない。
ちなみに、オードブルは5人前で 50,000 RDL、ウェルタ酒は一杯 500 RDL、フルーツジュースは一杯 400 RDLだった。
「あ、あの領収書ください」
思わず吹き出しそうになる。
非現実的なきれいな声で超現実的な単語が発されるシュールさに不意打ちを食らった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております~」
店員の陽気な挨拶を背に店を出ると夜風が頬を撫でる。空が暗くなったのに対して地上は一層の輝きを見せる。その様は夜の帳が下りるというより、夜の帳が上がったという方が相応しいのかもしれない。