02_森から始まる異世界生活
そよぐ風が頬を撫で、木漏れ日がチラチラと眼をくすぐる。
「まぶしいなぁ」
睡眠を妨げられた不快感を口にしながらキョーカは体を起こす。
地面にはフカフカの芝生、周囲は木々が生い茂っている。
まさに大自然だ。
(そっか……確か……大きな魔方陣の中に入って……)
徐々に記憶が追い付いてくる。
「ここが、異世界……なのかな……?」
そう呟きながら立ち上がる。
視点を高くしてあたりを見渡しても特に何も見当たらない。
視線を落としてみる。
ひざ丈のスカートが風に揺れている。
(ちょっと暑いな……)
初夏の森に冬用の制服はさすがに暑い。
ブレザーのボタンをはずしパタパタと風を送り込む。
歩を進めると、靴下だけの足裏に大地の感触がダイレクトに伝わってくる。
(森の中に転生させるなら、せめて靴も欲しかったな……)
そんなことを心の中で呟きながら近くの木に歩み寄る。
私は1mほどの少し太めの枝を手に取った。
外敵に備えるためだ。
「!?」
私にとって驚くことが起きる。
「右手が痺れない……」
私は小さいころから剣道を学んでいた。
だが、去年の夏の大会で右腕に重傷を負った。いや、負わされた。
その時の後遺症で、ものを持つと痙攣したり痺れたりしていた。
無論、竹刀なんて振れたもんじゃなかった。
それが完治している。
(ちょっと振ってみようかな)
好奇心に駆られ、枝を正眼に構えてみる。
右足を前に出し、左足を後ろに引く。
踵をほんの少し上げ重心を前方に向け、
いつでも前に飛び出せるイメージをする。
ふぅーと息を吐き脱力する。
「はっ!」
左足で踏み切り飛び出すと同時に枝を振り上げる。
そして、右足が着地すると同時に振り下ろし、左足を引き付ける。
ビュンと枝が空気を切り裂く音が聞こえる。
「振れた!!」
一年半ぶりに振った一刀は、予想とは裏腹に完成されたものだった。
無性に嬉しさが込み上げてくる。
でも、それと同時に疑問も浮かぶ。
(あのまま剣道を続けられてたら3段に上がれたのかな……)
少しナイーブな気持ちになりながら構えを解く。
一呼吸おいて枝の中腹を左手で持つと、視野を広げた。
どこを見ても同じような風景が並んでいる。
(とりあえず森を抜けて人に会いたいな)
そう心の中で呟きながら探索を開始する。
方角?そんなもの女の勘である。
――しばらく探索をしていると少し開けた場所に出た。
ちょっと休憩しようかな。
木の幹を背にして木陰に座り込む。
実際の探索時間は30分前後だが、体感時間は1時間ぐらいだった。
代り映えしない景色というのは、時間を引き延ばすものである。
ぼーと枝葉が揺れるのを眺めてリラックスする。
何度か深呼吸をして、探索に戻ろうと腰を上げようとしたその時、
視野の右端に異変をとらえる――
太陽光に照らされたそれは緑色に鮮やかに輝いていた。
体長は約40cmぐらい。
透明なスライムに緑色のスパンコールを大量に混ぜたような見た目の生物が
何かを伝えるようにもきゅもきゅと体を動かしている。
ちょっとかわいい。
(なにあれ?)
脅威は感じないものの、念のため枝を構えそれに近づく。
すると、まるで案内するようにこちらが進んだ分だけ移動していく。
ついて行っていいものか疑心暗鬼になりながらも、
唯一の道標を信じることにした。
ついでに”もっきゅん”って名前も付けた。
10分ほど歩いたところでもっきゅんの動きが止まり、
またもきゅもきゅと体を動かし始めた。かわいい。
視線を上げてみるとそこには――
一面緑色に輝く幻想的な景色が広がっていた。
(もしかしてこの景色を見せたくて私を呼んでくれたのかな?)
笑顔でもっきゅんのほうへ視線を移す。
あれ、さっきまでそこにいたはずなのに。
周囲をきょろきょろと見渡してみるももっきゅんは姿を消していた。
なんでいなくなったんだろうと疑問に思いながら改めて美しい景色に目を向ける。
そして私はやっと気づいた。
「これってもしかして――」
気づくと同時に答え合わせが始まった。
茂みからもっきゅんが出てくる。ヤツに抱きかかえられながら。
体長50cmの巨大な蚊みたいなヤツが前腕でもっきゅんを押さえつけている。
ヤツは口吻を伸ばすともっきゅんに突き刺した。
暴れるもっきゅんを尻目に口吻をグネグネと動かし何かを吸い取ろうとしている。
そして――
スポンッと音がしそうな勢いで、
もっきゅんの体内から赤い球のようなものが吸い込まれていった。
途端にはじけた水風船のようにもっきゅんは破裂した。
一面に広がった体液は、よりその場を幻想的に彩った。
そして、ヤツはこちらに目を向けた。
ジジッジジッと羽音を立てるとどこからともなくワラワラ出てくる。
ぱっと見で20~30匹ぐらいいそうだ。
「ヒッ……」
声にならない声って多分これのことだろう。
そして、一斉に飛び立ちこちらへ向かってくる。
「ぎゃーーーーーーーーー」
とにかく一目散に後ろへダッシュした。
50cmの蚊がクマバチのような羽音をたてて追ってくる。
(無理無理マジ無理ほんと無理!!)
虫嫌いの私にとってまさに地獄である。
唯一の救いは、飛ぶ速さが私の走る速さとほぼ同じこと。
とりあえず追い付かれることはない。
振り切ることもできないけど。
悲鳴を上げながらただただ全力でダッシュする。
そして、私はたどり着いた。
袋小路に
――終わったんだ私の第二の人生――
恐る恐る後ろを振り返る。
羽を畳んだヤツらが一面を黒く染め上げゆらゆらと蠢いている。
(キッモチワリー)
顔面蒼白、凍った背筋で枝を構える。
ここから入れる保険があるなら教えてほしい。
ああ、せめて人に会いたかったな。