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4.ミセス・ミルトン 紅茶を断る


 ミセス・ミルトンは運ばれてきたお茶を、手をかざして断った。それではコーヒーはいかがですか? と一応伺いを立ててみれば、頭に作用する飲み物は好みませんとの返事が返った。


 フレディは立ち込める暗雲を感じずにはいられなかった。


「ミセス・ミルトン。今日はどのようなご用件でお越しいただいたのでしょうか。こちらにはそこまでは記されていないようです」

「どこまでが書いてありますの?」


「あなたが大切な恩師であることと併せ、くれぐれもよろしくとありますよ。お話を始められてください。まず最後まで拝聴いたします」


 手紙は一度、封が切られたらしい跡があった。気付かぬ者なら気付きはしない痕跡を、刑事はもちろん見つけるものだ。


 けれどこれにはまた差出人がわざと誘うような封をしたのではないか? と思わざるを得ない痕もあった。さてメアリーアン、どこまでが君の策なのか。

 見かけによらず喋れば確かに、彼女は結構くるくる回る。


「私、クレイクリフで子女のための学校を開いております。開校しまして十二年と歴史はまだまだ浅いながらも良家の皆様の支持を得まして、経営はまずまずの状態と言えるでしょう。私は経営者でもありますが自ら学院長も勤めておりましてね。良妻賢母の養成に力を注いでいるのです」


「ロンドンには、今回はなぜ?」


「夫は五年前に亡くなりましてね、身内と言えば息子のジョンがただ一人です。オックスフォードを出させまして以降、いずれは学院を継がせる心積もりで見習わせて参りましたが、そのジョンが何を考えましたのかこんなものを残して家を出まして」


 話は質問の答えに近づいているのか? フレディは失礼、とバックから登場した封筒を受け取った。

 一文だ。


『手紙を書きます     ジョン』


「私すぐに息子を追って参りました。醜聞となることなく見つけ出したいと思っています。学院の信用に関わる一大事ですよ。このようなことが父兄の耳に入りましたら、なんと思われることか。女手一本ではなく立派な跡継ぎのあることも、信頼の因となっていることも承知しているはずですのに、あの子は何を思ってこんな真似をしたものですかね、気が知れないですよ」


「ジョン君というのは、現在おいくつなのでしょう」


 何もないことはわかっていても、つい紙を裏返してしまう。白紙を確認した後はそれを手の中で玩びながら、フレディは当たらない質問を出してみた。


「今年の春で二十六になりました。あなたと同じ年頃ね」

「大学を卒業してから数年……ですか。ご子息はすぐにあなたの学院に入られたのですか」


「在学中から手伝いはさせていましたし、卒後は教師として教壇に立つ日々でした。英文学ですの。どちらの席に加わっても会話に加われる淑女を、私どもは理想としましてね。男子学生と似通ったものを、一通りは学ばせているのです。昨日と今日の授業は急用のため外出したと言って自習にしていますけど、続きますと不審に思う者も出てきてしまいますわ。私がこうして学院を離れることも数年来なかったことですし、生徒の中にはまったくの従順とは言い難い娘もおりますから」


 進むべき展開ではなかったらしい。咳払いをして、ミセス・ミルトンは言い足した。


「頭が良いのです」


 さもあらん。


「ジョン君ですが。見つけ出した後、どうなさるのですか?」

「即刻、連れ戻します。あってはならないことですのよ? これは家の恥ですわ。何もなかったことに戻さなくてはなりません」


 息子の性質は知らねども。家に居ては息が詰まったのだろうと、ミセスの右手の(こぶし)を見て思ってしまっていた。


 なかったことに戻せるのだろうか。息子を探し出して突き出すのは(すでにこんな言葉に心情が移行している)、彼には酷というものではないのだろうか。


「彼がなぜ家を出たのか、心当たりはありませんか?」

「わかりません」


「何かきっかけがあったのでは?」

「存じません」


「争いごとなどは」

「私と? 母親ですのよ?」


「どなたか他に、日頃から気持ちがすれ違っていた方などはいませんか」

「いいえ、とんでもない。学院内部に次期学院長に逆らう者など在り得ますかしら」


 非常に埒が明かない返答の数々である。母親との争いも、次期学院長への反発も、一般的には起こり得るものだろう。


 この調子では捜索のための手がかりなど、一つも出て来そうもない。


 ではどこから……、と出番のなかったペンを正位置に戻したところで、フレディは捜索を始める予定のないことを思い出した。メアリーアンの指示書に従うだけだ。

 話せ話せ、話を続けろ。決して機嫌を損ねずに、どこか他へ助けを求めに行かないように。


「では、彼の行きそうな場所や親しいご友人のお名前と、できましたら住所などを教えていただきましょう。当たっていけば何か手がかりが見つかるかもしれません」


「存じませんわ」


――ひとつも?


「なぜロンドンだと思われたのですか?」

「他にどこに行きますの? 家出と言えばとりあえずは都会に出るでしょう。それにどこへ向かうにしても、まずロンドンじゃありませんか」


「そうですね。旅行の手配にも便利ですし。可能性は高いと言えるでしょう。大学はオックスフォードだとおっしゃいましたが、カレッジ名と卒業年度がおわかりになればおっしゃってください」


 もう一つ常道の質問、『ロンドン以外で彼が訪れそうな友人を』については持ち出さないこととした。

 これ以上の『知らぬ』を聞くことは、しのびないように思えたのだ。母と息子とはこのようなものだろうか。


 だが少なくともミセス・ミルトンは、息子の卒業年度とカレッジ名をはっきりと言うことはできた。

 息子の格を語るためだろうかと、穿った考えをする自分の心がしのびない。


「私共には体面は重要ですの。捜査に当たっては細心の注意をお願いしますわ、幾重にも厳重に。どこから漏れるか知れたものではありませんもの。クレイクリフの息子が逃げ出したなんてことが知れ渡ってしまったら、一息に学院の崩壊に繋がりかねませんわよ」


 鼻が鳴った。しかしフレディは(もはや)ひるみは見せなかった。

 慣れてきたのだ。


「わかりました。充分注意をはらいながら進めることをお約束します。連絡はどちらに? ロンドンにはご滞在ですか?」


「宿は後に回して新聞社を訪ねました。支配人が変わっていなければパークサイドに部屋をとりますわ。ホテルというものは支配人が違いますと、何もかもががらりと変わってしまいますもの。昨今はそれも、変わるとしたなら悪い方向にばかりです。時代ですかしらね」


 フレディは曖昧に笑った。同意を示して受け入れていただくには、おそらくは年が足りていない。ミセス・ミルトンのような人間の考えでは、新しい時代の波がそのまま若い世代の怠慢に結びつくことは必至だと思われる。


「学院がご心配ではありませんか? お戻りになられてはいかがでしょう」

「まさか! 息子を連れずに戻るだなんて」


「しかし、ただ待っていただく他には何もないのですから。費やされる無為な時間は惜しいものなのでは。学院長先生」


 これはポイントを突いたようだった。慎重に言葉を選び、さらに続けてみる。


「差し出がましいようですが、留守をいぶかしむ生徒のことを思えばイレギュラーは少ない方が得策かと思います。捜索は全力でかかりますから、信頼してお待ちください。二、三日中にははっきりした返答をお送りできますよ」


 ひたすら謙虚な姿勢は、もちろんお気に召している。鼻ではなく今度は口から空気を逃がし、それは感嘆の意であった。ミセス・ミルトンは猫撫でにも近い調子の声を出し、


「こちらが持ち込んだ面倒ですのに、私の立場まで考えてくださって。大した回答ですわ、フィデリティさん」


 それほどでも。フレディの顔に謙遜を見て、それにもまた満足を得たようだ。


「生徒たちのためにも学院に戻ることにしますわ。信頼できる方に出会うことができて安心しましたしね。あなた、コクラン刑事の代理だとおっしゃったわね? あなたも直接の面識はありますの? ミス・――シモンズとは」


「えぇ。実は近所に住んでいますので」


 ため息。こちらは不幸を意味している。


「よろしい付き合い方をなさいましね。あなたは良い方のようだから忠告させていただきますのよ。あの娘は私たちが教育を授けましたが、最高の卒業生だとは言い難いのです。とうとう最後まで私たちが期待する思慮深さを身につけないままに卒業してしまった一人なのですわ。お気をつけなさい、立ち止まって考えなくてはなりません。彼女の思いつきや提案にはすぐにはのらず、必ず一晩は考え抜いて、さらにたいていのことはお断りなさい」


 駅に向かい走り去る馬車を、ポケットに指をかけて見送りながら、そっとフレディはつぶやいた。遅かりしですよ、学院長先生。


 オモシロがって考える。

 ミセス・ミルトンは人の分析に長けている。学院長先生はご立派にも、一人一人の生徒をよく覚えているらしい。忠告は的を射ていてありがたいものと言えようが、しかし肝心なところで実践的とは言えないものだ。


『あの娘』が『思いつき』や『提案』を持ち出す時に、『一晩』の余裕などあろうものではないからだ。



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