3.その日の午後のシティニュース社
「ポーリィ、あなたね。ここに座り続けていたって、仕事は転がりこんでこないわよ」
「いーいじゃない。邪魔と言うならどこかへ行くけれど、そんなわけはないんでしょ?」
ポーリィ・ルービンが午後の時間をシティニュース紙の社屋で過ごすようになったのは、ここ二、三日のことだ。
ポーリィの煽りにメアリーアンは大きなため息で応えてみせた。そんな彼女を友人は、広げた新聞の隙間からおもしろそうに覗き見ている。
げに厚きは女の友情。ものごころなど身に着く前から同じ寮室で過ごしてきた二人の仲は、姉妹というよりそれはむしろ母娘に近いものだった。どちらが母とも娘とも言えないが。
「ちゃんとこうして募集欄を見ていたりするのよ、私だって」
「美術ファイルの合間にね」
「さすが大手の新聞社、この記録と言ったら見事だわ。それにここでこうしていたら、またエリオットさんがお仕事を紹介してくれるかもしれないし~」
「でもあれは」
「結果、絵は残らなかったけれど、お仕事はお仕事だったわ。今では楽しい思い出よ」
エリオットは馬車馬のような勢いで後悔街道をまっしぐらだったと言うのに、さらに渦中の人であったはずのこちらの方は、まったく懲りていないことを知る。
スゴイ。さすがポーリィと言うべきか。学校時代の友人に話したならば、こんなことにも彼女らしいわと笑うだろうけど。
あれはこの社の副社長・エリオットの紹介で肖像画を描きに通っていたお屋敷で、幽霊出現・猟犬錯乱・雷直撃・火事騒動についには殺人、そんなコースに関わりあってしまった一件。
それを楽しい。あの一件を楽しいとは。
さっきもポーリィを見て図書室に入らずに逃げ出したエリオットは、今頃婦女子をそんな事件に巻き込んだことへの後悔を甦らせて、渦巻きながら海底目指して一路驀進中であることは想像に難くない。
早くこれを教えてあげよう。コースがポーリィのせいであるわけはないけれど、関わるべくして関わりあったと思ってしまって平気そう。
もはやそんな性質こそが要素の一つだったと、それくらい言ってあげればエリオットを救う(掬う?)こともできそうだ。
さきほどおそらく取りにきたのだと思う資料を腕に抱えて、彼の部屋を目指そうとしたところでポーリィのぼやきを聞いた。半端な中空に視線を踊らせ、かなり現実を見損ねている。
「願わくばそーうねー、短期ではなく永久に続きそうなものが見つかると良いわ。しょっちゅう職なしだなんて気持ちがもたないもの」
「その永久に続くべくものは自分で叩き切ってきたくせに」
「叩き切らざるをえない場所に追い込まれたのよ。私じゃなくて周りの問題。あんな方針の校長のもとで働くなんて絶対に嫌。添え物と違うの、芸術は!」
「ハイハイ」
美術の時間を減らされたことに腹を立て、交渉を派手に決裂させて辞表を叩きつけてきた(文字通り)。それが現在のこの有様の原因なのである。
事情解明後も何かにつけて校長に対する文句(もはや呪いに近し)を聞かされ続けていたメアリーアンは、始まらないうちに急いで話をずらしにかかった。賢い方向とは言えずとも。
「とりあえず今だけでもおうちに戻るのはどうなの? 職探しなら家からでもできるんだから」
「頑固じいさんの心が溶けたらね」
「お父様でしょ、心配してるわよ。パート仕事のかけもちも楽しそうだけれど、長く続くと体に良くないわ」
「あなたに家に帰れだなんて言われたくないわぁ。私たち同志だったんじゃないの? メアリーアン」
「ハイハイ」
ポーリィは人のことなんて言えないでしょうにとぶつぶつ言いながら、箱からどっさり紙束を取り出した。『拝見・名家の宝物殿』シリーズの資料一式、見ているうちに文句など忘れ去られることだろう。
吸い込まれるように絵の世界に引き込まれていく姿にメアリーアンは少々あきれ、戻るときに昼食の調達をしてこようと生活型の現実を思い、部屋から一歩を踏み出した。
いつだって助言なんてこんな程度にしか扱われない。なるようにしかならないのだ、ポーリィは。
するとそこへ、
「失礼、ミス・シモンズがこちらに居ると聞いてきたのですが」
との言葉と共に男が一人現れた。
「はい?」
窓からの光が背後から照らし、顔の細部がわからない。声は記憶を掠めているが、心当たりは浮かんでこない。
「あのどちらさまでしょうか。私が、シモンズですけれど」
「お客様? ここを使うなら帰りましょうか」
部屋の中から聞こえた声に、二人の視線がそちらに動く。
「ポーリィ……」
つぶやきは完璧なまでのつぶやき。口の中だけで発せられたものだった。
彼の手からこぼれ落ちた帽子が床を転がっていくのを、メアリーアンは追いかけた。ほこりを払い振り返ると、微塵も動かずそこに立ち続けている男を見る。
真っ直ぐに伸びた背、太陽に茶色く照らされた髪、そして最大の特徴は、ときに躊躇う、その瞳。
思い出す。
彼は『ミスター』、ジョン・ミルトン。
座っていても立っていても、いつもそうした姿勢でいた人だ。