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11.置いて行かれたミス・シモンズ


「部屋の荷物と郵便と家主への手続きと職業紹介所のミセス・ウェブスターへの連絡と、来週の午後はエマの店」


 パークの茶色い道を踏みながら、メアリーアンは指を折って数えていた。ポーリィに出された指示の確認、腹立だしくも思いながらも。


 職業紹介所の人名が現れているのは、それが彼女の口利きであったためだろう。職業婦人である彼女の、同系社会の繋がりは強い。


 その力には世話になることもある、とフレディはレスリーに聞かされたことがあった。(もちろん職業の紹介ではない。捜査上の通過地点として情報が必要になったとき、だ)


「これで全部だったかしら」

「五つ。そうだね。午後の店の仕事の内容は?」


「エマがお店で扱っているのはお嬢様向けのお人形よ。彼女もやっぱり学校時代の友人なの。本当に手伝いが必要なのかを先に確かめてみなくちゃね。ポーリィの苦境を知って手を差し伸べるようなこと、彼女ならきっとしてあげるから」


 人形の店? フレディは昨日(もっと昔のことのように思えるが)、母親の方のミルトンが言ったことを思い出して引っかける。


『良家の皆様』『良妻賢母』。これまでのところフレディは、その言葉を裏付けるような卒業生に出会っていない。こちらの新聞記者にあちらの美術教師、メイド長も一人知っている。


 これはかの学院における、メアリーアンの友人であるべくという偏りであるのだろうか、果たして。


 厳しい授業とさらに厳しい躾のカリキュラムをこなし修めた(はずだ)賢き彼女は、くるりと振り向いた顔に心配そうな表情をのせて言った。


「フレディ、疲れたんじゃない? 昨日から振り回してばかりで、私も悪いと思っているのよ。ちゃんと」


 昨日。なのか? あの午後。寝ているところを起こされて、それがここまで続いているわけだ。

 思い返せば――と、思い返してみるに。


 こみ上げてくる笑いは、抑えようがなかった。可笑しい。昨日からの出来事は、自分には楽しかったようではないか。


 ミセス・ミルトンほどの強敵を相手にして、かなりうまく立ち回ったと思う。寝起きの頭を回転させて、指示以上の役割を果たしたと言える。


 困難が待ち受けようとも、君は君で頑張れ、ジョン。追っていった勝利の女神は、対決の場に間に合うだろうか?


 是非顛末を聞かせてもらわなくてはならない。馬車が汽車に追いつくものか? そんな無茶が現実に可能であるのかどうなのか。


 とんだ女神だ。ポーリィ・ルービン。


「どうしたのっ? 大丈夫? フレディ。寝不足の反動?」

「いや。いや、それは」


 続く笑いに言葉を挟むことができない。メアリーアンの見開かれた目も、可笑しさを後押ししてしまう。


「寝不足には違いないんだけど、なんと言うのか」

「なにを言うの?」


「おもしろいなと思ったら、笑えてしまって。君はいつもおもしろいね、と、これは少し違う。つまり」

「つまり。なにを続けるの?」


「君のやり方は楽しいよ」


 それを聞くとメアリーアンは、心配そうな表情を消して得意げに変えた。


「褒めたのね?」

「そう、これは褒め言葉みたいだ。だから悪いと思われたら困るから、後始末まで付き合うよ」


「ありがとう。とっても助かっちゃうわ」


 池の端のベンチが誘うようだった。しっかりと時間の余裕を相談してから、二人はそこに座り込む。全景から見れば嵌め絵のように、彼らはその場にすぽりと()()()()


 日傘を差した婦人と紳士が談笑を交わしながらゆっくりと過ぎて行く。子守たちが乳母車を揺らしながら、お喋りに興じている。家庭教師と三人の子供が芝の上で本を広げている。木陰で上着まで脱ぎ、眠り込んでいる青年が居る。


――パークの午後の姿である。


 陽光をたっぷりと浴びて、溶けでもしたようにメアリーアンは崩れて縮んだ。


「疲れたわー。一晩中ポーリィの芸術論を聞かされていたの。もう気持ちが疲れ果ててる。あの子のめまぐるしさには私だって敵わないのよ」


「僕もジョンの人生を余さず知ったよ。半生記が書けるくらいだ」


 これからの半生の方がおもしろい読み物となるだろう。それに一年当たりのページ数も、これまでの比ではなさそうに思える。


 あの学院長、あの美術講師、そして彼の英文学。盛り上がることには疑いなし。


「そうだわ、聞かなくちゃ。フレディ、何を話したの? あの人、顔が違ったわ。なんだかくるくると変わっている、昨日資料室に現れた時から思えば……」


「思えば、なに?」


「そうね、あの人、帽子を落としたのよ。ポーリィの姿を見て、驚いたんだわ。それは帽子を落としもするわね。拾わなければ良かったかしら。気付いていたら初めから楽しかったのに。ミセス・ミルトンなんてどうだって、ジョンに集中していたら良かったんだわ」


 それでも見かけたジョンの仕草に、匂わすものはなかっただろうかと思い返してみようと思う。

 何も。余所ばかりを見ていた自分には、何も引っ掛かってきはしない。


 メアリーアンは自らの性質を考え諦めの息を吐き、良い方向に話をまとめることとした。


「自分で言ってたみたいにポーリィの道が啓けたんだから、これは喜ばしいことよね」


 返事が返らない。


「ね?」


 聞いていなかったわけではなく、フレディは考えていたようだ。メアリーアンと同じように彼もまた、半ばでそれを断ち切ってしまい、


「良い方に進むことを期待しようか」

「言わなかった方を教えて」


「一面から考えればそれはそうとも言えるけれど、一概にはそうとも言い難いところも――。だけど言い始めたらみんなそうだと、そう思うよ」


「そうよね。なんだってそうなんだわ」


 それぞれの頭に浮かんだそれぞれの、ほとんどを二人は互いにまだ知らない。


 メアリーアンは空を仰いだ。雲はどこにも見当たらなかった。なければないと気付いてもらえる、雲の存在とはなかなか上位だ。


「いいお天気」

「そうだね」


 眩しく輝く水の上に、突き抜けたような空が広がる。その場所に二人は午後いっぱいとどまっていた。ぬくぬくと陽射しの下で、あまり考えずに済むことばかりの会話を続けた。


 青い空の青さの移ろいなどという、後から思い出しようもないことばかり。(心に刻まれはしようとも)


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