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狸汁

この作品は東方projectの二次創作となります。

 秋静葉は今、狸汁がマイブームだ。


 事の発端は少し前にミスティアの居酒屋で偶然振る舞われた狸汁が、たいそう美味しかったようで、それこそ「穣子の作った気の抜けた薄っぺらいきのこ鍋なんかより遙かに美味しいわ。これからは野性味と外連味に溢れた狸汁の時代ね」などと宣うほどであった。

 それからというもの静葉は毎晩、狸汁目当てに居酒屋へ足繁く通っているのだ。

 面白くないのは、自慢の鍋を貶された穣子である。確かに冬のきのこは、榎茸や椎茸など数が限られており、秋のキノコ鍋より味が劣るのは否めない。しかし、それを差し引いても、あまりにも酷過ぎる言い草だ。野性味はまだ分かるが、外連味って何だ。ようははったりという事じゃないか。自分のキノコ鍋は、はったりや嘘など混じりっけなしのピュアっピュアな鍋なのだ。思わず伝家の宝刀『鬼も戦く不味いきのこ鍋』でも食らわせてやろうかと考えたが、姉は元々ああいう性格だし、今更どうこう言ったところで仕方がない。何より下手に構うと大抵の場合、逆に更に厄介な事になるのは目に見えている。触らぬ神にたたり無し。結局、穣子は静葉を放っておくことにしたのだった。

 そんなある寒い寒い寒い日の朝、穣子が、ふと何かの気配を感じ、家の納戸をよいしょと開けると、喉の奥まで吹き抜けるような冷たい空気と共に入り込んできたのは、一匹の痩せこけた狸だった。

 一晩中雪の積もる山を彷徨ってでもいたのだろうか。相当衰弱しているらしく、全身はボサボサに毛羽立っていた。

 かわいそうに思った穣子はその狸を匿おうとするが、もし、この狸が姉に見つかったら狸汁にされてしまうのは火を見るより明らかだった。なんとか火を見ずに、いや、火にかけられる狸を見ずに済む方法はないかと穣子は考える。

 匿わずこのまま外に放るのも選択肢の一つだが、こんなに衰弱している狸を外に放り出したらそのまま死んでしまうか、行き倒れている所を静葉に見つかって結局、狸汁にされてしまうのが関の山だ。

 こういうときの彼女の執着心は恐ろしいものがある。特に冬はやることがないから余計である。ようするに単に暇であるということだが。

 悩んだあげく、穣子は、結局狸を自分の部屋で匿うことにする。その獣臭さを隠すために、彼女は無い知恵を絞って、あんぽ柿用の硫黄の臭いでカモフラージュするという手段をとることにした。

 木を隠すなら森の中、臭いものには蓋とは言うが、ようは臭いものの中に臭いものを隠すというわけである。しかし、臭いは臭いが、臭いの種類が違う。獣臭さはまだそこまで不快なものではないが、硫黄の臭いはそれこそ鼻がひん曲がるような不快臭だ。この刺激的な臭いが先に来るので、狸の獣臭さはもしかしたら気づかれないで済むかもしれない。しかし、それより何より重要なのは、この硫黄の臭いを静葉は大の苦手としていることだ。それこそ、この臭いが嫌すぎて一日中家に帰ってこない事もあるくらいだ。大方、天狗や河童の知り合いのところで暇でも潰しているのだろう。

 多分姉とは一生温泉に行けそうもないなと、そんなこと考えながら穣子が硫黄の臭いを団扇で部屋中に広げていると、静葉が鼻をつまみながら現れる。


「もう、穣子ったらまたあの臭いやつ作り始めたのね」

「あ、ごめんね。ねーさん。まだ柿が残ってたからさー」

「そう、それじゃ出かけてくるわ」

「はーい。お土産お願いねー」

「狸汁でいいかしら」

「何でもいいよー。気をつけてねー」


 穣子が軽くあしらうと静葉は「どこかに美味しい狸でも転がってないかしら」などと言いながら去って行く。執着もここまで行くと、もはや病的なものを感じる。

 ふと穣子が狸を見ると、心なしか怯えているようにも見える。

 穣子はやれやれと大きく息を吐くと、その狸の頭を優しく撫でた。


 ◆


 それからの数日間、穣子は狸の看病にあたった。

 囲炉裏の側で出来るだけ暖を取らせ、秋に収穫したクルミやドングリをたらふく食べさせた。

 その甲斐もあってか、狸は徐々に元気を取り戻す。どうやら病気等ではなく単純に寒さと飢えで衰弱していただけのようだ。

 今のところ静葉にもなんとか気づかれずやり過ごせてきており、このまま行けばあと数日のうちで、無事、野に放す事ができるだろうと穣子は思っていた。

 そんな狸が来てから一週間ほど経ったある日のこと。

 この日も家の中は相変わらず硫黄の臭いが充満していたが、静葉は一向に出かける様子がなく、囲炉裏の側で胡座をかいて本を読みふけっている。

 やきもきした穣子はなんとなしに静葉へ尋ねる。


「姉さん。今日は出かけないのー?」


 静葉は一つ息を吐くと、呆れたように答える。


「まったく。穣子ったら外の天気を見てから聞きなさい。こんな大雪じゃ出かけるにも出かけられないわ」


 穣子は「あーそれもそーね」と、気のない返事をして、心の中で思わず毒ずく。


 ――まったく、あの冬妖怪のあんちきしょうめ。よりによってこういうときに限ってやたら張り切っちゃったりなんかして……これだからあいつは大っ嫌いなのよ。いつでもこうやって大事な場面で何かと邪魔してくんだから。それにしてもまずい展開だわ。今の超感覚に目覚めた状態の姉さんなら、僅かな獣臭でも嗅ぎ分けられてしまうかもしれない。ああもう! あと少しであの子を野に放してあげられるというのに……!


 幸い、狸は夜行性な事もあってか、今は穣子の部屋で眠りこけている。この場に出てくることはまずないだろう。穣子があれこれ思案していると不意に静葉が口を開く。


「そういえば穣子」

「な、なに? 姉さん」

「私に何か隠してない?」

「えっ!? は!?」

「やっぱり何か隠しているわね」


 まずい。こういうときの姉の感覚は、かまいたちのように鋭い。

 普通の人は気にならないような些細な矛盾や、僅かな綻びをネタにしてまるで重箱の隅を突っつくように攻めたててくるのだ。このままでは危ないと思った穣子はなんとかごまかそうとする。


「そんな隠しているなんて心外だわー。むしろ人権侵害よー」

「神に人権なんかないでしょ」

「じゃあ神権侵害ね」

「神権は神になったつもりの人間を指して言う言葉よ」

「あー……えっと……そんじゃあれ……姉さんは神にでもなったつもりなの!?」

「元から神よ。あなたもでしょ」

「ア、ハイ……」


 無理矢理に啖呵を切って場をごまかそうとするも失敗に終わる。というより半ばパニックを起こしていてもはや思考が回っていない。そんな様子の穣子に向かって静葉は言い放つ。


「穣子。無駄な抵抗はやめなさい。姉さんは何でもお見通しよ。その様子だと部屋に何かあるわね」

「な、何もないわよ! なんでそう思うのよ!?」

「根拠はあるわ。あなたがあの燻製柿を作るときはいつも、三日以内で済ませるわ。なぜなら家中が硫黄臭くなっちゃうからよ。でも今回はこの臭いが一週間近く続いている。これは恐らく柿を作るためでなく、何かをカモフラージュするためでしょ。つまり臭いを隠す必要があるものが他にあるってことじゃないかしら」


 ――だめだーもうおしまいだー……


 そんな情けない言葉が彼女の脳裏に響く。静葉は放心状態の穣子を尻目に彼女の部屋へ向かうと徐に襖を開けようとした。その時だ。

 突然、玄関の戸を叩く音が響く。どうやらこのタイミングで誰かが来たらしい。静葉は怪訝そうな表情で玄関へと向かう。

 救世主が来たとばかりに穣子は、ほっとした様子で胸をなで下ろす。しかし、それもつかの間だった。


「やあ、お嬢さん。ちょいとお邪魔させてもらうぞ」


 穣子が声に驚いて振り向くと、そこには蓑傘をかぶり眼鏡をかけた茶色の短い髪の女性が立っていた。どうやら来客者はこの女性らしい。

 穣子は一目で彼女が人間ではないと気づく。恐らくこいつは妖怪だ。しかも明らかに下っ端妖怪ではない気配を漂わせている。


「あのー……どちらさま……?」


 穣子の問いに彼女は、にやっと笑みを浮かべて答える。


「ああ、気にしないでくれ。ちょいと捜しものをしててな」


 と、言いながらその女は穣子の部屋の方へとすたすた進んでいく。気にしない方が無理だと思いつつ、穣子は慌てて追いかける。


「それにしても随分と硫黄臭い家じゃのう……温泉でも湧いておるのかい」

「あー。これは、あんぽ柿ってやつを作ってるからなんですよー」

「ほぉ。あんぽ柿とな? 久々に聞いたわい。また随分風流なものを拵えておるのじゃな……」


 その妖怪は見た目こそ若い女性に見えるが、その喋り口調は老婆そのものといった風情だ。やはりただものではない様子である。

 そもそもあんぽ柿を知っている時点で既にただものではない。と、いうのも穣子があんぽ柿の存在を知ったのは偶然見つけた外の世界の柿料理の雑誌を読んだからであって、幻想郷でこれの存在を知っているのは本当にごく限られた者のみだ。更に実際にあんぽ柿を作っているのは恐らく穣子だけ。当然、里にも流通していない。

 それを知っているということは、あるいはこの妖怪、割と最近外からやってきたのかもしれない。

 部屋の前には、いつの間にかすでに静葉の姿があった。


「妖怪さん。あなたが用事あるのはこの部屋ね。ちょうど私も用事があったのよ」

「ほぉ。そりゃまた奇遇な事じゃ」


 そう言ってその妖怪はからからと笑う。

 この時点で穣子は気づく。これって実は逆に大ピンチってやつなのでは。あの妖怪、実は狸を狙ってやってきた側なんじゃないか。二対一。多勢に無勢。万事休す、天は我を見放した。と、穣子が絶望に打ちひしがれているその側で、無情にも部屋の襖が開けられる。すると部屋の中から例の狸が飛び出てきて、一目散にその妖怪へ抱きつくように飛びついた。


「おぉ。ここにおったか。探したぞ。まったく可哀想に。人型にもなれんほど弱りおって……」


 そう言ってその妖怪は狸を優しく抱きしめると、木の実が散らばった部屋の中を見やり、柔和な笑みを浮かべて、穣子達に告げる。


「どうやら、お前さんらがこの子を介抱してくれていたようじゃな」

「あー、まあね。この前の朝、弱ってたのを見つけたのよ。可哀想だから匿ったの」


 呆然としている静葉を尻目に穣子が答えると、マミゾウは狸を撫でながら告げる。


「ほう、そうじゃったか。それは世話になったのう」

「ところでこの狸に何の用があるのかしら? 見たところあんたは妖怪みたいだけど……」


 穣子の言葉に、その妖怪は片眉を少しだけつり上げて答える。


「……ほう。いかにも儂は妖怪じゃ。よく見破ったのぉ」

「いや、見破るも何も最初から気配だだ漏れだったからね? あんたは」

「ふむ、そうか……ということはその気配に気づくお前さんたちもただものじゃないと言うことじゃな?」


 そう言ってその妖怪はふっと口角を上げる。本当ならこういう場合、まず相手の方から名乗るべきじゃないかと思いながらも穣子は名乗ることにする。


「あーそうね。えっと、私は秋穣子よ。実りを司る豊穣神ってのやってるわ。こう見えても神様なのよ。んでもってそっちでぼーっと突っ立ってるのが私の姉さんである根暗枯葉大明神の……」

「紅葉を司る紅葉神の秋静葉よ。静かなる葉と書いて静葉ね。以後よろしく」


 二人の正体を知ったその妖怪は思わず目を丸くする。


「なんとここは神様の館じゃったか……! これは失礼した!」

「さあ、私達は名乗ったわよ。あなたは一体何者なのかしら」


 そう言って静葉が、にやりと笑みを浮かべると、その妖怪は蓑傘をとり、頭を丁寧に下げると二人に名乗りを上げる。


「此度は急な訪問御無礼仕った。儂は二ッ岩マミゾウ。通称佐渡の二ッ岩という化け狸じゃ。行方不明になった我が同胞を探すため、気配を辿っていたところこの家にたどり着いたのじゃ」

「へえ。佐渡の二ッ岩なのね」

「知ってるの!? 姉さん」

「ええ。もちろんよ。化け狸の総大将で、なんでも割とつい最近この幻想郷にやってきたって話ね。噂だと寺の方にも顔を出しているらしいわ」


 静葉の言葉にマミゾウはいかにもと言った様子で頷いて告げる。


「ほほう、儂も有名になったもんじゃな。こんな辺境の神様にまで名前が知られているとは。いかにも化け狸の総まとめ役を務めておる。それに命蓮寺にもちょくちょく顔を出させてもらっとるよ。別に仏門に入ったわけではないがな」


 そう言ってマミゾウは「ふぉっふぉっふぉ」と満足そうに笑い声を上げる。


 なるほど。道理でやたら貫禄があったわけだ。それにあんぽ柿を知っている事についてもこれで合点いった。それにしてもこういうときの姉の博識っぷりは本当にずるい。流石普段、天狗のとこへ無駄に遊びに行ってるだけのことはある。などと穣子が思っていると、マミゾウは再び蓑傘をかぶり二人に告げる。


「さて、捜しものも見つかったし、此処いらでお暇させてもらうとするよ。この御恩は忘れぬぞ。秋神姉妹殿」

「そんな大したことしてないわよー。道中気をつけてねー」


 マミゾウは「ではさらばじゃ」と言い残すとその場で白い煙と共に姿を消す。思わず穣子は「おぉー」と感嘆の声を漏らす。

 その後も彼女の余韻に浸るような静寂が辺りを包んでいたが、ふと穣子が呟くように言う。


「……うーん。なんか久々にこれぞ妖怪ってのを見た気がするわねぇー……」


 思えば、知り合いの妖怪は機械好きな河童だったり、ゴシップ新聞記者の天狗など、妖怪は妖怪だが、どことなくイロモノ臭が漂う面子ばかりだったので穣子にとってマミゾウのような正統派の妖怪は一周回って逆に新鮮だった。


「大丈夫よ。郷に入っては郷に従え。どうせ彼女もそのうちここに染まるわ。守矢の巫女がそうだったようにね」


 静葉の言葉に思わず穣子は乾いた笑いを浮かべる。

 守矢の巫女こと、東風谷早苗は幻想郷にやってきた当初の頃は年頃の子らしい純粋な少女だったが、今やすっかり幻想郷色に染まってしまったようで、麓の巫女のように妖怪退治に精を出す傍ら、宴会での乱痴気騒ぎの主役の一人にまで躍り出てしまっているという話だ。一種の成長と言えば成長と言えるのかもしれないが、それでも穣子はどこか複雑な気持ちを禁じざるを得なかった。


「……うーん。でもやっぱりマミゾウさんはあのままで居て欲しいわねー。風格あるし」

「ええ、そうね。なんたって佐渡の二ッ岩という大妖怪だもの。なるべくあのままで居て欲しいとは思うわね」

「あ、姉さんもそう思うんだ?」

「ええ、もちろんよ」


 なんだかんだ言って、結局は姉さんもあの妖怪の心地よい余韻に浸っているんだ。と、穣子は思わず笑みを漏らす。

 さて、これで狸も無事、主に引き渡すことが出来たし、新しい知り合いも増えたし、今回の件はこれにて一件落着だ。と、穣子はほっとしたように大きく息をつく。しかし、そうは問屋が卸さなかった。


「……さて、穣子。言いたいことは分かるわね」


 静葉のその一言で一瞬にして場の空気が変わる。


「え……?」

「酷いじゃないの。私に内緒で狸なんかを匿ったりして」

「……え、だって、ほら、姉さんに狸汁にされちゃうと思ったから……」

「失礼ね。流石の私でも、あんな痩せ細った狸を食べたりなんかしないわよ」

「あ、姉さんにも一応、良心ってのはあったのね……よかった」

「ええ。もちろんよ。ちゃんと元気になって肉つけてもらってから調理するわ」

「前言撤回っ! やっぱり鬼畜の所業じゃないのよ!?」

「あら、当たり前でしょ。美味しくするためなら手間は惜しまない。料理ってそういうものでしょ」


 言ってることは、もっともだがそもそもの発想が、ひん曲がっている。姉が言ってることを例えるなら、患者を増やしたいから、わざと病人を作っている悪徳医者のようなものだ。別に竹藪の医者の事を指しているわけではない。断じて。それはそれとして、一度損ねた姉の機嫌を直すのはかなりの至難の業だ。過去にそれを痛いほど経験をしていた穣子は心底うんざりした様子で静葉に告げる。


「あーもう……わかったわよー。狸匿ってたことは謝るからさー。何でもするから許してよー」

「……ふーん。今、何でもするって言ったわね」


 静葉のこの上なく不気味な笑みを見て、穣子は自分が思わず口走ってしまった言葉に後悔する。


「前言撤回! やっぱなんでもしない!」

「もう遅いわ」

「時間を戻しましょ!」

「芋神のあなたにそんな能力ないでしょ。穣子、諦めなさい。口は災いの元よ。あなたはもう地獄の釜の蓋を開けてしまったのよ」


 地獄の蓋が開くと言う言葉は、本来、あの世もこの世も皆お休みするという意味なのだが、そんな些細なことはどうでもよかった。

 今は一刻も早く、目の前にいる姉という名の地獄の釜の蓋を閉めなければいけない。放っておいたら何が飛び出すか分かったものじゃない。穣子は意を決して尋ねる。


「じゃ、じゃあ、何すればいいのよ……!」


 静葉は涼しい顔でさらりと言い放つ。


「あの冬の妖怪を懲らしめてきなさい」

「えっ? えーーーっ!? そんなん無理よ!? あんな調子に乗ってる状態のあんちきしょうに勝てるわけ無いでしょ……!?」

「大丈夫よ。穣子。骨は拾ってあげるから」

「負ける前提なの!?」

「差し違えてでもいいから負けてきなさい」

「それ普通は、差し違えてもいいから勝ってきなさいでしょ!?」

「少しでもあいつの力を弱めてくれればいいのよ」

「なんでよ」

「そうすれば雪が止んで私が居酒屋に出かけられるでしょ」

「あー……そういう……」


 姉の魂胆は分かった。とは言え、よりによって憎いあんちくしょうと差し違えてこいとは、どこぞの畜生界の暴力団じゃあるまいし。姉には慈悲の心というものはないのか。

 案外、姉なら畜生界でも強かに生きていけるんじゃないだろうか。それこそ、落ち葉が風に舞うようにのらりくらりと。徒党名は枯葉組で決まり。うん、いかにも弱そうだ。と、思わず穣子は含み笑いを漏らす。勿論それを静葉が見逃すわけがない。


「あらあら、穣子ったら随分余裕みたいね。笑みを漏らすなんて」

「いやいやいや!? 苦笑いしたのよ……! そんなん出来るわけ無いでしょ!? 命いくらあっても足りないわ!」

「大丈夫よ。どうせ負けても氷づけになるだけでしょ。神様は死にやしないわ」

「死ななくても嫌なものは嫌なの! そんなに言うなら姉さんがやればいいじゃない!」

「あいにく私は争い事は嫌いなのよ。こういう事は喧嘩っ早い穣子の方が得意でしょ」

「得意、不得意とかの問題じゃないわよ! 人を暴力団の鉄砲玉扱いするな!! ねーさんには血と汗と涙ってのはないの!? この根暗枯葉大明神組長! とにかく絶対! ぜーーったい! 嫌だからね! なんと言われようとあの憎いあんちきしょうとドンパチなんか絶対しないからっ!」


 言うだけ言い放つと穣子は、ぜーぜーはーはーと肩で息をする。その様子を見た静葉は、呆れたように一つ息を吐くと、思わせぶりそうに顎に手を当てて穣子に告げる。


「……そう。穣子の気持ちは痛いほどわかったわ。私も流石に血も涙もないわけじゃない。ならばここはひとつ、姉の慈悲と紅葉神の寛大な心を持って別な任務を与えましょう」


 なーにが紅葉心の寛大な心だ。枯葉神の尊大な心の間違いじゃないか、どうせまたろくでもない任務なんだろうと、心の中で毒づきながら、穣子は一応尋ねる。


「……別な任務って何よ。どーせまたろくでもないのなんでしょ」

「あら、簡単よ。猿でも出来るわ」

「何よ。反省して頭でも冷やせってこと?」

「いえ。違うわ。これから居酒屋行くのに付き合いなさい」

「はぁ……? これからって、いつ行くのよ」

「今すぐよ」

「今すぐって……この大雪の中?」

「そうよ」

「冗談でしょ?」

「本気よ」

「そこまでして食べたいの? 狸汁」

「食べたいわ。狸汁」


 頑なな静葉の様子に拒否権はないと穣子は悟る。どうやら死なば諸共ということのようだ。

 まったくどうしてこうなってしまったのか。 それもこれも全部、姉が狸汁にはまったせいだ。姉が狸汁にはまったりしなければこんなことにはならなかったのだと、己の境遇を恨みつつ穣子は静葉と共に渋々家を出た。


 ◆


 外は見渡す限り吹雪、吹雪、吹雪。まさに氷の世界だ。穣子はもはや自分がどこをどう進んでいるのかすら分からない。一面真っ白、文字通りホワイトアウトである。

 そんな中でも静葉は黙々と進み続ける。これも狸汁が食べたいという一心から来るものなのだろう。

 マイブームもここまで来ると呆れを通り越して尊敬に値する。と、姉のその執念深さに内心感服しつつ、穣子は寒さと格闘しながら静葉の後をついていく。

 視界の先にぼんやりと明かりが見えてきたのは、もうすっかり日も落ちてしまった頃だった。とは言っても、吹雪のせいで昼でも薄暗い状況ではあったが。

 二人が全身雪まみれになりながら、吸い込まれるように夜雀の居酒屋へと入ると、出迎えてくれたのはミスティアの悲鳴だった。


「いらっしゃー……ぎゃーーーーーー!! 雪だるまのお化けーー!!?」

「私よ。ミスティア」

「さむいしぬ」


 聞き覚えある声を聞いてようやく我に返ったミスティアは、とりあえず二人に全身の雪を取ってもらう。


「……まったくもう。驚かさないで下さいよー」

「……ごめんなさいね。吹雪の中飛んできたから。いつの間にか雪まみれになってたわ」


 そう言って静葉は、テーブルに腰掛けるとミスティアが用意してくれた白湯を優雅に飲み始める。

 一方、すっかり雪と寒さにやられた穣子は、顔面蒼白状態で湯たんぽを抱きしめながら火鉢の側に転がされていた。


「いやーまさか、こんな天気の中、雪だるまになってまで来るとは思っていませんでしたよー」

「私は目的のためなら手段を選ばない女なのよ」


 店内を見渡すとカウンターの奥の席に一人見える以外は、誰も居ないようで、そのせいか店内がやたら広く感じる。

 いつもならこの時間もう少し賑わっているものだが、恐らく大雪のせいで皆、外に出るのを躊躇っているのだろう。


「じゃ、早速例のあれを頂こうかしら」


 静葉は気取ったように人差し指を立てて振りながら注文する。すると、ミスティアはばつが悪そうな様子で彼女に告げる。


「あ、あれですね。えーと……」

「あら、どうしたの。売り切れ?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……」


 そう言いながら彼女はちらっとカウンターの奥の方を見る。その視線の先には例の客の姿があった。どうやら上機嫌で熱燗を傾けているようだ。


「もしかして、あの客が食べちゃったの」

「いや、そうじゃなくてですね……その……」

「もう、じれったいわね。私はあれを目当てでこの大雪の中来たのよ」

「それは凄く有り難い話なんですけど……」

「早く出してよ。狸……」

「あーあーあー! ちょっと待って下さい! ちょっと待って下さーい! はーい! 熱燗一つ入りまーす! よろこんでー!」


 まくし立てるように言うと、ミスティアは厨房の方へと入っていってしまう。

 状況が飲み込めない静葉は、狐につままれたような面持ちで、とりえあずテーブルの白湯を飲み干す。ふと穣子の方を見やるとまだ無様に転がったままだ。実に暢気なものだと、静葉は思わずため息をつく。

 程なくしてミスティアが熱燗を持ってやってくる。


「はーい! おまたせしましたー! 熱燗ですよ! 静葉さん!」


 そう言って彼女の席に熱燗の入った徳利とお通しが置かれる。当然憮然とした表情で静葉が言う。


「ミスティア。私が欲しいのは熱燗じゃなくて、た」

「はーいはーい! ツチノコといくちのおろしポン酢和え一丁! 入りまーす!」

「ちょっと、ミスティア。いい加減にしてよ。私が欲しいのは――」

「待って! ちょっと待って! 静葉さん!」


 ミスティアは焦燥した様子で静葉を制止するように両手を広げる。と、その時だ。

 あまりの騒々しさのせいか例の客が、がたりと椅子を引く音を立てて席を立ちあがってこちらに向かって言い放つ。


「なんじゃなんじゃ! 騒々しい。いい塩梅で酔いに浸っていたところじゃったのに」


 その声を聞いて、静葉はその客の正体に気づく。その客は化け狸の二ッ岩マミゾウだったのだ。

 彼女が分からなかったのも無理はない。マミゾウは昼間の人間然とした姿とは違って、頭に狸を彷彿させるような耳をつけ、何より自分の身長ほどあるような大きなふさふさの尻尾を携えた姿だった。更に昼間のような大物妖怪の気配も発していない。あるいはあの気配はわざと出していたのか。


「あ、ごめんなさい! マミゾウさん! お詫びに熱燗をもう一本サービスしますからっ!」


 ミスティアの宥めに、マミゾウは「まあ、構わんがの」と言いながら二人の方へやってくる。そして静葉の姿に気づくと目を丸くしながら話しかける。


「おやおや、誰かと思えば……静葉殿か」

「あれ? お二人知り合いなんですか?」

「ちょいと奇縁があってな」


 そう言って、意外という様子のミスティアに対しマミゾウはニヤリと笑みを返す。


「それにしても秋の神様がこんな荒天の中、居酒屋へとは一体……」

「ええ。ちょっと目当ての料理があってね」


 そう言うと静葉はミスティアに目配せする。それに気づいた彼女は、気まずそうに目を逸らす。


「ほうほう。静葉殿がお目当てにするとはさぞ、絶品なのでしょうなぁ」

「ええ。もちろんよ。野性味と外連味に溢れていて、これからの時代を担う料理になると思っているわ」


 そう言うと静葉は再びミスティアにアイコンタクトを送る。ミスティアは再び慌てて目を逸らす。

 ふと、穣子の方を見やると、依然として青白い顔で火鉢の側に転がっていたが、意識は取り戻したようで、湯たんぽを抱えて「あったかいんだからー……」等と、うわごとのように呟いている。静葉は見なかったことにして視線を元に戻す。


「ほほう。そこまでのものとは……それは是非、儂も味わってみたいものじゃのお……」


 マミゾウの言葉を聞いたミスティアは、とうとう涙目になって静葉に詰め寄ると、彼女の腕を引っ張ってマミゾウから引き離し、襟を掴みながら小声で告げる。


「静葉さん…! 私を殺す気ですか……!? マミゾウさんは狸の妖怪なんですよ……っ!? 私が狸汁を出してるなんて知られたら……!」

「大丈夫よ。他の料理と偽って出しなさい。ぼたん汁とか」

「無理ですよ……! 狸の肉ってどんなに臭み抜いても臭いが残るんです。比較的臭いが少ないこの時期の肉だって十分臭い強いですし。ごまかそうとしてもすぐバレちゃいますよ……!」

「そこは、あなたの知恵と勇気と茶目っ気でなんとかうまくやりなさいよ。あ、うっかり狸と猪の肉間違えちゃいましたってな感じで」

「そんな……無茶振り言わないでくださいよぉー……」


 と、こそこそとやりとりしている二人に、マミゾウが怪訝そうな表情で告げる。


「あー……お二人さん。お取り込み中悪いが、全部丸聞こえじゃぞ。儂はこう見えても耳が良くてな」


 その言葉に、肝を潰したミスティアが思わず振り返ると、マミゾウは笑みを浮かべてゆっくりと近づく。笑みを浮かべているのは分かるが、その目元は眼鏡が明かりに反射して見えない。


「ふぉっふぉっふぉ……なるほどなるほど。そういうことじゃったのか」

「あ……あの、その。ご、ごめんなさい! マミゾウさん!!」


 涙目になって何度も頭を下げるミスティアに、マミゾウは腕を組んで頷く。


「……まぁまぁ、落ち着け。うむ、そうかそうか……そういう事情なら致し方あるまい。静葉殿に狸汁を作ってやってくれ」

「えっ……?」


 思わずきょとんとするミスティアにマミゾウが告げる。


「ほら、客が待っておるじゃろう。早く作ってきてやるんじゃ」

「あ、はい!」


 ミスティアは慌てて厨房へと姿を消す。マミゾウはその姿を見届けると、唖然としている静葉に笑みを浮かべて語り始める。


「気にするな。昼間のお礼じゃよ……まぁ、そりゃあもちろん、同胞が食われるのは心苦しいぞ? じゃがな……綺麗事だけじゃ、世の中は生きていけん。清濁を併せ持たんとな。妖怪だって隠れて人の肉を食らって生きているのじゃ。ならその逆もまた然り。どちらか片方だけというのはあまりにも虫が良すぎる話じゃろ。儂は何も見なかったことにするから、好きなだけ食べるがよいぞ」


 思わず静葉は感嘆の声を漏らす。


「……へえ。大した度量だわ。流石、世を渡り続けてきた大妖怪ってところね……」

「ふぉっふぉっふぉ……褒めても何も出んぞ」

「ところで一つ確認していいかしら」

「ん、なんじゃ?」

「あなたは確か化け狸だったわよね」

「うむ。そうじゃが……それがどうかしたか?」

「……いえ、ちょっと確認したかっただけよ」


 怪訝そうな表情のマミゾウに静葉はふっと笑みを浮かべると、机の上の熱燗に口をつける。

 程なくしてミスティアが、熱々のお椀を持ってやってくる。


「お待たせしましたー」

「ありがと」


 静葉はそれを受け取り、さっそくその汁を飲むと思わず表情を緩ませる。マミゾウは、いつの間にか自分の席に戻って、つまみをつまんでいる。

 気にせず静葉はかき込むように一気に食べきると、ふうと一つ息をつく。その様子を見ていたミスティアが思わず言う。


「静葉さん、いつもながら凄い食べっぷりですねー」

「ええ。狸汁は一気に食べるのが一番なのよ。ゆっくり食べているとだんだん臭いがきつくなっちゃうからね」

「一応、臭みを和らげるために味付け濃いめにしているんですけどね。流石、静葉さんですね」


 何をもって流石なのかはよく分からなかったが、とりあえず目的は達成した、とばかりに静葉は、結局最後までくたばったままだった穣子をたたき起こすと「美味しかったわ。ごちそうさま」と言い残して足早に店を出る。

 二人を玄関まで見送ったミスティアは、端から眺めていたマミゾウへ心配そうな表情で話しかける。


「あの……大丈夫ですか? マミゾウさん。あんなこと言ってましたけど実際は心痛めていたのではないです……?」

「……ああ、気にするな気にするな。儂くらいの妖怪になるとこういう事は飽きるほど経験しておるんじゃよ。お心遣い感謝するぞい」


 マミゾウはそう言うと、眼鏡越しににやっと意味ありげな笑みを浮かべる。その彼女の表情を見たミスティアは何かに勘づき尋ねる。


「マミゾウさん、もしかして……使ったんですか……?」


 その言葉を聞いたマミゾウは「ふぉっふぉっふぉっふぉ」と笑い声を上げ、熱燗をぐいっと飲み干す。

 ミスティアは思わずため息をつく。


「もう勘弁して下さいよー。あれほど、この店で妖術は使わないでって言ってるのに……」

「心配いらぬ。ほんの戯れじゃよ」

「戯れって……一体、何をやったんですか?」

「なぁに、ちょいと猪の肉を狸の肉に見えるようにしただけじゃ」


 平然と言いのけたマミゾウにミスティアが慌てて告げる。


「ちょっと、それ大問題ですよー。私静葉さんに嘘の料理提供しちゃったことになるじゃないですか……!」


 意に介せずマミゾウは、したり顔でミスティアに語り始める。


「大丈夫じゃ。いいか。かき氷にかけるシロップというもんがあるじゃろう。あれは色が違うだけでどれも味は同じなんじゃ。どういうことかというと、つまり味というのは食べた者次第ということなんじゃよ。屋台の焼きそばなんてのも、味自体は大したもんじゃない。あの場面で食べるからこそ美味いのじゃ。あの秋神様は、おぬしが出したあの汁を美味いと言っていたじゃろう? ならば何も問題なかろう」

「……あのーそれを料理人の私の前で言いますか……?」

「いや、別におぬしの料理が不味いと言ってるわけじゃないぞ……? そこは勘違いするでない」

「あのー……マミゾウさん?」

「ん。なんじゃ」

「今日の支払い四割増しでお願いしますねー」

「いやいや、それは勘弁しとくれ」

「じゃあ、営業妨害で出禁にしますよ?」

「あー……わかったわかった。……払うわい……ったく」


 そう言いながらマミゾウは仕方なさそうに財布からお金を取り出してミスティアに渡す。

 お金を受け取ったミスティアは金額を確認すると、満面の笑みで彼女に告げる。


「毎度ありがとうございました-! また明日も来て下さいねー!」


 マミゾウは「やれやれ、かなわんな」と言った具合に思わず頭をかいた。


 その頃、家に帰った静葉は誰にともなく、ふと呟く。


「……ふむ、どうやら一杯食わされたようね……」


 すかさず横で蒸かし芋を貪るように食っていた穣子が聞く。


「どうよ。狸汁、一杯食わされて満足出来たー?」

「……ええ、おかげさまでね」

「あ、そ。よかったわねー。私は結局、居酒屋行ったのに何も食えなかったしさー! まったくもー……ま、芋美味しいから許すけど」


 そう言って穣子は芋を次々と頬張る。


「それは気絶してた穣子が悪いのよ」

「あんな寒い中、外に連れ出したのはどこの誰よっ! あんな目に遭うのは二度と御免よ!」

「大丈夫。心配しなくても、明日は私一人で行くわ」

「んぐっ……!?」


 静葉の言葉に穣子は思わず噎せてしまう。横に置いてあった水を飲んでようやく落ち着くと静葉に尋ねる。


「……あ、明日も行く気なの……!?」

「勿論」

「本当、懲りないわねー」

「ええ。借りを返さないとね」

「かり……?」


 芋を咥えたまま、きょとんとしている穣子を尻目に静葉はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


 ◆


 次の日の夕刻。

 この日も雪模様だったが、マミゾウは居酒屋へ赴く。

 それにしても夕べはなんとも愉快な夜だった。なんと言っても秋神様をまんまとだまくらかす事ができたのだ。神様を欺くなんて化け狸の親分である自分だからこそ出来る芸当なのだ。これでまた一つ、二ッ岩マミゾウの名に箔がついた。それに比べれば多少の予定外の出費など痛くもかゆくもない。

 などと、思いつつ彼女が居酒屋の戸を開けると、中には既に静葉の姿があった。マミゾウは一瞬、動きが固まるが、すぐに平静を取り戻し、彼女に近づいて話しかける。


「……やぁやぁ、静葉殿。今日も会えるとは」

「ええ。そうね。私も会えてうれしいわ。二ッ岩さん」


 彼女に気づいた静葉が笑みを見せて返すと、マミゾウはにやっと笑って尋ねる。


「さて、夕べの狸汁は美味しかったですかな………?」


 すると、静葉も負けじと不敵な笑みを浮かべて答える。


「ええ。おかげさまで。とっても風味豊かな……ぼたん鍋だったわ」


 その言葉を聞いたマミゾウは「ふぉっふぉっふぉ」と笑い声を上げると、ニヤリと口元を歪ませる。例によって眼鏡がゆらゆらとした明かりに反射して目元は見えない。


「……ほう、気づいておったか」

「……ええ、口にしてすぐにね」


 そう言って静葉は机に置かれたコップの水を飲むと、ふうと息をつきマミゾウに語り始める。


「……そう、汁にいつもより風味とコクが少ない。いつもなら濃厚な味噌主体の汁に具の旨みが巧妙に溶け込んで、なんとも形容しがたい奥深い味になるはず。でもそれがなかった。肉そのものも素っ気なさそうな雰囲気を醸し出していて、実際食べてみたらその通りで、全体的にどことなくチグハグな感じが否めない。恐らくこれは肉と汁の味付けが合わないから全体のバランスが崩れてしまっていると考えられる。つまり何かしらの素材を入れ間違えている可能性が高いということ。特に考えられるのは肉。この汁の味付けは、あの癖の強い狸の肉のためのものだから、それ以外の肉では、肉より汁の味が勝ってしまい調和が取れない。そして、あの固くて素っ気ない肉質の感じは恐らく猪肉だろうと気づいたわ。でも、料理のプロである彼女が素材を間違えるなんて初歩的なミスをするのはあり得ない。と、なると考えられるのは、彼女が肉の種類を間違える何かしらの要素が、あの場に生じていた可能性があるということ。あの時、居酒屋にいたのは私とミスティア以外はあなたと穣子だけ。でも穣子はちょうど運良く倒れていたので、何かをするとは思えない。そうなると、考えられるのは化け狸のあなたよ。あなたのその何でも化けさせる力なら、食材を別なものに見せるくらい簡単な事なんじゃないかしら」


 静葉の言葉にマミゾウは「うむむ……」と、思わず感嘆の声を漏らす。


「……なるほど。大した洞察力じゃ。流石ここの狸汁を食べ続けているだけはある。あれだけ一気に食べきっておったのにそこまで分かっていたとはな」

「……神様のものを食べるという行為は一種の道楽なのよ。別に食べなくても生きていけるから。つまり言ってしまえば趣味みたいなもの。私は趣味には全力を尽くすタイプなの」

「……だからあの料理も全力で味わったということか」

「ええ、そうよ」

「……しかし、あれはあれで美味しかったのじゃろう?」


 マミゾウの問いに静葉は涼しい顔で答える。


「いえ。きちんと不味かったわよ」

「なんじゃと? あんなに満足そうにしておったのにか」

「ええ、そうよ」

「なら、どうしてわざわざ満足した素振りを見せたのじゃ。てっきり美味かったのかと思っておったが……」


 静葉は目を閉じてふっと笑みを浮かべると答える。


「……だって不味そうな顔したらミスティアに悪いもの。ミスティアは意図せずして食材を間違えてしまったのだから彼女に罪はない。彼女は、ああ見えてもプロの料理人。当然、料理人としての誇りがあるでしょう。まさか知らないうちに客に不味い料理を出していたと知ったら、それは彼女にとって相当な屈辱でしょうね」


 静葉の言葉を聞いたマミゾウは、何か思うところがあったらしく思わず若干顔を強ばらせる。


「……ふむ。まぁ、それは……確かにそうだな。ミスティア殿には悪いことをしたのう。あとで改めて謝っておくとするか。……そういえばあやつはどうした。姿を見ないが……」


 と、言いながら辺りを見回すマミゾウに静葉は告げる。


「ミスティアなら厨房の中よ。きちんとしたのを今頼んで作ってもらっている所だから」

「……なんじゃと?」


 静葉の言葉に思わずマミゾウは一瞬顔を引きつらせる。その時、奥ののれんが開き、汁椀をお盆にのせたミスティアが姿を現す。


「お待たせしましたー静葉さん! あ、マミゾウさんいらっしゃい! いつものでいいですね? 今用意しますねー!」


 そう言ってミスティアは料理の入ったを静葉のテーブルの前に置くと、再び忙しそうに厨房の方へ消えていく。

 マミゾウは怪訝そうな表情でその汁椀を見る。


「さあ、では。頂きましょうか」


 静葉は、さっそく椀を口につけて汁をずずっと飲む。


「そうそう。この味ね」


 静葉は満足そうに言うと、次に箸で肉を掴み食む。その様子をマミゾウは眉間にしわを寄せながらじっと見つめている。


「お、おぬし、昨日はかき込むように食べていたじゃないか。今日は何故そんなにゆっくり食べておるのじゃ……?」

「たまにはゆっくり味わって食べるのもいいかなと思ってね」

「……なるほど、見せしめと言うことか。しかし、よくもまぁ……そんなものを食えるもんじゃな」

「どうしたの。あなたも食べたいの?」

「いや、いらんわい! そんなもん!」

「そう、こんなに美味しいのに」


 そう言って静葉はニヤリと笑みを浮かべる。

 マミゾウはあからさまに不機嫌そうな様子でため息を吐く。と、その時ミスティアが厨房から姿を見せる。


「はい、マミゾウさん。いつものですよ」


 そう言って彼女のテーブルに熱燗となめこの和え物を置く。

 マミゾウは熱燗を徳利のままぐいっと飲むと一息をつき、吐き捨てるように告げる。


「しっかし、儂の前でよくそんなものを食べられるもんじゃな」


 すかさず静葉が言い返す。


「あら、本当に美味しいものはいつどこでも、側に誰が居ようと美味しいものなのよ。試しにあなたも食べてみる? このぼたん汁」

「なに、ぼたん汁じゃと……?」

「ええ、そうよ」

「この汁がか?」

「ええ、そうよ」


 思わずマミゾウはその汁をまじまじと見る。そしてにやっと笑みを浮かべて静葉に言い放つ。


「……いやいやいや! そう言って儂に狸汁を食わせる魂胆じゃろう! 昨日だまされたお返しという事じゃな! 儂の目はごまかせぬぞ! その手は桑名の焼き蛤じゃ!」


 様子を見ていたミスティアが苦笑しながらマミゾウに伝える。


「マミゾウさん。それ本当にぼたん汁ですよ」

「……ミスティア殿。おぬしまで嘘をつくのか?」


 流石のミスティアも少しむっとした様子でマミゾウに言い返す。


「私が自分の料理に嘘つくわけ無いじゃないですか」


 ふと、夕べのことを思い返し、何か思うところがあったマミゾウは、自分を戒めるように目を閉じて俯く。


「是非一口食べてみて下さいよ。今、用意しますからねー」


 マミゾウは勧められるがままに、ミスティアが用意してくれた汁を恐る恐るレンゲですくって口に入れる。

 マミゾウは汁を味わうように口の中で転がし、ごくんと飲み込むと

 、ようやく表情がほぐれる。


「……うむ。確かにこれはぼたん汁の味じゃ。昔食べたことあるから分かるぞ……まぁ、狸汁は食べたことがないからどんな味かは分からぬが……それにしても実に美味いのう。静葉殿の言うとおりじゃ! 美味いものはどんな気分で食っても美味いものなのじゃなぁ!」


 昨日の彼女の言葉を思い返していたミスティアは、笑いをこらえるのに必死な様子で口をおさえながらその言葉を聞いている。

 静葉は不敵な笑みを浮かべてマミゾウに告げる。


「昨日のが中途半端だったから、今日はちゃんとしたぼたん汁を作ってもらったのよ」


 彼女の言葉で、ようやく事を理解したマミゾウは突然、大声で笑い出し、静葉に言い放つ。


「ふぉっふぉっふぉっふぉ! ……こりゃ儂としたことが、まんまと一杯食わされてしまったようじゃのぅ」


 すかさず静葉は笑みを浮かべて告げる。


「ええ、食わされたわね。美味しいぼたん汁を」

「……まったく……てっきり狸汁かと思ったわい」

「まさか。あなたの前で狸汁なんか食べるわけ無いでしょ」


 すかさずミスティアが会話に割り込む。


「あれれー? そう言って昨日狸汁を食べていたのはどこの誰でしたっけー」


 静葉は涼しい顔で言い返す。


「ミスティア。あれは狸汁じゃなくて狸汁の味付けのぼたん汁だから」

「私は狸汁のつもりで出したんですからねー? まったくもう。マミゾウさんったら悪戯なんかしたりして」

「いやぁ、夕べの件は本当に申し訳なかったわい。ミスティア殿。この通りじゃ。二度とせんからどうか料金割り増しだけは勘弁してくれ」


 そう言ってマミゾウは何度もミスティアに頭を下げる。それを見たミスティアは思わず吹き出してしまう。

 二人の様子を見ていた静葉もつられて笑みを見せる。


 その後すっかり意気投合した三人は結局、朝日が昇るまで酒盛りを続けた。


 ◆


「ふーんー……居酒屋でそんなことがあったのねー。そんな面白いことになってたんなら私も行けばよかったなー」


 居酒屋での顛末を聞いた穣子はそう言って、ごろりと床に寝転がる。辺りは囲炉裏で芋が焼ける香ばしい匂いが漂っている。硫黄臭さを消すために彼女が芋を焼きまくっているのだ。


「あら、二度とごめんなんて言ったのはどこの誰だったかしら」

「……仕方ないでしょ。本当に寒くて死にそうだったんだから。それはともかく、これでもう狸汁は食えないわよねー? マミゾウさんに悪いもんね……?」


 すかさず静葉は言い返す。


「いえ、狸汁は止められないわ」

「はぁー!? 嘘でしょ!? そのうちマミゾウさんにぶっ飛ばされるわよ? あの人凄く強いんでしょ?」

「ええそうね。でも平気よ」

「何が平気なのよ……ったく」


 穣子は呆れ気味に焼いた芋を口に入れる。


「……あ、そういえばお土産あったんだったわ」


 そう言って静葉は新聞紙に包まれた猪肉を取り出す。その肉を穣子に差し出すと、笑顔で彼女に告げた。


「さあ、これで狸汁を作って頂戴」

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