そして、その後
その日、アリーチェはウキウキとした気分で本を読んでいた。
久しぶりの休日。
お天気も良く、気温も良く、外出には最高の一日である。
「ロベリー、楽しんでいるといいなぁ」
窓から外を眺めながら、アリーチェは呟いた。
大切な親友が、今頃楽しそうに笑っているかと思うと、とても嬉しい。
昨晩から着ていく服に悩み、朝も「どうかな、似合うかな」とそわそわしていた親友を見て、アリーチェもあれこれ頑張った。
今日は、やっとやっと迎えられた、クーゴとロベリーのデートの日である。
アリーチェが渡した植物園のチケットが生きる日が来たのだ。
予定を決めるだけでもすったもんだと苦労しただけに、感慨深い。
太い植物図鑑を買ってきて、時間がある限りせっせと読んでいたクーゴの姿を思い出す。
植物園の下見にまで繰り出していたのだから、頑張ってほしいところである。
アリーチェは時計を見る。
昼食の時間が過ぎようとしていた。
植物園の中には、緑に包まれたレストランもあるし、軽食を取れる出店もあり、カフェもある。
二人仲良くのんびりと食事をしているといいなぁ、と思った瞬間、玄関で音がなった。
「……何?」
まさか泥棒か、と長い棒を片手に廊下の奥に隠れる。
そろりと顔を出したアリーチェが見たのは、ドアを開けて入ってくるロベリーだった。
「え、え? ロベリー?」
「アリーチェ、ただいま」
「ただいま? 何で、え、早くない? まだお昼過ぎだよ」
大混乱のアリーチェに、ロベリーはくすくすと笑っている。
植物園って、そんなすぐに回れるほど小さかったっけ?
いやそんな、とアリーチェは頭を振る。
訳が分からずにいると、ロベリーの後ろから何かが入ってきた。
紙袋をいくつも抱えた影が、のっそりとした動きで顔をあげる。
「隊長!?」
「おぉ、アリーチェ」
「おぉ、じゃないですよ! どうしたんですか、何があったんですか?」
何かやらかしたのか、コイツ。
さっと雰囲気が変わるアリーチェに、ロベリーが声をかける。
「アリーチェ、お昼食べた?」
「いや、まだだけど……それ重要?」
もう意味がわからん、と立ち尽くすアリーチェの横で、ロベリーが「そうだと思った」と笑っている。
何故かクーゴを部屋に招き入れて、紙袋を受け取っている。
「言った通りでしょ、クーゴ様。アリーチェったら、すぐに食事を抜くんです」
「それはいかんな、アリーチェ。ちゃんとしっかり食べろ」
「……そうですね」
もはや、何の話かわからない。
ロベリーはリビングにある椅子にクーゴを案内し、お茶の準備までしている。
椅子に腰をかけたまま動かないクーゴは、お座りをしている熊にしか見えない。
熊も大人しくなると静かだなーと、アリーチェは遠くを見つめた。
「アリーチェにもお茶入れるわね」
「平気、大丈夫、間に合ってます」
ロベリーの声に、慌てて告げると、台所で「そうなの?」と不思議そうに瞬いた。
何がどうして、こうなっているんだろうか。
アリーチェの様子を見ていたロベリーが、そっと笑う。
「本当は植物園に行こうと思っていたんだけど……途中で市が開催されてたの」
「市……」
「そう。新鮮なお野菜や果物がたくさん売られていてね。アリーチェに食べて欲しいなぁって思って見ていたら、いろいろ買っちゃって」
「……うん?」
「新鮮なお野菜だから、すぐに帰ってきたの。今から作るからもう少し時間がかかるけど、皆で食べよう」
「え、皆?」
皆とは、まさかこの三人のことを言っているのだろうか。
思わずクーゴを見た。
クーゴはアリーチェと視線を合わせられないのか、ずっとそっぽを向いている。
アリーチェは声を潜める。
「何やってるんですか! 何で帰ってきちゃうんですか」
「ロベリーが、お前のためにと選んでいるのを止められると思うのか」
「デートですよね、私のこととかどうでもいいですよね!」
「何言ってんだ。ロベリーの言った通り、食事抜く気だったんだろ」
じとりとした目で見られ、アリーチェは押し黙る。
食事に興味がないので、一人のときは適当な食生活を送っていた。
それを気にかけてくれたロベリーが、お弁当まで作ってくれているのである。
アリーチェは、ふんと唇を尖らせる。
「一食抜いたところで、たいした影響はありません」
「馬鹿言え、俺の前では許さんぞ」
うるさいキングコングだな、とアリーチェは目を細める。
このままでは、謎のランチタイムが始まってしまう。
そんなアリーチェの葛藤も知らず、台所のロベリーが緑の野菜を見せてきた。
「アリーチェ見て。このお野菜、クーゴ様が買ってくださったのよ。本当にありがとうございます」
「いや、そんな! 私こそ、いきなりご馳走になることになり、申し訳ない」
「私こそ予定を変えてしまって申し訳ありません」
「お気になさらないでください!」
茶番が過ぎる。
空笑いをして、アリーチェはそっと部屋に駆け込んだ。
部屋の中を歩き回りながら、頭をひねる。
「おかしい、これはおかしい」
植物園に行くはずが、予定を変えて自宅に招待するのはわからなくもない。
そこで、彼女の手料理を食べられるなんて、クーゴからしたら夢のようなシチュエーションだろう。
だが、何故アリーチェまで一緒なのかさっぱりである。
アリーチェは、奥から鞄を取り出して、荷物を詰めた。
薄手の服を取り出して、上から羽織る。
そういえば、図書館に行く予定だった気がする。
いや、今すぐ行かねばならないはずだ。
荷物を持って部屋から出ると、きょとんとしたロベリーとクーゴがいた。
二人とも、同じような顔をしている。
ロベリーが瞬いた。
「アリーチェ、出かけるの?」
「そうなの、用事があったのを思い出して」
「お昼だけでも食べていったら? 朝ごはんも食べてないみたいだし」
げぇ、とアリーチェは反射的にクーゴを見た。
何も食べていないと知ったクーゴの目が、鋭い。
「外で食べるから、平気!」
「ダメよ、もう。そう言っていつも食べないんだから」
ロベリー、口を閉じて!等と思うアリーチェの言葉は届かない。
クーゴが低い声で言う。
「アリーチェ」
座れ、と向かいの席を指さされ、うなだれた。
すごすごと椅子に座ったアリーチェを見て、クーゴがため息をついた。
「食事はしろ、体は基本だろ」
「はい……」
「秘書は肉体労働ではないが、業務量は多いんだ。倒れたらどうする」
おせっかいなクーゴの言葉を聞きながら、アリーチェは必死に考える。
何とかこの熊を味方につけねば、食事会に参加することになってしまう。
ロベリーに聞こえないように、そっと告げる。
「隊長、外でちゃんと食べますから。今すぐ外出させてください」
「どうした、予定でもあるのか?」
「違いますよ! 三人で食事なんて、おかしいですよね」
「……おかしいか? 食事は大勢でした方がおいしいぞ」
真顔で返され、アリーチェはこの熊の頭を引っぱたきたくなった。
察しが悪いにもほどがある。
これは上司、これは上司、と呪文のように心で嘆き、顔をあげた。
「隊長だって、ロベリーと二人きりの方がいいですよね! デートですよね!」
「お、あぇ!?」
がたり、と椅子を鳴らしてクーゴが立ち上がる。
その顔がだんだんと真っ赤になっていくのを見て、アリーチェは気づいた。
この野郎、二人きりだと理解してなかったな!
不思議そうなロベリーに言い訳をして、真っ赤になったクーゴが何とか戻ってくる。
アリーチェに顔を寄せた。
焦ったように、口をぱくぱくさせている。
「ここ、こんな密室に、ふ、二人きりなんて許されんだろ!」
「何言ってるんですか、私が外出したら二人きりですよ」
「馬鹿、お前ここにいろ! 用事なんて本当はないんだろ」
さすがに今回は嘘だと気づいたらしい。
しかしアリーチェとて、こんな訳の分からないことに付き合いたくはない。
好き好んで人の色恋沙汰に首を突っ込んでいるわけではないのだ。
「デートの邪魔をしたくないんですよ、わかりますよね」
「邪魔じゃないから、いればいいだろ。ロベリーだってお前のために帰ってきたんだ」
「気持ちだけ頂きます。二人で存分に仲良くお過ごしください」
アリーチェはきっぱりと告げるのに、クーゴは慌てて首を振る。
何故だ。
クーゴだって、内心二人きりの方がいいだろうに。
完全に邪魔者であるアリーチェが、心優しく自ら出かけようとしているのに、何故かクーゴは止めようと必死である。
顔を赤くしたまま、クーゴは言う。
「アリーチェは、心配じゃないのか」
「何がです?」
「その……ロベリーが一つ屋根の下で……おお、俺と二人きりとか、心配だろ?」
「いえ、特に心配していません」
「嘘だろ、心配しろよ。何かあったら、とか思うだろ?」
「何かって……えぇー?」
何かって、この熊さんと?
まじまじとクーゴを見つめる。
でかい図体がもじもじしているのを見て、思ったことは一つ。
「何もなさそうだなぁって思います」
「おい! 駄目だろ、納得するな」
「だって、手も握れないような人が何かできると思います?」
ひ、とクーゴが息を飲む。
ロベリーの小さな手を想像したのか、おたおたと謎の動きをしているクーゴに、何ができるというのだろう。
思わず、クーゴを見る目が残念なものになってしまう。
「……私、出かけていいですかね」
「駄目だ!」
「えぇ……?」
「頼む、アリーチェ。ここにいてくれ、同じ空間にいてくれるだけでいいから」
魔物に立ち向かう第三番隊隊長とは思えないほど、切羽詰まった声である。
失敗した。
このヘタレ熊はヘタレすぎるので、味方にはなってくれそうにもない。
だったらロベリーだ、と立ち上がったアリーチェの視界に、せっせと料理をしているロベリーが入った。
手際よく食材を切り、くるくると動く。
忙しそうに動き回っているのに、楽しそうにさえ見える。
アリーチェは、肩を落としながら椅子に座った。
「アリーチェ?」
「……あんなロベリーを止められるわけないじゃないですかぁ!」
「だったら、いてくれるよな!」
何故そんなキラキラした瞳を向けて来るのか。
嬉しそうなクーゴから視線を反らしたアリーチェの耳に「できたよ」と言う柔らかい声が響いた。
まだまだいろいろと、起こりそうである。