中編
アリーチェは、コーヒーをがぶがぶと飲んで息を吐きだす。
あまりの忙しさに、コーヒーを飲む量が増えるばかりである。
もうすぐ行われる感謝祭の準備のため、各隊の秘書は全員多忙を極めていた。
スケジュール管理と人員配置がおいつかない。
練習場では大きなステージが作られ、イベントが行われる。
騎士たちによる模擬戦や儀仗隊によるパフォーマンスも予定されている。
騎士団クイズなるものがあり、そのクイズを考えるのも秘書たちの仕事だった。
ステージの反対側は食事スペースとなっており、食事からデザートまで様々な食べ物が売られる予定だ。
ロベリーが働く定食屋も、そのうちの一つである。
クーゴは何だかんだ言っても第三番隊隊長なので、こちらもやることは多い。
武具の展示や、会場警備の確認しているはずだ。
各隊が模擬戦を行うので、その内容も相談しているだろう。
もっさりとした体形なのに、隊長だけあって動きは俊敏なのは、意味不明である。
必死に書類と戦っていたアリーチェは、ノックの音に顔をあげた。
「よう、アリーチェ」
「返事を聞いてから入るようにと、何度も伝えておりますが」
「固いことを言うなよ。お前しかいないんだし」
固くはない、マナーである。
どすどすと入ってきたクーゴは、謝る気も直す気もゼロらしい。
そろそろドアの上に水が入ったバケツを仕込もうか、と物騒なことを考えているアリーチェの前に「ほら」と、何かが差し出された。
「何ですか?」
「お前にだよ。これ、やる」
「いらない」とは言えないので、アリーチェは受け取った。
茶色の紙袋は、少し重い。
このまま開けると面倒そうだな、と机の端に置いたら「開けろよ!」とクーゴが突っ込む。
しぶしぶ紙袋を手に取った。
何だろう、この間「ヘタレ」と言った仕返しだろうか。
カサカサ等の音はしないので、生き物関係ではなさそうだが……ゴミだったら顔に投げつけてやろうと、決意する。
心を決めたアリーチェは「えいや」と紙袋を開けた。
瓶に入った茶色い粉が見える。
「えーっと。土ですかね?」
「何でだよ! わかるだろ、コーヒーだよ」
「え。入れてくれってことですか?」
自分のことは自分でする職場ではなかったのか。
ドン引きである。
上司と部下の関係ではあるが、お茶酌みまでするつもりはなかった。
クーゴが声を荒げた。
「違う! やるって言ったろ」
「はぁ」
「ロベリーが、お前がコーヒーを飲みすぎてるって心配してたぞ。カフェインの過剰摂取じゃないか、って」
「ロベリーが……」
「それはカフェインが入っていないコーヒーらしいから、そっちを飲め」
そう言って、クーゴは冷たいお茶を入れて、ソファに座る。
やはり、自分で飲むものは自分で準備するらしい。
その横顔を見ながら、アリーチェは口を開く。
「これは、ロベリーからということであってます?」
「は? ロベリー?」
「いや、えっと。ご自分で購入されたんですか?」
「当たり前だろ」
「ちなみに、どこで購入されたんですか?」
「すぐそこの、角にあるカフェだよ。カフェインが入っていないコーヒーのことを聞いたら、教えてくれたぞ」
「あぁ、あそこ……」
「ってか、お前、どうした? 腹でも壊したか?」
そう言うクーゴが結構真面目に心配そうだったので、アリーチェは慌てて「何でもないです」と答えた。
ついでに「ありがとうございます、頂きます」と早口で言って、コーヒーを取り出す。
可愛らしい少し青みがかかった蓋には、リボンがついている。
空けると、独特な匂いがした。
「よし、休憩終わりー。じゃ、俺行くわ」
「お気をつけて」
アリーチェの横で、しっかりと使用したコップを洗ったクーゴは「無理すんなよ」と片手をあげて出て行った。
嵐のような時間である。
カフェインの入っていないというコーヒーを入れて、アリーチェは席についた。
ほわほわと湯気が出ているコーヒーに、そっと口をつける。
「……おいしい」
コーヒーとは違う気がしなくもない。
独特な味で、濃いお茶のような感じもした。
ただ、おいしいのは間違いない。
アリーチェは、粉が入った瓶を手に取った。
どう見ても、プレゼント用の瓶だ。
ロベリーはおそらく、話題の一つとしてアリーチェの話をしただけだろう。
それでもクーゴは、わざわざアリーチェのためにコーヒーを買いに行ってくれた。
角にあるカフェは、テラス席もあるお洒落な雰囲気があり、どちらかと言えば女子や男女で行くようなお店である。
そこに、熊のようなクーゴが一人で行けば、注目を浴びるのは必須だっただろう。
それを恥ずかしいとも思わず「部下のために」と平然としてみせるのがクーゴなのだ。
綺麗な花が咲き乱れている花畑を、大きな熊がのっしのっしと歩く姿を想像し、思わず笑ってしまう。
「……わかっていますよ」
ヘタレなどと言いつつも、クーゴが本当は優しくて、部下思いで頼りになることは、アリーチェだって知っている。
騎士団の隊長としてのクーゴを見てきたのだから、わかっている。
だからこそ、自分の大切な親友を任せられると思い、その背を蹴り飛ばしているのだ。
効果は全然出ていないが、認めている。
アリーチェはもう一度コーヒーを飲むと、机の上の書類を引き寄せた。
もうすぐ行われる感謝祭のイベントに関するものだ。
「職権乱用しますか」
世のため、人のためである。
決して、上司のぐだぐだ話を聞くのがウザイと思ってのことではない。
感謝祭は、二日にかけて行われる。
交代で休憩を挟みながら、クーゴはもちろんアリーチェも走り回る。
食事スペースも大人気で、ロベリーが働く店にも多くの客が並んでいる。
クーゴは「朝一に行く!」と張り切っていたが、お客さん優先のため、職員を含めた騎士団のメンバーはお客さんがいるときには並べない。
結局、クーゴがロベリーに会えることはなかった。
提供時間も終わり、すでに片付けと明日の準備をしている最中、仕事を終えたアリーチェは練習場横の廊下で立っていた。
そこに、私服姿のクーゴが歩いてきた。
周囲を警戒しているのか見渡している姿は、私服姿とはいえ騎士そのものである。
その前に、一歩踏み出した。
「お疲れ様です」
「アリーチェ? どうしたんだ?」
「ロベリーと一緒に帰ろうと思いまして。もうすぐ来ますよ」
「え。来る、こ、ここに!?」
ぱっと顔をあげたクーゴがきょろきょろと辺りを見渡す。
先ほどまでの警戒心はどこへいった。
「ロベリーには会えなかったんですね」
「ん、んー。まぁ、店は繁盛してたしな。皆に楽しんでもらえたらいいさ」
困ったように笑いながら、あっさりと言う。
あんなに楽しみにしてアリーチェに絡みまくっていたのに、コレである。
仕方がないなぁ、とアリーチェはため息を履いた。
「隊長は、今からお帰りですか?」
「あぁ。明け方組は、皆解散したぞ。明日もあるし、詰所から追い出した」
隊長は、自分の隊への責任がある。
メンバー全員を返して確認してから、ここに来たのだろう。
何だかんだ、責任感があるのだ。
「明日は、イベント会場の護衛でしたよね」
「今日以上に盛り上がるだろうし、引き締めてかからないとなぁ」
「一応確認しますが、イベント参加の件、忘れていませんよね」
「当たり前だろ。まぁ、俺に願いをいうヤツなんか、実践希望のヤツばかりだろうがな」
「隊長クラスの人間が一人は必要でしたので。取捨選択の結果ですね」
「お前、他に言い方あるだろ」
じとりと睨まれ、アリーチェは視線を逸らす。
明日、クーゴは「騎士へのお願いタイム」と題されたイベントに参加する。
当日抽選で選ばれた客の中から、ステージ上の騎士一人を指名し、お願いを言うことができるのだ。
こういうときは、王都や町の警護にあたり、民衆に顔を知られまくっている第一番隊が担当することが多いのだが、今年はせっかくなのでいろいろ混ぜた。
結果として、隊長代表としてクーゴが参加予定である。
「アリーチェ、おまたせ」
「ロベリー」
遠くから、手を振って駆けてくる人影が見えた。
軽く手を振り返す横で、クーゴが固まっている。
走り寄ってきたロベリーは、クーゴを見て慌てたようにアリーチェに近づく。
「ごめんなさい、邪魔しちゃった?」
「いいえ、まったく。ただの世間話」
気にするな、と伝えると、ロベリーはクーゴを見上げにっこりと笑う。
「こんばんは、クーゴ様」
「あ、こ、こんばんはっ」
ヒドイ有様である。
この会話レベルで、一体どうやってコーヒーの話を引き出したのか謎でしかない。
「あ、そうそう」
パチン、とアリーチェは手を打った。
クーゴとロベリーが振り返ったのを確認し、口を開く。
「私、まだ明日の確認が残っていたみたいなの」
「そうなの? じゃあ、入口のところで待ってるわね」
「少し遅くなるかもしれないし……隊長、ロベリーを送ってもらえませんか?」
「俺!?」
いきなりの被弾である。
ぽかんと口を開けたクーゴに近づき、その瞳をじっと見た。
「隊長、本日の業務は終わられましたから、問題ないですよね」
「あ、あ。お、俺は、何かあった気が」
「ないですね。秘書がこう言っていますから間違いないかと」
「え? いや……」
どんどんと声が小さくなるクーゴを無視し、きょとんとしているロベリーを見る。
薄暗い中にたたずむロベリー、可愛い。
「ごめんね、ロベリー。もう暗くなるし、隊長に送ってもらった方がいいと思う」
「私はありがたいけれど……クーゴ様のご迷惑じゃないかしら」
心配そうにロベリーがクーゴを見た瞬間、熊が飛び上がった。
「ぜ、全然っ! あの、私で良ければ、お送り致します」
「だそうなので、送ってもらって」
早く帰れ、と二人を送り出す。
クーゴはいきなりのことに頭がついていかないのか、右手と右足が同時に出いているが大丈夫だろうか。
少しずつ小さくなる影に、ほっと息を漏らす。
クーゴをうまく引き留めることができて、良かった良かった。
当然だが、アリーチェに確認が必要な仕事などない。
どこかで時間をつぶして、さも頑張りましたという顔をして帰る予定である。
仲良く楽しく帰ってくれ。
ついでに夕食でも食べてこい、と後姿を見ていると、何故かクーゴがこちらに戻ってきた。
「何かありました?」
「お前、あとどれぐらいで仕事終わるんだ?」
「あ……と。一時間か、二時間ぐらいですかね」
「じゃ、その後部屋で待ってろ。戻ってきたら送ってやるから」
「…………は?」
「わかったな」
「いや、全然わからん」と、心の中で叫び目を見開くアリーチェを放置して、クーゴは俊足でロベリーのところへ戻っていった。
何故かロベリーが手を振っているので、振り返しておく。
はて、とアリーチェは首を傾げた。
あの熊さん、戻ってくると言っていなかったか?
悩みながら、てくてくと部屋に戻り、コーヒーを入れる。
クーゴが買ってきてくれた、ノンカフェインのコーヒーだ。
席について、ゆっくりとその味を堪能した後、ぎりぎりと拳を握りしめた。
「ちっがうんだなぁ!」
違うだろ、そうじゃないだろう。
そこは察して「おぉ、アリーチェ。ありがとう。おかげで貴重な二人きりの時間がもてたよ」と、感謝するべきところだろう。
調子にのって夕食にでも誘い、手でもつなげばいいのだ。
明日もあるのでお酒は飲めないが、ワインっぽいジュースを片手に乾杯すれば雰囲気も出るというものだ。
でもって「実は、俺」だか何とかかんとか言って、告白すればいいのである。
無理でも「好きだ」の一言で完全勝利だ。
「何でっ、戻って、くるか、なぁ!」
どこどこと机を叩きながら叫ぶ。
そもそも、アリーチェの心遣いに気づかないとはどういうことだ。
どう考えても、嘘だと気づくところだろう。
あの察しの悪さで、どうやって魔物と戦ってきたのだろうか。
「あー、もう。ヘタレ熊がぁっ!」
気遣いが見事になかったことにされ、アリーチェは声を張り上げた。
いや、あれでこそクーゴと言うべきか。
とりあえず、何か仕事しておかないとなー、とアリーチェはのろのろと顔をあげた。