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9:吸血鬼

宿屋へ戻ってみると、シアの姿はどこにも無かった。店主によると私が出て行った後、すぐにどこかへ行ってしまったらしい。大方、情報を集めに酒場へ向かったのだろう。

私は自室で大人しく彼の帰還を待ったが、深夜になっても戻ってこない。流石に心配になり、甲冑を纏って探しに行く事にした。

宿の外に出ると大通りに面しているというのにほとんどの建物は暗く静まり返っていた。青白い光に誘われて空を見上げると月が異様なほどクッキリと浮かんでいる。月なんて旅の最中にこれでもかと見てきたはずなのに、なぜだか今日は背筋がゾクゾクする。私は体に纏わり付いてくるいやな予感を振り払うかのように酒場へと急いだ。

シアほどの剣の腕があれば何も心配はいらない。きっとやけ酒を飲んで眠ってしまっただけだ。そう自分に言い聞かせる一方で、私はこれまでの魔王の肉体たちとの戦闘を思い出す。ゴーレムやハーピィにとどめを刺したのは確かにシアだ。でも、そこに至るまでの間モンスターたちと攻防を繰り広げていたのは主に私だった。シアの刃は私と魔王の肉体たちが互角に戦っているスキを突く事でようやく喉元へと届く。彼一人で戦うとなったら、恐らく攻撃を躱すことも防ぐことも出来ずに倒されてしまうだろう。

勇者であるシアに対して失礼な事を考えているのは百も承知だ。ただ、変えることの出来ない一つの事実として、シアの力は魔王の肉体たちに遠く及んでいなかった。

シアが私に何も言えなくなった原因の一つはそれの気がする。自分が戦闘についていけていない事は彼が一番理解しているはず。シアの事だ。魔王を討伐すると言っておきながら私の力に頼り切りになってしまっている事に劣等感を抱いているのだろう。

そんなつまらない事で悩まなくていいのに。私がシアと共に戦っているのは彼の力に惹かれたからじゃない。もちろん、勇者という地位にでもない。私はシアが一緒に戦ってほしいと言ってくれたから戦っているんだ。たとえそれがただの壁としてだったとしても、あの狭い部屋の中から連れ出してくれた彼の言葉は私にとっての存在理由となっていた。

だからこそ、シアの口からハッキリと尋ねてほしい。私が何者なのかという事を。

私は月明かりに照らされた道を駆け抜けていった。


「もうそろそろ店を閉めたいんだが、構わないかね?」

爆睡している俺を叩き起こした酒場の店主が眉間にシワを寄せながら強い口調で告げた。店内を見回すと、いつの間にか客は俺一人となっており、同じテーブルに座っていたはずの幼女の姿もどこにもなかった。

酔いの冷めないまま外に出ると、背後にある酒場から扉の鍵が締まる音が聞こえた。思わず舌打ちが出てしまう。数時間前まで勇者さま勇者さまと恭しくしていた癖に。そこまで邪魔者扱いしなくともいいだろう。迷惑をかけていたという意識がすっぽ抜けてしまった俺はおぼつかない足取りで宿を目指す。

ヒスイはもう戻っているだろうか。俺がこんな遅くになっても帰っていない事を心配して探しに出たりしていないだろうか。出ていった彼女を探しに行かなかった俺がそんな事を期待するなんて、あまりにも自分勝手過ぎる。きっと今頃はベッドで寝息を立てながら横になっているはずだ。

そんな事を考えながらフラフラと歩いていると狭い路地から囁くように小さな声が聞こえてきた。

「……まずいよ。せっかくこの街まで逃げてきたのに」

「ごめん。我慢できなかった」

その鈴を鳴らしたような、だけれど感情の見えない声に聞き覚えがあり、俺は壁に手をつきながら話し声が聞こえた方へ足を向ける。

「どうしよう? このままここに置いておく訳にはいかない。早くどこかに隠さなきゃ」

「隠すの? もう一回飲んで良い? まだ飲み干してない」

行き止まりとなった狭い路地の向こうに一組の男女がいた。男性の方は俺よりも十センチほど身長が低く、頬は少し痩せこけており、月明かりのせいなのか血の気のない顔色をしているように見えた。目元まで伸びた黒髪の奥で俺の存在に気づいたのか真っ赤な瞳を丸くしている。

そして、その青年の足元に屈んで、横たわっている物体から何かを啜っている少女に俺は声をかけた。

「ダンビィ?」

俺の声に反応して振り返る少女。きめ細やかな銀の髪は少女の動きに合わせてふわりと舞い、月明かりと同じ輝きを放っている。こちらを見つめる瞳の色は俺の知っているターコイズブルーではなく、鮮やかなルージュへと変わっていた。小さな可愛らしい口の端からは真っ赤な液体が垂れてきている。真っ白な体を覆う質の良い黒いドレスの背中から、膜が張り付いたような翼が左右に伸びていた。

明らかに異形の存在だというのに、それでもなお吸血鬼の幼姫は美しかった。

「知り合いなのかい? 名前を知っているようだけど……」

「うん。家出中いっぱい話した。シアいい人」

「シアさんって言うんだね。……すみません、シアさん。突然で驚きましたよね?」

青年は落ち着いた様子で話しかけてきた。まるで二人の足元に倒れている人間など見えていないようだ。自分が今見ている光景がもしかしたら酒が見せている幻なのではないかと思いながら、俺は明らかに息絶えているその男性を指さした。

「それはなんだ? お前らがやったのか?」

青年が足元に転がる死体に一瞥を送る。

「誤解しないでください。先に襲いかかろうとしたのはこの下劣な輩です。ダンビィの魅了チャームに理性を失って、彼女をこんな薄暗い路地まで連れ込んだんですから。僕が気づいてここまで追いかけてきた時には彼女に手をかけようとしていましたよ。

尤も、自分の方が獲物であると気づない間抜けでしたが」

「モンド。飲んで良い? お腹すいた」

青年が頷くのと同時に、少女は獲物の首筋へと牙を立て、傷口から血液を吸い上げた。間違いない。この少女が巷で噂されている『血を奪うモノ』だ。

頭から酔いが完全に抜けた俺は腰から剣を抜き構えるが、体はまだ言うことを聞かずふらついた。臨戦態勢に入った俺を見て、青年―――モンドは小さく首を振る。

「止めてください。ダンビィが気に入っている貴方を殺したくはありません。どうか見てみぬふりをしてはくれませんか?」

「残念だが、多くの人間が被害にあっている怪物を目の前にして見逃すことは出来ないな。勇者である以前に、人を傷つける存在を放置する訳にはいかない」

「そうですか……。まさか勇者だったとは。そうなると僕としても見過ごすわけにはいきません。ダンビィ。あの人は危険だ。倒しても構わないね?」

死体から血を飲み干した吸血鬼は満足したように顔を上げると、俺を見つめてきた。一体何を考えているのだろう。気まずい沈黙が続く。青年が指示を仰ぐように声をかけた。

「ダンビィ?」

「分かった。良いよ。味見したい。血残してね?」

少女の声がきっかけとなったのか、モンドの体が急激に変化する。指の爪が伸び、開いた口から二本の牙が生えてきているのが見える。彼も普通の人間ではなかった。吸血鬼の姫に仕える眷属だったのだ。人間の形を残しながら、人ならざるモノへと姿を変えた青年は武器を構えている俺へと襲いかかってきた。

俺は握りしめた剣で応戦するが、酔いの回っている体ではロクに剣を振る事など出来ず、相手の攻撃を防ぐので精一杯だった。

気分がハイになっているのか、眷属はさっきまでとは打って変わって高いテンションで喋っている。

「勇者の力などこの程度ですか! 警戒して損をしましたよ! これなら別に排除せずとも良かったですね!」

「それなら見逃してくれないか? 俺も今日のところは一旦帰るからさ」

余裕のないなか、なんとか一撃加えるスキを作ろうと相手に話しかける。眷属は笑いながら攻撃を繰り出してきた。

「申し訳ないですが! 貴方の血を飲みたいと彼女が言っていますので! 貴方にはここで! 死んでもらいます!!」

強力な一撃に手にした剣が弾け飛ぶ。地面に倒れた俺に眷属は容赦なく追撃を仕掛けてきた。俺は無駄なあがきだとは思いながらも両腕を体の前に出して致命傷を避けようとした。

すると、突然俺の頭上を何か小さな物が通過して、突撃してくる眷属へと当たって割れた。中に液体の入ったガラスの瓶だった。そんな物など物ともせずに俺へと爪を振り上げた眷属だったが、突然痛みに苦しむ声をあげた。

「グワァァァアアッ!! な、なんだ⁉ これはまさか⁉」

眷属の体を見ると、瓶に入っていた液体に触れた箇所が赤くただれ落ちていっている。地面にのたうち回る眷属を眺めていると、背後から先程弾かれてしまった剣を差し出された。振り返るとそこには見慣れた甲冑が立っていた。

「大丈夫? 怪我はない?」

バイザー越しに俺を見つめながら、ヒスイは心配そうな声で尋ねてきた。俺は大きく頷くと、一体何を投げたのか質問する。

「ただの回復薬だよ。吸血鬼って聖水が弱点なんでしょ? 怪我をした時に回復薬をやけに嫌がっていたからついぶつけてみたけど、どうやら聖水と同じようにダメージを与えられるみたいだね」

ヒスイの方も街であの青年と出会っていたらしい。彼女の機転のお陰で命拾いした。その事実に俺の胸はまた痛くなる。

俺が彼女を守らなければならないのに、またしても彼女に助けられてしまった。

自分の不甲斐なさに打ちのめされている俺をヒスイは明るく勇気づける。

「ほら! なに暗い顔してるの? 戦いはまだ終わってないよ?」

俺に剣を渡すと、彼女は前に立って目の前にいる吸血鬼たちを見据えた。苦しんでいる眷属へ一瞥し、その主人である吸血鬼の少女はヒスイへ敵意を露わにした。

「貴方なに? モンド苦しんでる。絶対に許さない」

「悪者に許しを請うつもりは最初からないよ」

ヒスイは腰から回復薬を取り出して構えた。

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