7:少女と青年
「す、すみませんでした。け、怪我はないですか?」
石畳の上に尻もちをついたまま、男性が顔を見上げて問いかけてきた。悪いのはボーッとして前を見ずに歩いていた私の方だし、屈強な鎧を身にまとっている私よりも倒れている男性の方が怪我の心配があるように思えた。
「私は大丈夫だけど、お兄さんは大丈夫? ゴメンね。こんなデカい図体でぶつかっちゃったりして」
「い、いえ。僕は大丈……ッ⁉」
顔をしかめて自分の手のひらを見ている。受け身を取った時に擦りむいたのか、血が滲んできていた。
「血が出てきてるじゃん。ちょっと待って。確か回復薬があったはずだから……」
甲冑の腰にぶら下げて袋から瓶詰めの薬品を取り出そうとしたが、男性は慌てた様子で制止してきた。
「だ、大丈夫です! これくらいならそのうち治りますから!」
「いや、それはそうだろうけど、回復薬を使った方がすぐ治るでしょ?」
「それは……いやいやいや! 本当に! 大丈夫ですから! 僕なんかの為に貴重な道具を無駄遣いする必要ありませんって!」
私の言葉を頑として聞き入れようとしない男性はズボンのポケットから布切れを取り出すと、怪我をした右手にグルグルと巻き付けた。そこまでされてしまうと私としてもこれ以上は何も言えない。せめてこれくらいはと思い、手を前に出すと、男性は少し戸惑った表情を見せたが、私の手を掴んでくれた。そのまま男性の腕を引っ張って倒れた体を引き起こす。立ち上がった男性は服についた砂埃を払いもせず、私へ向かって頭を下げてきた。
「あの……ありがとうございます。それと、すみませんでした」
「ちゃんと前を見ていなかったのは私なんだから、すみませんって言うのはこっちのセリフなんだけど……」
私の言葉を受けて、男性はゆっくりと顔をあげる。
人間の男性にしては体型は小柄で、シアよりも見た目は若そうではあるのだが、肌が病的に白く、不健康そうな印象を受けた。無造作、というよりは何も手入れをしていないように見える前髪に隠れた瞳は、怯えたようにあちこちへと目が移ろっていた。どもった喋り方も含めて、いかにも気が弱そうだ。
「気を使わせてしまって、本当にすみません。ぶつかったのは貴方のせいだけじゃないですよ。僕も人探しに夢中で周りをよく見れていなかったですから」
青年は怪我をしていない方の腕で頭をかくと、軽く頭を傾けながらまた謝り始める。服の袖が捲れると、先程と同じような布切れが巻かれている前腕がさらけ出された。異様な光景に私は甲冑の中で驚いていると、視線を感じ取ったのか青年はすぐに腕を下ろしてそれを隠した。
「ご、ごめんなさい。見苦しいですよね? じ、実は僕って不幸体質と言いますか、よく怪我をしてしまうんです。擦り傷、切り傷なんてしょっちゅうで。いつでも怪我をしていいように包帯代わりの布を常備しているんですよ。……だから、さっき転んで出来た怪我も気にしないでください」
「……そうなんだ。大変だね」
青年の言葉に嘘くささを感じながらも、私は深く突っ込まない事にした。誰にだって言いたくない事の一つや二つある。そう、今の私やシアのように。
悪い方向に考えが進みそうだったので、私は目の前の青年へ質問を投げかけた。
「お兄さん。この街の人間? 旅人には見えないけど」
「最近やって来たばかりなんですよ。ダンビィ……知り合いと一緒に少し離れた街から引っ越して来たんです。そうだ。小さい女の子を見ませんでしたか? とてもキレイな銀色の髪が特徴で、黒いドレスを来た姿がまるで人形みたいに可愛い子なんですが……」
シアと喧嘩で頭がいっぱいになり見落とした可能性はあるが、出てきた宿屋からここへとやってくるまでの間にそのような格好の女の子を見た覚えはない。正直に伝えると、青年はあからさまに落胆した。
「そうですか……。一体どこに行っちゃったんだろ? あまり外に出ないように言っておいたのに」
「その言い方だと、その子を人前に出したくないように聞こえるけど?」
「べ、別にそういうわけでは……。どうしてそう思ったんですか?」
「なんとなく。私の知り合いと似たような事を言っていたから」
青年は私の姿をじっと見つめた。甲冑に隠れている私の本性を見破ろうとでもしているようだった。バレるはずなどないのだが、そんなに凝視されると本当に正体に気づかれてしまいそうな気がして、私は注意を逸らす為にその女の子の探索の手伝いを申し出た。
青年の顔色がパッと変わる。
「お気持ちはとても嬉しいんですけど……。これ以上迷惑をかけるのは気が引けると言いますか……」
「全然迷惑なんかじゃないって。怪我をさせてしまったお詫びの意味でも手伝わせてよ」
「お詫びだなんてそんな……」
青年の返事は煮えきらない。私の申し出に困っているようだった。親切の押し付けだっただろうか。
「ち、違います。本当に一緒に探してもらえたら助かります。ただ……」
その先の言葉には力が入っておらず、私の耳には青年の声が届かなかった。何をそんなに心配しているのか分からない。青年がその少女を人前に出したくない理由と関係があるのだろうか。
何度か問答を繰り返した後、私はモンドと名乗る青年と共にその迷い人を見つけるため街中を探索しに出かけた。
次に向かおうとしている街の情報を酒場で聞き取った俺は、そのままそこで一杯飲むことにした。アルコールにそこまで強いわけでもなく、元の世界にいた時もプライベートでは全く飲酒はしなかった俺だが、今は目の前にある問題を忘れ考える事を放棄したかった。
酒場のマスターが手渡してきたコップに口をつけた瞬間、俺の舌に強烈な痛みが走った。喉が灼けるような感覚を我慢しながら、口に含んだ液体を胃へと流し込む。一口で体中が内側から熱くなってきた。
「おじさん。顔赤い。大丈夫?」
前の方から声が聞こえ、俺は顔をあげた。一人で座っていたテーブルの向かいにいつの間にか女の子が座っていた。
「……ここは子供が来るところじゃないぞ。さっさと家族のところに帰りな」
「私子供じゃない。どこへ行こうと私の勝手。帰るかどうか自分で決める」
抑揚の無い声で少女が俺に反論してくる。どうやらここから動く気はないらしい。空いている席に移ろうかとも思ったが、動くのが億劫なのと、なぜこんな小さな子供相手に自分が席を譲らなければならないのかという思いが俺をこの席に縛り付けた。俺は嫌な酔っ払いよろしく、初対面の相手に対して気安く話しかけた。
「お嬢ちゃん名前は? 親御さんはどこ? 家族が心配してない?」
「名前? ダンビィ。親は知らない。見たことない」
「知らない? 孤児って事か?」
「ううん。モンドと暮らしてる。少し前にこの街に一緒に来た」
ダンビィと名乗った少女は表情を変えずにその同居人についての文句を口に出す。
「モンド最近うるさい。家から出してくれない。だから勝手に外に出た」
「なるほど。過保護な保護者に嫌気が差して家出してきたってわけか」
俺の言葉に反応すると、少女は家出という単語を復唱した。
「家出……。うん。そう。家出してきた。モンドが謝るまで家出続ける」
「随分とお怒りみたいだな。なんでそのモンドってヤツはお嬢ちゃんを家から出したくないんだ? 理由は言っているのか?」
「言ってた。外に出るのは危ないからだって」
なんとも過保護らしい理由だ。いくら小さな女の子とは言え、そんな事を言っていたら友人も作れなくなってしまう。俺は少女を慰めようとしたが、肝心の少女は首を横に振った。
「友達別にいらない。皆私を避ける」
「そうなのか? それはお嬢ちゃんが周りに何かしてしまったんじゃ……」
俺はそこまで言ってから口をつぐんだ。目の前にいる少女の容姿に今更ながら気づいたからだ。
目をみはるほどに美しい少女だった。真っ先に目に入ったのは白銀色の長い髪だ。手入れの行き届いた艷やかな髪は少女が少し身動きをする度に揺れ、絹糸のような細さで酒場の淡い光に反射する様はまるでガラス細工のようだ。吊り目がちの瞳は透き通るように碧く、細く筋の通った鼻の下にある唇は幼い顔立ちに不釣り合いなほど赤みを帯びている。雪のように白い肌とそれを引き立たせる漆黒のドレスを身にまとった少女は下町で暮らす平民の出には見えなかった。
もしかしたら高貴な家柄なのかもしれない。親を知らないと言っていたが、貴族の令嬢と考えたら何か複雑なワケがあってもおかしくはない。貴種の子供が平民と同じ空間にいたら、誰だって距離を置きたくなる。
少女の身の上を想像し、同時に過保護とも思える扱いに納得がいくと、その保護者に対して同情心が生まれた。
「お嬢ちゃん。悪いことは言わないから、早く家に帰ってあげな。きっと家の人が心配して探してるぞ?」
「嫌だ。絶対に帰らない。モンド臆病。困ってるだけで探したりなんかしてない」
「そんなことないって。お嬢ちゃんの事を大事に思っているんだろ? それなら何があっても探しに出てるよ」
「本当? おじさんがモンドだったら探してくれる?」
もちろん、と即答した後に、俺は胸が痛くなった。俺は嘘つきだ。それならなんでヒスイが出ていった後、すぐに追いかけていかなかったのか。そして、情報収集と言い訳をしながらわざわざ遠回りをしてこの酒場へと足を運び、彼女の姿が見えない事に落胆したのか。
少女は同居人を臆病と言ったが、それを言うなら俺も臆病だ。雪山でハーピィを倒した後からずっと頭の中で浮かんでいる疑問をヒスイにぶつける事が出来ず、日常的な会話どころか一緒にいる事すら避けるようになってしまった。
俺はコップを掴むと煽るように酒を飲んだ。俺の苦悩を見透かしたように少女は語りかけてくる。
「おじさんも大変なんだね。聞かせて? 何があったの?」
「聞いても面白い話じゃないさ。それに子供の君じゃ理解出来ないよ」
そう言いつつも俺の口調は、幼い子に話しかけるものから対等な立場の相手に相談するものへと変わっていた。誰でも良かった訳ではない。目の前にいるこの少女になら素直に自分の悩みを打ち明けられる気がしたのだ。
少女は妖艶な表情で笑った。
「だから。私子供じゃないって」
お読み頂きありがとうございます
短めでもこまめに投稿した方が多くの人に読んでいただけるようなので、今回はここまでで投稿させて貰いました
多分次回以降も短くなると思います
一度にある程度まとめて読みたいという方もいらっしゃるとは思いますが、その分投稿頻度を増やしますのでご容赦のほどお願いします