20:待ち受けていたモノ
オンファの予想は的中しており、龍の姿の彼女に暮らしていた島から近場の街まで運んでもらうと、街は隻腕の悪魔の噂で持ちきりだった。とある遺跡を探索していた冒険者たちがその最深部で一体のモンスターに出会ったそうだ。右腕の無い悪魔のような見た目のモンスターは圧倒的な力を持っており、ある程度名の知れたそのパーティは一人を除いて生きて帰って来ることが出来なかった。
アークデーモンの力を知っている俺からすれば一人だけでも生きて戻れたなんて幸運だと思ったのだが、オンファは首を横に振って俺の考えを否定した。
「クンツァイトはわざとその人間を見逃したのです。人間への憎悪の塊であるクンツァイトにとって、自分の存在を知らしめ、人間に恐怖を与える事は何よりの復讐になるでしょうから。
また、人間の中で噂を広めることにより私をおびき出そうとしているのでしょう。クンツァイトにとって最後の脅威であり、最高の餌である私を放置したままにするとは考えられません。噂を聞きつけた私を返り討ちにしようという魂胆が透けて見えます。
しかし、遺跡ですか。それは少し厄介な事になりましたね」
そのモンスターが出没した遺跡には古の魔法がかけられており、物理と魔法両方による建築物の破壊が無効化されている。地中に埋まっている遺跡なので一つ一つの空間がそこまで広いとは考えにくく、オンファが元の姿になれない可能性が高い。人間の姿でも充分な戦闘力を保持しているが、アークデーモンが相手となれば話は別だ。力を制限された状態では勝ち目も薄くなってしまう。相手もそれを理解した上で遺跡に誘い込もうとしているのだろう。
「ですが、クンツァイトの目算には薄川が含まれていません。貴方の存在がこの戦いの勝敗を左右するでしょう。貴方なら必ず勝てると信じていますよ」
フードで頭の角を隠したオンファがぎこちなく微笑んだ。俺はそんな彼女を見て、気分が高揚するとともに胸が苦しくなった。
俺が勇者である事に気づかれる前に混乱している街を抜け出すと、遺跡を目指して旅をしながら同行しているオンファについて考えた。
最初は感情が乏しく人の心が分からない機械のようなヤツだと思っていた。しかし、島での共同生活を通して、あまり自己表現をしないだけで一通りの感情を持ち合わせているのだと気付かされた。
俺が自暴自棄になっていた時はそれを止めようと叱りつけ、俺が思わず涙を流していた時は何も言わずに寄り添ってくれた。
彼女の優しさのおかげで俺はヒスイを失った悲しみを乗り越える事が出来た。
俺にとってオンファは救いであり、そして同時に自身を咎め糾弾する存在だった。
ヒスイを失った原因でもある彼女へ心を開こうとしている自分が許せなかった。彼女に惹かれつつある自分の心が信じられなかった。彼女へ吐き捨てるように言った言葉を思い出してこの想いを否定しようとした。
しかし、考えれば考えるほどオンファに対する気持ちは強くなり、ヒスイと同じくらい大切な者になっていた。
俺は小難しく考えるのを放棄した。自分の心に芽生えた感情は自分が一番よく分かっている。どんな言葉を並べ立てた所で、結局は彼女を愛している事に代わりはない。無理に目をそらすよりもシンプルに受け入れてしまった方が精神衛生上良いだろう。
そんな自分勝手な結論に呆れながらも俺は心に誓った。
今度こそ必ず、守ってみせると。
「なぁ、少し話があるんだがいいか?」
松明を手に遺跡の中を進んでいると、薄川が話しかけてきた。この通路の先にクンツァイトとの決戦が待ち構えているせいなのか、彼の声は少し震えている。
「どうしました? ここに来て不安を感じているのですか? 大丈夫ですよ。今の貴方なら必ずクンツァイトを倒すことが出来ます。いざとなったら私を盾にして一時退却してくれて構いません」
「馬鹿な事言うな。お前らしくもない」
彼が顔をしかめた。私の発言が不快だったようだ。確かに、彼が仲間を置いて一人で逃げ出すとは考えづらい。そして彼の言う通り、今までの私だったら自身や薄川の身を危険に晒してでもクンツァイトの討伐を優先させたはずだ。自己犠牲の精神がいつの間にか自身の中に芽生えている事に若干の驚きを覚えた。
自身の変化に言葉が出なくなっている私へ薄川は話を続ける事の許可を求めてきた。私は彼が話そうとしている話題に興味を惹かれながらも、聞いてしまったら後戻りが出来なくなってしまう、そんな予感を覚えた。相反する感情に結論を出せない私は沈黙をもって彼に答えた。
「まず最初にお前に謝らなければならない。ヒスイの件で逆恨みしてすまなかった」
「謝る必要はありません。ジェダイト……ヒスイの生命よりもクンツァイトへのダメージを優先したのは事実です。貴方のその感情は筋違いではなく正当な物です」
「いや、違うな。俺はただ誰かに責任を押し付けて八つ当たりしたかっただけだ。俺の弱さが招いた結果だと言うのに、それを認めたくなかったんだ」
そう口にする彼の表情は苦痛に歪んでいた。頭では理解していても心の中ではまだ完全に納得しきれていないようだ。それでもこうして言葉にしているという事は、彼の中でもジェダイトの一件について乗り越えたいと願っているのだろう。ここで私が否定したら、彼は余計に苦しむことになってしまうと判断し、私はその謝罪を受け入れた。
「わかりました。私は貴方を許します。ですから貴方も自分を許してあげてください」
「ありがとう。俺は卑怯だな。お前から許しを得ることで、自分を救おうとするなんて。
俺を許してくれてありがとう。俺に必要な言葉を与えてくれてありがとう」
「そんなつもりはありませんでしたが……。ですが、それで貴方が救われるなら良いでしょう。
話は以上ですか?」
私は会話を切り上げようとした。この話題を長引かせたくなかったという理由もあるが、彼から次に出てくる話が私にとって大きな影響を及ぼしそうな気がしたからだ。しかし、薄川は首を横に振った。
「もう一つ大事な話がある。単刀直入に言う。俺はお前が好きだ」
その言葉に私は思わず足を止めてしまった。彼は振り返って私を真っ直ぐ見つめると言葉を続けた。
「今まで散々お前にキツイ態度で接しておきながら、急にこんな事を言うのはおかしいと理解はしている。だが、決戦を前に俺の正直な気持ちを伝えておきたかったんだ」
「……貴方は自分の気持ちを勘違いしていますよ。私に愛情を抱くなんてありえません」
私の事を恨んでいたでしょう、と口に出そうになったが、直前の謝罪を思い出して自分の反論を否定した。彼が私を憎んでいたのは自分自身に対する怒りのはけ口を求めていたからだ。私に対する憎悪の感情は実際には自身に向いている物だった。
抗弁の材料を失った私は他の糸口を探す為に理由を尋ねた。
彼は私から目をそらさず、真摯な面持ちで答える。
「ヒスイを失って捨て鉢になっていた俺をお前は支えてくれた。お前の優しさのおかげで俺はまた立ち上がる事が出来たんだ」
「それは……クンツァイトを倒すためには貴方の協力が必要だったからで……」
「その言葉が本心じゃないとお前が一番よく分かっているはずだぞ?」
薄川の問いかけに私は再び何も言えなくなってしまった。私の逃げ道を塞ぐかのように彼は主張を重ねる。
「ヒスイを失った心の隙間を埋めてくれた、って言ってしまうとお前をヒスイの代わりとして見ているように思われてしまうだろうが、それは違う。もちろん、今でもヒスイへの想いは残っているし、多分この先も消えることはない。
だが、その想いと同じくらいお前の事を愛おしく思っているんだ。
ヒスイを愛していたようにお前の事も愛したい。駄目か?」
胸に秘めた想いが溢れ出しそうになるのを必死にせき止める。駄目なはずなどない。ないのだが、私が抱えている秘密が万が一にも露呈した時、彼を余計に苦しめてしまうのではないかと思うと首を縦にふる事は出来なかった。
「……原典が同じとは言え私とヒスイは別個の存在です。貴方が彼女に求めていた物を私は貴方に与える事は出来ないと思います」
「さっきも言っただろ。別にお前のことをヒスイの代理にするつもりはない。ヒスイはヒスイ。お前はお前だ。
俺はオンファサイトであるお前が好きなんだ」
「しかし……」
「今すぐに答えなくていい。だが、俺の気持ちは知っていてほしかったんだ。俺はお前を大事に思っている。だから、さっき言った自分を犠牲にするみたいな無茶なことはしないでくれよ?」
そう言うと、彼は再び前を向いて通路を歩き出した。私はその場に少しだけ立ち止まると早足で追いかけた。
私たちは何も言わずに先へと進む。気づかれないように薄川の様子を伺いながら、先程のやり取りを思い出す。
彼の気持ちは嬉しい。出来ることならその想いに応えた。私が見たあの現象もクンツァイトが回収していった以上、意味のない出来事だ。
だが、胸の奥に引っかかる言語化出来ない違和感が私に警鐘を鳴らしていた。この先に待ち受けているモノと関係しているような、そんな気がした。
最近人間が通ったような跡に従って進むと、物々しい扉が目の前に現れた。
私と薄川は顔を見合わせてお互いの覚悟を確認する。薄川がゆっくりとその扉を押した。
扉の向こうは少し広めの部屋となっており、奥には祭壇があった。この遺跡を作った人間が信仰の対象を祀る為に用意した場所なのだろう。もしかしたら、この祭壇を作るために遺跡を建築したのかもしれない。
床から数段高い場所にある祭壇の上にはクンツァイトがこちらに背を向けて立っていた。私たちは臨戦態勢を取りながら部屋へ侵入する。気づかれないよう静かに祭壇へと向かったが、背後の扉が突然音を立てて閉まった。
急に閉じた扉に驚きつつも、私たちは前方にいるクンツァイトを見つめた。すると、右腕のない肉体がゆっくりと反転していく。
敵がこちらに振り向いた瞬間、私も隣にいる薄川も息を呑んだ。
翼のせいで後ろからは見えなかったが、クンツァイトの胸に大きな穴が空いており、首や残った左腕が力なく下を向いていたからだ。
胸に空いた穴から桃色の光を発して消えているクンツァイト。その背後に潜んでいた存在を見て、薄川は大きく目を見開き、私は歯を食いしばった。
祭壇の上に立ってクンツァイトを吸収したソレは、深緑色の人型スライムだった。
お読みいただきありがとうございます
なんとかここまで話を進める事が出来ました
ちなみに、最初のプロットではラスボスはドラゴンで二人の強い絆を信じて自ら再び封印されるという展開にする予定でした
この先どんな結末になるのか最後までお付き合いのほどお願いします