13:船の上で
「おや、どうしやした? まだ、目的の島には到着しやせんが?」
甲板へと上がると、操舵手と話をしていた厳つい顔の船長が俺を見つけて近寄ってきた。外の空気が吸いたくなったと伝えると、見晴らしの良い船首へと案内してくれた。
目の前にはここでしか見られない綺麗な風景が広がっていた。雲ひとつない澄み渡るような明るい青と白く砕けた波が時々混じる鮮やかな深みのある青。二つの青が水平線の向こうで交わり、ぼんやりと光を放っている。四方を見回してもその光を遮るモノは見当たらず、海の向こうの島や大陸も含め世界にこの船だけが存在しているかのような錯覚に陥った。
海の広さに若干の畏怖の念を覚えつつ、眼前に広がる景色に感動していると、隣りにいる船長が話しかけてきた。
「どうです? 美しい景色じゃねえですか? こんなもん見れるのは危険な船旅を恐れねぇあっしたち船乗りやあんたらみたいな冒険者くらいですぜ」
「確かにこれは素晴らしいな。やっぱり、後でヒスイも連れてくるか」
「そうしてくだせえ。ただ、あんまり長くここにいると潮風であのごっつい甲冑がサビちまうかもしれねぇなぁ」
船長がその大きな体を揺らして笑った。
晴れて恋人となった俺たちだったが、他にモンスターがいるダンジョンの中は二人で暮らすにはあまり向いておらず、人目につかず安全に生活出来る場所を求めて再び旅に出ることにした。特に目星などはなかったのだが、海を見てみたいというヒスイの要望を受けてどこかの離島を目指すことにした。幸い向かった港街ではまだ俺が勇者だと言う情報が届いておらず、以前と同じようにヒスイには甲冑で姿を隠してもらい、ちょうど出港しようとしていた船に無理を言って乗せてもらった。
表向きは離島を巡って隠された財宝を探す冒険者という事になっているが、この船長にはなんとなくバレているような気がした。帰る手段もないのに離島へ送ってもらおうとしている時点で怪しいのに、その冒険者が無骨な甲冑に身を包んだ相方を連れているとなったら怪しむなと言う方がおかしいのかもしれない。
「あと一日もすればあんたらの目指す離島に到着しちまうんだ。見るんだったら早めの方が良いと思いますぜ。まぁ、俺たちがいちゃあ、ロマンチックな雰囲気に水を指しちまうかもしれねぇですがね」
「別に人前でいちゃつこうなんて思っていないよ。というか、なんで俺とあいつの関係が分かったんだ?」
俺の質問に船長は一瞬目を見開いて、先程よりも豪快に笑い声をあげた。
「あんた、自分がどれだけお連れさんに対して気を配っているのか気づいていないのかい? まるで一国の姫を護衛する騎士みたいでしたぜ? あっしたちがそばを通るだけで険しい形相で睨んでたじゃありやせんか」
「そうだったか? 済まない。船に乗せてもらっている立場でありながら失礼をした」
「謝んなくて良いですよ。あんたにとって、それだけあのお連れさんが大事ってぇことでしょう? 正直、甲冑の中身に興味がないと言えば嘘になりやすが、いさくさは御免ですからねぃ。身のこなしの時点でそんじょそこらのひよっこ共とは全然違うあんたらと事を構えようとなんて思っちゃいやせんよ」
「それを聞いて安心した。最悪、あんたたちを海に放り投げて、この船を奪ってしまおうかとも考えていたからな」
冗談にしては笑えないと、船長が笑顔で答えた。全く冗談のつもりはなく、もし船員の誰かが俺たちの事を探ろうとしてきたら本気で乗っ取るつもりだった。
一人の船員がこちらへやって来て、萎縮しながら船長へ指示を仰ぎに来た。途端に船長に雷が落ち、怒鳴り声をあげながら帆を張るように伝えた。縮こまっていた船員は船長からの指示を受け取ると、逃げるようにその場を後にした。デッキで見守っていた他の船員も蜘蛛の子を散らしたように持ち場へと戻っていく。
「全くあいつら……。ここらで失礼させて頂きやす。あっしがいねぇとマトモに船も動かせねぇようで……」
そう言って船長は船尾へと向かいながら右往左往している船員へ号令を送っていた。
木箱に腰を掛けながら小さな窓から外の景色を眺めていると、ドアの開く音が聞こえた。そちらへ顔を向けるとシアが立て付けの悪い木製のドアをきっちり閉めようと悪戦苦闘していた。
「おかえり。どうだった?」
「ん? あぁ、あと一日もあれば島に着くってさ。もう少しの辛抱だな」
「そうじゃなくて。甲板からの景色。キレイだった?」
シアは私のそばに腰掛けると美しい海上の風景を説明してくれた。私は口を挟まずに頭の中で今聞いた景色を想像した。一通り説明を終えるとシアが私に提案をしてくる。
「なぁ、ヒスイも上に出てみないか? 同じ海でもその窓から見えるモノとは全然違うぞ?」
「んー、まだ一日あるんでしょ? 気が向いたら上がってみるよ」
それだけ言って、その話題は終わらせようとした。気が向いたらとは言ったが、船を降りるまで私はここから出るつもりはない。シアの言う二つの青の混じる景色は興味があるし、大海原を進むところを甲板から眺めたいという気持ちはある。
だが、今の私にとって人前に出るのは恐怖でしかなかった。甲冑で姿を隠してはいるが、強風や船の揺れで脱げてしまう可能性は捨てきれない。何より、この船にいる人間たちが私へ攻撃してきたあの衛兵たちと同じ目つきをしているのではないかという強迫観念にかられてしまい、シアと共に港で船に乗ってから一度もこの小部屋から離れる事が出来なかった。
シアもそんな私の心の変化に気づいているのか、あまり強く提案はしてこない。ただ、心配そうな顔で私の事を気遣ってくれた。
「三日間ずっとこの狭い場所にいるけど大丈夫か? せめて夜中に外の空気だけでも……」
「大丈夫だよ。甲冑を着てたら船の中だろうが、甲板の上だろうがあんまり変わりないしね」
「ゴメン。そんな物をまた着せる羽目になってしまって、本当にゴメン」
「だーかーらー。気にしてないって。これを着ようって言ったの私なんだし。今のは言葉の綾ってやつ。なんだかやり辛いなぁ。前はもっと言い返してくれたのに」
シアと恋人になって明確に一つ変わった点がある。それは、彼が私に対して甘くなった事だ。変に見栄っ張りで謝罪の言葉の一つを言うのにあれだけ躊躇っていたシアが、今では口癖のように謝りながら私の意見に賛成してくる。
言葉だけではない。港街へ向かうまでの間、事あるごとに私に疲れていないか尋ねてきたり、この狭い小部屋で眠る時も甲冑姿の私を横になって寝かせながら自分は毛布もかけずにドアのそばの壁に背中を預けている。
大事にしてくれるのはヒシヒシと伝わってきてとても嬉しいが、こんなにも扱いが変わると流石に戸惑ってしまう。
「そうは言ってもしょうがないだろ。好きな相手の事を一番に考えるのは恋人として当然だと思うが」
「いや、言ってる事は分からなくないけど、物には限度と言うものが……」
シアがここまで変わるとは思っても見なかった。あまりの過保護っぷりに若干の重たさを感じながらも、それに幸福感を覚える自分が心の奥にいた。
「とにかく、あんまり私に気を使いすぎないでよ。私だってシアの恋人なんだからさ。私にばかり気を取られて自分の事を蔑ろにされたら申し訳なくなってきちゃう」
「そうか? 別に俺は自分の出来る範囲の事をしていただけなんだが……。今後は一応注意してみるよ」
手甲の上から私の手を握り、シアが答えた。本当に分かっているのだろうか。少し不安を覚えつつ、私は話を変えた。
「それにしても船長さんには感謝だね。いきなり船で近くの孤島まで連れてってほしいってお願いを聞いてくれた上に、こんな急ごしらえの客室まで用意してくれるなんて。狭いのだけが残念だけど」
見た目は少し怖いが気の良い船長は二つ返事で私たちを船に乗せると、倉庫の一つを私たちの部屋として貸してくれた。この船の備品や私たちの荷物で少し手狭にはなってしまったが、個室を用意して貰っておきながら文句は言えないだろう。
「そうだな。船を降りる時、もう一度お礼をしておくよ」
「船員の人には謝っておかなきゃね。倉庫に入ってくるたび申し訳無さそうな表情してたから」
船員が倉庫に備品を取りに来ると私は基本的に窓の外を見て顔をそらしているが、倉庫から出ていく時にチラッと盗み見る彼らの顔は皆すまなそうな表情をしていた。恐らく、シアが鋭い目つきで彼らを睨んでいたせいだと思う。
「だが、せっかく二人っきりの時間を過ごしているのにそれを邪魔されたら少しは腹が立つだろう?」
「あの人たちも邪魔したくてここに来てる訳じゃないでしょ? 倉庫を貸してもらっているのは私たちの方なんだから、いつやって来たとしても受け入れなきゃ」
私はそう言って、隣のシアを牽制した。さっきから少しづつ、私の方へにじり寄ってきている。
シアが変わった点はもう一つあった。それは暇さえあれば私に抱きつこうとしてくるところだ。それまで彼から私に対して積極的にボディタッチをしてくる事はなかったのに、恋人になった途端、手を握ったり、肩を抱き寄せたりしてくるようになった。
「好きな相手にアタックしている女子みたいだな。好きな相手というのは間違っていないが」
「いや、だから。なんでそっちに引き寄せようとしてくるわけ?」
腕を引っ張ってくるシアを反対の手で押し留めながら、私は彼を宥めようとする。だが、シアは私の言うことを聞く気はないらしく、少し荒っぽくもう一方の腕を掴むとそのまま抱きついてきた。
「あーあ。また人が来たらどうするの? 傍目から見たら甲冑に抱きついている異常者だよ?」
「どうせあと一日の付き合いなんだ。何を思われようが気にしないさ」
「そう言いながら、部屋に入ってきたらすぐに離れるくせに」
私は小言を言いつつも、抵抗するのは止めた。どうせ何を言っても無駄だ。諦めて抱きつかれてあげよう。シアは知らないかもしれないが、私も彼に抱きしめられるのは嫌いではないし。
甲冑の中で隠れて微笑む私だったが、その少し後にドアをノックする音が聞こえて、備品を取りに来た船員に慌てふためくことになるのだった。
お読み頂きありがとうございました
今回の話から物語は佳境へと入っていきます
今月中には完結出来ると思いますので引き続きお楽しみ頂ければ幸いです