1:勧誘
扉を叩く音が聞こえる。どうやらいつもの時間がやってきたらしい。
私は立ち上がると、腰掛けていた岩の欠片が付着していないか体中を確認する。体に残っていた岩のせいで戦闘中に余計なダメージを負う事は避けたい。
入念に調べたが異物は見当たらない。落ち着く暇もなく、扉を叩く音が隠し部屋中をこだまする。私は急かされるように扉へと歩み寄り、ソロリソロリと取っ手を引いた。
扉の向こうには毎日のようにここへ通い詰めている人間の姿があった。
「今日はいつもよりドアを開けるのが遅かったな。どうかしたのか?」
体を横にして私が開けた扉の隙間を潜り、隠し部屋へと入ってきながら勇者は問いかけてきた。私を気遣ってくれているようだ。これから私に何度も瀕死の重症を負わせてくる癖に。
「別に。ただ、今から行われる一方的な殺戮に気が重くなっただけ」
「人聞きの悪い事を言うな。確かに攻撃しているのは俺だけだが、それはお前が攻撃する術を持っていないからだろ? それに今まで一度だってお前を殺したりした事があったか? 虫の息になったら回復するまでちゃんと待ってやってるじゃないか」
「それは私を倒し切るより、回復させて何度も戦闘を繰り返した方が経験値の効率が良いからでしょ? そっちの都合で何度も死の寸前まで追いやられるモンスターの気持ちを考えた事ある?」
勇者は何も言わないが、その顔には敵の事など知ったことかと書かれていた。こんな人物が異世界からやってきた勇者だなんて、この世界はもう終わりかも知れない。
「余計な話で時間を無駄にしたな。早速始めるぞ。今日の目標は二十回だ。早く終わらせたかったら攻撃を避けるなよ?」
「どこの世界に自分から瀕死になりにいく奴がいるの? そっちこそ早く帰りたかったら攻撃を諦めてよね」
私は体全体を保護するために髪の毛を操る。深緑色の半透明な髪が同じ色をしている肉体へと巻き付き防具のように覆っていく。勇者は面倒くさそうにため息を吐いた。
「只でさえ回避率が高いってのに、自分の髪を使って攻撃が体まで届かないようにするか。本当にスライムってのは厄介だな」
そう言って腰の剣を鞘から抜くと、私に構えながら飛びかかってきた。
俺がアイツのいるダンジョンへと初めて足を踏み入れたのは今から一ヶ月ほど前、俺がこの異世界へと飛ばされてきた数日後の事だ。
元の世界での俺はごくごく普通の一般的なサラリーマンだった。朝起きてクライアントから届いた無茶な要望を確認し、昼前に部下から午後の会議の資料ができていないという報告を受けて休憩時間を削って作業し、終業時刻を過ぎた後も飲み会に行った上司と同僚たちから任されたプロジェクトの企画書を日付が変わる直前までまとめる、という現代社会でどこにでも見られる普遍的な社会人生活を送っていた。
そんな限界ギリギリだった日常は一台のトラックによって一変した。空中に浮いた体はまるでバットで打たれた野球ボールのように弧を描き、コンクリートの路面にゆっくりと近づいていく。スローモーションでアスファルトが迫ってくるのは中々の恐怖体験で、和洋どちらのホラーも得意な俺でも流石に地面に落下する直前は目を閉じてしまった。
再び目を開いた時、俺は森の中に倒れていた。都会のビル群が立ち並ぶコンクリートジャングルではなく、正真正銘木々が生い茂った緑豊かな森だ。横断歩道の真ん中でトラックに撥ねられたはずなのにどうしてこんなところにいるのだろうか。疑問が浮かぶのと同時に、自分がこの世界に召喚された理由がどこからともなく頭の中に流れ込んでくる。
百年ほど前にこの世界へ突如として現れ、人々を恐怖のどん底に追いやった魔王が復活しようとしています。勇者よ。どうかこの世界を救ってください―――とのことだ。
急に異世界に放り投げられた上に世界を救えと言われても困ってしまうのだが、それを断ったところで元の世界には戻れそうにもなく、そもそも断る相手がどこにも見当たらなかった。
そういうわけで、俺は勇者として戦いの日々を過ごす事になってしまったのだ。
討伐目標である魔王は魔物の王というからには恐らくとてつもなく強いはずだ。そんな相手に立ち向かうには兎にも角にも経験を積むしかない。俺はとある街の酒場で経験値稼ぎにはダンジョンを周回するのが良いという話を耳に入れると、スライム狩りを行うためにここへとやってきたのだが、ダンジョンを潜っている途中に何やら意味深な仰々しい扉を発見した。警戒しながら扉を押し開くと、中は十畳ほどの小部屋になっており、見たこともない全身緑色のモンスター―――人型スライムが目を見開いてこちらを見つめていた。
まさか人型のスライムが存在するとは思っていなかった俺とダンジョン内の隠し部屋に人間が侵入してくるなんて思っていなかったアイツはお互いフリーズして見合っていたが、一足先に思考が戻ったアイツが話しかけてきた。
「あの……何か用ですか?」
「え? あ、いや、自分、勇者で。魔王を倒す為に経験値稼ぎに来たんだが……」
「あ……そう……」
そこで会話が止まり、気まずい沈黙が流れた。俺は今の出来事を冷静に精査した結果、人語を操る人型のスライムなんてレアモンスターに違いないという結論に至り、特別な相手なら獲得出来る経験値も多いのではないかと考えた。
考えが顔に出ていたのか、アイツは何かを察した様子で俺に声をかけた。
「もしかして……私の事を倒そうとしてる?」
「まぁ、そうなるかな? いかにも経験値が美味しそうだし」
「へぇ……」
次の瞬間から戦闘が開始された。俺が剣を振るのに馴れていなかったという点を差し引いても、アイツの回避能力は素晴らしかった。いくら剣を振り回してもひらりひらりと躱され、なんとか剣先を掠らせるので精一杯だった。攻撃が全然当たらなくて息切れし始めた俺は反撃を警戒したのだが、アイツは攻撃する素振りを全く見せず、肩で息をしながらこちらの出方を伺っていた。後で知ったのだが、アイツは攻撃手段を持っていないらしく、戦闘自体もほとんど行った事がなかったそうだ。
小さなダメージを積み重ねていき、俺は長時間の対峙の末にアイツを瀕死にまで追いやることに成功した。地面に倒れているアイツはすべてを諦めたかのように目を瞑ってとどめを刺されるのを待ったが、俺はそこで剣を鞘に戻した。
いくらモンスターとは言え、人語を操りコミュニケーションも取れる相手の命を奪うのには躊躇いが生じた。
それに、目の前に倒れているアイツの姿は人間に害をなす恐ろしいモンスターではなく、か弱い生き物にしか映らず、そんな相手に剣を振るってしまったという事実が俺の心を深くえぐったのだ。
手を差し伸べようか迷っていると、突然アイツの体が淡い光に包まれた。手遅れだったかと焦った俺だが、傷ついた体がその光とともにみるみる回復していき、あっという間に無傷の状態に戻ったのを驚いているアイツの顔をただ呆然と眺めていた。アイツ自身も知らなかったようだが、どうやら自動回復能力を持っていたらしい。
敵対する立場のはずなのに何故か安堵している自分に驚いたが、いつの間にか大量の経験値を入手していた事に更に驚いた。今までモンスターへとどめを刺してきたが、倒しきらず戦闘不能にまで追いやるだけで経験値が入ってくる仕組みのようだ。しかも、予想通りレアモンスターは通常のモンスターよりも全然得られる経験値が多い。
その事実に気づいた時、俺にはある悪魔的な発想が頭に浮かんだ。レアモンスターであるアイツは戦闘不能になれば自動回復する。つまり、何度も戦闘を行い、その都度経験値を入手する事が可能なのではないだろうか。何度も傷つけるのは若干心が痛むが、効率を考えたらわがままは言ってられない。
ヨロヨロと立ち上がりながら自分の能力にびっくりしているアイツに、俺は手を差し出しながらある提案を行った。
こうして、俺の経験値稼ぎの為にダンジョンの隠し部屋で人型スライムのアイツと戦闘を毎日行うことになったのだった。
数時間に及ぶ戦闘を終えて、私と勇者はお互い息を切らしながらそれぞれ近くの岩に腰掛けた。私の傷が癒えるのを待っている間、いつものようにどちらからともなく話始める。
「今日もたくさん殺されかけたわぁ。剣で斬られるのトラウマになりそう。なんか魔法とか使えないの?」
「レベル上昇によって魔法を手に入れている可能性はあるが、俺が今どんな魔法が使用出来るのか把握出来ていない。そもそもどうやって魔法を唱えるのかを知らん」
「魔法の使い方を知らないって……。勇者なんだからテキトーに魔法職の人間に相談すれば教えてくれるでしょ? もしかして、人と会話するのが苦手とか?」
そんな訳無いだろ、と少し声を荒らげて言う勇者だったが、私の見間違いでなければ彼の目は泳いでいた。モンスターである私とごく普通に会話が出来るのだから、喋るのが嫌いというわけでは無いと思うのだが。深く理由を尋ねてみたい衝動に駆られたが、一度否定している事を考えると正直に教えてくれるとは思えない。人間には人間の苦労があるのだろう。
「何一人で納得したように頷いているんだ?」
「勇者は可哀想なんだなって思っただけ。異世界に飛ばされた挙げ句、周囲の人間に頼る事も出来ないなんて」
「頼れないんじゃなくて、頼っていないだけだ。勇者という立場を利用しようとしてくる輩がどこに潜んでいるか分かったものではないからな」
「へぇー、そうなんだー。大変だねー」
全く感情を込めずに相槌を打つと、勇者はあからさまに不機嫌そうな顔をした。普段は仏頂面の癖に。
私の体から治癒の光が消えていく。先程勇者に付けられた傷が綺麗サッパリ無くなったのを確認しながら、私はここ最近思っていた事を口にした。
「正直、もう私で経験値稼ぎしなくても良くない? 前は全然私に攻撃を当てられなかったけど、今じゃ割と簡単に戦闘不能にしてくるじゃん? 充分レベルはあがったと思うけど?」
「残念だが俺は序盤の街でレベルをカンストさせるタイプなんだ。魔王がどの程度の力を持っているのか分からない以上、ここでギリギリまで経験値を入手させてもらう」
平然とした口調で言っているが、それはつまりレベル上限まで何度も私を倒しまくるということだ。経験値稼ぎを手伝ってやっているのに何という奴だろう。
「俺が一番最初に提案した時、お前はそれで了承しただろ。というか、それについては俺も疑問がある。俺が言うのもなんだが、なんで経験値稼ぎに協力してくれているんだ?」
「そりゃ、拒否したら用済み扱いでとどめを刺されると思ったからに決まってるでしょ」
「いや、流石にそこまではしないぞ? 俺を悪魔か何かだと思ってないか?」
「毎日毎日半殺しにしておいてよく言うね。わざとじゃなければサイコパスだよ?」
勇者は不服そうな顔をしている。自覚が無さそうなのが本当に恐ろしい。
「そんなに嫌だったらタイミングを見計らって逃げれば良かっただろ? お前の回避能力があれば俺から逃げるなんて簡単じゃないか」
そう言われるとぐうの音も出ないので、私は口を閉ざすことにした。同じ種族であるはずのスライムやダンジョン内の他のモンスターから除け者にされていたので、誰でもいいから話をしてくれる相手がほしかったなんて恥ずかしくて言い出せなかった。
部屋の中に沈黙が訪れた。どうして勇者も黙ったのだろうかと、そちらへ視線を向ける。勇者は何故か落ち着きのない様子で私の事を盗み見ていた。
「なに? なんか言いたいことがあるなら言いなよ」
「え? あぁ、そうだな……」
なんとも歯切れの悪い返事だ。一体どうしたというのだろう。何に葛藤しているのか知らないが、ソワソワしている勇者を目を細めながら見つめていると、彼は観念したかのように小さくため息を吐いた。
「分かった。言うよ。言いますよ。実は数日前、このダンジョンから出た後に腕試しのつもりで強いモンスターがいるらしい祠に行ってきたんだ」
「へぇ、そうなんだ。それで? 結果は? 命からがら逃げ帰ったの?」
「いや、その逆だ。どのモンスターも余裕で倒せた。お前と一回戦うよりも短い時間で祠の隅から隅まで探索出来た。しかも、経験値もほとんど手に入らなかった。この意味が分かるか?」
「全然。分かんない」
私の答えに勇者は少しイライラしながら話を続ける。
「だからさ。さっき俺が言っただろ。限界まで経験値稼ぎをするって。で、強いはずの祠のモンスターで全く経験値が得られないってことは、どうやらもう上限近くまでレベルがあがってるみたいなんだよ」
「ようやくここでのレベル上げが終了したみたいだね。何度殺意が芽生えたことか……じゃなくて、お疲れさまでした。もう二度と来ないでね」
「冷たいな。もう少し寂しがってくれても良いだろ」
何故自分を傷つけてくる相手に対してそんな感情を抱くと思っているのだろう。相手が私じゃなかったらきっと死ぬほど恨まれていたに違いない。
「まぁ、いいや。それでここからが本題なんだが……」
まだ本題に入ってなかったんかい。
「いくらレベルがカンストしたからと言って、魔王討伐に単独で赴くのはまずいだろ? それで同行してくれる仲間を集めようと思っているわけなんだけど……お前さ、もし良かった俺と一緒に旅をしないか?」
勇者からの予想外の提案に私は口をあんぐり開けて固まってしまった。聞き間違いだろうか。今、勇者が私を旅に誘ったように聞こえたが。
私の様子を見て、勇者が早口で弁解を始める。
「いや、街にいる魔法使いとか戦士に声をかけてみようかとも思ったんだがな? どれだけ探してもみんな明らかにレベルが低いんだよ。同行者とは言え流石に弱いと足手まといになる。だが、俺と同等の力を持っている相手が中々見つからなくて……。現時点で俺が苦戦する相手となるとお前しかいないんだよ。祠のモンスターと戦ってみて、いかにお前が厄介……いや、強いのか改めて実感したっていうのもあるな」
「強い? 攻撃も出来ない私が?」
「ああ。確かに攻撃手段は持ち合わせていないが、その軽やかな身のこなしとスライムの特性を活かした防御力はかなりの脅威だ。回避タンクとして敵のヘイトを買ってくれれば、俺も攻撃がしやすくなる」
「あぁ、なるほど。つまり肉壁ってことね」
なんでそう穿った捉え方をするんだ、と勇者が少し怒りながら文句を言っている。今の言い方ではそういう風にしか聞こえないと思う。
別に気を悪くするつもりはない。所詮、私はモンスターなのだから、人間の仲間とは違って身代わりや壁要員でしか必要とされないのは当たり前だ。
客観的事実を頭の中で繰り返して自分を納得させようとするが、それでも心のどこかで残念に思う気持ちがあった。元いた世界の話までしてくれるようになった勇者とはある程度絆が芽生えているつもりだったが、どうやらそれは私の勘違いだったようだ。尤も、経験値稼ぎの為に毎日殺されかけていたのだから当然と言えば当然か。
「それで? どうなんだ? 一緒に来るか?」
勇者が顔を背けながら問いかけてくる。なんで自分から誘っておきながら、気恥ずかしそうな素振りをしているのだろう。
自分の気持ちは一旦置いておいて、まずは突然の勧誘について苦言を述べることにした。
「どうと言われても……。唐突過ぎない? 急に旅に誘われても、即答なんか出来る訳ないでしょ?」
「人生は選択の連続だ。迫り来る問題は待ってはくれないぞ? 瞬間的に取捨選択が出来るようにならなくては」
「偉そうに言うね。正直、今の段階で決断するなら断る一択になるんだよなぁ」
「え! なんで?」
本気で驚いたような顔をしている。こんな誘い方でOKしてもらえると思っていた勇者に驚きだ。
「だって、私にメリットが無いよね? なんでわざわざ勇者の身代わりになる為に一緒に冒険しなきゃならないの? おかしくない?」
「だから、別に身代わりにするつもりはないって。俺が攻撃するスキを作るために、お前はただ前衛に立って敵の攻撃を躱してくれるだけで良いんだよ」
「世間一般ではそれを身代わりと呼ぶはずなんだけど? それに、確かに私は回避能力が高いけど、絶対に攻撃を躱せる訳じゃないから。もし仮に渾身の一撃でも食らったらどうするつもり?」
「自分で気づいていないかもしれないが、お前も相当強くなったというか、相手の攻撃を見切る力がついているぞ。お前に攻撃を当てられるヤツなんて多分俺くらいだ。これまでの戦闘のおかげだな。感謝しろよ」
恩着せがましいな。
「それと、万が一に攻撃を受けたとしてもお前にはその回復能力がある。そうそう危険な目には合わないと思うが?」
「思うが、じゃないが? 回復出来ても痛みはちゃんとあるから。なんなら勇者からの攻撃にいつも涙が出そうだったから」
私の文句を受けて、勇者はウッとうめき声をあげた。経験値稼ぎが目的だったので私を倒しきらないよう加減をしていたのは理解しているが、それはそれとして恨み言を言う権利が私にはあるはずだ。
「普通に考えたらさ、今まで自分を傷つけてきた相手と一緒に旅をしたいだなんて思うわけないよね? しかも、魔王を倒すなんていかにも危険な旅に、敵からの攻撃を引き受ける盾役として。面の皮が厚すぎでしょ」
勇者は何も反論せずに私を見つめている。今更そんな申し訳無さそうな顔をしないでほしい。
「仮に魔王を倒せたとして。勇者はこの世界の人たちから称賛されるだろうけど、モンスターの私はどうせ白い目でみられるに決まってるよ。旅に同行したって何も良いことが無いじゃん」
自分で言っていて悲しくなってきた。いくら世界を救おうが、人間からしたら私は只のスライムの亜種でしかない。勇者のそばに居たとしても受け入れられるとは到底思えない。
それじゃあモンスター側からは感謝されるかというと、それもないだろう。野山や洞窟、海底で細々と暮らす彼らにとって魔王の生死は魔王に支配されるか、人間たちが幅を利かせてくるかの違いでしかない。魔王の討伐によって救われるのはあくまで人間たちの世界であって、モンスターたちには特段影響はないのだ。
「だ、だが、強い魔王を倒したとあれば、他のモンスターたちの間でも一目置かれる存在になるんじゃないのか? こんな狭い小部屋に隠れていないでこの周囲一帯のモンスターたちのボスになれるぞ?」
「そんなんなったら近くの街から討伐要請が出されちゃうでしょ。誰かの上に立つなんて柄じゃないし」
「消極的だな。自分を疎外してきた仲間にアレコレ命令出来る立場になれるんだぞ? 想像するだけでテンションが上がってこないか?」
「勇者の性格がネジ曲がってるってことだけは分かったよ。元の世界でどんな扱いされてきたの?」
そもそもの事を言えば、このダンジョンにいるスライムや他のモンスターたちとはまともな意思の疎通が出来ていない。モンスターたちの鳴き声や挙動を私が理解出来ないわけではないし、知能の差で私からのアクションを彼らが把握出来ていないわけでもない。この見た目のせいなのか、それとも他に理由があるのか知らないが、彼らは私を避けているのだ。
思い返してみれば、私がこの隠し部屋で目を覚ましてから勇者がここまでやってくるまでの間、人間はおろか他のモンスターともロクにコミュニケーションを取った事がなかった。そういう意味では、私には仲間と呼べる存在がどこにもいなかった。
私はこちらへ必死に話しかけている勇者に視線を向けた。一緒に戦ったし、沢山話もした。旅に同行すれば、彼の事を仲間と呼んでもいいだろうか。
「OK。いいよ。一緒に行ってあげる」
「だから、攻撃出来なくともきっとモンスターたちはお前の事を……いま、なんて?」
「旅についていってあげるって言ってんの。ここにいたって何も起きないしね。一緒に冒険すれば暇つぶしくらいにはなるでしょ」
「暇つぶしって……遊びに行くんじゃないんだぞ? 魔王を倒すには一筋縄ではいかない、命をかける必要がある。危険な旅だとちゃんと理解しているのか?」
そんな事は百も承知だ。それに、さっきまで自己回復力が高いから危険性は低いと私に言い聞かせてきたのはどこの誰だっただろうか。
「それはそうだが……」
「自分で言ってたじゃん。足手まといにならなそうなのが私位しかいないって。今から街の戦士や盾使いに声をかけても、レベル上げにどれくらい時間がかかるだろうね? たとえ私が手伝ってあげたとしても、勇者の言葉が本当なら私のレベルも結構高くなってるから、そう簡単に経験値を稼げるとは思えないけど? そんな面倒な事、効率重視の勇者が耐えられるかな?」
勇者が顔をしかめた。私はニヤリと笑って追い打ちをかける。
「経験値稼ぎの必要がない、優秀な回避役。オマケにモンスターだから名声を奪われる心配もない。同行者としてこれ以上に適任はいないよ。勇者もそう思ったから私を誘ったんでしょ?
まさか今更誘いをなかった事になんかしないよね?」
私の問いかけに勇者は目を閉じて何か考え始めた。やっぱりなし、と本当に言い出したりしないか少し不安になる。勇者から見ても私は美味しい物件のはずだが、もし他に当てでもあったりしたらどうしよう。私の優れている点を改めてアピールした方が良いだろうか。
さっきまでと立ち位置が入れ替わっている事に気づく前に勇者が顔を上げて口を開いた。
「分かった。そこまで言うなら一緒に来てくれ。共に魔王を倒そう」
勇者がそう言って右手を差し出してきた。一瞬、自分も腕を前に出しかけたが、その前に勇者の口から聞いておきたい言葉があったのを思い出した。
「それで?」
「それで? 何がだ?」
「いやいや。大事な事忘れてない? 勇者のお願いを聞いて、危険な旅に同行する訳だよ? こういう時は感謝の言葉があって然るべきなんじゃないかな?」
人目でわかるほど、勇者は露骨に嫌そうな表情を作った。予想はしていたが、そこまで嫌か。
「なんで俺がそんな事言わなくちゃならないんだよ」
「言えないのぉ? 本当なら経験値稼ぎに私を利用した事への謝罪もしてもらいたいところだけど、特別にそれはナシにしてあげようと思ったのに。これからの旅、ずーっと恨み言を言わせてもらおうかなぁ」
「……アリガトウゴザイマス」
全く感情が籠もっていない。無理やり言わされました感が全面に出ている。せめてその苦虫を潰したような顔だけでもどうにかならなかったのだろうか。
「あーはいはい。わかりましたよ。それで良いですよ」
私は諦めて勇者と握手をしようと右手を前に出した。出来ないならばしょうがない。無理に恩を押し付けたところで、相手の気持ちがそこになければ、言葉に熱が入っていなければ、その音の響きになんの意味もないのだから。
勇者の手を握ろうとした私の手が空を切った。差し出した右腕を空いているもう片方の腕で掴むような形で彼が体の前で手を組んでいる。どうしたのかと勇者の顔色を伺うと、彼は少しだけ天を仰ぎ、そして大きく息を吸うと私へ視線を落とした。
「仲間になってくれて、助かった。どうも、ありがとう」
驚いている私をよそに、勇者はササッと握手を済ますとこの隠し部屋から出ていこうと一人で扉へと向かっていった。
私は自然と顔をほころばせながら、急いで彼の背中を追いかけたのだった。
お読みいただきありがとうございました
気がついたら久しぶりの投稿となってしまいました
新年明けてから色々書いてはいたのですが、異常な寒さのせいかそれとも自分の中の引き出しが空になってしまったのか、途中で断念したり書き直したりしているうちに2月になっていました
今回の話もメモに設定を残しておいたのは去年の年末で、実際に書き始めたのは1月中旬ごろです
少し長めの話になる予定ですが、モチベーションをあげる為にも2月中には完結させたいと思っていますので、よろしければ引き続きお読み頂ければ幸いです
宜しくおねがいします